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第二十六話 守るべきものの為
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「久しいな、プリヴィデーニ伯爵。お前が呼び出しに応じるとは、どういう風の吹き回しかな」
「ご無沙汰しております、陛下。幽霊を従えるこの身は不吉ゆえに、陛下の御前には相応しくないかと」
淀みなく述べるミハイルさんの言葉はどこか棒読みだ。
「まるで誰かにそう言われていると言わんばかりだ」
私が思ったのと同じことを、王様が口にする。対してミハイルさんは何も答えなかったが、その沈黙は肯定を意味しているように思えた。
そしてここに来て、ミハイルさんが嫌がる気持ちがよくわかった。奇異の目――、それは興味本位で見られるとか、見下されるとか、そういうのではない。さっきの失礼なオジサンなんか、まだ可愛いものだった。
恐怖、それに、畏怖。まるで私たちが幽霊そのものであるかのように、控えている兵たちも誰も私たちと目を合わせようとしない。見てわかるくらいにブルブルと震えている。
「それで、どのようなご用件でしょうか?」
気付いていないわけがないのに、ミハイルさんは何事もないように率直に問いかける。
さすがに王様は、見てわかるような嫌悪感を浮かべることはなく、「ふむ」と自らの顎を撫でた。……しかし、若いな、王様。
ひげの生えた貫禄あるおじいさまを想像していたけれど、ミハイルさんに負けず劣らず若い。そう年齢は変わらないのでは?
「人成らざるものを束ねる君に、あの広大な領地を任せる酷なのでは――という話が城では絶えなくてね」
「領地召し上げ、ということですか」
ミハイルさんが目を細める。それだけで誰かが「ひぃ」と悲鳴を漏らす。確かにミハイルさんの目つきは鋭いが、悲鳴を上げるほどではないだろう。それほど城の人たちは幽霊を恐れているのだろうけど。
「その結論を、君の話を聞く前に下すには早すぎるだろう。だが肝心の君が幽霊屋敷から出てこない」
「それは失礼しました。確かに私は領民から慕われてはおりません。ですが、私が領主であることによる混乱や問題が起きているわけでないことは、見て頂ければお分かりになるかと」
「ああ。何度か視察に行ったが、いいところだ。しかし今後も永遠にそうだとは限らん。そのときも、死者が君を支えるのかな」
「……ご忠言、ありがたく頂戴致します。しかし本日はこれにて」
言いながら、ミハイルさんが周囲に視線を走らせる。確かにこれ以上私たちがここにいたら、倒れる者が出てきそうな有様だ。そうなったら、祟りだとでも言われるのだろうことは想像に難くない。
それを察してか、退室しようとするミハイルさんを王様も止めなかった。話しぶりからすると、王様はかなりできる人っぽいし、ミハイルさんを幽霊伯爵だからと変な目で見てはいないように思う。
けれど。
「君は、伯爵の従者かな」
不意に声をかけられて、私は驚いて顔を上げた。まさか私に話を振られるとは思わなかった。
不安と緊張で声が喉に引っ掛かる。でも応えないわけにはいかないだろう。
「は……はい」
余計なことを言うなよ、とでも言いたげに、チラリとミハイルさんが横目で私を見る。
いくら私でも、この状況で何か言えるほど神経が図太くない。
「……ふうん。よく伯爵を支えることだ」
「はい……」
国王が口にしたのはたったそれだけで。とくに何ということのない言葉。
だけど何か既視感を覚える。この圧迫感。この目は……私を値踏みするような。蔑むような、見下すような目だ。
「屋敷にこもりきりの幽霊伯爵殿がせっかく出向いてくれたのだ。何か土産を持たせるがいい」
手近な者を呼びつけ、王様がそう告げる。もう私などに興味はないと言わんばかりに。
怯える城の人たち。真意の見えない王様……
「ミハイルさんがお城に行きたくない訳、なんとなくわかりました」
帰りの馬車の中でそう言うと、疲れたように俯いていたミハイルさんが目線だけをこちらに向けた。
「いつ俺が城に行きたくないと? ……ああ、リエーフか」
ミハイルさんが嫌そうに顔を歪める。なんかミハイルさんとリエーフさんの関係って、息子とお母さんみたいだなぁ。
「お前、城であったことリエーフに言うなよ。なんてからかわれるかわかったもんじゃない」
