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第六十六話 覚悟
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失われつつある前世の記憶。
夢程度には、まだぼんやりとあるけれど。魔法ではなく、科学で発展した世界だった。
あの「声」の主は、その私の記憶が目的だったんだ。
だけど、この世界で魔法が暴走しても誰もその原因がわからないように、科学の世界で生きていたからと言って私は科学者じゃない。そんな私程度の記憶でどうにかなると思えない……
「ミオ様。大丈夫ですか?顔色が良くないです」
リエーフさんの心配そうな声に、はっとして顔を上げる。そして慌てて笑顔を作った。
「平気です」
ちゃんと笑えたはずなのに。
ミハイルさんもリエーフさんも、心配そうな顔をしている。
「ねぇ、ミオ。まさかあいつの言うこと聞こうなんて思ってないよね?」
「……思ってないよ」
レイラが私の服の袖を引く。
「だって、私の記憶がそんな大きな力になるなんて思えないし」
笑いかけると、レイラが幾分ほっとした顔で手を放す。そこに、リエーフさんがパンと手を合わせる音がする。
「さ、もう遅い時間です。ミオ様を休ませて差し上げましょう。はい、解散!」
レイラは一瞬何か言いたげにしていたが、リエーフさんに視線で制されて、ふっと三人の姿がかききえる。
「ご主人様もミオ様も、今日のところは休みましょう。寝付きがよくなるハーブティをお持ちしますね」
そして、リエーフさんが退室すると、私とミハイルさんの二人だけが取り残される。きっとわざとそうしたんだろうけど……、情けなくも今はそれに甘えたい気持ちが少しだけある。
「……少し驚きました。あの声の主が国王様で、しかも賢者の記憶まであるなんて」
まだ信じられない。それに……そんな人と私が面識があるというのも驚きだ。彼のことを話題に出すと、ミハイルさんは少し嫌そうな顔をした。
「すまん。油断したわけではないが、あの手この手で封印をすり抜けてくる」
「いえ、私に隙があったのが悪いんです。ありがとうございます……呼べなかったのに、助けてくれて」
「屋敷の中で好き勝手をされては当主の面目が立たん……、何もされていないか」
心配げに、伸ばした手が私に触れる寸前で止まる。その手を見るともなしに見ながら、答える。
「大丈夫です」
「前に……抱き着かれたとか言っていたのは」
「それは、前にミハイルさんと少し揉めてたときに……不意をつかれて。すぐに突き飛ばしましたし、それ以上のことは何も」
「……ッ、いや、俺のせいか……」
伸ばした手を触れないまま握りしめて、ミハイルさんが項垂れる。
「違います。ごめんなさい。もう、隙は見せません……」
その手に触れて、半ば自分に言い聞かせるようにして呟く。だけど何度覚悟をしても迷いは生まれる。そして、声……国王はそこを的確に突いて来る。だから……今のままじゃ、駄目だ。
「……あの、何て言おうとしたんですか」
「……?」
「『俺の』……、何ですか? 私は、最後まで聞きたかった」
聞けば、もう少し強くなれるような気がした。その先が、私が期待するようなものである確証なんてないのに、縋ろうとしている自分を滑稽だとわかっていても。
「……俺の」
手を開き、触れている私の手を握りしめて、ミハイルさんが口を開く。そこで一度口を噤んだのは、私が顔を上げたからだった。同時にミハイルさんが手を離し、眉根を寄せて踵を返す。
さっきまで確かに閉まっていたはずなのに、僅かに隙間が空いている扉をミハイルさんが力を込めてしっかりと閉め、鍵をかけ、さらに手を掲げて霊避けの呪文を唱えてから戻って来る。そしてその勢いのままに、私の頭を抱き寄せて、小声で早口にまくしたてる。
「お前は俺の……、俺だけの花嫁だ。他の誰にも渡さん。何処にも行くな」
「……はい……」
私はずるい。
前にミハイルさんのことを、決断からも責任からも逃げているって言ったくせに。自分だって同じことをしてる。
これじゃ依存してるのは私の方だ。
どこにも行くなと、そう言ってくれたのは……、きっとミハイルさんも私の迷いに気付いていたから。
「……私、わからないんです。どうすることが正しいのか」
