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番外編(ミオ一人称)
過ぎた願い
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昼下がり。天気の良さも手伝って眠くなる時間帯。
睡魔と戦いながら、私は掃除に精を出していた。きっとお昼寝してても誰も咎めやしないんだろうけど……だからといって掃除の手を抜くわけにはいかない。することはいくらでもある。
何しろこんなに広いお屋敷で、使用人は私一人しかいないのだ。まだ全く手をつけられていない部屋も無数にある。水の入った桶を持ってその中の一つに手を掛けると、ガタッと音がして扉が傾いた。
見れば、上部の蝶番が外れている。
「うそ……また壊しちゃった」
経年劣化ではあると思うけど、こないだ椅子を壊したばかりだし、気まずい。
……これくらいなら、工具さえあれば直せるかな。
ひとまずそっと扉を閉めて、桶をその場に置き、私はリエーフさんを探すことにした。これからもこういうことはあるだろう。もし工具箱とかがあるなら借りておきたい。
しかしこんな時に限って、部屋にも庭にもキッチンにもリエーフさんの姿は見当たらなかった。
「リエーフさーん? どこですかー?」
思い当たるところは大体探した。もしかして街にでも出掛けたのだろうか? でもだとしたら、いつも必ず私に声を掛けてくれるのに。
もう他に心当たりがある場所は――
「ここだけ、なんだけど……」
ミハイルさんの部屋の前に立ち、私はノックをためらっていた。
もしリエーフさんがここにいるなら、声が聞こえてもいいはずだ。何の用もなく主人の部屋に居座るようにも思えない。いないなら訪ねても仕方ないし……もう一度今探した場所を当たってみよう。
そう思って手を下ろした瞬間、音を立てて扉が開いた。
「何か用か」
驚いてのけぞる私を見下ろして、ミハイルさんが無愛想に短く問う。どうやら部屋の前にいたこと、気付かれていたみたい。突然扉が開いた驚きに顔をひきつらせてのけぞったまま、問いかけに答える。
「い、いえ。ちょっとリエーフさんを探していて。ミハイルさんに用はないです」
「ほう……」
動揺のあまり余計な一言まで口走ってしまった。私を見る、ただでさえ目つきがいいとは言えない目が、ギロリとさらに吊り上がる。
「口のきき方を知らないと見える」
「雇い主の影響でしょうか」
「ッ、この……」
半眼で呻きながらミハイルさんが手を上げて、反射的に目を閉じ、首を竦める。
「――そんなに脅えなくてもいいだろ。別に殴ったりしない」
呆れたような声が降ってくる。その声に苛立ちや怒りのようなものは感じられなかったけれど、私は咄嗟に顔を覆った両腕を、まだどけられないでいる。
殴られるなんて思ってない。
もし触れられたら。これ以上近づかれたら。
そう思うだけで顔が火照りそうなのに気付かれたくなかっただけ。
「……リエーフに何の用だ」
ミハイルさんがそれた話を元に戻す。
「別に大したことじゃないです」
「俺には言えないのか」
「そういうわけじゃないですが……リエーフさんがどこにいるのか知ってるんですか?」
もちろん、ミハイルさんに言えないようなことじゃないんだけど。
はぐらかしたことは気付かれただろう。短い溜め息を挟むと、部屋の中に引き返しながらミハイルさんがそっけなく答える。
「恐らく裏の墓地だろう。今日は先代の命日だからな」
――閉じられかけた扉に、咄嗟に手をかけていた。
勢いよく閉じかけた扉から、ミハイルさんがひきつった顔で手を離す。
「ばっ……危ないだろうが!」
「ミハイルさんは行かないんですか?」
「行かん」
「どうして? 先代って、ミハイルさんのお父さんですよね?」
