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第十六話 死霊使いの花嫁
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「よし、完璧!!」
額の汗を拭いながら、私は達成感に満たされた声を上げた。バスルームの掃除を終えたところだ。
あれからしばらく静養し、今度こそ完治した。主治医からのOKも出たので早速掃除に精を出している。というのも――
「さすがミオ嬢。相変わらず良い掃除の腕だね」
「いえいえ、これはアラムさんの洗剤のおかげですよ!!」
医者と同時に研究者であるというアラムさんは、なぜか洗剤調合のエキスパートで、掃除に使える洗剤を幾つも持っていたのである。お風呂の根深いカビ汚れすらも一撃必殺。すっかり綺麗になったバスルームを見て、我ながら感嘆の溜息が零れる。
ああ、やっぱり掃除は楽しい。それに、健康っていいな、体が軽い。
「体調もすっかりよくなりました。本当にありがとうございます」
「熱さましを作ったのは執事だし、僕は何もしてないよ。出番がなくて何よりだ」
腰に手を当て、「ははっ」とアラムさんが笑う。
「まぁー、もっと早く飲んで貰えれば良かったんだけど、入っていくタイミングがなくて」
「タイミング?」
何のことだろうと首をひねる。リエーフさんとアラムさんが熱冷ましを作ってくるからと退室して……そのあとのことを思い出して、私の手から持っていたタワシが落ちた。
「みっ……見ていたんですか……!? あ、いえ、答えなくていいです!」
いつからどこまで。そう聞きかけてやめると、私は胸の前で両手を振った。確認する勇気などない。思い出すだけで顔から火が出そうなのに。
「ははは、ミオ嬢は初々しくていいね。坊をからかっても面白くないからなぁ」
「だからって私をからかわないで下さい……」
「ごめんごめん。いや……茶化したいわけじゃないんだ」
アラムさんが笑い声を収めて肩を竦める。
「坊はクソ真面目すぎて頭が固いし、おまけにあの性格だ。傍にいるのも大変だろう」
「そこまでは……言ってませんけど」
確かに不器用で分かりづらい人だけど、嫌な人だと思ったことはない。失礼な人だとは思っているけど。
「先代の急逝で坊が屋敷を継いでから、屋敷はめちゃくちゃになったからね。それをどうにかしたのがミオ嬢だ」
初めて聞く話に、私は顔を上げた。
「初めて聞きました……、誰も詳しく教えてくれなかったから」
「ぼくも詳しくは話せないから、だいぶふわっと話しているよ。みんなそういうのが下手だからね。坊を始めとして」
なるほど。ミハイルさんは致命的に口下手だし、リエーフさんは何か脚色が多すぎるし、レイラは子供だし、エドアルトもそんな機転が利きそうには見えないもんね。話を聞く相手が悪かったのか……。
「でも、やっぱりまだ信じられません。私がそれをどうにかできたなんて思えない」
「そんな大層なことじゃない。直接的にどうにかしたのは嬢じゃないから。……国の為とか、民の為とか、家の為とかじゃ、大きすぎてわかりづらいのさ。惚れた女の為なら馬鹿にもわかる。嬢の偉業は、あの馬鹿をその気にさせたことだ」
思わず私は辺りを見回してしまった。一字一句どこをとってもミハイルさんが聞いたら怒り狂いそうだ……。幸い姿は見えなくてほっとする。
「だから、頼むよミオ嬢。また屋敷は面倒なことになってるし、坊は一人で潰れかけてる。あの馬鹿当主に声を届けられるのは、君だけだから」
「それにしては、邪険にされている気がするのですが」
「あんな熱い抱擁を交わして?」
「あ、あれは!! あの人が!! 勝手に!!」
やっぱり見られていた……。顔の熱と一緒に、頭の中からも必死で追い出す。あの人の鼓動を、体温を、手の感触を。じゃないと、何も考えられなくなる。
