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第十一話 死霊
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「あ、足が痛い……」
二時間近く歩いたと思う。
気候も丁度良く、川沿いに歩いて来たのでいつでも喉を潤せたし、体力には自信があったけど。さすがに足が棒になりそうだ。
約束通り、あの青年の幽霊は、恋人の姿を見ながら消えていった。よくわからないけど多分、成仏できたのだと思う。
私の手を取って、何度も何度もありがとうと言ってくれた。あんなに感謝されれば、悪い気はしないもので。疲れたけど、気分が良い。
レイラみたいに割り切った対応はできる自信がないけど……、これくらいのことで喜んでもらえて、お屋敷の為にもなるなら、私、できそうな気がする。
「でも、今からまた歩くのかぁ……」
街の出口から屋敷を見上げる。お屋敷は、ずっと向こうの丘の上。鬱蒼と茂る木の向こうにちらりと見える古びたそれは、なかなか不気味だ。おまけに天気も怪しくなってきて、屋敷の上には黒い雲が渦巻いている。
せっかく来たんだし、もう少し、街を見てみたいとも思ったけれど。レイラの話じゃ治安もよくないみたいだし、暗くなる前に帰った方がいいだろう……と、帰途について数分も立たないうちに雨が降ってきた。
瞬く間に雨脚は強まり、仕方なく、大きな木の下で雨宿りをする。
雨のせいで、夕暮れ前なのに辺りは薄暗い。弱まる気配のない雨になすすべもなく、ため息をつく。こんなことならもう少し街に止まっていれば良かったな。ここまで強まると思わず、中途半端に強行したから服が濡れて少し寒い。
あの声は。一体誰なんだろう。
わからないけれど、私のことをよくわかっているような言い方だった。……あの人よりも、よっぽど。
あの声がなければ、決断できていなかったかもしれない。
そうしたら、きっと私は自分の価値を見出せないままだった。
……会ってみたい。あの地下に行けば会えるのだろうか。
ふと――雨に煙る景色の向こうに何かが動いた気がした。
誰か……いる? こんな雨の中に。
「ねえ。わたしが見えるの?」
突然、目の前に女性が現れる。それがあまりに突然で、背中がゾワリと粟立った。
私と同じ歳、くらいだろうか。焦げ茶の長い髪。緑の瞳。可愛らしい顔立ちで、嬉しそうに笑った。
「良かった、誰もわたしを見てくれなくて。寂しかった」
そう言って、彼女が腕を広げて抱き着いてくる。寒気が強くなる。危険だと、本能が言っているのに体が竦んで動かない。ぎゅう、と。抱きしめられて、息が苦しくなる。
「だから……、もう、この体嫌なの。だから、ちょうだい。その体」
彼女の囁きが、耳を撫でたその瞬間。パシンと電流のように光が弾けて、女性の体が離れた。左手の小指が熱くて、見ると、指輪が光っていた。動いていないのに苦しくて息が切れる。
「……どうして? どうして? どうして拒否するの!?」
さっきまで笑みを湛えていた女性が、凄惨な表情で私を睨む。
「――ごめんなさい。でも、この体はあげられない」
やっと、声が出る。でも、話したところで無駄だってわかってる。説得が通じるような相手じゃない。
気配は彼女だけじゃない。あちらこちらから突き刺さるように感じる。
膝が笑って、足が動かない。動いても、お屋敷はまだ遠い。逃げきれない。
体を取られたら、私はどうなるのだろう。死ぬのだろうか。……いや、それよりも。
だめ。この体は――渡せない。
逃げなきゃ。震える足で、前も見えない雨の中に飛び出す。
その途端、「何か」に勢いよくぶつかった。
『我が血を以て、汝の魂を掌握する!』
聞き覚えのある、よく通る声。
雨の向こうから伸びる紅い鎖が、私を通り越して女性の死霊に絡みつく。耳に障る悲鳴を上げ、死霊がもがく。
その背後にも、複数の気配。
振り返って走り出す。佇む黒い影が膝を付く。
「当主様!」
「……この馬鹿。勝手なことをするんじゃない……!」
支えようとする私の手を跳ねのけて、怒号が飛んでくる。彼は右手を翳したまま、左手を腰に伸ばした。取り出したナイフを腕にあてがうのを見て、咄嗟に目を伏せる。
『捉えよ!』
雨の中に舞う血飛沫が、陣を模る。そこから無数の矢が生まれて虚空へと飛んでいく。
死霊の悲鳴が消え、気配も消える。その後に残った無数の白い光は、全て吸い込まれるように当主の中へ消えた。
「……消えた?」
「違う。囚えただけだ。死霊は殺せないし、俺の力では縛ることしかできん」
腕を押さえて、当主が荒い息をつきながら言う。それから大きく息を吸うと、立ち上がってキッと私を睨みつけた。
