異世界転生ルールブレイク

稲妻仔猫

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第二章

第3話 聖女

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「皆! 逃げろ! 全身全霊で、逃げろおおおお!!!」

 誰もが恐怖で口を開くことが出来ない中、伯爵だけが、唯一声を発することが出来た。それは少なくとも、領主としての誇り、と呼ぶにふさわしい行いだった。
 そして、それが合図だった。

「ぎゃあああああ!!」
「ひぃぃぃぃ!!!!」

 北の砦から倒れ込んできたもの達すらも、最後の力を振り絞って、その場から全力で逃げ出し始めた。
 バルガレウスと名乗ったその魔物は、それらを追うでもなく余裕の笑みをたたえながら逃げ惑う人々を眺めていた。

『さて、問おう。この場で我と戦う勇気があるものは居るか? これは遊戯ゲームだ。もしもいれば、その者の命が続く限りは、同胞たちの狩りは少しだけ待ってやろう。もしもいなければ、今すぐに、この場を同胞たちの餌場とするが?』

 バルガレウスと名乗った魔物がそう言葉を発した。
 見れば、普段ならば見境なく襲い掛かってくる魔物どもが、バルガレウスの後ろで唸りながら待機していた。

(こいつ、楽しんでいやがる)

 どうせ、はじめから皆殺しにするつもりなのだろう。

(しかし、そうはさせんぞ)

 伯爵とセリウスは顔を見合わせた。一分でも良い、一秒でも良い、少しでも時間を稼ぐ、それが今の彼らに出来る唯一の仕事だった。
 きっと、たった今、逃げおおせたみんなが領民たちに伝えてくれているに違いない。

 この街は、いや、フィアローディ領はもう終わりである。
 皆それぞれ、全力で他領へと逃げ始めるだろう。
 であれば、時間を稼いだ分だけ、多くの領民がこことは別の門から外へ逃れられるはずだ。

 そう思って、伯爵が後ろを見た。

 そこには信じられない、信じたくない光景があった。

 リーシャとアイシャが、動けずにその場で固まっていたのだ。

(何故だ、二人とも、さっきの号令で逃げていなかったのか?!)

 せめて二人だけでも逃げて欲しかった。その為ならば、命を懸けることなど少しも惜しいとは思わなかった。伯爵もセリウスもそう感じていた。

(父上、私がこいつに戦いを挑みます。父上は二人を連れて……)
(馬鹿なことを言うな。お前が二人を連れて行け!)

『なんだ? 我と戦う気概がある者はおらんと言うのか? ならば……』

 下を向き小声で話す伯爵とセリウスを尻目に、バルガレウスは残念そうにつぶやくと手を上にあげた。
 恐らくあれが、後ろに控えている魔物どもをなだれ込ませる合図なのだろう。

(くそっ! まずい!)

 セリウスが、バルガレウスに名乗りを上げようとしたその刹那であった。

『はっはっはっはっは!』

 バルガレウスの笑い声があたりにこだました。

『小娘、まさか貴様が我に立ち向かおうというのか?』
「ハッ!?」

 顔を上げた伯爵とセリウスが信じられないものを見た。
 そこには、いつの間にか二人とバルガレウスの間に立っていたアイシャがいた。
 
 いつも人見知りで、知らない大人はおろか、同年代の子供相手にさえも、堂々と姿をさらして話すことなど出来ないアイシャである。その娘が、一瞬で人間を粉々にしてしまうような魔物の前に躍り出たのだ。

(あああ!? )

 伯爵もセリウスも、目の前の、あり得ない景色にただ固まるしかすべは無かった。

『い、いや、待て。そんな事が出来る小娘がいるはずがない。……き、貴様、まさか……聖女か?』

 無力な人間の、しかも幼い少女が、臆することなく魔物の、しかも幹部クラスである己の前に立つ。
 その明らかに不自然な現象に、バルガレウスは戦慄した。その戦慄は、魔物が持つ「人間を殺す本能」すらも凌駕する程であった。
 そして、少女は、眉一つ動かさずに、バルガレウスの言葉を肯定した。

