幽霊屋敷の掃除婦

羽鳥紘

文字の大きさ
11 / 52

第十話 仲直りのために・1

しおりを挟む
「……まだやる気か?」

 ミハイルさんが私を見て問いかける。私よりもずっと深い黒の瞳は、相変わらず何を考えているかわからない。

「もちろんです」

 なんでもないように即答したのは半分以上強がりだけど、諦める気は毛頭ない。

「どうせまた荒らされるぞ」
「構いませんよ。好きなお掃除がずっとできるんですから、ありがたいくらいです」
「いつまでも強がって、心身を壊しても知らんぞ」
 
 口調が冷たいから、小馬鹿にしているように聞こえてしまうけど……、その内容だけ考えてみたら、もしかして、ミハイルさんはそれを心配してくれているのだろうかとも思える。そう思ったら少しだけ胸の強張りが取れた気がした。

「ありがとうございます」
「何故礼を言う?」
「心配してくれているのかと」
「救いようのないほどめでたい頭だな」
「掃除のことしか考えられない頭ですので」

 ……おかしいな。お礼を言いたかっただけなのに、気が付いたら皮肉になっていた。
 少し、ミハイルさんが苛立ったように眉間に皺を寄せる。

「お前は幽霊が怖くないのか?」

 でもそれは、私の皮肉に怒ったわけではないようだった。今までの会話とはあまり関係のない、とてもシンプルな質問だった。

「怖くない……わけじゃないですけど、脅えて逃げ回るほどじゃないですね」

 答えながら首を捻る。なんでかは自分でもよくわからない。ホラー映画とかは苦手だけど、ここの幽霊はそうグロテスクなわけでもないからかな。

「死人だぞ?」
「そうですが、あまりそういう感じがしなくて。話していても普通の人間と変わらないですし」
「それは……恐らくここに来たばかりだからだな。幼い時から全く姿が変わらない様を目の当たりにすれば、嫌でも奴らが普通の人間じゃないということがわかる」

 普通じゃないくらいのことは、もうわかっているけど。
 でも私からしてみれば、魔法を使えるという時点でこの世界の人みんな普通じゃないし。

「ミハイルさんは嫌いなんですか? ここの幽霊たちが」
「好きになる要素がどこにある?」
 
 じろり、とミハイルさんが私を睨む。何かもう、それにも慣れてしまった。
 ミハイルさんが幽霊嫌いということは、リエーフさんから聞いてるから知っている。ミハイルさん自身も、今間接的に嫌いだと言った。
 だけど私には、あまりそうは思えない。

「私、昨夜、ここの幽霊たちのことをまとめていて、それで気付いたんですけど。ミハイルさん、屋敷の幽霊たちについてすごく詳しいですよね。顔も名前も性格もすぐわかるじゃないですか」

 庭に近づくなと言ったのも、すぐにエドアルトさんのことを考えたからだろう。それに、私に謝罪を要求したときの話の持って行き方も、彼の性格をよくよく把握していないとできないものだったと思う。

「薬品に詳しいひとがいないかって私とリエーフさんが話してたときも、すぐ名前を出していました。嫌いなものについて、そんなに詳しくなれるでしょうか?」

 少し喋りすぎただろうか。言葉を切ってもなかなかミハイルさんが答えてくれず、少し不安になる。謝ろうかと唇を湿らせた頃、ようやく彼は口を開いた。

「それは、生まれた時からずっとこの屋敷にいるんだから当然だ」
「そうでしょうか? 顔と名前だけならそうかもしれませんけど……」
「言っただろう。俺はこんな幽霊屋敷、一刻も早く出て行きたいと」
「でも、出て行っていませんよね」

 幽霊たちが外に出られないのなら、出ていくのは簡単に思えるのだけど。
 喋りすぎたと思ったばかりでついつい気になったことを口にしてしまう。
 でも、ミハイルさんは友好的ではないにせよ、自分の感情で「出て行け」というタイプではない気がした。そう考えた通り、声を荒げたり、怒鳴ったりすることはなかったけれど。馬鹿にしたような目をして一言答える。

