ブライダル・ラプソディー

葉月凛

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 ずしりと重い椅子を引いて腰掛けると、白い鍵盤のところどころに、自然な変色が見てとれた。

(ほんとだ、象牙だ……)

 奈津は、重めの鍵盤が好きだった。事務所の櫻井などは、元々電子のキーボード奏者でピアノはあとから始めたためか、重い鍵盤が苦手だと言っていた。

『グリッサンドなんてしたら、内出血ものよ! キーボードなんて小指1本でできるのに』

 音階が切れないようなめらかに指を滑らす奏法が、キーボードのようにいかないらしい。櫻井がこのピアノを弾いたら、何て言うだろう? 想像して、ちょっと可笑しくなった。

 ──久しぶりに弾く、母の好きな『ラプソディー・イン・ヘヴン』を楽しもう。奈津は、冷んやりとする鍵盤に、そっと指を置いた。

 店内に静かに流れていたBGMが止まったことに気付かなくても、いきなり始まったピアノの生演奏には、さすがに皆気が付いた。

 交わされていた会話が一瞬途絶え、時間と共に増えてきた客の、その視線が一斉に奈津に向けられる。しばらくして会話を再開する者もいれば、近くのウェイターに『あれはここのピアニストか』と尋ねる者もあった。

 だが、奈津のピアノが高音を擽るような音色でエンディングを迎え、ダンパーペダルから足が離れて音がふっと途切れた途端、一斉に拍手が沸き起こった。

 予想外の拍手に奈津は驚いたが、すぐにすっと立ち上がり、フロアに向かって一礼をした。そして鍵盤の蓋を閉めかけて、元々開いていたのを思い出し、そのままにして高嶺の元へ戻った。

 高嶺は上機嫌で、手をパンパンと叩いて奈津を迎えた。

「──いやぁ! 素晴らしかったよ。とてもいいアレンジだった。普段はどこで弾いてるの?」
「ありがとうございます。決まった会場では弾いていないんです。ヘルプが多いので……あと、たまにですけど、披露宴とか」

 奈津が元の席に座ると、きれいな青色のカクテルがコースターの上に置いてあった。

「ええ? それは勿体ないねぇ……うちで弾いてみる? そうだなぁ、金曜日だけ」
「え? でも、奏者は入れてないんですよね?」
「うん。ここ1年程やめてたんだけど、またピアノ入れて欲しいって、お客様の要望も結構あってね。いい人がいればって思ってたんだよ」
「あの、でも……」
「ああ、もちろん櫻井さんを通すから。いい考えだと思わない? ねぇ──成瀬くん」
「えっ!?」

 高嶺の視線が自分の斜め後ろに向けられて、奈津は驚いて振り返った。

 そこには──いつからいたのか、氷のように表情のない成瀬が立ち竦んでいた。

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