【完】待っててくれと言われて10年待った恋人に嫁と子供がいた話

ナナメ(新作についてお知らせ)

文字の大きさ
8 / 13

過去と現在

しおりを挟む
 高校の卒業式が終わって数日後、裕也が都会に出て行くまで残された時間は僅かだった。
 郁はその日裕也の為に編んだお守りを持って彼の部屋を訪れていた。都会はこの田舎と違ってαの裕也を放っておかない場所だろう、と思って精一杯の気持ちを込めた。お洒落に気を遣う裕也の事だ。普通の組み紐ではきっとすぐ外してしまうだろうし、お守りらしいお守りでは受け取りもしないだろう。だからさんざん悩んだ末、バイト代をはたいて買った裕也好みのゴールドネックレスに、本来なら別の物を入れる為だろう開くタイプのペンダントトップをつけて中に組み紐を入れておいた。

「わー、マジか。結構良いじゃん」

「一応中にお守りが入ってるんだ。でもこれなら着けてても変じゃないかな、と思って」

 早速首にかけて鏡で確認している裕也を見て郁も微笑む。
 良かった、とりあえずお眼鏡にはかなったようだ。――それにしても、と郁は不意に自分の胸をさすった。今日は何だか息苦しいような、体がモゾモゾと気持ちが悪いような変な感じがしている。
 ハッとしてスマートフォンを取り出して日付を確認してから、しまった、と思った。今日はまだ抑制剤を飲んでいない。裕也にお守りを渡す事で頭が一杯になっていたから忘れてしまっていた。慌てて取り出したピルケースから取り出した抑制剤を、唾液だけで何とか飲み込む。
 だから裕也が振り向いた時にドキリ、と心臓が跳ね上がる。

「――何か、良い匂いしねぇ?」

「ご、ごめん!抑制剤飲み忘れてて――今抑制剤飲んだから数時間で収まるし、今すぐ帰るから!」

 ただフェロモンを垂れ流しながら歩くなんて馬鹿な真似はいくらなんでも出来ない。まずは家にいる筈の母親に迎えに来てもらって、自転車は発情期ヒートが収まった後か、もしくは家族の誰かに頼んで持って帰ってもらおうと震える指で通話ボタンをタップしようとした時だった。
 グイ、と電話を持つ腕を思い切り引かれた所為でそれは手から離れてしまう。

「ゆ、裕也……?」

 にぃ、と笑う口元とその瞳の奥の欲情に、郁は小さく震えた。

「あの、俺帰るから……このままだと、裕也にも迷惑がかかるし」

 小さく頼りない声になってしまう。
 じわじわとヌルついていく下肢の不快感と、今までほとんど起きた事がない強い発情期の症状に混乱している郁の腕を掴んだまま、裕也は笑みを浮かべたままだ。

「なぁ、俺達婚約者だろ?結婚したらどうせヤるんだし、前でも後でも同じだよな」

「え……」

「それに抑制剤効くまでお前も辛いだろ。だったらヤっちまった方が早く収まるじゃん」

 冗談だよね、と力なく笑ってみるけれど裕也はそのまま郁をベッドまで引きずるように連れて行ってドン、と突き飛ばした。
 ベッドのスプリングで痛みはないけれど、驚きと衝撃で固まっている郁の上に舌なめずりした裕也が圧し掛かってくる。――嫌だ、と拒否する暇も、権利も、郁には与えられなかった。

 抑制剤が効いて発情期が収まった体は重だるい。それが発情期後の怠さだけではない事を、散らかった服が突き付けてくる。
 裕也はさっさと風呂場に行っており、部屋には郁1人しかいない。投げられた服を手に取りながら、痛む体を無理やり動かしていてふとシーツに散った赤い染みに気付く。――血だ、と、そう思ったら何故か涙が一筋こぼれた。
 でも泣き腫らした顔で帰るわけにはいかない。何があったか家族にバレてはいけない。郁は裕也がお守りをつけて満足そうにしていた鏡の前に立つと、指で唇の端をグイ、と押し上げた。

「うん、大丈夫」

 指を離しても鏡の中の郁は笑っている。もう一度、大丈夫、と呟いて裕也に一言帰る事を伝える置手紙を残し、痛む体に鞭打って郁は帰路に就いた。

 ※ ※ ※ ※

 ハッと目を開けた郁は一瞬自分がどこにいるのかわからなかった。頭の中は未だガンガンと警報のように痛みがひどくて、眩暈もひどい。発情期とは違う痛みに戸惑いながら体を起こすと壁際でスッと誰かが動いた気配がして郁はビクリと飛び上がる。
 そこにいたのは寛隆だった。いつものように優しい笑みを浮かべ、でも少しだけ火照った頬と額の汗、それから何故か手から血を出している。
 血。
 血、血だ。
 ガン、とまた頭を殴られたような衝撃が郁を襲った。

「目が覚めました?気分はどうですか?」

 少し離れた位置から聞こえる声音は優しいのに、

 ――結婚したらどうせヤるんだし、前でも後でも同じだよな

 重なる様に聞こえてくる酷薄な声が郁を揺さぶる。
 は、は、とまた乱れてくる呼吸は苦しくて、まるで押し出されるように目からは雫が零れ落ちて行く。
 苦しい、苦しい。頭が割れそう。怖い。
 郁はまるで何かから逃げるかのように頭を抱えたまま口からボロボロと言葉を零した。