「勝手すぎます……! 何も教えてくれないのに、何も言ってくれないのに、いつも邪険にするくせに!」
「……多分気にしているのさ。自分が会いたいと願ったから引き寄せてしまったのではないかと。坊は死霊使いだから」
死霊使いに愛された者は、死に魅入られる――
ふと、その言葉を思い出した。
「私が死んだのは、ミハイルさんの所為だと言うことですか?」
「もしそうだとしたらどうするの?」
そう言って、試すような含み笑いを見せる。
「……私、言わなきゃ」
アラムさんに会釈して、私は踵を返した。
馬鹿はそっちじゃないの。
――そんなもしもの話で自分を責めて、孤独に生きるつもりなら馬鹿じゃないの。
苛立ちを押し殺して当主の部屋の扉を叩く。そして返事を待たずに扉を開けた。
「まだ返事してな――」
「契約は破棄します」
机に向かっていたミハイルさんが、顔を上げてこちらを見る。その鋭い眼光が、睨んでいるわけではないのはもうわかる。慣れてしまえば、夜の、凪いだ海より穏やかな黒。その黒が、怯んだように瞬く。
「名前だけの、形式だけの花嫁じゃ嫌なんです」
「……は?」
何を言っているんだと。見返す瞳が語っている。馬鹿にしたような声は、少し狼狽しているようにも聞こえる。
あ、いや、そうじゃなく。これじゃプロポーズしてるみたいじゃないか。
「ち……違います! そうではなく、ちゃんと役に立ちたいんです。ただ傍にいるだけのお飾りみたいな花嫁じゃなくて、……貴方の力になりたいんです。例えそれで、私が傷ついたとしてもです」
「……それは承服しかねる。お前に何かさせるために命を与えたわけじゃない」
「でも、貴方もわかっているはずです。貴方がこの屋敷の当主である限り、死霊使いである限り、傍にいても平穏はないって。だから何も言わない、引き留めない。それは優しいけどずるいです。決断を相手に委ねることで、貴方は責任から逃げているだけじゃないんですか?」
ミハイルさんの手元が震える。無意識にだろう、握りしめた書類がグシャリと音を立てる。
「……言いたいことはそれだけか?」
「いえ、勿論まだあります」
ミハイルさんのこちらを見る目が鬼畜でも見るような目になった気がする。
「それならお望み通り私は自分で決断します。私は、傷ついても、命を削ってでも、貴方の役に立ってみせます。例えそれが貴方を傷つけたとしても、苦しめたとしても、もう迷いません。傍にいます」
ふと、ミハイルさんの視線が逸れて、彼は俯いた。しばらく、静寂が訪れる。ややあって、絞り出したようなミハイルさんの声がそれを割いた。
「エドアルトだったか、俺とお前が似た者だと言ったのは。……全然違う。俺はお前ほど」
ふと、ミハイルさんはそんなことを口にした。私も記憶に新しいその話を、ミハイルさんは一度言葉を切って、息を吸ってから続きを吐き出す。
「……強くはない。お前の言う通りだ。俺が守りたいのは去り行く者ではなく、自分だ。ずっとそうだった」
書類を握りしめていた手を緩め、ミハイルさんは立ち上がると机越しに私の左手を取った。
「これからは自分ではなくお前を守る。そのために俺の残りの命を全て使っても、俺の全てでお前を守る」
まっすぐに私を見て、迷いなく言い切ったその言葉に。
……思い出してしまう。鼓動を、体温を、その手の感触を。熱くなる顔を背けて、叫ぶ。
「ず……ずるい!」
「同じ覚悟をしただけだろう。何が狡い」
ぶっきらぼうに言い捨てると、彼は私の小指から指輪を抜いた。そして一度握りしめてから、薬指に嵌め直す。あれから決して嵌らなかった指輪は、嘘みたいにぴったりと私の左手の薬指におさまった。
「契約は破棄ではなく更新だ、当家の花嫁」
私の手を握って、彼は笑った。あの少しあどけない、少年のような笑みで。