「そう、私は聖女。ばるがれうす、死にたくないならひきなさい」
『ぬ、ぐっ、確かに、そろそろ奴が出現する頃合いか……しかし、こんなに都合よく……いや、しかし』

 バルガレウスは明らかに動揺していた。それは伯爵とセリウスの目から見ても明らかだった。

 ハッタリだ。

 伯爵はそう思った。
 娘には昔から魔王と聖女の話を沢山聞かせて来た。
 この勇敢な娘は、その知識を使って、自分の命を懸けた勝負に出たのだ。

(ああ、なんて娘なんだ。アイシャ、アイシャ、アイシャ……)

 今すぐ「なんてことをするんだ!」としかりつけ、二人の娘を抱えて全速力で逃げたかった。だがそれをした瞬間、恐らく全員の死が確定する。それでも、それが最善の策だというのならば、そうしただろう。
 しかし、今、目の前の大災害級の災厄が、この愛娘の自殺行為とも思える無謀な策に、確実に動揺しているのだ。

 伯爵は動くことが出来なかった。

 もはや何が最善で、何が最悪で、何が正しくて、何が間違っているのか、全くもって分からなかった。ただ、命を懸けた愛娘の誇りを傷つける行為だけはしてはいけない。そう思っていた。それはセリウスも同じだったようで、アイシャの、恐れを全く抱かない立ち振る舞いにただただ固まっていた。

「ほら、わたしの言う事がうそならきっとめるよ。父上様も、兄上様も」
『ぐっ……確かに……』

 もしかすると、もしかするかもしれない。

 目の前の、躊躇するバルガレウスの様子に、そんな希望さえ抱いた。
 なんにせよ、既にアイシャは、齢8歳でありながら、単身で、街の人たちが逃げる時間をすでに一分以上稼いでいる。それは伯爵やセリウスにも、きっと不可能だったことだ。

(ふっ。こうなっては仕方ない。私のできる事は、アイシャのハッタリに乗る事だけだ。もしもアイシャが殺されたなら、その時は喜んで、リーシャを逃がすために、命懸けで盾になろう)

 伯爵はそう覚悟すると、ゆっくりとその場に腰を下ろし、あくびをした。

「はあ、やれやれ。聖女に戦いを挑むとは、ご苦労なこった」
「ははは、まったくですねえ、父上。ここで巻き添えを食わないか、それだけが心配ですねぇ」

 伯爵の演技に、セリウスが乗っかって来た。二人とも笑顔が引きつっていたが、もはややけくその域に達していた。
 しかし、それが功を奏したのか、ますますバルガレウスの表情に動揺が広がっていった。

『ぐぬぬぬ……』
「これは遊戯ゲーム。あなたがわたしのことばを信じて引くなら、追いはしない。でも、もしもうしろのざこ一匹でもわたしにけしかけたなら、ばるがれうす、おまえはころす、かくごしたほうがいい」

(おいおい、あおり過ぎじゃないか?!)
(アイシャ、もうちょっと穏便に!!)

 伯爵もセリウスも、内心生きた心地はしなかった。
 しかし、内気でおっとりとしたアイシャにあんな一面があったことに二人とも、今が死の淵であることも忘れて驚いていた。

『はっはっは』

 そして、悩みに悩んだ末に、バルガレウスは声を上げて笑った。

『もしも貴様が聖女ならば、確かに今この場での我の命は危うかろう』

(おお! これは……アイシャの勝ちか!?)

 バルガレウスの言葉と、伯爵とセリウスの心の声が交錯する。

『しかし、もしもそれが本当だとして、貴様はなぜ我を逃がす? 貴様に得は無かろう。その理由に説明がつかんではないか』

(ああ! くそっ、魔物のくせに細かい奴だな! 禿げるぞ!)
(ヤツの言葉に、果たしてアイシャはなんて答える!?)

 伯爵もセリウスも、その言葉を黙って待った。

「うーん、たしかにそうだね」

(ああああ!! いかん! アイシャが答えに困った!!)

