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第二章
第4話 フィアローディ一家の想い
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魔王の幹部の一人、魔鬼バルガレウスを滅ぼしたその日の夜。
フィアローディ伯爵家は、その日の大忙しの業務を何とか終え、ようやく屋敷で一同が顔を合わせる事となった。
「ふうっ……」
「お疲れ様でございます。父上」
「うむ」
ソファに座り一息ついたジェイク伯爵に、セリウスがお茶を淹れ、伯爵の前に置いた。
本来ならば、屋敷のメイドの仕事なのだが、今回ばかりは人払いをさせてのきわめて重要な、かつ秘密の会議である。よほど信用できる者以外は、この場に立ち入らせることは出来なかった。
幸い、北門での一件は、領民には見られてはいなかった。
アイシャのあの力を目撃したのは、その場にいた、伯爵、セリウス、ディアス、リーシャを除けば、北砦のディアス隊の副隊長と、テントから出るに出られなかった救護兵のみであった。
伯爵は、二人に口止めをし、聖女の旅立ちまで無事に隠し通した暁には、重く恩賞を取らせることを約束した。そして、すかさず国王陛下に早馬を飛ばした。聖女となった者は、この国の最も重要な、最も高位の人間に値する。そこに、爵位も、親も関係ないのだ。アイシャの今後については、国王陛下の指示を仰がなくてはならなかった。
「さて、如何いたしましょうか、父上」
セリウスはそう言って、今この場にいる人間の顔を見渡した。
伯爵、セリウス、ディアス、そして宰相のドイルが、今、この場には居た。
伯爵夫人であるエイラは、娘たちの部屋でリーシャと共に、まだ目覚めないアイシャを看ていた。
「如何いたしましょう、とは?」
「アイシャの今後についてです」
「……どうもこうも無い」
セリウスの言葉に、伯爵はトーンを落としてそう返すしかなかった。
昔から、聖女の話はよく聞いていた。むしろ、この国の人間で、その話を聞かずに育つことの方が難しいくらいである。しかし、まさかそれが、実の娘に、しかもたかだか8歳の娘の身に降りかかるなどとは、誰が想像できようか。
「アイシャは、いずれ、旅に出なくてはならない。魔王を滅ぼすための旅に。それは決定事項だ。親兄弟の気持ちなど関係ない」
「……父上」
目頭を押さえ、言葉を絞り出す父を見て、セリウスにはその苦悩が痛いほどわかった。彼も伯爵と同じ気持ちだったからだ。
「人見知りで、怖がりで、いつもリーシャや私の後ろに隠れているようなあの子が、この世界の人々の運命と責任をただ一人背負って、厳しい戦いに挑まなくてはならないなんて。そんなの、そんなの……」
「セリウス、分かっておる! 私だって、アイシャを、愛する娘を旅になど行かせたくない。出来る事なら変わってやりたい。しかし、これは運命なのだ。アイシャだけではない。同様に各地で、聖女と共に戦う運命を背負って生まれる『魔法使い』たちも、そしてその家族たちもまた我々と同じなのだ。聖女の親兄弟である我々が駄々をこねてよい時ではない」
「……旦那様、セリウス様。せめて、旅立つその日まで、アイシャお嬢様に、出来る限りのことをして差し上げましょう」
娘の運命に嘆く伯爵と長兄に、宰相のドイルはそう声を掛けるしかなかった。
「あの……父上、兄上」
それまで黙って話を聞いていたディアスが重い口を開いた。
「アイシャは、アイシャなんですよね」
「どういう意味だ?」
伯爵には、ディアスのその発言の意図が分からなかった。
「アイシャは、あの、バルガレウスとかいう魔物と対峙した時、まるで、今までのアイシャとは別人の様でした。聖女の力に目覚めて、もしかしたら、アイシャは、僕たちの知っているアイシャじゃなくなってしまったなんて、そんなことは無いですよね」