「そんな呪い殺されそうなことするか」

 確かに。けれど、幽霊たちにそんな力があるのかな?
 あったとして、ほんとに彼らがミハイルさんを嫌いだったら、とっくにやっていそうなものだけど。

「それにリエーフに連れ戻されるが落ちだ。あいつは外に出られるしな。ウソ泣きしながら説教するに決まってる」

 それはなんだか、目に浮かぶ。と和みかけて、ふと私はかねてからの疑問を思い出した。

「そういえば、どうしてリエーフさんだけが特別なんですか?」
「それは俺も知らん。いつからこの屋敷に幽霊が住むようになったのか、どうしてこの屋敷では魔法を使えないのかもな。幼い頃先代当主である父に尋ねたが、教えてくれなかった。父も知らなかったのか、幼すぎて理解できんと言わなかったのか、それは今となってはわからんが」

 あまり答えは期待していなかったが、意外にもミハイルさんはちゃんと答えてくれた。
 結局、幽霊や屋敷の謎は全然わからないままだけど、ミハイルさんすらそれを知らないということはわかった。
 結局掃除を円滑にするには、幽霊たちと友好的な関係を築くのが一番早いということか。 

「……忠告したはずだが」

 考え込む私に、ミハイルさんの声が降りかかる。

「興味本位であまり首を突っ込まない方がいいと思うぞ」
「興味本位ではありません。掃除を円滑に進めるための一環です」
「呆れる」

 一言で切って捨て、ミハイルさんは肩を竦めてから言葉を継いだ。

「掃除をするために幽霊たちとコミュニケーションを取ろうという腹か? 俺は勧めんがな。……アラムもお前に興味を示してはいたが」
「アラム?」

 聞き置覚えがあるような名前だが、咄嗟につながらず、その名を拾って復唱する。

「お前も会いたがっていただろう。薬品に詳しい幽霊だ」

 その説明に、私は「ああ」と声を返した。
 そうだ、私が薬品に詳しい人を探していたとき、ミハイルさんが口にしていた名前だ。

「会えるんですか?」
「会うと言っていたが、その後は姿を見せずじまいだ。俺も奴は何を考えているかわからん」
「構いません。私は薬品で洗剤……、掃除に必要なものが作れないかと、それが知りたいだけですから」
「……忠告はしたぞ」

 ミハイルさんの目が、呆れより憐み寄りになった気がする。
 どうしようもない掃除女だと思っているんだろうな。実際そうだからいいけど。

 私も危機感が足りないのかもしれないけど。
 でも中庭で頬を切ってしまったとき、たかが軽い切り傷ごときで、リエーフさんもエドアルトさんも、ミハイルさんでさえもあんなに気にしてくれたくらいだ。
 酷いことにはならない気がする……というのはあまりに楽観的すぎるだろうか。

「忠告はありがたく頂きます」

 答えると、ミハイルさんはフン、と鼻を鳴らして踵を返した。その靴が小枝を踏んで、パキ、と小さな音を立てる。それを見下ろしてミハイルさんは顔をしかめた。

「ライサめ。少しきつく言うか……」

 おそらく独り言だったそれを聞きとがめて、私は咄嗟に歩き去ろうとする彼の腕を掴んで止めていた。

「待って下さい!」

 驚いたような顔をして、ミハイルさんが私を振り返る。

「あの、すみません。ライサを叱らないでくれませんか?」

 そう言うと、彼は不可解な顔をした。

「……解せんな。あいつにはお前も迷惑しているんじゃないのか?」
「でも、まだ子どもですし」
「見た目はそうだが、あいつは俺やお前よりずっと永く……」
「永く『生きている』わけじゃない、ですよね? だったら子どものままではないですか?」

 私は幽霊について何も知らない。
 でも生きていれば、色んな経験をして、学習をして、それで大人になっていくけど、体を失った幽霊じゃそういうわけにはいかないだろう。まして、この屋敷から外に出られもしないのに。
 そう考えてみて、幽霊たちが外の人間を嫌いなのも納得が行くような気がした。

「同情か?」

 ミハイルさんの顔に、少し嘲りが見える。
 偽善者だとでも思われたのだろうか。だとしたらそれは見当はずれだ。
 かといって、別に優しさでもないのだ。

「そうではありません。もしミハイルさんが当主としてライサを注意すれば、ライサは私が唆したのだと思うはずです。そうすれば妨害はさらに酷くなりかねませんし、私に対する印象も悪化すると思うんです」