「……もう二度と外してやらんぞ」
その手を軽く握り返して、私も笑う。
「もう二度と返しません!」
額の汗を拭いながら、私は達成感に満たされた声を上げた。バスルームの掃除を終えたところだ。
あれからしばらく静養し、今度こそ完治した。主治医からのOKも出たので早速掃除に精を出している。というのも――
「さすがミオ嬢。相変わらず良い掃除の腕だね」
「いえいえ、これはアラムさんの洗剤のおかげですよ!!」
医者と同時に研究者であるというアラムさんは、なぜか洗剤調合のエキスパートで、掃除に使える洗剤を幾つも持っていたのである。お風呂の根深いカビ汚れすらも一撃必殺。すっかり綺麗になったバスルームを見て、我ながら感嘆の溜息が零れる。
ああ、やっぱり掃除は楽しい。それに、健康っていいな、体が軽い。
「体調もすっかりよくなりました。本当にありがとうございます」
「熱さましを作ったのは執事だし、僕は何もしてないよ。出番がなくて何よりだ」
腰に手を当て、「ははっ」とアラムさんが笑う。
「まぁー、もっと早く飲んで貰えれば良かったんだけど、入っていくタイミングがなくて」
「タイミング?」
何のことだろうと首をひねる。リエーフさんとアラムさんが熱冷ましを作ってくるからと退室して……そのあとのことを思い出して、私の手から持っていたタワシが落ちた。
「みっ……見ていたんですか……!? あ、いえ、答えなくていいです!」
いつからどこまで。そう聞きかけてやめると、私は胸の前で両手を振った。確認する勇気などない。思い出すだけで顔から火が出そうなのに。
「ははは、ミオ嬢は初々しくていいね。坊をからかっても面白くないからなぁ」
「だからって私をからかわないで下さい……」
「ごめんごめん。いや……茶化したいわけじゃないんだ」
アラムさんが笑い声を収めて肩を竦める。
「坊はクソ真面目すぎて頭が固いし、おまけにあの性格だ。傍にいるのも大変だろう」
「そこまでは……言ってませんけど」
確かに不器用で分かりづらい人だけど、嫌な人だと思ったことはない。失礼な人だとは思っているけど。
「先代の急逝で坊が屋敷を継いでから、屋敷はめちゃくちゃになったからね。それをどうにかしたのがミオ嬢だ」
初めて聞く話に、私は顔を上げた。
「初めて聞きました……、誰も詳しく教えてくれなかったから」
「ぼくも詳しくは話せないから、だいぶふわっと話しているよ。みんなそういうのが下手だからね。坊を始めとして」
なるほど。ミハイルさんは致命的に口下手だし、リエーフさんは何か脚色が多すぎるし、レイラは子供だし、エドアルトもそんな機転が利きそうには見えないもんね。話を聞く相手が悪かったのか……。
「でも、やっぱりまだ信じられません。私がそれをどうにかできたなんて思えない」
「そんな大層なことじゃない。直接的にどうにかしたのは嬢じゃないから。……国の為とか、民の為とか、家の為とかじゃ、大きすぎてわかりづらいのさ。惚れた女の為なら馬鹿にもわかる。嬢の偉業は、あの馬鹿をその気にさせたことだ」
思わず私は辺りを見回してしまった。一字一句どこをとってもミハイルさんが聞いたら怒り狂いそうだ……。幸い姿は見えなくてほっとする。
「だから、頼むよミオ嬢。また屋敷は面倒なことになってるし、坊は一人で潰れかけてる。あの馬鹿当主に声を届けられるのは、君だけだから」
「それにしては、邪険にされている気がするのですが」
「あんな熱い抱擁を交わして?」
「あ、あれは!! あの人が!! 勝手に!!」
やっぱり見られていた……。顔の熱と一緒に、頭の中からも必死で追い出す。あの人の鼓動を、体温を、手の感触を。じゃないと、何も考えられなくなる。
「勝手すぎます……! 何も教えてくれないのに、何も言ってくれないのに、いつも邪険にするくせに!」