ディアスは、バルガレウスを目の前にして何も出来なかった。ただ無力に、全てを投げ捨てて逃げ惑うことしか出来なかった。そればかりか、二度目には、腰を抜かして失禁してしまったのだ。でも、それは致し方なかった。あのような恐怖にさらされれば、誰だってそうなってもおかしくはない。
しかし、アイシャは、全く臆することなく、まるで大の大人が子供の前に立つかのような身軽さで、バルガレウスに対峙したのだ。例え聖女の力に目覚めていたとしても、8歳の少女に出来る事だとは到底思えなかった。
ディアスの言葉に、伯爵もセリウスも言葉を失った。
(「もしもうしろのざこ一匹でもわたしにけしかけたなら、ばるがれうす、おまえはころす、かくごしたほうがいい」)
(「おまえなんて、いつでもころせる」)
たしかに、あの時アイシャはバルガレウスにそう言った。
それは、今までのアイシャであれば、ひっくり返っても出てこないような言葉であった。
「なに、きっと大丈夫さ。聖女の力に目覚めてからも、アイシャは我々の事を、父上様、兄上様と言った。少なくとも、全く別の人間になってしまったという事ではあるまい」
「ああ、セリウスの言う通りだ。それに、例え人格が変わろうとも、アイシャはアイシャだ。私の大切な娘であることに変わりは無い」
「……そう、ですよね。すみません、父上、兄上」
コンコン。
ディアスがそう謝罪の言葉を述べた時、部屋の扉が控えめにノックされた。伯爵がドアに向かって入室を促すと、エイラ夫人に連れられて、リーシャとアイシャが姿を現した。
「あなた、アイシャが目を覚ましましたわ」
そうして姿を現したアイシャは、リーシャの陰に隠れ、人前に出る事をためらう、いつも通りのアイシャだった。それを見て、ディアスは少し胸をなでおろした。
アイシャの姿を見た伯爵達は、思わず立ち上がり、そして娘を迎え入れた。
「おお、アイシャ、良かった、目覚めたか!」
「アイシャ、良かった!」
「あ、その……はい、父上様、兄上様」
伯爵は、娘に近寄ると、ゆっくりと片膝をついた。そしてアイシャの手を取り、彼女の目を見ながら言った。
「アイシャ、ありがとう。お前がいなければ、私も、セリウスも、ディアスも、そしてこの街の皆も、全員命は無かった。お前の勇気ある行動に、フィアローディ伯爵として、千の感謝を」
「あ、いえ、その……はい」
例え娘であっても、一人の人間に多くの命を救われたのだ。それに対する筋は、伯爵として、そして領主として通さない訳にはいかなかった。
「さあ、アイシャこちらに座ってくれるかな。もしも疲れている様であれば、明日でも構わないが?」
「いいえ、大丈夫です、兄上様」
セリウスの言葉に、アイシャは頭《かぶり》を振り、促されるままにソファに座った。それを認めると、残った全員も、各々、開いている席に座った。一人分だけ椅子が足りなかったので、宰相のドイルだけが立っている格好となった。
「さて、アイシャ、すまないが色々と聞いても良いかな?」
「はい」
「あの力は?」
ジェイクはこう見えても伯爵である。娘に開口一番、「お前は聖女なのか?!」と聞くほど不躾でも野暮でも無かった。
「はい、今日の朝くらいに、急に、過去の聖女様の記憶が断片的に流れてきました。きっと、その通りにやれば、力を使えるよって、なんか教えて貰ったような気がして、それで」
「そうだったのか。となるとやはり、アイシャは聖女様、という事でいいのだろうか?」
「……自分でもまだ分かりませんけど、きっと、そうなのだと思います」
アイシャは決して、進んでこういうことを肯定する娘ではない。そのアイシャが、そう言うのだから、よほど確信に近いものを感じたのだろう。伯爵はそう思った。