鋭い瞳がこちらを射抜く。さっきの睨みとは全然質が違う。泣く子も黙るどころか笑う子が泣くような冷たい顔をされても、だけど不思議なほどに怖いとは感じない。
「ミハイルさんがご両親とあまり関わりがなかったことは聞きましたが。でも命日くらいは顔を見せてもいいんじゃないですか?」
「俺の顔を見ても両親は喜ばん」
無表情で即答される。少し胸が痛んだがそれは表に出さず、扉を閉めたそうにしているのを隠しもしない彼の腕を掴んで阻止する。
「じゃあ嫌がらせに行きましょう」
「あのなぁ」
「その様子じゃ、ずっと行ってないんでしょう? 家族なのに寂しいじゃないですか」
「墓などただの記号に過ぎん。死人は何も思わない」
幽霊屋敷の当主とも思えない発言だけど。
「なら行っても支障ありませんよね?」
私の屁理屈に対し、ミハイルさんが鬱陶しそうに前髪を掻き上げる。……さすがに、少し調子に乗りすぎたか。
「すみません。……どうしても嫌なら、無理にとは。でも私は行きたいので場所を教えてもらえませんか」
予想外の返答だったのだろう。怪訝そうな眼差しを向ける彼に、理由を答える。
「私、ここで働けて良かったとおもってるので。お礼を言いたくて」
「雇っているのは俺なんだが」
「だから、ミハイルさんには感謝してるって言ってるじゃないですか」
「……感謝してる態度じゃないな」
呆れた声をその場に残して、扉を開け放したまま彼は部屋のなかに引っ込んだ。調子に乗ってしまったことを謝った直後にこれだ。彼が相手だと、どうにも取り繕うのを忘れてしまう。
再び謝るために開きかけた口を――ミハイルさんが椅子にかけてあった上着を羽織るのを見て――閉じる。
「……何を笑っている」
「いえ」
また睨まれて、慌てて口元に手をやる。彼は黙ったままだったが、部屋を出ると外から扉を閉め、歩き出した。
その後ろを黙ってついていく。
玄関を出るとお屋敷を迂回するようにミハイルさんは歩いて行く。こっちの方には来たことがなかったな。手入れされずに生い茂る木々や草のずっと向こうに、揺れる銀色の尻尾が見える。
「リエ……」
「馬鹿、呼ぶな」
名前を呼び掛けた私の口を押さえて、ミハイルさんに引っ張られ木の影に隠れる。
「俺が先代の墓に来たことがバレたら泣いて喜ばれる。面倒だからあいつが帰るまで……」
声が近すぎて、逆に何を言ってるのかわからない。
耳に直に届く声、口を覆う大きな手、後頭部に触れる硬い体が、全身の血を沸騰させる。
「は、離し……」
「あ、すまん」
ようやく少し手の力が緩まった隙をついて、なんとかそれだけ訴える。今までリエーフさんをガン見していたミハイルさんが、それでようやく私の様子に気づいて手を離してくれる。それから、リエーフさんに注意を向けながらも少し距離を取ってくれた。
「……慣れないな、お前」
「すみません! さ、三人も婚約者がいたりしなかったので!」
「静かにしろ、リエーフに気づかれる。……三人同時にいたみたいな言い方やめろ。全部破談だぞ、嫌味か」
「破談でもいただけマシじゃないですか。私なんて一度も」
「それは良かった」
「嫌味ですか!?」
私が声を荒げそうになる度、ミハイルさんが焦ったように視線を伸ばす。
「もう少しだけ静かにしててくれ。こんなところを見つかれば余計にめんどくさいことになる」
「それは……困ります」
「聞き分けが良くて何よりだ」
声を潜め、身を縮めた私を見て、まるで子供でも褒めるような口調でミハイルさんが目を細める。しばらく黙って座っていたけど、一向にミハイルさんが動き出す様子はない。まだリエーフさんはお墓にいるんだろうか。私がリエーフさんを探し始めて結構経つ気がするんだけど、お参りってそんなに時間が掛かるものなのかな。お経でも上げるのか?