「……多分気にしているのさ。自分が会いたいと願ったから引き寄せてしまったのではないかと。坊は死霊使いだから」
死霊使いに愛された者は、死に魅入られる――
ふと、その言葉を思い出した。
「私が死んだのは、ミハイルさんの所為だと言うことですか?」
「もしそうだとしたらどうするの?」
そう言って、試すような含み笑いを見せる。
「……私、言わなきゃ」
アラムさんに会釈して、私は踵を返した。
馬鹿はそっちじゃないの。
――そんなもしもの話で自分を責めて、孤独に生きるつもりなら馬鹿じゃないの。
苛立ちを押し殺して当主の部屋の扉を叩く。そして返事を待たずに扉を開けた。
「まだ返事してな――」
「契約は破棄します」
机に向かっていたミハイルさんが、顔を上げてこちらを見る。その鋭い眼光が、睨んでいるわけではないのはもうわかる。慣れてしまえば、夜の、凪いだ海より穏やかな黒。その黒が、怯んだように瞬く。
「名前だけの、形式だけの花嫁じゃ嫌なんです」
「……は?」
何を言っているんだと。見返す瞳が語っている。馬鹿にしたような声は、少し狼狽しているようにも聞こえる。
あ、いや、そうじゃなく。これじゃプロポーズしてるみたいじゃないか。
「ち……違います! そうではなく、ちゃんと役に立ちたいんです。ただ傍にいるだけのお飾りみたいな花嫁じゃなくて、……貴方の力になりたいんです。例えそれで、私が傷ついたとしてもです」
「……それは承服しかねる。お前に何かさせるために命を与えたわけじゃない」
「でも、貴方もわかっているはずです。貴方がこの屋敷の当主である限り、死霊使いである限り、傍にいても平穏はないって。だから何も言わない、引き留めない。それは優しいけどずるいです。決断を相手に委ねることで、貴方は責任から逃げているだけじゃないんですか?」
ミハイルさんの手元が震える。無意識にだろう、握りしめた書類がグシャリと音を立てる。
「……言いたいことはそれだけか?」
「いえ、勿論まだあります」
ミハイルさんのこちらを見る目が鬼畜でも見るような目になった気がする。
「それならお望み通り私は自分で決断します。私は、傷ついても、命を削ってでも、貴方の役に立ってみせます。例えそれが貴方を傷つけたとしても、苦しめたとしても、もう迷いません。傍にいます」
ふと、ミハイルさんの視線が逸れて、彼は俯いた。しばらく、静寂が訪れる。ややあって、絞り出したようなミハイルさんの声がそれを割いた。
「エドアルトだったか、俺とお前が似た者だと言ったのは。……全然違う。俺はお前ほど」
ふと、ミハイルさんはそんなことを口にした。私も記憶に新しいその話を、ミハイルさんは一度言葉を切って、息を吸ってから続きを吐き出す。
「……強くはない。お前の言う通りだ。俺が守りたいのは去り行く者ではなく、自分だ。ずっとそうだった」
書類を握りしめていた手を緩め、ミハイルさんは立ち上がると机越しに私の左手を取った。
「これからは自分ではなくお前を守る。そのために俺の残りの命を全て使っても、俺の全てでお前を守る」
まっすぐに私を見て、迷いなく言い切ったその言葉に。
……思い出してしまう。鼓動を、体温を、その手の感触を。熱くなる顔を背けて、叫ぶ。
「ず……ずるい!」
「同じ覚悟をしただけだろう。何が狡い」
ぶっきらぼうに言い捨てると、彼は私の小指から指輪を抜いた。そして一度握りしめてから、薬指に嵌め直す。あれから決して嵌らなかった指輪は、嘘みたいにぴったりと私の左手の薬指におさまった。
「契約は破棄ではなく更新だ、当家の花嫁」
私の手を握って、彼は笑った。あの少しあどけない、少年のような笑みで。
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