鳴けない金糸雀(カナリア)

ナナメ

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辺境伯

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 男はすぐ近くにいた従僕にスレイブに服を与えて着せるよう告げ彼を床に下ろした。裸足のままの足裏がひんやりと冷たいけれど「こちらへ」と促されてしまったらわけもわからないまま従うしかない。
 一瞬ちらりと振り向いたけれど、男は紺色の髪の男に詰め寄られながら2階への階段を上がっていく所だった。

(広いお城……)

 屋敷、というには広すぎて城と形容するのがしっくりとくる外観だった。城内もあまり飾り気がなく、分厚い窓にも飾り1つない。
 スレイブは裸足のまま従僕の青年に付き添われて部屋に入った。
 簡素な部屋だけれどスレイブがいた小屋よりも清潔で暖かい。何より裸足で冷えていた足裏がじわっと暖かくなった事に驚いて飛び上がってしまった。
 
 耳羽がぶわりと広がる様に青年が驚いた顔をしたけれどこほん、と咳払いをして表情を取り繕う。

「まずは足を拭きましょう」

 言われるがまま座って眺めていると――。

(お湯?)

 手押しポンプで組み上げるタイプの水道から湯気が立っていて首を傾げる。
 スレイブがいた娼館ではスレイブが客を取っている間にまだ男娼になれない若い子供達が桶で水を汲み、湯船にためて火をおこして暖めていた。
 客が取れない日は暖かい湯なんてなくて真冬でも井戸の水を汲みボロボロの布で体を拭く事しか出来なかった。

 不思議になってぐい、と首を傾げてみる。もちろん手押しポンプの下から火をおこして暖めている様子はない。
 そういえばさっきこの部屋は床も暖かかった。室内のどこかに湯を沸かす場所でもあるのだろうか。
 今度は反対にぐいんと首を傾げていると、青年が思わずといったように笑った。

「申し訳ございません。もしかしてお湯が出る事が不思議なのでしょうか?」

 こく、と頷く。

「この城の地下水脈は炎の山に住まう炎竜の恩恵を受けているんですよ」

 炎竜がいるおかげで地下にお湯が湧き、その水脈を城内や各家に引くことによって魔法や手動で湯を湧かさなくても良いようになっているらしい。おかげでこの極寒の地でも皆が凍えずに済んでいるのだとか。
 普通の水は川から浄水場を通り各家に届くようになっているし配管が凍らないような工夫もしてあるんだと青年が誇らしげに語る。

「どれも旦那様の功績です」 

(もしかしてあの人……)

 ずっと感じていた違和感。
 市井の人に見えないあの男の正体はただの貴族なんかじゃないのかも知れない。
 こんな立派な城に住んでいるし。

 じわじわと不安になるスレイブの心を知ってか知らずか足を拭いてくれた青年が服のサイズを確かめようと上着を取って真っ赤になってしまった。

「も、申し訳ありません!!!」

 スレイブはまたこてと首を傾げた。
 男娼になってから裸なのはいつもの事だったからこんなに驚かれるとは思っていなかったのだ。
 青年はあたふたとしながらスレイブの体をさっと眺め使用人のお仕着せらしき服を手渡してくる。
 これを着ろという事だろうか。
 生なりのシャツは丈夫そうで、けれど肌当たりも柔らかく微かに良い香りがする。久しぶりにはいた下着も尾羽を邪魔することなく、黒のパンツはやや丈が長いものの火熨斗ひのしがあててあってパリッと伸びていた。
 裸足の足に少し使い古した靴下とこれもサイズが大きめな靴をはかされる。床下に這わされたお湯の配管のおかげで廊下以外の全部屋は足元から暖かいらしいから靴をはくなんて勿体ないな、と思いながら青年にされるがまま服を着終えた。

「突然でしたので使用人のお仕着せになってしまって大変申し訳ありません。後程旦那様にお客様に相応しい装いを確認して参りますので……」

 お礼にぺこりと頭を下げるとようやく青年もスレイブが話せない事に気付いたらしい。僅かに悩む素振りを見せた後何事もなかったかのようににこりと笑う。

「私の名前はイアンと申します。旦那様の元へご案内致しますね」



「で、あの方は捜し人で合っていた、という事ですか?」

 暖炉の薪がぱちん、と弾けた。
 ここもまた飾り気など全くない執務室の椅子に座った男に紺の髪の男が詰め寄る。
 アルバス辺境伯フォルティア・ロマノンド、それが黒髪の男の名である。
 国防の要にもなる辺境を任された者に送られる辺境伯という爵位は伊達で務まるものではない。
 通常より広い領土は治めるにも労力がかかるし、頑丈な城塞に守られたその向こう側に敵軍が現れ小競り合いが起こる事もある。北方の辺境アルバスは雪深く、冬の初めに当たる今現在でもどうにか馬車が行き来できる程の積雪がある、そんな土地故に農業や畜産業は自領の比較的雪の少ない場所か他の領土に頼るしかない。
 唯一の救いは鉱山があって質の良い鉱石が採れる所だけれど、それも本格的な冬が来てしまえば休業せざるを得ない不毛の地だ。そしてひと度他国と戦争が起これば真っ先に戦場と化す地でもある。
 戦争の功績にとこの地を押し付けられたロマノンド一族はそれでもここを住み良い地にする為改革を進めてきた。その甲斐あってこの極寒の地でも人々は気さくで明るく過ごせるのである。
 そしてその領主ロマノンド家の親戚にあたるクリエン伯爵家三男のパスカル・クリエンはこの城内で唯一フォルティアに苦言を呈する事の出来る優秀な従者だ。城外からはあと2人程好き放題言える客人が来る事もあるけれど。

「あれはキールだ。間違いない」

「その割に本人は閣下の事をわかっていなさそうな様子でしたが?」

「16年も経っているんだ。記憶が薄れている事もあるだろう」

 フォルティアが幼い頃出会った鳥人族の子供――キールは金糸雀カナリア特有の黄色い髪と、同色の耳羽、そして羽先にいくにつれてやや黄緑がかった羽を持っていた。尾羽だけは小さくちょこん、と生えているのを見せてもらった事がある。
 ただその頃のキールは明るくお喋りで、そして怪我をしたフォルティアを歌で治せる能力を持っていた。崖から落ちて瀕死のフォルティアを救った恩人がキールだったのである。

「……彼は声が出ないのではないですか?」

 疑わしい眼差しのパスカルに向けた視線は冷ややかだ。常人なら震え上がるその眼光にも長い付き合いであるパスカルは揺らがない。
 フォルティアが捜すキールという少年の村が奴隷狩りに遭ったのは16年前。まだ9歳だったフォルティアが父親に頼み込んで村に足を踏み入れた時、その凄まじい惨状に血の気を失った。
 抵抗したらしき鳥人族の大人、特に男はことごとく惨殺されあたりに真っ赤な血に染まった羽毛が散らばっていて、けれどそこに女や子供の死体はほとんどなかった。
 猛禽類のいない喉かな村だったのだ。戦い慣れた者なんてほとんどいない、隠れ里のような。――フォルティアはあの日のあの光景を忘れはしない。

 あの村にキールの死体はなかった。だからどこかで生きていると信じて捜していたフォルティアに娼館でそれらしき男娼を見たと情報がもたらされた時、彼は初めて心から神に祈った。

 そして出会ったのである。

「あれはキールだ」

 同じ言葉を繰り返す主人に何を言っても無駄だとパスカルはため息を一つ溢すのだった。

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