幽霊屋敷の掃除婦

羽鳥紘

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第三十三話 淡い想い

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 掃除をすると、嬉々として答えたはいいものの。

「やっぱり伯爵以外には、私たちのこと見えてないみたいですね……」

 しょんぼりと言うと、変なものを見るようにミハイルさんは腕組みして私を見下ろした。

「だが掃除はするんだな……律儀な奴だ」
「だって物に触れることはできるんですよ。綺麗になってることに気が付いて、喜んでくれる人もいるし」
「だからってあまりでしゃばりすぎるなよ。お前が知らないうちに片づけるから幽霊屋敷になったとか、そういうオチならいいんだがな」

 呆れたようなミハイルさんの声。確かに、あまりに物を動かしすぎたら怪奇現象になってしまう。手を止めて、私は改めて屋敷の中を見回した。

 屋敷に入って一晩が過ぎた。故意でないとはいえ、人の生活を覗き見するのは居心地が悪い。休めるうちに休んでおけと言われて少し眠ったが、言った張本人のミハイルさんは眠った様子がない。

「ミハイルさんは休まなくて大丈夫なんですか?」
「いつ何が起こるかわからん。休んでなどいられるか」

 少し心配ではあったけれど、ミハイルさんにそう疲れは見られない。私自身も長く眠ったわけではないが、眠気も疲れもなければお腹もすかない。誰の目にも留まらないことも合わせて、本当に不思議な感覚だ。

「しかし、することがあっていいなお前は。……少し羨ましい」
「私が……ですか?」

 自慢じゃないが、人に羨まれるような要素などひとつもない。思わず怪訝な声を上げた私を見て、ミハイルさんが腕組みを解く。

「お前は伯爵の問いにすぐに答えられただろう。俺には何もないんだと、思い知った」

 彼は解いた手を開き、そこに視線を落とした。そこに自嘲と憂いが見えて、首を横に振る。

「掃除なんて誰にでもできます。ミハイルさんに何もないなんてことありません」
「生ぬるい気休めだ」
「そんな……つもりじゃ」

 冷たい声が返ってきて、口ごもる。
 確かに、気が利いたことは言えないけど……、それでも本当にそう思ったから、言ったのに。
 ちょっと悲しい気分になったそのとき、ふと目の前を見知った姿が横切った。

「エドアルトさん」

 一緒に扉を潜ったはずなのに、エドアルトさんもアラムさんも、すっかりこちらの人物になってしまった。
 今まで私たちと一緒にいたことなど綺麗に忘れてしまったかのように、その素振りも見せないし、私たちにも気が付かない。

 彼の表情はひどく強張っていて、私とミハイルさんは顔を見合わせると、どちらからともなく彼の後を追った。

 エドアルトさんは屋敷の一室の前で立ち止まると、その扉をノックする。
 中からライサの声で返事があると、彼は部屋の中に入っていった。
 覗き見をするようで気は引けるけど、私たちも後を追って中に入る。

「レイラ、体調はどうだ」
「お兄様。もう大丈夫です。わたしも伯爵にご挨拶をしなければ」

 ベッドの上で体を起こし、ライサが明るい声を上げる。エドアルトさんはややほっとした顔をしたけど、まだその表情は固い。しばし沈黙が辺りを包んだが、それを破ったのはライサの方だった。

「お兄様……お話があるのですが。わたしはライサとして生きていこうと思うのです」
「どうして。せっかく家を出たんだ。もう母上のことを気にしなくてもいいのに」
「わかっています。でもこれはわたし自身の……レイラの意志です。わたしがレイラとして生きていったら、ライサがいなくなってしまう。わたしもそれを受け入れるのが辛いのです。それに、母と妹を捨てたようで辛いのです。せめてもの贖罪として……わたしはライサでいたいの」

 ぎゅう、とぬいぐるみを――、妹が大事にしていたという形見のぬいぐるみを抱きしめ、彼女はしっかりとした口調でそう述べた。

「ですから、お兄様。どうかお兄様も、わたしのことはライサとお呼び下さい」

 俯くエドアルトさんの表情は見えない。でもなんとなく想像はつく。だから今でも、エドアルトさんはライサが自分を恨んでいると思い込んでいるんだ。ライサに、家族を捨てさせてしまったのは自分だと。

「……わかった。だがもう少し休んだほうがいい。次に目が覚めたら、一緒に伯爵に挨拶に行こう」

 顔を上げたエドアルトさんのその表情には、もう憂いはなかった。
 でも決して消えたわけではないのだろう。このあと何らかの悲劇が彼らを襲い、肉体と記憶のほとんどを失くしてしまっても、ずっとエドアルトさんは苦しみ続けているのだ。