「ねえ、アイシャ、あの、バルガレウスを前にした時、その、もの凄く強気な交渉をしていたけど、あれはどうやったの?」
ディアスが思わず口を挟んだ。どうしても気になるようだった。
「あ、あれも、過去にバルガレウスと戦った聖女様が、そういう風にしていた記憶が流れて来たので、なりきって真似をしてみました。す、すごく怖かったです」
アイシャはそう言って、思い出したようにプルプル震えた。
その姿を見て、ディアスは最愛の妹にくだらない邪推をしてしまったことを心の中で詫びた。目の前の彼女は間違いなく、彼が知っている妹そのものであった。
「ふう」
伯爵は、大きく息を吐くと、セリウスとドイルを見た。二人はともにわずかに頷いた。
それは、どうやっても話しておかねばならない本題に入りましょう、という二人の合図であった。
「ありがとうアイシャ。……さて、今後の事だが、王宮に、フィアローディ伯爵家に聖女が誕生したと、密書を飛ばした。近々、王宮より下知を頂くだろう。そして、今すぐ、と言う訳ではないだろうが、いずれはアイシャ、君は聖女として、命を懸けて魔王と戦わなくてはならない」
さすがにその言葉に、部屋が重苦しい空気に包まれた。
そのあまりの言葉に、エイラ夫人はアイシャを抱きしめ、泣き始めてしまった。
「そんな、父上、あんまりですわ。アイシャは……アイシャは、そんなことが出来るような子ではありませんわ。だってアイシャは、いっつも私の後ろに隠れて、私が守ってあげないといけないような子で。そんなアイシャが、魔王と戦うなんて、そんな……あんな、ことが……」
姉であるリーシャが、妹を死地に送ると言ったその父の言葉に食って掛かった。しかし、言葉の最中に、バルガレウスを一瞬で滅ぼしたあの時の姿を思い出したのだろう。徐々に、リーシャのその言葉は勢いを失って行った。
「リーシャ。君も、昔から絵本を読んでいたから知っているよね。聖女様は、この国に現れて、世界を救うんだ。そして、今まさに聖女様が現れた。それが君の双子の妹だ。だから……」
「でもセリウス兄さま。だって、そんなの、あんまりです。そんなのアイシャが可哀そう!」
「大丈夫です!」
なだめようとするセリウスの言葉など耳に入らない様子のリーシャを、ひときわ大きい声を上げたアイシャが制した。その声にみんなが口をつぐんだ。アイシャはソファから立ち上がると、全員の視角に入る位置に歩き、そして振り向いた。
「私、アイシャ・フィアローディは、お姉さまがちゃんと公爵家にお嫁に行けるように、父上様と母上様がいつまでも仲良く暮らせるように、兄上様たちが戦いで命を落とすことの無いように、そして領民の皆が幸せに暮らせるように、命を懸けて魔王と戦います。
大丈夫、なんの心配もいりません。私には、過去の聖女様たちがついていますから!」
アイシャは自身の胸に手を当て、堂々と宣言した。そして、少し恥ずかしそうに顔を俯かせていった。
「……って、あの、昔の聖女様たちなら、そう、言いますから」
アイシャの言葉に、部屋に一瞬の沈黙が訪れた。
そして、
「はっはっはっは!」
伯爵が大声で笑い始めた。
「あっはっはっは!」
「はっはっはっは!」
つられてセリウスとディアスも大笑いを始めた。
「あははははは!」
気づけば、フィアローディ家全員が、アイシャの言葉に笑いを抑えられずにいた。
「あっはっは、あ……は……は……」
「ひははは……はは……」
そして、全員が、笑いながら、笑顔のまま涙を流していた。
もはやその声は、笑い声なのか、泣き声なのか、どちらか分からなかった。
しかし、その場にいた全員が、その胸の中の気持ちを、やり場のない感情を消化するためだけに、声を上げていた。
リーシャただ一人だけが、アイシャに抱き着いて、大声を上げて泣いていた。