気になったし、いい加減間がもたなくなってきたので、声の音量に注意しながら隣に向かって聞いてみる。
「リエーフさんて、お墓で何してるんですか?」
「俺の不甲斐なさの報告でもしてるんだろう」
「なるほど……それは時間がかかりそうですね」
「口塞ぐぞお前」
「あ、ち、違いますよ、ミハイルさんを貶したわけじゃないです。……家族のことを報告するのは大事なことだからって言いたかったんです。本当ですよ」
慌てて弁明すると、何故か余計に彼は渋面になった。
「家族家族と。お前はよほど家族に恵まれているんだろうな」
「別にそういうわけじゃないですけど」
「俺なら、他の世界から屋敷に戻りたいなどとは思わん……いや、環境によるな。この屋敷にいるくらいならばそりゃ帰りたいだろう」
「それも、そういうわけじゃないです。私……このお屋敷好きですよ。みんな私が掃除をしたら喜んでくれるから。だからこそ帰らなきゃいけないと思うんです」
「……? どういうことだ」
怪訝そうに私を見るミハイルさんを、ちらりと横目で見る。
……ミハイルさんが自分のことをほとんど語らない以上に、私も自分のことはほとんど何も話してこなかった。ミハイルさんも私が言わないことは聞かなかった。
「父はずっと仕事してなくて。弟もほとんど部屋から出てこないし、私が家族を支えないと母が泣くから……帰らなきゃ」
「…………そうか」
ミハイルさんは何も言わない。時折揶揄することはあっても、怒ったり否定したり、追及したりしてこない。
だからつい……余計な一言が出てしまう。
「すまん。何もしていない俺が屋敷に戻りたくないなどと……不快にさせたな」
「いえ、そんな。それに……」
ミハイルさんを見上げて、少しだけ、私は笑った。
「ミハイルさんも、きっと戻ろうとします」
「何故そう思う」
「優しいから、ミハイルさんは」
「下手な世辞だ。リエーフしか頼らないくせに」
不貞腐れたような返事に、綻びそうになる口元を引き締める。
……ミハイルさんはわかってない。
扉が壊れているから直すと言えば、きっと自分ですると言い出すだろう。そんな気がする。私の身長では椅子か何かに乗らないと修理の難しい場所だし、掃除の仕事ともちょっと違う。
それでも使用人を押し退けて主人がやることじゃないだろう。
本人にそのつもりはなくとも、もう充分頼ってしまってる。助けてもらったのも一度や二度じゃない。
庭の果実を欲しいとせがんだとき。
アラムさんたちがおかしくなったとき。
挫けそうだったとき泣きたければ泣けと言ってくれたときも。
椅子から落ちたとき、パンを焦がしてしまったとき。そんな些細なことでさえも。
その自覚のない優しさに、これ以上甘えてはいけない気がする。
「……ようやくリエーフが帰ったな。さ、行くぞ」
だから……差し出された手は取らない。
黙って立ち上がる私に何を言うでもなく、ミハイルさんも歩き出す。
私のすることを、彼はいつだって否定したりしない。それが、ただ深く関わりたくないだけだとしても……私には心地好い。
彼も、私はいつかいなくなるから楽だと言っていた。これは、この距離だから保てている心地好さだ。
だとしても……ここにこられて良かったと。会えて良かったと。そう彼の家族に伝えてお礼を言いたいと思ったのだ。例え記号でも、彼にとって意味のないことでも。
それもきっと、私には過ぎた願い事。
睡魔と戦いながら、私は掃除に精を出していた。きっとお昼寝してても誰も咎めやしないんだろうけど……だからといって掃除の手を抜くわけにはいかない。することはいくらでもある。
何しろこんなに広いお屋敷で、使用人は私一人しかいないのだ。まだ全く手をつけられていない部屋も無数にある。水の入った桶を持ってその中の一つに手を掛けると、ガタッと音がして扉が傾いた。
見れば、上部の蝶番が外れている。
「うそ……また壊しちゃった」
経年劣化ではあると思うけど、こないだ椅子を壊したばかりだし、気まずい。
……これくらいなら、工具さえあれば直せるかな。
ひとまずそっと扉を閉めて、桶をその場に置き、私はリエーフさんを探すことにした。これからもこういうことはあるだろう。もし工具箱とかがあるなら借りておきたい。
