神の翼

斗弧呂天

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憎悪と嫌悪

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ルーフ、ナハルザーム両軍がデアハラム全域に広がり、戦闘が開始した。
先鋒隊が前線に突撃し、弓兵は背後からお互いの後軍を狙い矢を放つ。
双方一進一退の戦況の中、ブロウ王は冷静にこれを監視していた。
「王!」
森から本陣へ戻ってきたバーダが声を張り上げた。
「姫の姿がありません!」
「何?」
即座に辺りを見回す。
と、遥か先の前世付近へと向かうフレッタ・スターレットの姿が見えた。
「フレッタ!バーダ兵士長、フレッタを連れ戻してこい!姫を一人にさせるな!」
「はっ!」
バーダは馬に跨り、前線へ駆け出した。
すれ違う敵兵をなぎ倒し、味方を飛び越え進むバーダの前に、一人の屈強な兵が立ち塞がった。
兵士はバーダが振りかざす剣をものともせず、剣を振り抜きバーダの馬の首に刃を叩きつけた。
太い馬の首が簡単に吹き飛び、足元に転がる。
崩れ落ちる胴体に投げ出され、バーダは数メートル程転がり、素早く立ち上がった。
「…!ダルマ…。」
「久しぶりだな。バーダ。」
かつての戦友と向かい合ったバーダは、感情を殺しきれなかった。
「この裏切り者が!四年前の対ラダウ国海戦の時に捕虜にされたとは聞いたが、そのまま同盟国に寝返ったのか!よくも祖国をないがしろに出来たものだな!」
怒りに任せて叫ぶバーダに対して、ダルマは口の端を歪めて笑った。
「はっ祖国だの裏切りだの、相変わらず年寄りめいた言葉が好きだなあ。バーダ。ガキの頃から古臭い戦争叙事なんか読んでたのを思い出すぜ。」
「黙れ!お前は我々ルーフ国の汚点だ!ここで消し去る!」
バーダは剣を構えた。
「熱くなるなよ。お前らしくないぞ殿。」
ダルマもそれに習う。


人が倒れ、血を流し、その目から生気が消え失せるまで戦い続ける中をフレッタは走った。
まだ、死んではいないはず。
しきりに周りを探していると、はるか前方に彼はいた。
何人もの兵を切り捨て、顔は返り血で赤く汚れてはいたが、その敵意をむき出した四つの瞳ははっきりと分かった。
フレッタはそちらへ急いだ。
この場でなくては、きっと彼とはもう会えないから。

「あの重瞳の男に会いたい?」
二人がルーフ城に向かう道中、フレッタはディークにこう懇願した。
「私は、漸く自分を取り戻せました。他人に決められた自分ではなく、私が決める自分が。私は、この国を救いたい。誰かが望んだからではなく、私が望むから。でも、自分を他人に決められて、それが自分だと思い込ませるような生き方しかできない人に、私は、会いたいんです。会って、話をしたい。」

『こんな自分を、見捨てないでくれたから。』

たったそれだけで簡単に縛られてしまう心。
『恩返し』『自分はあの人のためにある』
『これが幸せ』
そう思い込んで、でもどこか息苦しくて、自分が分からなくなって、そんな自分を貶して、ますます訳の分からない苦しみに縛られる。
私とあなたは、似ている。
だから、

目の前を刃が掠め、驚いて足を止めた。
「女か。しかも子供とは…ルーフ国軍はどうなっているのだ?」
目の前には一人の老兵が立っていた。
歳は七十程だと思われるが、剣を片手に立ち塞がる姿は、驚くほど若々しかった。
「どいて下さい。」
「戦場でのものの言い方を教えてやろうかお嬢さん。」
老兵は剣を振りかざした。
「殺すか、死ぬかだ。」
フレッタも間合いをとり、剣を構える。
「私はあなたの軍にいる重瞳の男に会いたいだけよ。」
「重瞳の男?ルデアのことか?」
「あの人のことを知っているのですか?」
「まあ、あいつの中では私は『命の恩人』らしいな。」
彼、ルデアの『恩人』。
まさかここで会えるとは。
「随分都合のいい男に育ってくれたものだよ。ルデアは。」
「……は?」
フレッタはその言葉に困惑した。
「あいつは捨て子でな。まああの顔じゃ当たり前だろうがな。私が少し優しくしてやっただけで簡単に懐いたよ。傷ついた人間ほど他人に靡きやすいものはないからな。しかし驚いた。ここまで盲目的に私に従うとは!」
「え、それは一体…。」
「私が信じているのはだ!どこの骨かもわからない奇形男じゃない。五十年前この目で見た神の翼を、誰も信じてくれようとはしなかった。そうして狂人扱いされてこの様だ。あいつを使い潰してでも神の翼の存在を証明しようとしたが、結局この日まであのガキは私を信用しなかった。あの奇形は従順である代わりに愚鈍だった。今から思えば、あんな無能男を拾うのは得策ではなかったな。だが今ではどうでもいい事だ。見ただろうあの風の渦を!私は間違っていない!私は気の違った老いぼれではないぞ。聖なる歴史の唯一の目撃者だ!」
「そんな…彼がどれだけあなたを慕っていたのか知っているでしょう?!」
「人の心とは脆いものだ。それ故に自己を優遇しやすい。元のヒビを少し直してやるだけで無償のだのを直ぐに信じようとする。あいつがいい例だろう?馬鹿な男だ。この世の残酷さを分かっちゃいない。」
「なんて酷いことを…。」
呆然としているフレッタの前に老兵は立ち塞がった。
剣を振り上げる。
「長話が過ぎたな。」
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