アイシャはそんな双子の姉を、優しく抱きしめ、そっと涙を流していた。
(第5話 『旅立ちの前夜に その1』へつづく)
フィアローディ伯爵家は、その日の大忙しの業務を何とか終え、ようやく屋敷で一同が顔を合わせる事となった。
「ふうっ……」
「お疲れ様でございます。父上」
「うむ」
ソファに座り一息ついたジェイク伯爵に、セリウスがお茶を淹れ、伯爵の前に置いた。
本来ならば、屋敷のメイドの仕事なのだが、今回ばかりは人払いをさせてのきわめて重要な、かつ秘密の会議である。よほど信用できる者以外は、この場に立ち入らせることは出来なかった。
幸い、北門での一件は、領民には見られてはいなかった。
アイシャのあの力を目撃したのは、その場にいた、伯爵、セリウス、ディアス、リーシャを除けば、北砦のディアス隊の副隊長と、テントから出るに出られなかった救護兵のみであった。
伯爵は、二人に口止めをし、聖女の旅立ちまで無事に隠し通した暁には、重く恩賞を取らせることを約束した。そして、すかさず国王陛下に早馬を飛ばした。聖女となった者は、この国の最も重要な、最も高位の人間に値する。そこに、爵位も、親も関係ないのだ。アイシャの今後については、国王陛下の指示を仰がなくてはならなかった。
「さて、如何いたしましょうか、父上」
セリウスはそう言って、今この場にいる人間の顔を見渡した。
伯爵、セリウス、ディアス、そして宰相のドイルが、今、この場には居た。
伯爵夫人であるエイラは、娘たちの部屋でリーシャと共に、まだ目覚めないアイシャを看ていた。
「如何いたしましょう、とは?」
「アイシャの今後についてです」
「……どうもこうも無い」
セリウスの言葉に、伯爵はトーンを落としてそう返すしかなかった。
昔から、聖女の話はよく聞いていた。むしろ、この国の人間で、その話を聞かずに育つことの方が難しいくらいである。しかし、まさかそれが、実の娘に、しかもたかだか8歳の娘の身に降りかかるなどとは、誰が想像できようか。
「アイシャは、いずれ、旅に出なくてはならない。魔王を滅ぼすための旅に。それは決定事項だ。親兄弟の気持ちなど関係ない」
「……父上」
目頭を押さえ、言葉を絞り出す父を見て、セリウスにはその苦悩が痛いほどわかった。彼も伯爵と同じ気持ちだったからだ。
「人見知りで、怖がりで、いつもリーシャや私の後ろに隠れているようなあの子が、この世界の人々の運命と責任をただ一人背負って、厳しい戦いに挑まなくてはならないなんて。そんなの、そんなの……」
「セリウス、分かっておる! 私だって、アイシャを、愛する娘を旅になど行かせたくない。出来る事なら変わってやりたい。しかし、これは運命なのだ。アイシャだけではない。同様に各地で、聖女と共に戦う運命を背負って生まれる『魔法使い』たちも、そしてその家族たちもまた我々と同じなのだ。聖女の親兄弟である我々が駄々をこねてよい時ではない」
「……旦那様、セリウス様。せめて、旅立つその日まで、アイシャお嬢様に、出来る限りのことをして差し上げましょう」
娘の運命に嘆く伯爵と長兄に、宰相のドイルはそう声を掛けるしかなかった。
「あの……父上、兄上」
それまで黙って話を聞いていたディアスが重い口を開いた。
「アイシャは、アイシャなんですよね」
「どういう意味だ?」
伯爵には、ディアスのその発言の意図が分からなかった。
「アイシャは、あの、バルガレウスとかいう魔物と対峙した時、まるで、今までのアイシャとは別人の様でした。聖女の力に目覚めて、もしかしたら、アイシャは、僕たちの知っているアイシャじゃなくなってしまったなんて、そんなことは無いですよね」
ディアスは、バルガレウスを目の前にして何も出来なかった。ただ無力に、全てを投げ捨てて逃げ惑うことしか出来なかった。そればかりか、二度目には、腰を抜かして失禁してしまったのだ。でも、それは致し方なかった。あのような恐怖にさらされれば、誰だってそうなってもおかしくはない。
