コントレイルとちぎれ雲

葉月凛

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          ◆

 未夏川みなつがわの水は、茶色く濁っていた。

 朝出掛けるとアスファルトが濡れていたので、夜中に雨が降ったのだろう。水かさも増え、 勢いが少しだけ増している。いつも水辺に見かける白い鳥も、今日は姿を見せなかった。

「本城君、ホームページありがとうね! アクセス数が格段に違う。問い合わせも増えてるし」

 ようやく完成したホームページは上々の仕上がりで、評判も良さそうだ。
 喜んだ美奈子に別途報酬を払うと言われたが、謹んで辞退した。どうも美奈子には、後ろめたい気持ちが拭えない。

 薫は、櫻井と出会ったあの日の晩は自分の記憶がないことと、彼の『最後の一線は越えていない』という言葉を免罪符のようにしてきたが、昨日はとうとう自分からキスをしてしまった。

 これでは、英司と変わらない。もう絶対にしない。なので……ホームページの報酬は、いらない。

「広告代理店にいたんだっけ。さすがねぇ、プロの出来映えだわ」

 美奈子は、前会社の退職理由などは一切尋ねてこなかった。櫻井の紹介、というだけでアルバイトの採用理由は十分らしく、きちんとした履歴書すら出していない。櫻井から退職事情を何か聞いているのかと思ったが、そうでもないようだった。ただ、前会社は退職した理由が理由なだけに、触れないでいてくれるのはありがたかった。

 一晩眠って、薫は昨夜の英司との再会を、何とか自分の中で消化した。やっぱり、だてにひと月経っていない。もう、飲み込むことにも慣れてきた。

 昨日、英司は『また連絡する』と言ったが、薫のスマートフォンは着信拒否にしてあるしメッセージアプリもブロックしている。

 どうやって連絡する気かと考えて、また昨夜のようにいきなり家に来るのかもしれないと思うと、少し憂鬱になった。あまり続くようなら、本気で引っ越しを考えた方がいいのかもしれない。あのマンションは契約を更新したばかりで居心地もいいのだが。

 今日は、美奈子のブライダルレッスンが入っている。茶色い防音室のキーボードが置いてある方に入ると、2時間みっちり出てこない。

 防音と言っても小さな音は漏れ聞こえてくるので、何となく聞いたことがあるような曲をBGMに、薫は楽譜の整理を進める。と言っても、コピーされた譜面を、ただタイトル50音順に並べているだけだ。1枚ものはそれでいいが、複数枚ある譜面はどれがどの続きか分からず、当たりをつけておいて結局あとで美奈子に頼る。

 漏れ聞こえる少し音の外れた結婚行進曲に、苦笑いをする薫だった。

 午後から休憩を挟んで2人のレッスンを見た美奈子は、頂き物のクッキーの箱を開け、薫は紅茶を淹れる。

 甘い物は嫌いではないが量は食べないという美奈子に『本城君が甘い物好きで良かった!』と喜ばれている。

 頂き物の菓子など残ってしまうことが多く、これまでは現在休職中の絵里が全面的に引き受けていたらしい。そういえば櫻井も甘い物は苦手そうだった。

 最近慣れつつある日常を無難にこなして6時になり、事務所を後にする。
 今日は、櫻井も来なかった。

 英司がまた来たらどうしようかと警戒しながら自宅に戻ったが、玄関前には誰もいなかった。

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