神の翼

斗弧呂天

文字の大きさ
上 下
35 / 41

しおりを挟む
フレッタは息を呑み、膝をついた。
それは目の前の老兵が剣を振りかざしたからでも、彼が愛していたーと思っていたー男がこちらに気付いたからでもなかった。

ぶつ。という生々しい音は、雄叫びと呻き声と剣が交わる音とで入り乱れていたその場でも、フレッタの耳にはっきりと伝わった。
歳に似合わぬ爛々とした瞳から光が消え、手にしていた剣が重力に従って落下する。
そして、一秒前まで頭があった空間の向こうに見えた、鳥のような翼の生えた、
首から鮮血を迸らせたまま、老兵の体はただの肉塊となり、フレッタに倒れ込んできた。
フレッタは必死にそれを避けると、右手に何かが当たった。
老兵の頭だった。
「フレッタ!」
ディークはフレッタを抱き起こす。
「ディーク…ああ、私は、なんて事を…。」
「姫!」
バーダがそこへ駆け付けた。
「ここにいては危険です。直ぐに本陣へお戻りください!」
「バーダ…!怪我が…。」
「私は平気です。とにかく早く!」
左腕から血を流しながら、バーダはフレッタを連れ出そうとした。
しかしそれは叶わなかった。
突然、剣が回転しながら飛んできて、バーダの頭を掠めた。
剣はそのまま飛んでいき、味方の兵の背中に刺さった。
「どうした?勝負の途中で逃げるとはお前らしくないな、バーダよ。」
近くの死体の手から剣を引き抜き、ダルマは意地の悪い笑みを浮かべた。
顔の痛々しい傷跡が、太陽に照らされ不気味に浮き上がる。
目の前の兵を剣一つで薙ぎ払いながら、その歴戦の兵士は三人に近付いてきた。
「知り合いか?」
「そう呼びたくもない男だ。」
「手を貸すか?近くに味方が居ないなら、翼で一気に吹き飛ばせるぞ。」
「いや、これは俺の勝負だ。お前は姫をー。」
「ディーク!危ない!」
フレッタが叫ぶ。
しかし、既にルデアのつるぎは、ディークの首を捉えていた。
フレッタは思いっきりルデアへ体当たりをした。
だが、相手は少しよろめいただけで直ぐに体制を立て直し、フレッタの胸を蹴り飛ばした。
フレッタは数メートル転がり、気を失った。
名前を呼ぼうとしたが、それより先に刃が迫ってきた。
「よくも、よくも、ヴィックス様を、殺して、殺してやる!」
そのようなことを喚きながら、ルデアはディークに切りかかる。
それらをすんでのところで躱し、ディークは間合いをとる。
「ヴィックス?この老いぼれか?」
「お前は、俺の、恩人を殺した。お前も殺してやる、殺して、やる!」
「ふん。じゃあやってみろよ。俺は死なねえ。」
「…がうの、やめ…。その人は…。」
フレッタがぼんやりとした視界の中で必死に伝えようとした真実はやはり、誰の耳にも聞こえなかった。


ダルマは汗一つ流さず、淡々とバーダへ攻撃をし続けた。
バーダは腕からの出血が止まらず、攻撃を躱すのが精一杯であった。
「昔っからそうだ。いつも俺に泣かされてた。剣術の腕じゃ、かないっこない癖に、志とやらだけは一丁前で。やれ祖国の為だの勇猛な兵士だの。博識だ勇敢だと持て囃されて、今や兵士長か。随分な出世だなあ!お前もそう思うだろ?バディー。」
「お前にその名で呼ばれる筋合いは無い。お前は裏切り者だ。」
剣に気を取られ、ダルマの膝がバーダの腹に入る。
バーダは崩れ落ち、ダルマはそれを更に蹴り付け続けた。
「昔っからこういう所だけは分かり合えなかったよなあ。俺みたいに自分の命が可愛い奴だっているんだ。間違いなく処刑されるか、戦場に行って戦わされるか。少なくともここにいれば生きる可能性も0じゃない。例え死んでも、晒し首よりはましだ。まあ、お前にとっちゃこんな臆病な人間が居るなんて信じられないだろうけどな!」
「っ…。」
バーダは何も言えなかった。
ダルマはひたすらバーダの体を蹴り続ける。
「あーあお前が羨ましいよ。皆からちやほやされて、優秀だと褒められて。実力もないのにどうしてお前が兵士長で、俺は万年ただのなんだ?実力だけ買われて、産まれた場所が違うってだけで出世も出来ない。そんなに祖国のために死ぬことが大事なのか?そんなことになんの意味がある?」
脚を下ろし、今度は剣をバーダの右腕に当て、ゆっくりと差し込んだ。
「~~~!!」
「おい、教えてくれよ。バディー。口すらききたくないってか?」
暫く突き刺したままにしても何も言わなかったので、ダルマは剣を引き抜き、今度はバーダの喉に狙いをつけた。
「まあいいさ。勝負なんてこんなもんだろ。」
「…ひとつ教えてやろうか?」
消え入りそうな声でバーダは呟く。
と、刃を下にして喉元に構えていたダルマの刃を蹴り上げ、剣がダルマの手からすっ飛んだ。
力一杯剣を握りしめ、バーダは言った。

「勇敢な兵士を殺せる愚鈍な兵士は、いない。」

剣を持った血塗れの両腕を突き上げる。
刹那、ダルマの首に刃が突き刺さった。
ダルマは目を見開き、何事か口を動かそうとしたが、そのまま倒れ込んだ。

全ては一瞬だった。

バーダは立ち上がり、目の前に転がる男の死体に言った。
その目には、もう憎悪の念はなかった。

「お前は道を誤ったんだ。…ダーラ。」
しおりを挟む

処理中です...