しかしこんな時に限って、部屋にも庭にもキッチンにもリエーフさんの姿は見当たらなかった。
「リエーフさーん? どこですかー?」
思い当たるところは大体探した。もしかして街にでも出掛けたのだろうか? でもだとしたら、いつも必ず私に声を掛けてくれるのに。
もう他に心当たりがある場所は――
「ここだけ、なんだけど……」
ミハイルさんの部屋の前に立ち、私はノックをためらっていた。
もしリエーフさんがここにいるなら、声が聞こえてもいいはずだ。何の用もなく主人の部屋に居座るようにも思えない。いないなら訪ねても仕方ないし……もう一度今探した場所を当たってみよう。
そう思って手を下ろした瞬間、音を立てて扉が開いた。
「何か用か」
驚いてのけぞる私を見下ろして、ミハイルさんが無愛想に短く問う。どうやら部屋の前にいたこと、気付かれていたみたい。突然扉が開いた驚きに顔をひきつらせてのけぞったまま、問いかけに答える。
「い、いえ。ちょっとリエーフさんを探していて。ミハイルさんに用はないです」
「ほう……」
動揺のあまり余計な一言まで口走ってしまった。私を見る、ただでさえ目つきがいいとは言えない目が、ギロリとさらに吊り上がる。
「口のきき方を知らないと見える」
「雇い主の影響でしょうか」
「ッ、この……」
半眼で呻きながらミハイルさんが手を上げて、反射的に目を閉じ、首を竦める。
「――そんなに脅えなくてもいいだろ。別に殴ったりしない」
呆れたような声が降ってくる。その声に苛立ちや怒りのようなものは感じられなかったけれど、私は咄嗟に顔を覆った両腕を、まだどけられないでいる。
殴られるなんて思ってない。
もし触れられたら。これ以上近づかれたら。
そう思うだけで顔が火照りそうなのに気付かれたくなかっただけ。
「……リエーフに何の用だ」
ミハイルさんがそれた話を元に戻す。
「別に大したことじゃないです」
「俺には言えないのか」
「そういうわけじゃないですが……リエーフさんがどこにいるのか知ってるんですか?」
もちろん、ミハイルさんに言えないようなことじゃないんだけど。
はぐらかしたことは気付かれただろう。短い溜め息を挟むと、部屋の中に引き返しながらミハイルさんがそっけなく答える。
「恐らく裏の墓地だろう。今日は先代の命日だからな」
――閉じられかけた扉に、咄嗟に手をかけていた。
勢いよく閉じかけた扉から、ミハイルさんがひきつった顔で手を離す。
「ばっ……危ないだろうが!」
「ミハイルさんは行かないんですか?」
「行かん」
「どうして? 先代って、ミハイルさんのお父さんですよね?」
鋭い瞳がこちらを射抜く。さっきの睨みとは全然質が違う。泣く子も黙るどころか笑う子が泣くような冷たい顔をされても、だけど不思議なほどに怖いとは感じない。
「ミハイルさんがご両親とあまり関わりがなかったことは聞きましたが。でも命日くらいは顔を見せてもいいんじゃないですか?」
「俺の顔を見ても両親は喜ばん」
無表情で即答される。少し胸が痛んだがそれは表に出さず、扉を閉めたそうにしているのを隠しもしない彼の腕を掴んで阻止する。
「じゃあ嫌がらせに行きましょう」
「あのなぁ」
「その様子じゃ、ずっと行ってないんでしょう? 家族なのに寂しいじゃないですか」
「墓などただの記号に過ぎん。死人は何も思わない」
幽霊屋敷の当主とも思えない発言だけど。
「なら行っても支障ありませんよね?」
私の屁理屈に対し、ミハイルさんが鬱陶しそうに前髪を掻き上げる。……さすがに、少し調子に乗りすぎたか。
「すみません。……どうしても嫌なら、無理にとは。でも私は行きたいので場所を教えてもらえませんか」
予想外の返答だったのだろう。怪訝そうな眼差しを向ける彼に、理由を答える。
「私、ここで働けて良かったとおもってるので。お礼を言いたくて」
「雇っているのは俺なんだが」
「だから、ミハイルさんには感謝してるって言ってるじゃないですか」
「……感謝してる態度じゃないな」
呆れた声をその場に残して、扉を開け放したまま彼は部屋のなかに引っ込んだ。調子に乗ってしまったことを謝った直後にこれだ。彼が相手だと、どうにも取り繕うのを忘れてしまう。