あぁ……そうだった。王様には従者だと言えたけど、失礼なオジサンに婚約者だと勘違いされたままなのだ。リエーフさんの満面の笑みが頭を過ぎって、絶対バレないようにしようと固く誓った。
「……すまんな、付き合わせることになって。いずれ誤解は訂正しておく」
「いえ。その、不快そうにされたり嫌なこと言われるのは慣れてるつもりだったんですが……だからこそ、王様がちょっと気になって」
「慣れるなそんなこと。……しかし、奇遇だな。俺もあいつが一番苦手だ」
意外な同意に、ふと好奇心が疼いて理由が知りたくなる。
「どうしてですか? 表向きはすごく友好的でしたよね。ミハイルさんのことも気にかけてくれていて、案じているようにも聞こえましたけど」
「ならお前は何が気になったんだ」
「それは……」
人のことを人とも思わないような目。温和そうで丁寧で、気遣いもできるように見えながら、その実そこには血が通ってないように見える。
なんて思うのは、単なる私の想像にしかすぎない。
そんなことを偉そうに口にもできず押し黙っていると、ミハイルさんは焦れたのか、「まぁいいが」と言葉を継いだ。
「……俺も単に苦手なだけだ。国王なんてのは国を守ることができれば後のことはどうだっていいような人種だからな。だが俺もその国王の庇護の元にいる以上、それを詰ることなどできん」
なるほど。ただ優しいだけじゃ国なんて守れないというのもわかる。ただ、私のような一般人とはかけ離れていて……だからこそ苦手と思うのだろうか。
「リエーフに少し似ている。守るべきものがあると誰しもああなるものか。生者であれ、死者であれ……」
それは私に言っているというより、独白に近い響きの声だった。静かすぎる馬車は、快適なのに、何か気まずくて居心地が悪い。
リエーフさんと似ている……とは思わなかったけれど、リエーフさんだって屋敷やミハイルさんを守るためなら私のことを利用する。人当たりが良くて優しいけど、大事なものを守るためならきっと容赦のない人だ。
対して、ミハイルさんは冷たくて不愛想だけど、きっと誰かを切り捨てるということを即座に選べない人。例えそれが死者――幽霊だとしても。だから当主になりたくないのかもしれない。なりたくない、という状況ではないにせよ、両親を失った哀しみより背負うものに心を割くなんて、誰にでもできることじゃないと思う。
「あの……お土産ってなんだったんですか?」
来た道のりを思い返すと、まだ屋敷に着くまでは少し時間がかかるはず。来るときも気まずかったのに帰りもずっとこの空気でいるのは正直しんどい。会話を盛り上げるのは得意じゃないけど、なんとか明るい声を絞り出す。
「ん? ああ……酒だな、これは」
高級そうな木の箱に目をやり、ミハイルさんが答える。それに対して、私は今度こそ心から華やいだ声を返した。
「お酒!?」
酒。つまりはアルコール。いや、この世界のお酒の成分が何かはわからないけど、わからないだけにもしかしてもしかすると――
「すみませんが、そのお酒、少し私にいただけませんか!?」
「別に、構わんが……お前がそんなに酒好きとは意外だな。確かにかなり希少な銘酒ではあるが――」
「はい、早速お掃除します! そのお酒、もしかしたら掃除に使えるかもしれません! もちろんお酒の種類によるのですが!」
ミハイルさんの目が点になったような気がするけどあんまり頭に入ってこない。
それより、良い掃除用洗剤の存在しないこの世界で、洗剤代わりになりそうなものの単語を聞いて、あれこれ期待できそうな効果が頭をかけめぐって、城でのことなんてもうすっかりどうでもよくなってしまった。
「お酒はアルコールという成分が含まれている可能性が高くてですね、いやこちらでもアルコールというのかどうかわからないですけど、アルコールには油を溶かす成分があって、汚れを浮かすことができるかもしれまん。あ、消毒や殺菌も期待できるかもしれませんね! 掃除は汚れを取るだけでなく、綺麗な状態を保つことも大事ですから。勿論向かないお酒もありますから、試してみないことにはわからないですけど」
「待て、ミオ。何故酒から汚れがどうのという話になる?」
「汚れと一言で言っても色んな種類があって、手が触れるような場所は皮脂によるものでそれに対して効果が高いのが……」
