死霊使いの花嫁

羽鳥紘

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第三十七話 声の主

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 部屋に戻ると、私は閉めた扉にもたれて息をついた。なんだか疲れる。

 ここは決して嫌いじゃない。みんなのことも好きだけど。
 ただ、使用人とかとしてここにいられるなら気楽なのに。毎日掃除でもして過ごしていられたら……、いや、多分、それでも誰も咎めやしないだろう。それじゃ嫌だと言ったのは私自身だ。
 ……前の私も同じだったのかな。アラムさんを助けるために、当主の妻になったのなら……、初めから私とあの人は、それだけの。

 そこまで考えて、頭を振って思考を止める。

「そうだ。紙とペン……」

 レイラを待たせているんだった。のろのろと机に向かって歩きだしたとき――、ふと、背後に気配を感じる。

「そうだよ。この屋敷にとって花嫁とは、当主と幽霊たちのために身を削るためだけの生贄さ」

 ぎゅっと背後から抱きすくめられる。ぞわっと体中が粟立って、私は力づくでその体を突き飛ばした。意外と簡単に手は離れて、私と少し距離を取って、その人はニコッと笑った。
 美しい金色の瞳。髪は白いけれど歳は私の実年齢より少し上くらいの青年。その姿に見覚えはないけど、声には聞き覚えがあった。……とても、よく。

「貴方は……、あの、声の……」
「やっと会えたね、澪」

 嬉しそうに青年が私の名を呼ぶ。
 誰かを呼ぼうとして、異変に気がつく。まだ朝なのに、窓の外は暗い。いや、景色自体が存在しない。まるでここだけ別の次元かのように。

「今までは隙をついて声を届けるくらいがせいぜいだった。だから何度も呼んだのに、澪がちっとも来てくれないから」

 私の、束ね損ねて顔にかかる髪を掬い上げて、彼の手が頬に触れる。その手に温かさも冷たさもない。

「実体じゃないよ。オ……、私も、幽霊」

 私が振り払う前に彼は自ら手を放し、人差し指を口に当てて囁いた。まるで秘密の話でもするように。

「幽霊……、この屋敷の? でも地下にいるんでしょう? だったら悪霊じゃないの?」
「私は堕ちたりしていないのに、ここの当主に地下に放り込まれたんだ。酷い話だろう?」
「……ミハイルさんがそうしたのなら、それだけの理由があるはずです」
「理由? 理由はまぁ……私怨だろうね。とにかく、ようやく力が弱まって、こうして出てくることができた。澪のお蔭だよ」
「どういう意味ですか」

 問うと、青年は笑みを消して私のことをジッと見つめた。何か、人のことを値踏みでもするかのような、……嫌な視線。

「身に覚えのない業を負い、母には嫌われ、人に見捨てられ、偏屈になりはしても折れることはなかったんだけどね。その伯爵をいとも簡単にへし折るとなると……帝国も欲しがるだろうなぁ……」

 ひりつく空気。私を品定めするように見下してくる目。それを一転させて、また彼は微笑んだ。まるで合格だとでも言いたげに。

「何を言っているのかわかりません……」
「本当のことを教えてあげる。君の失くした記憶のこと。なぜ伯爵がそれを君に告げないのか、その理由も」

 要らないと。叫んだはずの言葉は、声になっていなかった。
 何度言おうとしても、言えない。
 その理由は自分でわかっている。知りたいからだ。知らなくていいと、強がることすらできないほどに。
 その間に、彼は目を細めると、私の顔に顔を近づけて囁いた。


「キミはかつて、ミハイル・プリヴィデーニに殺されたんだ。この屋敷を救うために」
 

 その言葉が、鋭利な刃のように突き刺さる。
 嘘だと私が叫ぶ前に、すかさず彼は二の句を継いでくる。

「逆魔法。それを使ってこの屋敷の呪いを解くには、甦った伯爵の息子の分、命が一つ必要だった。それを彼は、自分でも執事でもなく、キミで補った」

 それは、フェリニの地下で、ミハイルさんが言っていたことと見事なまでに一致していて。
 全身から力が抜ける。
 この屋敷が幽霊屋敷なのは、ミハイルさんのご先祖が、自分の息子を甦らせた報いなのだと。そのせいで屋敷に掛かった呪いを解くために、逆魔法という方法を使ったんだと――、あのときミハイルさんは、まるで私に聞かせたくないように、言葉を選ぶように喋っていた。

「伯爵がキミのために命を削るのは罪悪感さ。間違っても愛されてるなんて思わない方がいい」
「そんなこと……思ったことないです。私がここにいるのは」
「屋敷の人間だってそうだよ。キミに優しいのは当主の意志に従っているだけ。知っているだろ? ここの幽霊たちは当主の意志に逆らえない、だからみんな真実を知ってて隠してる。執事も同じ。キミを本当に欲しているのは、私だけだよ、澪。だから――」

 こつ、と額が触れる。唇が触れそうなほどに近づいて――、咄嗟に叫んでいた。

「――っ、ミハイルさんっ!」
「おっと、呼ばれるとは思わなかった……さすがに分が悪い」

 すうっと、目の前で彼の姿が白く溶ける。入れかわるように現れたその向こうの黒に駆け寄って、そして、叫ぶように問いかける。……それは、聞きたいことを聞けずにいられる性格だからじゃない。
 否定してくれると信じていたから。