「む、昔、婚約者がいて……待ってて、――でも赤ちゃんがいて……赤、……血……」

 怖い。
 ふ、と体を何かが包み込んで郁は思わず身体を強ばらせる。厚い胸板は初めて会った日頬に感じた物と同じだ。
 寛隆は郁を包み込むように抱いたまま、ただ指で一度涙をすくって、あとは何も言わなかった。その涙を服で吸わせるように郁を胸に抱き、ゆっくりと背中を撫でている。
 まだ、は、は、と乱れていた呼吸は

「赤くて……怖くて……」

 と無意識に口をついて出て来る言葉は、やがてトク、トク、と穏やかに刻む寛隆の心音に合わせる様に緩やかになる。
 背中を撫でる手の温もり。穏やかな心音。
 いつの間にか郁の頭から「怖い」が消えて、縋る様に寛隆の服の裾を掴みながら、自分からその心音に合わせる様に呼吸が緩やかに、穏やかになっていく。発情期で疲れ切った体はいつかの重だるさとは違って、寛隆の心音に合わせてゆっくりと、そして穏やかに郁を眠りへと落としていった。

 寛隆は腕にかかる重みで郁が再び眠りについた事を確認すると、一度だけ目元の涙を拭ってから彼をベッドへ戻し、自分も壁際へと戻った。そしてまた強く腕を噛む。正直、発情期のΩと密室にいるのはαにとって拷問に近い。だけど。だからこそ、寛隆は思った。ずっと引っかかっていた問いへの答えだった。

(俺は、――郁さんの笑顔が好きだったんだ)

 ※ ※ ※ ※

 外はうだるような暑さが続いている。
 都会に来るのは3年ぶりか。少しレトロな外観をした喫茶店を彼は遠く歩道橋の上から見つめていた。その唇に、にぃ、と冷たく不気味な笑顔が浮かぶ。

「――見つけた……やっと、やっと見つけたぞ、郁……」


しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

さようなら、お別れしましょう

椿蛍
恋愛
「紹介しよう。新しい妻だ」――夫が『新しい妻』を連れてきた。  妻に新しいも古いもありますか?  愛人を通り越して、突然、夫が連れてきたのは『妻』!?  私に興味のない夫は、邪魔な私を遠ざけた。  ――つまり、別居。 夫と父に命を握られた【契約】で縛られた政略結婚。  ――あなたにお礼を言いますわ。 【契約】を無効にする方法を探し出し、夫と父から自由になってみせる! ※他サイトにも掲載しております。 ※表紙はお借りしたものです。

魔王を倒した勇者の凱旋に、親友の俺だけが行かなかった理由

スノウマン(ユッキー)
BL
スラム育ちの少年二人は、15歳になり神の祝福でスキルを得た事で道をたがえる。彼らはやがて青年となり、片方は魔王討伐に旅立つ勇者として華々しい活躍をし、もう片方はただ彼の帰還を待つ相変わらずスラム暮らしの存在となる。 これは何も持たない青年がただ勇者の帰りを待つ日常を描いた作品です。 無自覚両片想いの勇者×親友。 読了後、もう一度だけ読み直して頂けると何か見える世界が変わるかもしれません。

夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い

青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。 神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。 もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。 生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。 過去世と同じ轍を踏みたくない……

いい加減観念して結婚してください

彩根梨愛
BL
平凡なオメガが成り行きで決まった婚約解消予定のアルファに結婚を迫られる話 元々ショートショートでしたが、続編を書きましたので短編になりました。 2025/05/05時点でBL18位ありがとうございます。 作者自身驚いていますが、お楽しみ頂き光栄です。

【完結】選ばれない僕の生きる道

谷絵 ちぐり
BL
三度、婚約解消された僕。 選ばれない僕が幸せを選ぶ話。 ※地名などは架空(と作者が思ってる)のものです ※設定は独自のものです ※Rシーンを追加した加筆修正版をムーンライトノベルズに掲載しています。

運命じゃない人

万里
BL
旭は、7年間連れ添った相手から突然別れを告げられる。「運命の番に出会ったんだ」と語る彼の言葉は、旭の心を深く傷つけた。積み重ねた日々も未来の約束も、その一言で崩れ去り、番を解消される。残された部屋には彼の痕跡はなく、孤独と喪失感だけが残った。 理解しようと努めるも、涙は止まらず、食事も眠りもままならない。やがて「番に捨てられたΩは死ぬ」という言葉が頭を支配し、旭は絶望の中で自らの手首を切る。意識が遠のき、次に目覚めたのは病院のベッドの上だった。

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ✻改稿版を他サイトにて投稿公開中です。

そばにいてほしい。

15
BL
僕の恋人には、幼馴染がいる。 そんな幼馴染が彼はよっぽど大切らしい。 ──だけど、今日だけは僕のそばにいて欲しかった。 幼馴染を優先する攻め×口に出せない受け 安心してください、ハピエンです。

処理中です...