神の翼

斗弧呂天

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喪失

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少女はその少年に、花の冠を作ってやった。
色とりどりの花を丁寧に編み、少年の頭に載せてやる。
「わあ!王様だ!お花畑の王様だ!」
無邪気にはしゃぐ少年を見て、少女はふと思ったことを口に出した。
「あなたは、ここの近くに住んでいるの?」
「うん!お母さんはあんまりここに来ちゃダメって言うんだけど、僕お花が好きだから、よく来るんだ。でも、こんなの作ったことない!作り方教えて!」
「ええ、勿論。」
「やった!でも、そろそろあの男の人帰って来ちゃうな。あんまり長くは居れないや。」
「あら、分かるの?」
「うん。大体ね。ところで、お姉ちゃん達もここの近くに住んでいるの?」
「え、…まあ、少なくとも、バルドゥル…男の人の方はね。でも、私は…分からないの。」
「分からないの?何で?」
「…この森に入ってきた時、記憶を無くしてしまったの。男の人は、ピクシーの悪戯だって言ってたわ。」
「…ああ!君があの子か!」
突然声を張り上げた少年に驚いて、少年の顔を見た。
「あの子…?」
「前に、キイチゴの茂みに居たでしょ?」
生ぬるい風が顔を撫でた。
何と言って良いのか分からず、数秒間黙った。
「…見てたの?」
「うん。」

僕、お花が好きだから、キイチゴの白い花が咲いた頃だと思って、茂みに行ったの。
そしたら、珍しく人間の女の子が森の入口の方から走ってきたの。
遠くの方で、オークのヨッグルが追いかけてきたのが見えた。
女の子は、泣きながら走ってきてた。
途中で座り込んで、ずっと泣いてた。
だから、僕聞いたの。
『どうして泣いているの?』って。
そしたら女の子は、
『助けて、追われているの。』って叫んだ。
だから僕、少しだけ魔法でヨッグルから僕らが見えないようにした。
『どうして追われているの?』って聞いたら、
『分からないの。』って女の子は言った。
『ヨッグルはいい奴だけど、人間は大好物だよ。恐らく君は食べられちゃう。』って言ったら、また女の子は泣き出した。
『また…お父様のお役に立てないまま…嗚呼、泣いてはダメなのに…またお父様に叱られるのに…。情けない…こんな私ならいっそ…。』
『僕が助けられることある?ヨッグルに食べられないようには出来ないよ?』
『じゃあ…私を殺して…。』
『それは出来ないよ。そんなに力持ちじゃないからね。』
『じゃあ…忘れさせて。何もかも。私の記憶、全て。』
女の子はそう言って静かになった。
だから、魔法で女の子の記憶を消してあげた。

「ちょっと待って!あなたが私の記憶を?」
「うん。消したよ。」
少年はあっさりと言った。

でも、記憶を消すのはあまり得意じゃなくてね。
ちょっと魔力を使いすぎちゃって、変身の魔法が解けちやった。
ヨッグルにかけた目くらましもね。
全てを忘れた女の子は、僕を見て驚いて、次にヨッグルを見てすごく驚いてた。
そして直ぐに逃げ出した。
それで僕の話はおしまい。

めでたしめでたしと、物語のように少年は締めくくった。
少女は、自分の手に目を落とした。
手は震えていた。
やっと、元の自分を知る人が現れた。
少なくとも、記憶が無くなる経緯ははっきりした。
後は、
「じゃあ、記憶を戻すにはどうしたらいいの?」
「知らない。」
「…え?」
「魔法は、かけ方はあっても、解き方がはっきり分かっているのは少ないんだ。まあ、いつか効果が切れる時が来るよ。」
「…そんな…。」
『そんなに悲しい顔をしないでよ。元々君の願いなんだから。』
「…でも、」
「誰と話してるんだ?」
少女が振り向くと、バルドゥルが立っていた。
少し疲れたような表情で、少女を訝しげに見下ろしている。
「え、誰にって…あれ?」
少女が前に向き直ると、先程までの少年の姿はどこにも無かった。
「誰もいないぞ。今度は幻覚でも見えたか?」
「違います。今、確かに男の子が…。」
「人間のか?」
少女は頷く。
バルドゥルは辺りを見回した。
その時少女は、バルドゥルの右の手首に、木片をつるで結んだ、ブレスレットのようなものを認めた。
元から付けてはいなかったはずだ。
「…こんな森の奥、人間が入って来るはずがない。ましてや子供なんてな。恐らくは…化け童子コボルトだな。」
「コボルト?」
「人の子に化けるいたずら好きなやつだ。ここに来るってことは、森の掟を分かっちゃいないガキだな。」
確かに、とか、とか、それらしいことは言っていた気がする。
それよりも、少女の意識が向いていた発言は…
まあいい、帰るぞとさっさとバルドゥルはさきへ歩いていく。
少女は、バルドゥルの背中を見つめて、座ったまま言った。
「私の記憶を消したって。」
「…?」
「あのコボルトが、私の記憶を消したって。そしてそれは、私自身が望んでのことだって。」
もう少し。本当にもう少しなのに。
いつもそれを掴もうとしては、空気のように逃げていく。
自分が自分である証明。
「記憶は、いつ戻るのか、分からないって。」
誰のせい?誰を憎めばいいの?
滲む少女の視界に、バルドゥルがこちらへ近づいて来たのが見えた。
そしてバルドゥルは、何も言わずに少女を抱きかかえて、元来た小道を戻り始めた。
少女は、バルドゥルの胸にしがみついて、泣いた。声を殺して。

静かな午後だった。
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