「貴方が、この屋敷の呪いを解くために私を殺したというのは、本当ですか?」

 まるで部屋の温度が下がったような錯覚を感じる。
 誰がそんなことをと。そんなわけがないと。
 返ってくるはずの言葉は聞こえてこないまま。沈黙はそんなに続かなかったと思うけれど、答えが返ってくるまで、やけに長い時間が流れたように感じた。

「……誰からそれを?」

 その言い方で、答えが知れてしまう。

「本当……なんですね……」

 彼は肯定もせず、否定もしなかった。いつもの通り、ただ黙ったままだった。
 ぐちゃぐちゃだった頭の中が、片付いていく。でもそれはきちんと片づけられたわけじゃなくて、ただ、捨てただけだ。全部。

「貴方が私を守ってくれるのは、ただの罪滅ぼしだったんですね」
「それは違う」

 きっとまた黙ってやり過ごされると思っていた。けれど返ってきたのは、はっきりとした否定だった。
 片付いたはずの心がまたざわつきそうになる。でも、それに気づかない振りをする。

「ミオ、俺は」
「ごめんなさい、聞きたくない。もう……」


 もう、散らかさないで。
 ――間違っても、愛されてるなんて思わない方がいい。
 そう囁いた彼の声が、頭の中で何度も何度も繰り返されてる。
 思ったことなんてない……そんなこと。

 顔を上げて、重い空気を取り払うように、私は声のトーンを切り替えた。

「私、勘違いしてました。この屋敷の皆が私に優しくしてくれるのも、ミハイルさんのおかげなんですよね」
「それも違う。逆だ。そもそも俺は当主として認められていなかった」
「嘘です」
「嘘じゃない。これだけは言える。俺は一つもお前に嘘は吐いていない」

 まっすぐにこちらを見る闇色の瞳に、一瞬の怯みもない。多分、それは本当なんだろう。
 だけど残酷なことに、それが証明してしまっている。かつてミハイルさんが私を犠牲にしたことを。否定しなかったその時点で。

 私が死んだのはミハイルさんのせいかもしれないとは、聞いていた。だけどそれは仮定の話でしかないと思っていた。だって、直接手を下したなんて思ってなかったから。そんな人じゃないって……信じていたから。

 信じていたのに。

「待ってくれ。ミオ」

 部屋を出ようとした私を、ミハイルさんが呼び止める。構わず扉に手をかけた私の背に、ミハイルさんも構わず声を上げる。

「俺にはずっと何もなかった。だから……、ずっと探していたんだ。俺の力も、命も、全てを懸けても構わないと思うものを……、この悍ましい力を使い続けて、例え人でなくなったとしても、構わないと思うものを」

 俯いて、ミハイルさんが手を伸ばす。動けなかった。だけどその手が触れることはなく。
 宙に迷う手を握りしめ、紡がれた言葉は、まだ終わっていないさっきの言葉の続きではなかった。

「……恨まれていても構わない。行かないでくれ」


 絞り出したような、酷く弱々しい声。
 そんな声も、握りしめた拳が震えていることも、あの白い髪の青年が告げたことよりもずっと、胸を刺す。

 同じような声を、前にも一度聞いたことがある。私がお屋敷を抜け出して、死霊に襲われたときに、私がいないなら残りの寿命も無駄だと言ったあのとき。

 ……わからないことが二つある。
 私のために命をかけるくらいなら、どうして私を犠牲にしたのか。
 恨まれても構わないなら、どうして今まで隠していたのか。

 彼のしていることは矛盾がすぎる。

 返事ができないまま、遠慮がちなノックの音が、気まずい沈黙を裂いた。

「失礼します、ミオ様。ご主人様はこちらにおられますか」
「……ああ」

 扉の外でするリエーフさんの声に、私に代わって直接ミハイルさんが返事をする。

「マスロフ侯爵がお見えです」
「追い返せ」
「さすがにそれは。恐らくは帝国の使いでしょうし」
「だが、今は……」

 ちら、とミハイルさんが私に視線を走らせる。

「行って下さい。お客様でしょう?」
「返事を聞いていない」
「……知ってるでしょう。ここを出て、私に行く宛がないこと」

 捻くれた私の返事に、ミハイルさんが目を伏せる。

「……すまない。色々と」
「色々ってなんですか」
「もうあんなことはしない。お前は契約でここにいるだけなのに、悪かった」

 それだけ言って、急ぎ足でミハイルさんが出て行く。
 扉が閉まって、足音が遠ざかる。
 へたりと足の力が抜けて、床に座り込む。

 ……全部、捨てたはずなのに。
 頭の中がまた散らかっていく。どんなに片づけようとしても、どんなに捨てても、あとからあとからどんどん溢れてくるし、新しいものもどんどん増えていくばかり。
 片付けができない人の気持ちがちょっとわかった。

「……掃除、しよう」

 ふらりと立ち上がる。
 頭の中が片づけられないならせめて、現実の何かを片づけたかった。
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