「指輪をつけて外に出るなど自殺行為だ! 死霊から容易に干渉される。何故こんな馬鹿なことをした!」
「……そうですね、すみません。私が死んだらあなたの寿命が無駄になりますもんね」
まだ、恐怖は抜けきらない。まだ怖くて仕方ないのに、声は震えなかった。わずかに怯んだ黒い瞳をまっすぐに見て、自分でも驚くほど冷たい声が出た。
「……ッ」
いつも不機嫌そうな顔が、さらに強張る。怒らせた。そりゃそうだ。
勝手なことをしたのは私だ。
でもそっちだっていつも勝手だ。
険しい顔をしたまま、当主が口を開く。
「……お前がいないなら、残りの寿命も無駄だ」
また怒鳴られるかと覚悟したが、聞こえてきたのは弱々しい声だった。
「出て行くなら街まで送――」
私の顔を見て、当主が言葉を切る。それから少し置いて、言葉を継いだ。
「……、帰るぞ」
「はい」
自分でもびっくりするくらいにすぐ返事が出てきた。当主は虚を突かれたような顔をしたが、それから着けていたマントを外して私にかけた。雨に打たれて冷え切った体が少しだけ……温かい。
「あの……、本当にごめんなさい。軽率なことをしました」
「わかればいい。お前のすることを制限するつもりはない。だが一言くらい相談しろ。危険なことはするな」
「ど、どうしたんですか急に?」
急に優しいことを言われると調子が狂う。思わずどもりながら言うと、彼は目を逸らし、いつも通り面倒そうに声を上げた。
「別に、勝手に死なれたら困るだけだ。人の寿命半分も持っていっておいて」
「さっき私がいなかったら残りも無駄とか言ってたじゃないですか!」
「言ってない。早く乗れ」
言った。絶対言った。と突っ込もうとして、目の前に黒い鼻先が現れて口を噤む。
馬。馬だ。今気が付いたけど。黒い馬がじっと私を見ている。確かに徒歩で来るには遠いけど、かといって死霊だの魔法だのの世界に車があるわけもないか……。
「乗ったこと……ないんですが……」
舌打ちが降ってくる。仕方なく、恐る恐る馬に近づく……と、急に後ろから抱え上げられた。
「わ……!」
当主が荷物でも抱えるように私を担いで馬にまたがり、自分の前に降ろす。……もう少し、丁寧に扱ってくれても。そんな不満など言えるはずもなく、互いに黙ったまま、馬が走り出す。
結局また、助けられてしまった。
こんな強い雨の中、私を探して。
私のせいで怪我して。
それなのに今も、私に雨があたらないように体と腕で庇ってくれてる。
まだ体調もよくないだろうに。怪我もしてるのに。信じられないくらい不器用な人。
――人のことは、言えないけれど。
二時間近く歩いたと思う。
気候も丁度良く、川沿いに歩いて来たのでいつでも喉を潤せたし、体力には自信があったけど。さすがに足が棒になりそうだ。
約束通り、あの青年の幽霊は、恋人の姿を見ながら消えていった。よくわからないけど多分、成仏できたのだと思う。
私の手を取って、何度も何度もありがとうと言ってくれた。あんなに感謝されれば、悪い気はしないもので。疲れたけど、気分が良い。
レイラみたいに割り切った対応はできる自信がないけど……、これくらいのことで喜んでもらえて、お屋敷の為にもなるなら、私、できそうな気がする。
「でも、今からまた歩くのかぁ……」
街の出口から屋敷を見上げる。お屋敷は、ずっと向こうの丘の上。鬱蒼と茂る木の向こうにちらりと見える古びたそれは、なかなか不気味だ。おまけに天気も怪しくなってきて、屋敷の上には黒い雲が渦巻いている。
せっかく来たんだし、もう少し、街を見てみたいとも思ったけれど。レイラの話じゃ治安もよくないみたいだし、暗くなる前に帰った方がいいだろう……と、帰途について数分も立たないうちに雨が降ってきた。
瞬く間に雨脚は強まり、仕方なく、大きな木の下で雨宿りをする。
雨のせいで、夕暮れ前なのに辺りは薄暗い。弱まる気配のない雨になすすべもなく、ため息をつく。こんなことならもう少し街に止まっていれば良かったな。ここまで強まると思わず、中途半端に強行したから服が濡れて少し寒い。
あの声は。一体誰なんだろう。
わからないけれど、私のことをよくわかっているような言い方だった。……あの人よりも、よっぽど。
あの声がなければ、決断できていなかったかもしれない。
そうしたら、きっと私は自分の価値を見出せないままだった。
……会ってみたい。あの地下に行けば会えるのだろうか。
ふと――雨に煙る景色の向こうに何かが動いた気がした。
誰か……いる? こんな雨の中に。
「ねえ。わたしが見えるの?」
突然、目の前に女性が現れる。それがあまりに突然で、背中がゾワリと粟立った。
私と同じ歳、くらいだろうか。焦げ茶の長い髪。緑の瞳。可愛らしい顔立ちで、嬉しそうに笑った。
「良かった、誰もわたしを見てくれなくて。寂しかった」