しかし、アイシャは、全く臆することなく、まるで大の大人が子供の前に立つかのような身軽さで、バルガレウスに対峙したのだ。例え聖女の力に目覚めていたとしても、8歳の少女に出来る事だとは到底思えなかった。
ディアスの言葉に、伯爵もセリウスも言葉を失った。
(「もしもうしろのざこ一匹でもわたしにけしかけたなら、ばるがれうす、おまえはころす、かくごしたほうがいい」)
(「おまえなんて、いつでもころせる」)
たしかに、あの時アイシャはバルガレウスにそう言った。
それは、今までのアイシャであれば、ひっくり返っても出てこないような言葉であった。
「なに、きっと大丈夫さ。聖女の力に目覚めてからも、アイシャは我々の事を、父上様、兄上様と言った。少なくとも、全く別の人間になってしまったという事ではあるまい」
「ああ、セリウスの言う通りだ。それに、例え人格が変わろうとも、アイシャはアイシャだ。私の大切な娘であることに変わりは無い」
「……そう、ですよね。すみません、父上、兄上」
コンコン。
ディアスがそう謝罪の言葉を述べた時、部屋の扉が控えめにノックされた。伯爵がドアに向かって入室を促すと、エイラ夫人に連れられて、リーシャとアイシャが姿を現した。
「あなた、アイシャが目を覚ましましたわ」
そうして姿を現したアイシャは、リーシャの陰に隠れ、人前に出る事をためらう、いつも通りのアイシャだった。それを見て、ディアスは少し胸をなでおろした。
アイシャの姿を見た伯爵達は、思わず立ち上がり、そして娘を迎え入れた。
「おお、アイシャ、良かった、目覚めたか!」
「アイシャ、良かった!」
「あ、その……はい、父上様、兄上様」
伯爵は、娘に近寄ると、ゆっくりと片膝をついた。そしてアイシャの手を取り、彼女の目を見ながら言った。
「アイシャ、ありがとう。お前がいなければ、私も、セリウスも、ディアスも、そしてこの街の皆も、全員命は無かった。お前の勇気ある行動に、フィアローディ伯爵として、千の感謝を」
「あ、いえ、その……はい」
例え娘であっても、一人の人間に多くの命を救われたのだ。それに対する筋は、伯爵として、そして領主として通さない訳にはいかなかった。
「さあ、アイシャこちらに座ってくれるかな。もしも疲れている様であれば、明日でも構わないが?」
「いいえ、大丈夫です、兄上様」
セリウスの言葉に、アイシャは頭《かぶり》を振り、促されるままにソファに座った。それを認めると、残った全員も、各々、開いている席に座った。一人分だけ椅子が足りなかったので、宰相のドイルだけが立っている格好となった。
「さて、アイシャ、すまないが色々と聞いても良いかな?」
「はい」
「あの力は?」
ジェイクはこう見えても伯爵である。娘に開口一番、「お前は聖女なのか?!」と聞くほど不躾でも野暮でも無かった。
「はい、今日の朝くらいに、急に、過去の聖女様の記憶が断片的に流れてきました。きっと、その通りにやれば、力を使えるよって、なんか教えて貰ったような気がして、それで」
「そうだったのか。となるとやはり、アイシャは聖女様、という事でいいのだろうか?」
「……自分でもまだ分かりませんけど、きっと、そうなのだと思います」
アイシャは決して、進んでこういうことを肯定する娘ではない。そのアイシャが、そう言うのだから、よほど確信に近いものを感じたのだろう。伯爵はそう思った。
「ねえ、アイシャ、あの、バルガレウスを前にした時、その、もの凄く強気な交渉をしていたけど、あれはどうやったの?」
ディアスが思わず口を挟んだ。どうしても気になるようだった。