「だからちょっと待てと……まぁ、もういいが…………」
国王様のお土産のおかげで、それから屋敷に着くまで楽しい会話が弾んだのであった。
「ご無沙汰しております、陛下。幽霊を従えるこの身は不吉ゆえに、陛下の御前には相応しくないかと」
淀みなく述べるミハイルさんの言葉はどこか棒読みだ。
「まるで誰かにそう言われていると言わんばかりだ」
私が思ったのと同じことを、王様が口にする。対してミハイルさんは何も答えなかったが、その沈黙は肯定を意味しているように思えた。
そしてここに来て、ミハイルさんが嫌がる気持ちがよくわかった。奇異の目――、それは興味本位で見られるとか、見下されるとか、そういうのではない。さっきの失礼なオジサンなんか、まだ可愛いものだった。
恐怖、それに、畏怖。まるで私たちが幽霊そのものであるかのように、控えている兵たちも誰も私たちと目を合わせようとしない。見てわかるくらいにブルブルと震えている。
「それで、どのようなご用件でしょうか?」
気付いていないわけがないのに、ミハイルさんは何事もないように率直に問いかける。
さすがに王様は、見てわかるような嫌悪感を浮かべることはなく、「ふむ」と自らの顎を撫でた。……しかし、若いな、王様。
ひげの生えた貫禄あるおじいさまを想像していたけれど、ミハイルさんに負けず劣らず若い。そう年齢は変わらないのでは?
「人成らざるものを束ねる君に、あの広大な領地を任せる酷なのでは――という話が城では絶えなくてね」
「領地召し上げ、ということですか」
ミハイルさんが目を細める。それだけで誰かが「ひぃ」と悲鳴を漏らす。確かにミハイルさんの目つきは鋭いが、悲鳴を上げるほどではないだろう。それほど城の人たちは幽霊を恐れているのだろうけど。
「その結論を、君の話を聞く前に下すには早すぎるだろう。だが肝心の君が幽霊屋敷から出てこない」
「それは失礼しました。確かに私は領民から慕われてはおりません。ですが、私が領主であることによる混乱や問題が起きているわけでないことは、見て頂ければお分かりになるかと」
「ああ。何度か視察に行ったが、いいところだ。しかし今後も永遠にそうだとは限らん。そのときも、死者が君を支えるのかな」
「……ご忠言、ありがたく頂戴致します。しかし本日はこれにて」
言いながら、ミハイルさんが周囲に視線を走らせる。確かにこれ以上私たちがここにいたら、倒れる者が出てきそうな有様だ。そうなったら、祟りだとでも言われるのだろうことは想像に難くない。
それを察してか、退室しようとするミハイルさんを王様も止めなかった。話しぶりからすると、王様はかなりできる人っぽいし、ミハイルさんを幽霊伯爵だからと変な目で見てはいないように思う。
けれど。
「君は、伯爵の従者かな」
不意に声をかけられて、私は驚いて顔を上げた。まさか私に話を振られるとは思わなかった。
不安と緊張で声が喉に引っ掛かる。でも応えないわけにはいかないだろう。
「は……はい」
余計なことを言うなよ、とでも言いたげに、チラリとミハイルさんが横目で私を見る。
いくら私でも、この状況で何か言えるほど神経が図太くない。
「……ふうん。よく伯爵を支えることだ」
「はい……」
国王が口にしたのはたったそれだけで。とくに何ということのない言葉。
だけど何か既視感を覚える。この圧迫感。この目は……私を値踏みするような。蔑むような、見下すような目だ。
「屋敷にこもりきりの幽霊伯爵殿がせっかく出向いてくれたのだ。何か土産を持たせるがいい」
手近な者を呼びつけ、王様がそう告げる。もう私などに興味はないと言わんばかりに。
怯える城の人たち。真意の見えない王様……
「ミハイルさんがお城に行きたくない訳、なんとなくわかりました」
帰りの馬車の中でそう言うと、疲れたように俯いていたミハイルさんが目線だけをこちらに向けた。
「いつ俺が城に行きたくないと? ……ああ、リエーフか」
ミハイルさんが嫌そうに顔を歪める。なんかミハイルさんとリエーフさんの関係って、息子とお母さんみたいだなぁ。
「お前、城であったことリエーフに言うなよ。なんてからかわれるかわかったもんじゃない」
あぁ……そうだった。王様には従者だと言えたけど、失礼なオジサンに婚約者だと勘違いされたままなのだ。リエーフさんの満面の笑みが頭を過ぎって、絶対バレないようにしようと固く誓った。