そう言って、彼女が腕を広げて抱き着いてくる。寒気が強くなる。危険だと、本能が言っているのに体が竦んで動かない。ぎゅう、と。抱きしめられて、息が苦しくなる。
「だから……、もう、この体嫌なの。だから、ちょうだい。その体」
彼女の囁きが、耳を撫でたその瞬間。パシンと電流のように光が弾けて、女性の体が離れた。左手の小指が熱くて、見ると、指輪が光っていた。動いていないのに苦しくて息が切れる。
「……どうして? どうして? どうして拒否するの!?」
さっきまで笑みを湛えていた女性が、凄惨な表情で私を睨む。
「――ごめんなさい。でも、この体はあげられない」
やっと、声が出る。でも、話したところで無駄だってわかってる。説得が通じるような相手じゃない。
気配は彼女だけじゃない。あちらこちらから突き刺さるように感じる。
膝が笑って、足が動かない。動いても、お屋敷はまだ遠い。逃げきれない。
体を取られたら、私はどうなるのだろう。死ぬのだろうか。……いや、それよりも。
だめ。この体は――渡せない。
逃げなきゃ。震える足で、前も見えない雨の中に飛び出す。
その途端、「何か」に勢いよくぶつかった。
『我が血を以て、汝の魂を掌握する!』
聞き覚えのある、よく通る声。
雨の向こうから伸びる紅い鎖が、私を通り越して女性の死霊に絡みつく。耳に障る悲鳴を上げ、死霊がもがく。
その背後にも、複数の気配。
振り返って走り出す。佇む黒い影が膝を付く。
「当主様!」
「……この馬鹿。勝手なことをするんじゃない……!」
支えようとする私の手を跳ねのけて、怒号が飛んでくる。彼は右手を翳したまま、左手を腰に伸ばした。取り出したナイフを腕にあてがうのを見て、咄嗟に目を伏せる。
『捉えよ!』
雨の中に舞う血飛沫が、陣を模る。そこから無数の矢が生まれて虚空へと飛んでいく。
死霊の悲鳴が消え、気配も消える。その後に残った無数の白い光は、全て吸い込まれるように当主の中へ消えた。
「……消えた?」
「違う。囚えただけだ。死霊は殺せないし、俺の力では縛ることしかできん」
腕を押さえて、当主が荒い息をつきながら言う。それから大きく息を吸うと、立ち上がってキッと私を睨みつけた。
「指輪をつけて外に出るなど自殺行為だ! 死霊から容易に干渉される。何故こんな馬鹿なことをした!」
「……そうですね、すみません。私が死んだらあなたの寿命が無駄になりますもんね」
まだ、恐怖は抜けきらない。まだ怖くて仕方ないのに、声は震えなかった。わずかに怯んだ黒い瞳をまっすぐに見て、自分でも驚くほど冷たい声が出た。
「……ッ」
いつも不機嫌そうな顔が、さらに強張る。怒らせた。そりゃそうだ。
勝手なことをしたのは私だ。
でもそっちだっていつも勝手だ。
険しい顔をしたまま、当主が口を開く。
「……お前がいないなら、残りの寿命も無駄だ」
また怒鳴られるかと覚悟したが、聞こえてきたのは弱々しい声だった。
「出て行くなら街まで送――」
私の顔を見て、当主が言葉を切る。それから少し置いて、言葉を継いだ。
「……、帰るぞ」
「はい」
自分でもびっくりするくらいにすぐ返事が出てきた。当主は虚を突かれたような顔をしたが、それから着けていたマントを外して私にかけた。雨に打たれて冷え切った体が少しだけ……温かい。
「あの……、本当にごめんなさい。軽率なことをしました」
「わかればいい。お前のすることを制限するつもりはない。だが一言くらい相談しろ。危険なことはするな」
「ど、どうしたんですか急に?」
急に優しいことを言われると調子が狂う。思わずどもりながら言うと、彼は目を逸らし、いつも通り面倒そうに声を上げた。
「別に、勝手に死なれたら困るだけだ。人の寿命半分も持っていっておいて」
「さっき私がいなかったら残りも無駄とか言ってたじゃないですか!」
「言ってない。早く乗れ」
言った。絶対言った。と突っ込もうとして、目の前に黒い鼻先が現れて口を噤む。
馬。馬だ。今気が付いたけど。黒い馬がじっと私を見ている。確かに徒歩で来るには遠いけど、かといって死霊だの魔法だのの世界に車があるわけもないか……。
「乗ったこと……ないんですが……」
舌打ちが降ってくる。仕方なく、恐る恐る馬に近づく……と、急に後ろから抱え上げられた。
「わ……!」
当主が荷物でも抱えるように私を担いで馬にまたがり、自分の前に降ろす。……もう少し、丁寧に扱ってくれても。そんな不満など言えるはずもなく、互いに黙ったまま、馬が走り出す。
結局また、助けられてしまった。
こんな強い雨の中、私を探して。
私のせいで怪我して。
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