 エドアルトさんがライサの髪を優しく撫でると、彼女は小さく頷いて、再びベッドに寝そべった。やがて規則正しい寝息が聞こえる頃、カタリと音がして扉が開く。

「ずいぶん顔色が良くなった。やはり疲れていたんだね」

 扉を押して、アラムさんが姿を現す。

「アラム。ありがとう、昨夜は助かった。君に会えていなかったらと思うとゾッとするよ」
「いや、ぼくは何もしていないよ。本当に、出番がなくて何よりだ」

 そう言って笑うアラムさんの笑顔に、だが、ふと陰りが混じる。

「……そう思う気持ちに偽りはないんだけどね。魔法があれば誰も病気や怪我に苦しむことなどなく生きていける。そう言われると怖くなるんだ。ぼくの存在を否定されたようで……、医者失格だな」

「いや、よくわかる。僕も戦うことは嫌いだったはずなのに、剣を捨てるのが今は怖い。こんな気持ちになるなんて、思いもしなかった」

 そうか、とアラムさんが切なそうに笑う。
 私も、なんだかわかる気がする。
 この世界に来たとき、あくせく掃除する必要なんてないんだってわかったとき。それはとても便利で素晴らしいことなのに、居心地の悪さに襲われた。だから村を出たんだ。
 掃除しなくてもいつもきれいなら、その方がいいはずだ。けど、元の世界でもそうなったら……私の仕事は必要なくなってしまう。

 みんなにとって良いことのはずなのに。私はそれを喜べる自信がない。

「二人の気持ちがわかる……といった顔だな」

 私の考えを読んだかのように、ミハイルさんが私を覗き込んで呟いた。

「俺は逆だ。ずっと魔法に憧れていた。誰も苦労せずに生きていけるなら、その方がいいに決まっていると……、そう思うのは、俺に何の信念もなかったからなんだろうな。何もせず、何も考えず生きていくのに都合がいいから。……屋敷の幽霊たちが魔法を嫌うのも、俺を受け入れないのも当然だ」

 私も、幽霊たちが魔法を嫌う理由はわかった。もともとこのお屋敷が、魔法に反対する人が集まって暮らしていた場所だったんだ。
 それに、確かにエドアルトさんやアラムさんの気持ちはわかる、気がする。だけどミハイルさんの言うことに同意する気にはなれなかった。

「みんなが苦労せずに生きていける方がいいと思うことの何が悪いんですか? 私はそういうミハイルさんの優しいところ、好きです」
「…………」

 気休めだと言われないように、できるだけの、精一杯の言葉を搔き集めた……つもりだったのだけど。彼は再び腕を組み、渋面に近い微妙な表情で、まじまじと私を見下ろした。

「……何言ってるんだ、お前」
「……何言ってるんでしょうか、私」

 言われて冷静に自分が言ったことをよくよく考えてみて――羞恥で死にそうになった。違う、そういう意味では。

「すみません。あの、気休めだと思われたくなくて……、何て言ったらちゃんと聞いてもらえるのかって、そればっかり考えてて、根本的配慮が」
「最近お前は少し後先考えなさすぎる。もう少し思慮深いと思っていたぞ。馬鹿なのか?」
「確かに、それは反省します。でもミハイルさんも、もう少し人の話は素直に聞いて下さい」

 ああ、つい余計な一言が。今まで言わないようにしていたのに。
 けど彼がそれについて苦言を言うことはなく。

「……悪かった。だが、ちゃんと聞いてないわけじゃない。気休めが聞きたいときくらいあるだろ、別に」
「……?」
「察しろよ……、くそ。お前の気休めが欲しくて弱音を吐いた。馬鹿は俺だ」

 よほど見られたくないのか、片手で顔を押さえながら、さらに顔を背ける。いや、さすがにそこまで察せるかという話だ、私はエスパーじゃない。
 というか、そっちこそ察して欲しいものだ。
 たしかに言葉に思慮が回ってなかった。けど無意識にそんなことを吐いてしまう程度には……、私は、多分。

「……だが、もうやめておく」

 それを口にしてしまおうか。
 そんな考えが過ぎったときだった。ミハイルさんの冷めた声が、その考えに歯止めをかける。

「お前には他に目的があるだろ。そのことだけ考えてろ」

 ガタ、と椅子を引く音に、現実に引き戻される。「回診の時間だ」と声を上げ、アラムさんが退室し、ミハイルさんもその後について部屋を出ていった。
 ……そうだ。私の目的は、元の世界へ帰ること。
 いま目の前に、元の世界へと通じるゲートが現れたなら、きっと私は迷わずそれに飛び込むだろう。そうしたら私は、ミハイルさんの元を去っていった人たちと同じになる。両親も、使用人も、婚約者も――みんな失くして、きっとミハイルさんは傷ついていたはず。

 小指に嵌めた指輪をぎゅっと右手で握りしめる。もう、余計なことを言うのはよそう。こんな気持ちを抱くのもやめよう。


 力になりたいと思えば思うほど、私もきっと傷つける。


「ミオ、早く来い。アラムを追うぞ」
「……はい」

 それ以上考えることをやめて、私はミハイルさんの後を追った。
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