再び謝るために開きかけた口を――ミハイルさんが椅子にかけてあった上着を羽織るのを見て――閉じる。
「……何を笑っている」
「いえ」
また睨まれて、慌てて口元に手をやる。彼は黙ったままだったが、部屋を出ると外から扉を閉め、歩き出した。
その後ろを黙ってついていく。
玄関を出るとお屋敷を迂回するようにミハイルさんは歩いて行く。こっちの方には来たことがなかったな。手入れされずに生い茂る木々や草のずっと向こうに、揺れる銀色の尻尾が見える。
「リエ……」
「馬鹿、呼ぶな」
名前を呼び掛けた私の口を押さえて、ミハイルさんに引っ張られ木の影に隠れる。
「俺が先代の墓に来たことがバレたら泣いて喜ばれる。面倒だからあいつが帰るまで……」
声が近すぎて、逆に何を言ってるのかわからない。
耳に直に届く声、口を覆う大きな手、後頭部に触れる硬い体が、全身の血を沸騰させる。
「は、離し……」
「あ、すまん」
ようやく少し手の力が緩まった隙をついて、なんとかそれだけ訴える。今までリエーフさんをガン見していたミハイルさんが、それでようやく私の様子に気づいて手を離してくれる。それから、リエーフさんに注意を向けながらも少し距離を取ってくれた。
「……慣れないな、お前」
「すみません! さ、三人も婚約者がいたりしなかったので!」
「静かにしろ、リエーフに気づかれる。……三人同時にいたみたいな言い方やめろ。全部破談だぞ、嫌味か」
「破談でもいただけマシじゃないですか。私なんて一度も」
「それは良かった」
「嫌味ですか!?」
私が声を荒げそうになる度、ミハイルさんが焦ったように視線を伸ばす。
「もう少しだけ静かにしててくれ。こんなところを見つかれば余計にめんどくさいことになる」
「それは……困ります」
「聞き分けが良くて何よりだ」
声を潜め、身を縮めた私を見て、まるで子供でも褒めるような口調でミハイルさんが目を細める。しばらく黙って座っていたけど、一向にミハイルさんが動き出す様子はない。まだリエーフさんはお墓にいるんだろうか。私がリエーフさんを探し始めて結構経つ気がするんだけど、お参りってそんなに時間が掛かるものなのかな。お経でも上げるのか?
気になったし、いい加減間がもたなくなってきたので、声の音量に注意しながら隣に向かって聞いてみる。
「リエーフさんて、お墓で何してるんですか?」
「俺の不甲斐なさの報告でもしてるんだろう」
「なるほど……それは時間がかかりそうですね」
「口塞ぐぞお前」
「あ、ち、違いますよ、ミハイルさんを貶したわけじゃないです。……家族のことを報告するのは大事なことだからって言いたかったんです。本当ですよ」
慌てて弁明すると、何故か余計に彼は渋面になった。
「家族家族と。お前はよほど家族に恵まれているんだろうな」
「別にそういうわけじゃないですけど」
「俺なら、他の世界から屋敷に戻りたいなどとは思わん……いや、環境によるな。この屋敷にいるくらいならばそりゃ帰りたいだろう」
「それも、そういうわけじゃないです。私……このお屋敷好きですよ。みんな私が掃除をしたら喜んでくれるから。だからこそ帰らなきゃいけないと思うんです」
「……? どういうことだ」
怪訝そうに私を見るミハイルさんを、ちらりと横目で見る。
……ミハイルさんが自分のことをほとんど語らない以上に、私も自分のことはほとんど何も話してこなかった。ミハイルさんも私が言わないことは聞かなかった。
「父はずっと仕事してなくて。弟もほとんど部屋から出てこないし、私が家族を支えないと母が泣くから……帰らなきゃ」
「…………そうか」
ミハイルさんは何も言わない。時折揶揄することはあっても、怒ったり否定したり、追及したりしてこない。
だからつい……余計な一言が出てしまう。
「すまん。何もしていない俺が屋敷に戻りたくないなどと……不快にさせたな」
「いえ、そんな。それに……」
ミハイルさんを見上げて、少しだけ、私は笑った。
「ミハイルさんも、きっと戻ろうとします」
「何故そう思う」
「優しいから、ミハイルさんは」
「下手な世辞だ。リエーフしか頼らないくせに」
