神の翼

斗弧呂天

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ナハルザーム王国

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「王。兵の用意が整いました。」
側近のダルマは、玉座に座った若き王にそう伝えた。
「…そうか。」
カルダン王は立ち上がると、大股で広間を出た。
その後を、兜を抱えたダルマが付いて行く。
「戦法は伝えてあるな?」
「はっ。ルーフと我が国はデモス川で繋がっております。我々は川に沿って進軍、途中のデアハラム高原を越え、ルーフ国に侵入。城を陥落させる。」

「そうだ。」
「しかし、王。この作戦は先代ダンカ王のものと全く同じでは?あの作戦はあまりにも稚拙で、ルーフ国に優位となるものであったと聞きましたが?」
「ダルマ…お前の正直さには感心するよ。」
ダルマは背筋を伸ばした。
鈍い朝日が、歴戦の名残である生々しい彼の顔の傷跡を照らす。
「別に怒っている訳ではない。確かにその通りだ思う。しかし、いや、だからこそこの作戦を決行するのだ。」
「は?」
カルダン王は前を向いたまましっかりとした口調で言った。
「父の頭が、正面突破と力任せという言葉しか入っていないことは知っている。しかし、その無能な父親と同じ戦法で勝利してこそ、私は父親より有能であることを示すことが出来るのだ。そもそも父親は、子供の寝言のような伽話を信用して、ルーフ国に辿り着くことすら出来ず、動揺している所を相手に攻められ、逃げ帰った。我が国でもそんな話を信じて、やれ妖精がルーフを救っただの、魔法で国から遠ざけられただの騒ぐやつが多いと言うじゃないか。馬鹿馬鹿しい。今回の勝利によって、民は漸く悟るだろう。そんな話を信じた自分の浅はかさを。先代の無能さを。そして、私の妙妙たる力を。」
カルダン王は、長廊下の一番端で止まった。
そこには、歴代王の肖像画が掛かっていた。
一番端には、彼の父、ダンカ王が。
「…実の父親を越える、ということですか。」
「いいや?」
カルダン王は腰の剣を抜き、高々と掲げ、目の前の肖像画を切り裂いた。
真っ二つになった顔。
弾みで絵は壁から外れ、大きな音を立てて床に落ちた。
不思議と音は反響しなかった。
ダルマは黙ってそれを見つめた。
剣を収め、ダルマに向き合ったカルダン王は、勝ち誇ったような顔で言った。
「私は、父親という愚か者をこのナハルザーム王国の歴史から抹消する。私という代役をもってな。」
その鎧を纏った、ひとりの若い男は、小さく呟いた。
ダルマの耳には届かなかったが。
「私は、誰からも産まれなかった。この世に堕とされた人間。それだけだ。」



広場には、何千人もの兵がひしめいていた。
その中の一人が、隣の兵に耳打ちをする。
「なあ、知ってるか?カルダン王の噂。」
「…ああ。『鋼鉄の悪魔』だろ?なんでも自分の名誉と威厳のためなら何でもするっていう…アレほんとなのか?」
「さあ、ただ先代を相当憎んでるって話だな。あのルーフ国に負けたのが国の恥だと思ってるとか。」
「とにかく、恐ろしそうってのは事実だな。」
その時、城のドアを開け、一人の男が出てきた。
「あれがカルダン王…か?」
「かなり若いな…二十五くらいか?」
「あんな若造に指揮が務まるかねえ。」
「おい、王に向かって何言ってるんだ」
男は兵を見渡し、息を吸った。
「皆の者!今日は歴史に残る一日となるだろう!そして、我々一人一人の人生にも残る日であると思っている!」
カルダン王は、兵達と目を合わせながら語った。
「お前達のなかで、愛する人が帰りを待っている者がいるだろうと思う。両親、恋人、兄弟。はっきり言おう。戦に向かう以上、お前達全員の命が保証されることは無い。決して。今私が問うのは、お前達が私に、国に、命を差し出せるかということだ!もしそれが出来ないと言うのなら、今申し出よ!去る者は追わない。そのまま家族とのひと時を過ごすがいい。」
兵が少しざわついた。
心が揺れ動いている者がいることを、カルダン王は視線で察した。
「ただ、それが家族、ないしは愛する人の幸せとなるのかを私は問いたい。今、我が国は、この時にも人口が増え続け、資源が減り続けている。今は良くても、何年、何十年と経てば、この土地は資源が枯渇し、国民を養えるような環境が消え去ってしまう。自分を生み出し、育み、愛してくれた人々が、貧困に喘ぎ、不景気を嘆き、そして、人生に苦しむのを、我々は見ていようというのか!自分の子供が、子孫が、一欠片のパンすら齧れずに泣いているのを、地獄で眺めようと言うのか!今この瞬間よりも、この先の豊かさの方が大事ではないか!」
カルダン王はまた兵士を見つめた。
その何千もの瞳に、迷いは消えていた。
朝日が、広場に差し込んできた。
各々の堅い意志が浮かんだ顔が照らされた。
「守る者が居なければ、守られる者は存在しない。我々がこの国を、民を、家族を守るための矛となるのだ!いつまでも国の中で転機が訪れるのを待っているわけにはいかない。今ここで!行動を起こすのだ!この戦は、この国の新たな未来のための第一歩となり、後世まで語り継がれることであろうぞ!兵士よ立て!兵士よ叫べ!全ては愛のために!」
その瞬間、辺り一帯に兵達の大地を揺るがすような雄叫びが響いた。
王の後ろで控えていたダルマは、その男の背中を静かに見つめた。
これが、カルダン王の真の力であると、ダルマは確信した。
先代の王が、カルダン王が産まれて直ぐに病死し、妃もそれで心を病み、寝たきりとなったなかで、二十二の若さで即位し、バラバラだった王族と民衆をわずか一年で統率。
その実行力と情報力、何よりも民を引きつける言葉の数々。
どれをとっても歴代の王を遥かに超えていた。
しかし、ダルマは同時に、その男の内なる意志への恐怖も感じた。
止まぬ歓声を、まるで音楽のように耳を傾けている、言葉という仮面を被った若き狂人を、ダルマは静かに見つめ続けた。
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