「あ、あれも、過去にバルガレウスと戦った聖女様が、そういう風にしていた記憶が流れて来たので、なりきって真似をしてみました。す、すごく怖かったです」
アイシャはそう言って、思い出したようにプルプル震えた。
その姿を見て、ディアスは最愛の妹にくだらない邪推をしてしまったことを心の中で詫びた。目の前の彼女は間違いなく、彼が知っている妹そのものであった。
「ふう」
伯爵は、大きく息を吐くと、セリウスとドイルを見た。二人はともにわずかに頷いた。
それは、どうやっても話しておかねばならない本題に入りましょう、という二人の合図であった。
「ありがとうアイシャ。……さて、今後の事だが、王宮に、フィアローディ伯爵家に聖女が誕生したと、密書を飛ばした。近々、王宮より下知を頂くだろう。そして、今すぐ、と言う訳ではないだろうが、いずれはアイシャ、君は聖女として、命を懸けて魔王と戦わなくてはならない」
さすがにその言葉に、部屋が重苦しい空気に包まれた。
そのあまりの言葉に、エイラ夫人はアイシャを抱きしめ、泣き始めてしまった。
「そんな、父上、あんまりですわ。アイシャは……アイシャは、そんなことが出来るような子ではありませんわ。だってアイシャは、いっつも私の後ろに隠れて、私が守ってあげないといけないような子で。そんなアイシャが、魔王と戦うなんて、そんな……あんな、ことが……」
姉であるリーシャが、妹を死地に送ると言ったその父の言葉に食って掛かった。しかし、言葉の最中に、バルガレウスを一瞬で滅ぼしたあの時の姿を思い出したのだろう。徐々に、リーシャのその言葉は勢いを失って行った。
「リーシャ。君も、昔から絵本を読んでいたから知っているよね。聖女様は、この国に現れて、世界を救うんだ。そして、今まさに聖女様が現れた。それが君の双子の妹だ。だから……」
「でもセリウス兄さま。だって、そんなの、あんまりです。そんなのアイシャが可哀そう!」
「大丈夫です!」
なだめようとするセリウスの言葉など耳に入らない様子のリーシャを、ひときわ大きい声を上げたアイシャが制した。その声にみんなが口をつぐんだ。アイシャはソファから立ち上がると、全員の視角に入る位置に歩き、そして振り向いた。
「私、アイシャ・フィアローディは、お姉さまがちゃんと公爵家にお嫁に行けるように、父上様と母上様がいつまでも仲良く暮らせるように、兄上様たちが戦いで命を落とすことの無いように、そして領民の皆が幸せに暮らせるように、命を懸けて魔王と戦います。
大丈夫、なんの心配もいりません。私には、過去の聖女様たちがついていますから!」
アイシャは自身の胸に手を当て、堂々と宣言した。そして、少し恥ずかしそうに顔を俯かせていった。
「……って、あの、昔の聖女様たちなら、そう、言いますから」
アイシャの言葉に、部屋に一瞬の沈黙が訪れた。
そして、
「はっはっはっは!」
伯爵が大声で笑い始めた。
「あっはっはっは!」
「はっはっはっは!」
つられてセリウスとディアスも大笑いを始めた。
「あははははは!」
気づけば、フィアローディ家全員が、アイシャの言葉に笑いを抑えられずにいた。
「あっはっは、あ……は……は……」
「ひははは……はは……」
そして、全員が、笑いながら、笑顔のまま涙を流していた。
もはやその声は、笑い声なのか、泣き声なのか、どちらか分からなかった。
しかし、その場にいた全員が、その胸の中の気持ちを、やり場のない感情を消化するためだけに、声を上げていた。
リーシャただ一人だけが、アイシャに抱き着いて、大声を上げて泣いていた。
アイシャはそんな双子の姉を、優しく抱きしめ、そっと涙を流していた。
(第5話 『旅立ちの前夜に その1』へつづく)
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