俺とクロのカタストロフィー

munetaka

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66.クレジットカード以外のキャッシュレス決済の普及率が高い国(先進国をの除く)はニセ札に注意

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リンの実家に到着してから数日が経ったある朝、俺はひとりでハルピンの街を散策することにした。リンは母親と一緒に親戚の家に挨拶回りに出かけていて、俺に「颯はゆっくり街を見て回ってね」と優しく声をかけて出て行った。リンの父も今日は仕事が忙しく、家に誰もいなくなったため、俺は自分のペースでハルピンの街並みを楽しむことに決めた。
家を出ると、初夏とはいえ朝の空気は清涼感があり、肌に心地よい風が流れていた。リンの実家から中央大街までは徒歩で30分ほどだ。スマートフォンのマップを開き、散歩がてら歩き出した。
中央大街に着くと、朝早いにも関わらず多くの人が行き交い、露店が賑やかに店を広げていた。リンから、「ここは観光客も多いからスリに気をつけてね」と散々注意されていたので、俺は財布を上着の内ポケットにしっかりしまい込んだ。
赤レンガの建物が並ぶ大通りには、土産物店や地元のスナック、そして名物のハルピンソーセージを売る露店が点在している。独特な香辛料の香りが食欲をそそり、胃袋を刺激してくる。
「ちょっと何か食べてみようかな……」
そう思いながらいくつかの店を眺めていると、年配の女性が営む小さな土産物店が目に入った。小さな赤い布を敷いた露店には、かわいいパンダのぬいぐるみやロシア風のキーホルダー、カラフルな刺繍入りのポーチなどが並んでいる。リンへのお土産にちょうどいいかもしれない。
「这个多少钱?」(これはいくらですか?)と俺は、パンダのぬいぐるみを手に取って尋ねた。
年配の女性は笑顔で、「五十块钱」(50元だよ)と答える。
正直、少し高い気がしたが、観光地価格だろうと思い、素直に財布を取り出して100元札を手渡した。お釣りを受け取るとき、俺は受け取った50元札を無意識にポケットにしまった。ぬいぐるみを袋に入れてもらい、店を後にする。
中央大街を抜け、次は松花江沿いの公園を歩いた。美しい川の流れを眺めながらベンチに座っていると、小腹が空いてきたことに気付く。
「何か食べようかな……」
そう呟くと、目の前に「冰糖葫芦」(糖葫芦)の屋台が現れた。赤く艶やかなフルーツが串刺しにされ、キラキラした飴が表面を覆っている。リンが教えてくれた中国北方の伝統的なおやつだ。
「给我一个冰糖葫芦」(ひとつください)と店主に声をかけ、ポケットにしまっていた50元札を手渡した。
すると、店主の表情がみるみる険しくなり、「喂,你给我的是假钱吧?」(おい、これは偽札だろ?)と突然怒り出した。
俺は何が起きたのかわからず戸惑った。
「え?なんですか?」と日本語で返してしまったが、店主の怒気は一層増した。
「假的!这是假的!」(偽札だ!これは偽札だ!)と彼は大声で騒ぎ始め、周囲の視線が一斉に俺に集中する。
俺は焦って、「不是,我不知道!」(違います、知らなかったんです!)と必死に否定したが、店主はまったく聞き入れない。
その騒ぎを見ていた近くの警官がすぐさま駆け寄ってきた。
「怎么了?发生什么事了?」(どうした?何があった?)
店主は即座に警官に向かって俺が偽札を使おうとしたことを訴えた。警官は怪訝な表情で俺を一瞥すると、低く厳しい声で言った。
「你的护照呢?跟我走一趟」(パスポートを見せろ。一緒に来てもらうぞ)
心臓が早鐘を打ち、背中に冷たい汗が流れた。リンもリンの家族もここにはいない。何も悪いことをしていないのに、俺はこのまま拘束されるのか。
「等一下,这是误会!」(ちょっと待ってください、誤解です!)必死で抵抗したが、警官は俺の腕を掴んだままパトカーに押し込んだ。
パトカーの中で俺は震える手でスマホを取り出し、リンにメッセージを送った。
「ごめん、なんか偽札使ったって誤解されて公安に連れて行かれた」
スマホの画面を凝視したが、メッセージの返信はすぐにはなかった。
窓の外に流れる哈爾濱の美しい街並みとは裏腹に、俺の頭の中は恐怖と混乱でいっぱいだった。
「どうしてこんなことになったんだよ……」
思わず日本語で呟いたが、その言葉はむなしくパトカーの静かな車内に消えていった。
パトカーは街の喧騒を離れ、いくつかの交差点を抜けると古びたビルの前で静かに停車した。窓から外を眺めると、そこは白いペンキがところどころ剥げ落ち、窓には鉄格子がはめ込まれた、いかにも不穏な雰囲気を漂わせる建物だった。パトカーのドアが重々しく開き、俺は警官に腕を掴まれながら無言のままその中へと連行された。