 ミハイルさんは肯定しなかったが、否定もしなかった。私の手を振り払ってため息をつく。

「後で泣きついても知らんぞ」
「そんなこと、しません」
「だろうな」

 それは、少し予想外な返事だった。少し、私のことをわかってくれたのだろうか。

「相当めでたい頭をしているようだからな」

 ……毒吐きたいだけか。いいけど。

 確かに楽観的なところはあると思う、自分でも。
 でも悲観的なことを考えたらやっていられないところはある。
 掃除がうまくいかないことも、この世界でこれからどうなるかとかも、そもそも元の世界に帰れるのか……ということも。私には不安要素しかない。
 何かしていないと、何か考えていないと。それが掃除のことであるのは不幸中の幸いだ。
 なんていう思考回路が、もしかしたらめでたいと謂われる所以かもしれないけれど。そこは現実的だと言って欲しいところではある。

 今度こそミハイルさんを見送って、私はその足先をリエーフさんの部屋に向けた。とにかく、ライサとこのままの関係なのはまずいと思う。
 今姿を消したからといってこれ幸いと掃除したところで、多分そんなの続かない。
  今はまだ、ライサの私に向けられる感情は嫌悪くらいで済んでいる。けれどこれがハッキリと憎悪に代わってしまったら、和解するのは無理だ。
 といって、リエーフさんの部屋に向かったのは、彼にとりなしてもらおうというわけではない。私自身でなんとかしないと、ライサはきっと私を許さないと思う。 

リエーフさんの部屋の扉をノックすると、幸いすぐに返事があった。
しおりを挟む
感想 21

あなたにおすすめの小説

無魔力の令嬢、婚約者に裏切られた瞬間、契約竜が激怒して王宮を吹き飛ばしたんですが……

タマ マコト
ファンタジー
王宮の祝賀会で、無魔力と蔑まれてきた伯爵令嬢エリーナは、王太子アレクシオンから突然「婚約破棄」を宣告される。侍女上がりの聖女セレスが“新たな妃”として選ばれ、貴族たちの嘲笑がエリーナを包む。絶望に胸が沈んだ瞬間、彼女の奥底で眠っていた“竜との契約”が目を覚まし、空から白銀竜アークヴァンが降臨。彼はエリーナの涙に激怒し、王宮を半壊させるほどの力で彼女を守る。王国は震え、エリーナは自分が竜の真の主であるという運命に巻き込まれていく。

底辺から始まった俺の異世界冒険物語!

ちかっぱ雪比呂
ファンタジー
 40歳の真島光流(ましまみつる)は、ある日突然、他数人とともに異世界に召喚された。  しかし、彼自身は勇者召喚に巻き込まれた一般人にすぎず、ステータスも低かったため、利用価値がないと判断され、追放されてしまう。  おまけに、道を歩いているとチンピラに身ぐるみを剥がされる始末。いきなり異世界で路頭に迷う彼だったが、路上生活をしているらしき男、シオンと出会ったことで、少しだけ道が開けた。  漁れる残飯、眠れる舗道、そして裏ギルドで受けられる雑用仕事など――生きていく方法を、教えてくれたのだ。  この世界では『ミーツ』と名乗ることにし、安い賃金ながらも洗濯などの雑用をこなしていくうちに、金が貯まり余裕も生まれてきた。その頃、ミーツは気付く。自分の使っている魔法が、非常識なほどチートなことに――

