コントレイルとちぎれ雲

葉月凛

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 温かくて柔らかい唇が、自分の唇と気持ち良く馴染む。櫻井の、整髪料の香りも心地いい。

「………」

 すぐに離れるつもりで、もう少しだけ、押し付けるようにして鼻から息を吸い込んだ。口元にかかる櫻井の息に合わせて、自分も息を吸ってみる。

 2度、深く吸い込んだところで、櫻井の呼吸がぴたりと止まった。

「んっ!」

 いきなり後頭部をわし掴みにされて、びくりと体が揺れる。驚く間もなく、口の中に熱い舌が入ってきた。

「んんっ、んっ!」

 もがく薫の頭を両手で掴んで、口の中を舌が暴れる。ひとしきり蹂躙されたあと、ぱっと放され、飛び退いた。

「っ、あんたなぁっ!」

 真っ赤になった薫が、手の甲で口元を乱暴に拭う。

 櫻井はにやにや笑いながら、ゆっくりと体を起こした。濡れた唇を人差し指で、する、と拭う。

「何、襲われたの俺の方だよ?」
「いっ、いつから起きてっ」
「うーん、ブランケット掛けてくれたくらいから?」
「っ、……」

 ほとんど最初から起きていた。
 何て人が悪いんだ、と薫がじろりと睨む。

「ははっ、そんな真っ赤な顔で睨まれてもねぇ」

 ブランケットを軽く畳んだ櫻井は、これありがとう、と言って立ち上がった。

「美奈子、今日は戻らないんだって。ほら、鍵。今日はもう適当に終わっていいってさ」

 ポケットから鍵をひょいと投げられ、慌てて受け取る。

「今日中にすること、まだ残ってるの?」
「え、いや、別に……」
「よし。じゃあ、ちょっと早いけど行くか」

 櫻井がにこにこと身支度を調える。
 彼が訪れた時は食事に行く流れになっているので、薫も異を唱えることなく帰り支度を始めた。と言っても、元々来たばかりなのでそのまま出られる。

 窓のブラインドを順に下ろしていくと、電気をつけていなかった室内は途端に薄暗くなった。

 薄闇の中に立つ櫻井を妙に意識してしまい、足早に横をすり抜けようとすると、不意に腕を掴まれた。

「っ! な、に」

 櫻井が、にっと笑って顔を寄せる。

「そんなに怯えなくてもいいんじゃない?」
「はっ?」
「心配しなくても、取って食ったりしないよ?」

 櫻井が可笑しそうに、くくっと笑う。

「……何でそんなに機嫌いいの」
「そりゃあ、君があんな可愛いことするから」
「っ、」

 10分前の自分を殴りたくなりながら、 櫻井を無理矢理事務所から押し出して、鍵を閉める薫だった。

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