ビルの中は薄暗く、蛍光灯がちらついている。コンクリートの壁に囲まれた無機質な廊下を通り、小さな尋問室のような部屋に案内された。そこにはテーブルと硬い椅子が向かい合わせに置かれているだけで、壁には一枚の鏡がかかっている。おそらくマジックミラーだろう。映画やドラマでしか見たことのない状況に、自分が巻き込まれているという現実が、俺の心臓を嫌なリズムで叩き始めた。
「坐下」(座れ)
警官の冷たい声に促され、椅子に腰掛ける。金属の冷たさが背筋を凍らせるように伝わってきた。俺の向かいにはもう一人の警官が座り、険しい目つきでこちらをじっと睨んでいる。 
「名字?」(名前は?)
警官の低い声が尋問室に響く。俺は慌てて胸ポケットからパスポートを取り出し、震える手でテーブルの上に置いた。
「涼风飒……我真的什么都不知道。我是从日本来的游客,真的不清楚这是假币。」(涼風颯です。本当に何も知りません。日本から来た観光客で、偽札だとは本当に知らなかったんです。) 
警官は俺のパスポートを無言で眺めながら、何度もページをめくり、詳細を確認しているようだった。その視線は鋭く、まるで俺が凶悪犯であるかのように疑ってかかっている。
「你的中文倒是说得不错啊。你一个日本人,怎么会拿到假钞的?」(中国語はなかなか上手だな。日本人のお前が、どうやって偽札を手に入れたんだ?)
俺は必死で説明を試みる。 
「我是在中央大街的小店里买东西时找零拿到的。当时没注意到是假钱。」(中央大街の小さな土産物屋で買い物をした時にお釣りでもらったんです。その時は偽札だなんて全く気づきませんでした。)
警官は眉間に深いしわを寄せながら、「中央大街的小店?你确定是哪家店吗?」(中央大街の小店だと?どの店か覚えているか?)と問い詰めてきた。 
俺は混乱した頭で記憶を辿るが、正直、店の外観や店主の顔をはっきりと思い出せなかった。観光客向けの小さな店が連なる中央大街で、特に特徴のない土産物屋だったからだ。
「很抱歉,我真的记不清楚了……」(申し訳ありません、本当に思い出せなくて……)
警官の表情が更に険しくなるのがわかる。彼は俺のパスポートを手元の書類と共に乱暴に置き、少し苛立ったような口調で続けた。
「你明白吗?使用假钞是严重的罪行,更何况你是外国人。如果没有人帮你证明你的说法,我们不得不拘留你。」(わかっているのか?偽札の使用は重大な犯罪だ。ましてや君は外国人だ。君の話を証明できる人物が現れなければ、君を拘留せざるを得ない。) 
拘留。その言葉に俺の血の気が引いた。こんな異国の地で拘束されるなど考えただけでも恐ろしい。
「我能不能打个电话?」(電話をかけさせてもらえませんか?)と震える声で懇願した。 
警官は少し考える素振りを見せた後、小さく頷いた。「给你五分钟」(5分だけだ)
俺はスマートフォンを震える手で取り出し、すぐにリンの番号を呼び出した。呼び出し音が三回鳴った後、リンの焦ったような声が耳に飛び込んできた。
「颯!你没事吧?我刚看到你的消息,现在爸爸正在想办法帮助你!」(颯!大丈夫なの?今メッセージ見たよ。今パパが助ける方法を考えてくれてるから!) 
その声を聞いて、俺の胸の中で絡まり合っていた不安が少しだけほぐれた。
「谢谢,拜托你了,我现在被带到了公安局,他们不相信我的解释。」(ありがとう、頼むよ。今公安に連れて来られていて、俺の説明を信じてもらえないんだ。) 
リンは少しだけ黙った後、落ち着いた声で言った。「颯,你先不要慌。我爸爸认识很多人,一定能帮你解决这件事。你保持冷静,不要做出任何过激的行动。」(颯、とりあえず慌てないで。パパはたくさんの人脈があるから、絶対に解決できるよ。冷静にして、絶対に過激な行動を取らないでね。)
リンの言葉は俺にとって唯一の希望だった。俺は静かに息を吸い込み、気持ちを整えるよう努めた。 
「好,我知道了。」(わかった。)
電話が切れると、警官は冷淡な目で俺を見つめた。 
「你有亲属在中国?」(中国に親族がいるのか?)
「是的,我的未婚妻是中国人,她的家人在哈尔滨有自己的企业。」(はい、婚約者が中国人で、彼女の家族がハルピンで企業を経営しています。) 
警官はわずかに眉を上げ、書類に何かを書き込みながら、「这样啊,那希望他们能够迅速过来证明你的身份,否则你可能得在这里待上一阵子了。」(そうか。じゃあ、彼らがすぐに来て君の身元を証明してくれることを願おう。さもなければ、しばらくここにいてもらうことになるだろうな。)
俺は言葉を失ったまま、警官の無表情な顔を見つめるしかなかった。部屋の重苦しい空気が再び俺を取り囲み、時間が永遠に止まってしまったかのように感じられた。
この異国の地で、ただリンと彼女の父が助けに来てくれることを願いながら、俺は椅子に力なく背を預けるしかなかった。
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