「そんなもの誰にもわからん」
「でも、万に一つも私の記憶で平和になるのなら、その可能性を試さなくていいんでしょうか」
「死ねば本来記憶も共に消える。こちらでの生が確立されるほどに、恐らく前の世界ので記憶は消えていくのだろうと思う……、だとしたら、それを捻じ曲げて、そのあとお前がここに存在し続けられる保証がない。万に一つの賭けにお前を差し出す気など俺にはないな」
確かに……、国王がほしいのは私の記憶だけで、私ではない。代償を払うとか、王にするとか、そんなの口で言っているだけに過ぎない。だけど、だとしても。平和の可能性と、私一人なら、多くの人にとって天秤にかけるまでもないこと。
「まぁ、絶対の平和を約束されたところで気は変わらんから、少なくとも俺は正義ではない。だからお前が正しいことをしても意味がない。自分を責めなくていい」
それを、この人はいとも容易く私に傾けるんだな……。
……私が今、ここにいたいと望むなら。きっと、何を失っても、誰に責められても、何を言われても惑わされず、それだけを掴み取る覚悟が、私には必要なんだ。
だけど、まだ少しだけ、怖い。
「……ミハイルさん。三年前だけじゃなく、前世の記憶もなくしてしまったら……、それは貴方が知っている私と呼べるでしょうか」
「記憶があってもなくてもお前はお前だ」
「もし私が変わってしまっても、同じことを言えますか?」
「ああ」
「随分簡単に即答するんですね……、その根拠は?」
「なら俺も問おう。お前も前に俺がどうなっても傍にいると言った。その根拠は」
ずっと私を抱いたままだった手を緩め、呆れたようにミハイルさんが問い返す。
「……そう思ったから……」
「ふっ……俺も同じだ」
答えを聞いて、ミハイルさんが少し笑う。それだけで不安が溶けてしまうことが、違う不安を連れてくる。
こんなに何の根拠もないことに縋らないといけないというのに。
一人で覚悟も持てないほど、私はとても弱くなってしまった。
「さぁ、どうせ外にリエーフがいる。茶でも飲んで落ち着いたら早く休め」
「……ふふ。はい」
ミハイルさんの言い様に、こんな心境でも笑いが零れる。きっとお茶よりも、リエーフさんやみんなの顔を見た方が落ち着ける。だから、手を離して扉へと向かうミハイルさんの後について、私も歩き出すのだった。
夢程度には、まだぼんやりとあるけれど。魔法ではなく、科学で発展した世界だった。
あの「声」の主は、その私の記憶が目的だったんだ。
だけど、この世界で魔法が暴走しても誰もその原因がわからないように、科学の世界で生きていたからと言って私は科学者じゃない。そんな私程度の記憶でどうにかなると思えない……
「ミオ様。大丈夫ですか?顔色が良くないです」
リエーフさんの心配そうな声に、はっとして顔を上げる。そして慌てて笑顔を作った。
「平気です」
ちゃんと笑えたはずなのに。
ミハイルさんもリエーフさんも、心配そうな顔をしている。
「ねぇ、ミオ。まさかあいつの言うこと聞こうなんて思ってないよね?」
「……思ってないよ」
レイラが私の服の袖を引く。
「だって、私の記憶がそんな大きな力になるなんて思えないし」
笑いかけると、レイラが幾分ほっとした顔で手を放す。そこに、リエーフさんがパンと手を合わせる音がする。
「さ、もう遅い時間です。ミオ様を休ませて差し上げましょう。はい、解散!」
レイラは一瞬何か言いたげにしていたが、リエーフさんに視線で制されて、ふっと三人の姿がかききえる。
「ご主人様もミオ様も、今日のところは休みましょう。寝付きがよくなるハーブティをお持ちしますね」
そして、リエーフさんが退室すると、私とミハイルさんの二人だけが取り残される。きっとわざとそうしたんだろうけど……、情けなくも今はそれに甘えたい気持ちが少しだけある。
「……少し驚きました。あの声の主が国王様で、しかも賢者の記憶まであるなんて」
まだ信じられない。それに……そんな人と私が面識があるというのも驚きだ。彼のことを話題に出すと、ミハイルさんは少し嫌そうな顔をした。
「すまん。油断したわけではないが、あの手この手で封印をすり抜けてくる」
「いえ、私に隙があったのが悪いんです。ありがとうございます……呼べなかったのに、助けてくれて」