不貞腐れたような返事に、綻びそうになる口元を引き締める。
……ミハイルさんはわかってない。
扉が壊れているから直すと言えば、きっと自分ですると言い出すだろう。そんな気がする。私の身長では椅子か何かに乗らないと修理の難しい場所だし、掃除の仕事ともちょっと違う。
それでも使用人を押し退けて主人がやることじゃないだろう。
本人にそのつもりはなくとも、もう充分頼ってしまってる。助けてもらったのも一度や二度じゃない。
庭の果実を欲しいとせがんだとき。
アラムさんたちがおかしくなったとき。
挫けそうだったとき泣きたければ泣けと言ってくれたときも。
椅子から落ちたとき、パンを焦がしてしまったとき。そんな些細なことでさえも。
その自覚のない優しさに、これ以上甘えてはいけない気がする。
「……ようやくリエーフが帰ったな。さ、行くぞ」
だから……差し出された手は取らない。
黙って立ち上がる私に何を言うでもなく、ミハイルさんも歩き出す。
私のすることを、彼はいつだって否定したりしない。それが、ただ深く関わりたくないだけだとしても……私には心地好い。
彼も、私はいつかいなくなるから楽だと言っていた。これは、この距離だから保てている心地好さだ。
だとしても……ここにこられて良かったと。会えて良かったと。そう彼の家族に伝えてお礼を言いたいと思ったのだ。例え記号でも、彼にとって意味のないことでも。
それもきっと、私には過ぎた願い事。
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※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。
最新話、死霊使いの方を読んで、久しぶりの幽霊屋敷でした。
この頃のミオさんと死霊使いのミオさん、両方見ていると少し複雑な感覚です。死霊使いのミハイルさんもこんな気持ちなのかもしれない…と感じました。
幽霊屋敷もいずれかのタイミングでまた読み直したいです。
あちらもこちらもお付き合い下さり誠にありがとうございます…!
こっちのミオは、屋敷の人たちと一から関係を築いてきているからか、私も書きやすさがあります。ミハイルは、まぁ、複雑でしょうね!
なんというか、その彼らの微妙な心情まで思いを馳せて頂けてとても幸せです。
ひっ、読み直して頂けるとか恐れ多い…!とても幸せでございます。お言葉だけでも幸せですー!ありがとうございます~!!
番外編まで読破しました。
ミハイルとライサの関係性がなんとも不器用で、可愛くて、微笑ましい感じがしました。
不器用同士仲良くなる日が……来ないな……たぶん……
続編の方でもライサとミオ、仲良くなってほしいなぁ!
早速番外編お読み下さりありがとうございます!!
多分一生犬猿の仲だと思います!!まぁライサの方は彼女なりの愛情表現なんですけど…
ありがとうございます!続編でも彼女が出てきてくれたらギスギスした雰囲気が……もっとギスギスしそう♡
ご感想ありがとうございます! 初めてのweb小説に私の作品を読んで頂けまして光栄です。1話辺りの文字数やテンポなどはかなり気にして書いていたので丁度良いというお言葉を頂けて嬉しいです。紙には紙の、webにはwebの魅力があると思っているので、それを感じて頂けたこともまた嬉しいことの一つです。
実は私もそんなに掃除が得意ではないので、執筆中色々調べたり掃除しながら書いていました。おかげで書いている間は家がとても綺麗でした(ノ´∀`*)
実はダークでシリアス、だけどコメディ調に重くならずさくっとが自分が書きやすいところであったりして…、商業ではレーベル的に暗く重くならないようにしていましたが、好みと言ってもらえてほっとしました。何よりほっとしましたのが、結末はあれで良かったんだろうかとかなり悩んでいたので、1000点満点を貰えて本当に幸せです。番外編まで読んで下さり、ありがとうございました! 本編はずっとミオだったので三人称私も新鮮な気持ちで書けました。最後までお付き合い下さり本当にありがとうございます!
また新作でもお会いできましたら幸いですm(_ _"m)