【完結】辺境に飛ばされた子爵令嬢、前世の経営知識で大商会を作ったら王都がひれ伏したし、隣国のハイスペ王子とも結婚できました

いっぺいちゃん
ファンタジー
婚約破棄、そして辺境送り――。 子爵令嬢マリエールの運命は、結婚式直前に無惨にも断ち切られた。 「辺境の館で余生を送れ。もうお前は必要ない」 冷酷に告げた婚約者により、社交界から追放された彼女。 しかし、マリエールには秘密があった。 ――前世の彼女は、一流企業で辣腕を振るった経営コンサルタント。 未開拓の農産物、眠る鉱山資源、誠実で働き者の人々。 「必要ない」と切り捨てられた辺境には、未来を切り拓く力があった。 物流網を整え、作物をブランド化し、やがて「大商会」を設立! 数年で辺境は“商業帝国”と呼ばれるまでに発展していく。 さらに隣国の完璧王子から熱烈な求婚を受け、愛も手に入れるマリエール。 一方で、税収激減に苦しむ王都は彼女に救いを求めて―― 「必要ないとおっしゃったのは、そちらでしょう?」 これは、追放令嬢が“経営知識”で国を動かし、 ざまぁと恋と繁栄を手に入れる逆転サクセスストーリー! ※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。

神のミスで転生したけど、幼児化しちゃった!〜もふもふと一緒に、異世界ライフを楽しもう!〜

一ノ蔵(いちのくら)
ファンタジー
※第18回ファンタジー小説大賞にて、奨励賞を受賞しました!投票して頂いた皆様には、感謝申し上げますm(_ _)m ✩物語は、ゆっくり進みます。冒険より、日常に重きありの異世界ライフです。 【あらすじ】 神のミスにより、異世界転生が決まったミオ。調子に乗って、スキルを欲張り過ぎた結果、幼児化してしまった!   そんなハプニングがありつつも、ミオは、大好きな異世界で送る第二の人生に、希望いっぱい!  事故のお詫びに遣わされた、守護獣神のジョウとともに、ミオは異世界ライフを楽しみます! カクヨム(吉野 ひな)にて、先行投稿しています。

存在感のない聖女が姿を消した後 [完]

風龍佳乃
恋愛
聖女であるディアターナは 永く仕えた国を捨てた。 何故って? それは新たに現れた聖女が ヒロインだったから。 ディアターナは いつの日からか新聖女と比べられ 人々の心が離れていった事を悟った。 もう私の役目は終わったわ… 神託を受けたディアターナは 手紙を残して消えた。 残された国は天災に見舞われ てしまった。 しかし聖女は戻る事はなかった。 ディアターナは西帝国にて 初代聖女のコリーアンナに出会い 運命を切り開いて 自分自身の幸せをみつけるのだった。

主婦が役立たず? どう思うかは勝手だけど、こっちも勝手にやらせて貰うから

渡里あずま
ファンタジー
安藤舞は、専業主婦である。ちなみに現在、三十二歳だ。 朝、夫と幼稚園児の子供を見送り、さて掃除と洗濯をしようとしたところで――気づけば、石造りの知らない部屋で座り込んでいた。そして映画で見たような古めかしいコスプレをした、外国人集団に囲まれていた。 「我々が召喚したかったのは、そちらの世界での『学者』や『医者』だ。それを『主婦』だと!? そんなごく潰しが、聖女になどなれるものか! 役立たずなどいらんっ」 「いや、理不尽!」 初対面の見た目だけ美青年に暴言を吐かれ、舞はそのまま無一文で追い出されてしまう。腹を立てながらも、舞は何としても元の世界に戻ることを決意する。 「主婦が役立たず? どう思うかは勝手だけど、こっちも勝手にやらせて貰うから」 ※※※ 専業主婦の舞が、主婦力・大人力を駆使して元の世界に戻ろうとする話です(ざまぁあり) ※重複投稿作品※ 表紙の使用画像は、AdobeStockのものです。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

半竜皇女〜父は竜人族の皇帝でした!?〜

侑子
恋愛
 小さな村のはずれにあるボロ小屋で、母と二人、貧しく暮らすキアラ。  父がいなくても以前はそこそこ幸せに暮らしていたのだが、横暴な領主から愛人になれと迫られた美しい母がそれを拒否したため、仕事をクビになり、家も追い出されてしまったのだ。  まだ九歳だけれど、人一倍力持ちで頑丈なキアラは、体の弱い母を支えるために森で狩りや採集に励む中、不思議で可愛い魔獣に出会う。  クロと名付けてともに暮らしを良くするために奮闘するが、まるで言葉がわかるかのような行動を見せるクロには、なんだか秘密があるようだ。  その上キアラ自身にも、なにやら出生に秘密があったようで……? ※二章からは、十四歳になった皇女キアラのお話です。

処理中です...