「屋敷の中で好き勝手をされては当主の面目が立たん……、何もされていないか」
心配げに、伸ばした手が私に触れる寸前で止まる。その手を見るともなしに見ながら、答える。
「大丈夫です」
「前に……抱き着かれたとか言っていたのは」
「それは、前にミハイルさんと少し揉めてたときに……不意をつかれて。すぐに突き飛ばしましたし、それ以上のことは何も」
「……ッ、いや、俺のせいか……」
伸ばした手を触れないまま握りしめて、ミハイルさんが項垂れる。
「違います。ごめんなさい。もう、隙は見せません……」
その手に触れて、半ば自分に言い聞かせるようにして呟く。だけど何度覚悟をしても迷いは生まれる。そして、声……国王はそこを的確に突いて来る。だから……今のままじゃ、駄目だ。
「……あの、何て言おうとしたんですか」
「……?」
「『俺の』……、何ですか? 私は、最後まで聞きたかった」
聞けば、もう少し強くなれるような気がした。その先が、私が期待するようなものである確証なんてないのに、縋ろうとしている自分を滑稽だとわかっていても。
「……俺の」
手を開き、触れている私の手を握りしめて、ミハイルさんが口を開く。そこで一度口を噤んだのは、私が顔を上げたからだった。同時にミハイルさんが手を離し、眉根を寄せて踵を返す。
さっきまで確かに閉まっていたはずなのに、僅かに隙間が空いている扉をミハイルさんが力を込めてしっかりと閉め、鍵をかけ、さらに手を掲げて霊避けの呪文を唱えてから戻って来る。そしてその勢いのままに、私の頭を抱き寄せて、小声で早口にまくしたてる。
「お前は俺の……、俺だけの花嫁だ。他の誰にも渡さん。何処にも行くな」
「……はい……」
私はずるい。
前にミハイルさんのことを、決断からも責任からも逃げているって言ったくせに。自分だって同じことをしてる。
これじゃ依存してるのは私の方だ。
どこにも行くなと、そう言ってくれたのは……、きっとミハイルさんも私の迷いに気付いていたから。
「……私、わからないんです。どうすることが正しいのか」
「そんなもの誰にもわからん」
「でも、万に一つも私の記憶で平和になるのなら、その可能性を試さなくていいんでしょうか」
「死ねば本来記憶も共に消える。こちらでの生が確立されるほどに、恐らく前の世界ので記憶は消えていくのだろうと思う……、だとしたら、それを捻じ曲げて、そのあとお前がここに存在し続けられる保証がない。万に一つの賭けにお前を差し出す気など俺にはないな」
確かに……、国王がほしいのは私の記憶だけで、私ではない。代償を払うとか、王にするとか、そんなの口で言っているだけに過ぎない。だけど、だとしても。平和の可能性と、私一人なら、多くの人にとって天秤にかけるまでもないこと。
「まぁ、絶対の平和を約束されたところで気は変わらんから、少なくとも俺は正義ではない。だからお前が正しいことをしても意味がない。自分を責めなくていい」
それを、この人はいとも容易く私に傾けるんだな……。
……私が今、ここにいたいと望むなら。きっと、何を失っても、誰に責められても、何を言われても惑わされず、それだけを掴み取る覚悟が、私には必要なんだ。
だけど、まだ少しだけ、怖い。
「……ミハイルさん。三年前だけじゃなく、前世の記憶もなくしてしまったら……、それは貴方が知っている私と呼べるでしょうか」
「記憶があってもなくてもお前はお前だ」
「もし私が変わってしまっても、同じことを言えますか?」
「ああ」
「随分簡単に即答するんですね……、その根拠は?」
「なら俺も問おう。お前も前に俺がどうなっても傍にいると言った。その根拠は」
ずっと私を抱いたままだった手を緩め、呆れたようにミハイルさんが問い返す。
「……そう思ったから……」
「ふっ……俺も同じだ」
答えを聞いて、ミハイルさんが少し笑う。それだけで不安が溶けてしまうことが、違う不安を連れてくる。
こんなに何の根拠もないことに縋らないといけないというのに。
一人で覚悟も持てないほど、私はとても弱くなってしまった。
「さぁ、どうせ外にリエーフがいる。茶でも飲んで落ち着いたら早く休め」
「……ふふ。はい」
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