幽霊屋敷の掃除婦

羽鳥紘

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第二十七話 屋敷の惨禍

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 私たちを降ろすと、馬車はすかさず元来た道を帰っていく。一日のうちに何往復もして大変だと思うけど、そんな逃げるように行かなくてもいいのに。行きもそうだったけれど、お屋敷の前ではなくてまだ少し歩かなければいけない場所だし。

「そんなに怖がらなくてもいいのに……」
「怖れてくれるからこそ、俺が何もしなくても土地も屋敷も守られる。……それより」

 キョロキョロと周りを見回しながら、ミハイルさんは怪訝そうな声を上げた。

「リエーフの姿が見えないな」
「リエーフさん?」

 言われてみれば、送り出すときも姿が見えなくなるまで見送ってくれたリエーフさんのことだ。ミハイルさんだけでなく私のことも心配してくれていたし、馬車の音を聞いたら飛んで出迎えに来てくれても不思議ではない。

「お屋敷に何かあったんでしょうか」
「わからん。とにかく帰るぞ」

 屋敷はもうすぐそこに見えている。このときまではまだ、リエーフさんでもうっかりすることはあるだろうと楽天的なことを考えていられたのだけれど。

「なに、これ……」

 屋敷の門までたどり着いて、絶句する。

 綺麗に片づけたはずの玄関が、ガラスや調度品の破片や血の跡で汚れている。扉は誘うように半開きのまま、キィキィと風で揺れていた。急に暗雲が立ち込めて薄暗くなり、ゴロゴロと雲が鳴き始める。

「誰かの嫌がらせ? もしかしてお城の人とか……?」

 ミハイルさんが不在と知っている城の人なら、その間に嫌がらせをすることもあるかもしれない。

「閣下ならやりかねんがな。幽霊たちが黙っていないだろう。何にしろ、人の悪戯なら可愛いものだが……」

 ということは、ミハイルさんはこれをやったのは「人」ではないと思っている。人ではないということは……。
 幽霊たちが暴走した日のことを思い出して、嫌な汗が額に滲んだ。

「ミオ、お前は今すぐ屋敷から離れろ。嫌な予感がする」
「ミハイルさんは……」
「……俺が戻らんわけにはいかんだろう」

 まるで自分に言い聞かせるかのように、ミハイルさんが応える。
 ……今なら、リエーフさんもいなくて、屋敷の様子もおかしい今なら、見なかったことにしてこのまま屋敷を去ることもできる……と。
 考えないわけがない。
 誰だって、こんな異様な雰囲気の屋敷に近づくのは怖い。怖いけど。

「あの、私も行きます」

 ミハイルさん一人では心配だ。私だって、せっかく片づけた玄関をこんなにされて、犯人には一言物申したい気持ちはあるし。
 しかし彼は遠慮のない舌打ちをした。

「お前が来てどうする。足手まといだ、さっさと行け」

 シッシッと獣でも払うように片手で跳ねのけられる。
 何か力になれれば……と思ったのにこれは随分な仕打ちである……が、まぁ、足手まといなのも事実なわけで。シュンとしていると、再びミハイルさんが舌打ちした。

「……落ち着いたら迎えに行く」

 見上げたミハイルさんはこちらを見ていなかったし、ものすごい早口ではあったけれど。多分聞き間違いじゃない。

「お願いします。まだ掃除が終わってないんですから」

 胸騒ぎを押し殺して、なんとか笑ってみる。うまく笑えてるかはわからないけど、私を見てミハイルさんも少し笑った。
 ……心配では、あるけれど。でも、私がいる方がきっと足を引っ張ってしまうだろう。だから、お屋敷へと戻っていくミハイルさんに背を向ける。そして門を出ようとした、そのとき。


 ギィィィ、ガシャン!


 激しい音に驚いて顔を上げると、お屋敷の門が閉まっていた。

「な――何!?」

 見回しても幽霊の姿はない。なのに勝手に門が閉まってしまったのだ。
 開けようとしてもビクともしない。異変を察したミハイルさんが駆け戻ってきて、力任せに門を引くが、それでも動く気配はない。

「乗り越えられるか?」
「手伝ってもらっても、自信ないです……」

 門は結構な高さがあるし、足を掛けられそうなところもない。私にはとても無理そうだ。

「乗り越えたところで……無駄なんだろうな」

 ミハイルさんが呟いた意味がよくわかる。
 この屋敷からはもう逃さないという何者かの意志を感じる。無理に出ようとした方が危険な気がした。

「一緒に来てもらうしかなさそうだな。巻き込んですまない」
「いえ……、ミハイルさんの所為じゃないですし。わかりました」
「……俺から離れるなよ」

 言われなくとも、こんな状態のお屋敷で一人で行動する気になんてならない。はぐれないようにミハイルさんの服の裾を掴んでいると、ミハイルさんがそれを一瞥し、私の手首を掴んで外す。
 気を悪くしたかと謝りかけたとき――ぎゅっと手の平を握り直された。

「行くぞ」
「は、はい」

 半開きの玄関から、中は薄暗くてよく見えない。だけど扉を開いて、私もミハイルさんが息を飲んだのがわかった。私もまた、眉を顰める。絨毯はめくれ、壁は壊され、花瓶は割れて、瓦礫や破片がいたるところに散らばっている。私が初めてここにきたときより酷い有様だ。

「……おかしい」

 その様子を見て、ミハイルさんがますます険しい顔をし、固い声を上げる。

「幽霊は物に触れることはできないはずだ」
「でも、ライサやエドアルトさんみたいに、能力を使ったらできるんですよね?」
「無作為に荒らすなら可能だろう。だが……」

 改めて周囲を見回してみて、私はミハイルさんの言いたいことを察した。
 並んだ調度品は、倒れたものとそうでないものがある。花瓶は彫像に投げつけられた形で割れていて、絵画は人の顔部分だけが切り裂かれている。確かに、幽霊がやったよりも人為的な感じがする。

 やっぱり人間の仕業なのだろうか? いや、さっきミハイルさんが言った通り、それなら幽霊たちがもっと騒いでいるはず。どうして、こんなにシンとしているのだろう。

「みんな、いったいどこへ……」

 そう呟いた瞬間だった。突然真後ろに気配を感じたのは。
 でも、おかしい。私は、壁を背にしているのに。

「ミオ!」

 繋いだ手が勢いよく引かれる。つんのめって転倒しかけた私をミハイルさんが受け止める。振り返って、意識が遠くなりそうになった。壁から白い手が二本――こちらに向かって伸びていた。血まみれの、白い手が。

 かろうじて悲鳴を飲み込んだ。咄嗟に私を自分の後ろに押しやったミハイルさんの肩を、血まみれの手が掴む。そして、壁からぬるりと女性が姿を現して、彼の肩口に剥き出しの白い歯を突き立てた。

「ミハイルさんっ!」

 バッと血が飛び散る。しかしミハイルさんは冷静で、怯んだのはむしろ幽霊の方だった。 

『捉えよ!』

 彼の声に応じて、飛び散った血が鎖のように幽霊を縛り付け、動きを封じる。

「ミオ、走れ!!」
「はい!」

 手を引かれて、私は震える足で必死に走った。
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