鳴けない金糸雀(カナリア)

ナナメ

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出会い

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「大変……!!」

 高く舌足らずな声が微かに耳に届いたフォルティアは震える指を動かして腰に差したナイフを取ろうとした――つもりだった。
 けれど崖を転げ落ちた体はあちこちの岩や木の根にぶつかりほんの少しの力も入らない。あれだけの崖から落ちたにも関わらず体が痛まない事にゾッとする。
 父から聞いた事がある。人は瀕死の重傷を負うと痛みを感じなくなるのだと。その内急激に体調が悪化して死ぬのだと。

「大丈夫!?」

 また聞こえた声にハッとして目だけでそちらを見る。体を動かすのが怖かった。
 急激に、とはどの程度急に来るのだろう。
 それは痛みを伴うのか、それともこのまま痛みを感じないまま天に召されてしまうのか。

 恐怖を感じながら見た先に天使がいると思った。もうお迎えが来ているではないか、と。そのくらい彼は美しかった。
 心配そうにハの字になってしまった眉毛とその下のくりくりとした金色の瞳。長い睫は僅かに緑がかっていて、ふくふくとした頬は薄くピンクに染まっている。小さな鼻と艶々した小さな唇。そして背中には黄色い羽が生えている。
 天使の羽は白いかと思っていたけれど黄色だったのか、とぼんやり思った。――が、彼の耳が羽の形をしているのを見てようやく目の前にいるのが天使ではなく金糸雀カナリアの鳥人族だと気付いた。

「崖から落ちたの?怪我は?」

「――わからない。痛みがないんだ」

 体は動かないから怪我をしているのは間違いないのだろう。しかし痛まない体はどこを怪我しているのか自分ではわからないのだ。
 そう思っていた矢先、急に胸が熱くなってゴホゴホと咳き込む。金糸雀の少年が慌ててフォルティアを抱き起こした瞬間、口からゴボっと大量の血が溢れ出た。

「……俺は、ロマノンド家のフォルティアだ」

 家族にどうか伝えて欲しい、と少年の腕を血塗れの手で掴む。
 痛くはないのに口から血がどんどん溢れてくる。きっとやられたのは内臓だろう。脳内が過ぎた痛みを遮断しているから痛くないし話しが出来る。だから話が出来る内に両親にどこでどうやって死んだのかを伝えなくては、と必死で少年に縋った。
 でも少年はフォルティアの手を外して体ごと地にソッと下ろしてしまう。

 頼む、聞いてくれ。両親に最期を伝えてくれ、と声をあげようとしたその耳に涼やかな声が歌う聞いたことのない歌が届いた。
 何を言っているのかは理解が出来ない不思議な歌。彼の広げた背中の羽が先に行くほど緑になっている事に気付く。
 まるで祈るかのように手を組み合わせて歌う彼の周りにあった金の光がキラキラと輝きながらフォルティアに降り注いだ。

 星が降ってくるみたいだ、と思いながらそれを眺めていたフォルティアはふと焦がすように熱かった胸から熱が引いたことに気付きさらにあれだけ重く動かなかった腕が軽々と動く事にも気が付いて驚いて飛び起きる。

「急に動いたらダメだよ!」

 慌てて少年に縋られるけれどそれどころではない。

「今の!癒しの歌か?君は癒しの歌が歌えるのか!」

 鳥人族に癒しの歌が歌える者がいるのは聞いていた。けれど人間の所為で数を減らした鳥人族はほとんど人間の前には現れない。たまに見かける鳥人族はほとんどが奴隷として売られてきた者ばかりでみんな荒んだ目をしていた。近々国王や父が進めてきた鳥人族保護法が制定したら彼らも自由になるだろう。
 だが今の段階で人間に近付き、まして貴重な癒しの歌を歌ってくれる鳥人族がいるとは思ってもいなかった。

「金糸雀は歌える人が多いんだよ」

 はにかんだように笑ってから少年が崖の上を見る。
 
「もしかしてあそこから落ちたの?」

 木々で隠れて上までは見通せないけれどこうして見上げてみれば落ちた瞬間に死んでいてもおかしくはなかった高さだ。

「……叔父上に落とされたんだ」

「おじさん?どうして?」

 ロマノンド家の家督を狙う叔父は手強い父ではなく跡取りであるフォルティアを亡き者にしようとした。
 他の貴族令息に誘われて遠乗りに出た時気付くべきだった。みんなの顔色が悪かった事を。いつものルートから外れて危険な崖側のルートを選択した事を。
 実際にフォルティアを落としたのはアルバス領の1つの領地を任されている子爵家の令息だったけれど、涙で顔をぐちゃぐちゃにしながらごめんなさい、と叫んだ彼を恨む気はない。
 辺境伯の弟である伯爵にただの子爵令息が逆らえるわけはないのだから。

「叔父上は俺が邪魔なんだ」

 少年は困ったように首を傾げている。
 確かに初めて出会った、しかも命の恩人に話す事ではない。フォルティアは気を取り直して少年の細くて小さな手を握った。

「助けてくれてありがとう。君の名前を聞いてもいいだろうか」

「僕はキール。貴方は……フォルティア?」

「ああ。本当に助けてくれてありがとうキール。……君はこの辺りに住んでいるのか?」

「ううん。バレたら怒られちゃうんだけど、この先にある湖に遊びに行く所だったんだ」

 一緒に行く?と訊いてキールが無邪気に手を差し出してくる。
 何となく離れがたくてその手を取った。

 それから2人はこっそり会うようになった。
 キールは6歳で双子の弟達がもうすぐ生まれそうだと言っていた。
 フォルティアも家族の話をした。家族だけではなく、2人で沢山話した。
 フォルティアの事を「フォル」と呼んで親鳥に着いていく雛のように着いて歩いてくるのが可愛くて、森の中を色々探検した。
 森の木の実を採って食べたり、獰猛な動物に出会った時は2人で必死に逃げたり、湖で泳いだ時に小さな尾羽を見せてもらった時はその下に見える小さな尻に頬を染めたりもして。

「フォル、いつものしよう!」
 
 いつの間にか2人のお気に入りになっていた遊び。
 手のひらをくっつけあって、互いの魔力を流し合う。
 あの時はそれが何を意味するのかなんてわからなくて、大人が仲良しの証、と言う言葉をそのまま受け取ってやっていた。

「どうだ?」

「ん、ふふ……っ、ぱちぱちする……!」

 くすぐったい、と首を竦めるキールにフォルティアも同じようにクスクスと笑う。2人を循環する魔力は反発する事もなくくるくると互いの間を回り続けてその度に何とも言えない心地よさが体を巡った。

「そうだ、今日はキールにプレゼントがある」

「本当!?何?」

「アルバス領の鉱山で採れる特別な石なんだ。これを君にあげる」

 石を受け取る為するりと離れる手のひらに一抹の寂しさを覚えるのは何故だろう。腹の奥がムズムズとするのはどうしてだろう。綺麗だと屈託なく笑うその顔にドキドキと胸が煩くなるのは何故なんだろう。
 まだそんな事もわからない子供だった。

 お礼の代わりに歌を歌ってくれと願って、キールの良く伸びる綺麗な歌声に耳を澄ます。
 
 ほんの半年程の、楽しく優しい記憶――
 
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