「……すまんな、付き合わせることになって。いずれ誤解は訂正しておく」
「いえ。その、不快そうにされたり嫌なこと言われるのは慣れてるつもりだったんですが……だからこそ、王様がちょっと気になって」
「慣れるなそんなこと。……しかし、奇遇だな。俺もあいつが一番苦手だ」
意外な同意に、ふと好奇心が疼いて理由が知りたくなる。
「どうしてですか? 表向きはすごく友好的でしたよね。ミハイルさんのことも気にかけてくれていて、案じているようにも聞こえましたけど」
「ならお前は何が気になったんだ」
「それは……」
人のことを人とも思わないような目。温和そうで丁寧で、気遣いもできるように見えながら、その実そこには血が通ってないように見える。
なんて思うのは、単なる私の想像にしかすぎない。
そんなことを偉そうに口にもできず押し黙っていると、ミハイルさんは焦れたのか、「まぁいいが」と言葉を継いだ。
「……俺も単に苦手なだけだ。国王なんてのは国を守ることができれば後のことはどうだっていいような人種だからな。だが俺もその国王の庇護の元にいる以上、それを詰ることなどできん」
なるほど。ただ優しいだけじゃ国なんて守れないというのもわかる。ただ、私のような一般人とはかけ離れていて……だからこそ苦手と思うのだろうか。
「リエーフに少し似ている。守るべきものがあると誰しもああなるものか。生者であれ、死者であれ……」
それは私に言っているというより、独白に近い響きの声だった。静かすぎる馬車は、快適なのに、何か気まずくて居心地が悪い。
リエーフさんと似ている……とは思わなかったけれど、リエーフさんだって屋敷やミハイルさんを守るためなら私のことを利用する。人当たりが良くて優しいけど、大事なものを守るためならきっと容赦のない人だ。
対して、ミハイルさんは冷たくて不愛想だけど、きっと誰かを切り捨てるということを即座に選べない人。例えそれが死者――幽霊だとしても。だから当主になりたくないのかもしれない。なりたくない、という状況ではないにせよ、両親を失った哀しみより背負うものに心を割くなんて、誰にでもできることじゃないと思う。
「あの……お土産ってなんだったんですか?」
来た道のりを思い返すと、まだ屋敷に着くまでは少し時間がかかるはず。来るときも気まずかったのに帰りもずっとこの空気でいるのは正直しんどい。会話を盛り上げるのは得意じゃないけど、なんとか明るい声を絞り出す。
「ん? ああ……酒だな、これは」
高級そうな木の箱に目をやり、ミハイルさんが答える。それに対して、私は今度こそ心から華やいだ声を返した。
「お酒!?」
酒。つまりはアルコール。いや、この世界のお酒の成分が何かはわからないけど、わからないだけにもしかしてもしかすると――
「すみませんが、そのお酒、少し私にいただけませんか!?」
「別に、構わんが……お前がそんなに酒好きとは意外だな。確かにかなり希少な銘酒ではあるが――」
「はい、早速お掃除します! そのお酒、もしかしたら掃除に使えるかもしれません! もちろんお酒の種類によるのですが!」
ミハイルさんの目が点になったような気がするけどあんまり頭に入ってこない。
それより、良い掃除用洗剤の存在しないこの世界で、洗剤代わりになりそうなものの単語を聞いて、あれこれ期待できそうな効果が頭をかけめぐって、城でのことなんてもうすっかりどうでもよくなってしまった。
「お酒はアルコールという成分が含まれている可能性が高くてですね、いやこちらでもアルコールというのかどうかわからないですけど、アルコールには油を溶かす成分があって、汚れを浮かすことができるかもしれまん。あ、消毒や殺菌も期待できるかもしれませんね! 掃除は汚れを取るだけでなく、綺麗な状態を保つことも大事ですから。勿論向かないお酒もありますから、試してみないことにはわからないですけど」
「待て、ミオ。何故酒から汚れがどうのという話になる?」
「汚れと一言で言っても色んな種類があって、手が触れるような場所は皮脂によるものでそれに対して効果が高いのが……」
「だからちょっと待てと……まぁ、もういいが…………」
国王様のお土産のおかげで、それから屋敷に着くまで楽しい会話が弾んだのであった。
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