『ふ、ふははは、化けの皮がはがれたようだな、偽者の聖女よ!!』

 バルガレウスはそう言うと、笑いながらアイシャに向けて、飛びかかる態勢を取った。

「でも別にいいの、そんなの」

 しかし、そんなバルガレウスなど全く気にしない素振りで、アイシャが口を開いた。

「おまえみたいなざこ、いつでもころせる」

 そして、ニッコリと微笑んだ。

(いやあぁぁん!!!)

 二人は心の中で泣いていた。
 どういう精神状態なら、たかが8歳の少女が、死を前にしてこんなことが出来るのだろう。
 もはやその心の涙は、崇拝に近い感情であった。
 この娘が失敗して、その結果自分たちが殺されるのならば、それも本望である。
 二人は正にそんな気持ちだった。

 一方、バルガレウスは、その幼い娘の言葉に、戦慄を通り越して恐怖さえ覚えていた。
 上位の魔物を前に、こういう態度を取ることが出来る人間は、今までには二種類しかいなかった。

 一つは『魔法使い』。
 もう一つは『聖女』である。

 バルガレウスは、長い敗北の歴史においてそれを痛いほど知っていた。

『ふ、ふははははははは! 良かろう、聖女よ。我は、実は貴様の言う事が全て嘘偽うそいつわりで、本当は聖女などでは無いのかもしれんと疑っておったわ』

(おおおお! やった、アイシャ!)

 バルガレウスの言葉に、内心涙を流して喜ぶ二人。
 少なくとも、今のバルガレウスの言葉は、アイシャを聖女として認めた、とそう思って良さそうであった。
 
(魔物が、聖女と認めた相手に、単身で戦いを挑むはずがない。これはアイシャの機転勝ちだ!)

 助かった暁には、この愛娘に何をしてあげよう。考え得る最上級のご褒美を上げたかった。もはや騎士爵を与えてもいいかもしれない。
 しかし、そんな伯爵の甘い考えは、脆くも崩れ去った。

『しかし、もはやそんな事はどうでもよくなった』

(……え?)

『貴様が本物であろうとなかろうと、この場で逃げ帰っては、その真偽が気になって夜も眠れぬ。それに、聖女か分からぬ者を相手に逃げ帰っては、魔王フェリエラ様に会わす顔が無い。これより、我の全てを込めた一撃をもって、命を懸けて真実を明らかにせん!』

(ああああああああ!!!)

 交渉は決裂した。
 このままではアイシャが死ぬ。
 せめてアイシャだけでも守らなくては。
 そう思い伯爵とセリウスが同時に立ち上がろうとした。
 しかし、それよりもはるかに速いスピードで、バルガレウスの黒いオーラを纏った拳がアイシャに襲い掛かった。

『さあ、貴様は本物か、それとも偽物か!? 我に見せて見よ!!!!!』
「「アイシャー!!」」

 勇敢な愛する娘が、一瞬で、地に落とした熟れた果実のように砕け散る。伯爵もセリウスも、そんな惨劇を目の当たりにするはずだった。



「"聖なる防壁セイクリッドプロテクション"」

 そう呟く娘の声が、思わず目を覆った伯爵の耳に聞こえた。
 恐る恐る目を開けると、バルガレウスの拳はアイシャの僅か数センチ前で止まっていた。

『なぁっ! き、貴様……本当に……本当に!!』
「賭けは……おまえの負けだね。ばるがれうす」

 そして、アイシャは手をかざして呟いた。

"神聖なる追放ホーリーバニシング"」

 その刹那、アイシャから吹き出した光の衝撃が、拳を突き出したバルガレウスの半身を右腕ごと吹き飛ばした。

『おがぁぁぁぁぁぁ!!』

 見る見るうちに力を失い、バルガレウスはその場で崩れ落ちた。

『貴様、貴様、本物のせい、じょ……』
「"純白の天罰ホワイトパニッシュメント"」

 更に呟いたアイシャの頭上から光の刃が振り下ろされた。それは、最後の力でアイシャに掴み掛かろうとしたバルガレウスを縦に真っ二つにした。
 そして、二つに分かれたバルガレウスは、血をまき散らすことなく、そのまま光に包まれて、粒子状になり、空気に霧散した。

 アイシャはそのまま、壊れた城壁の外を見た。そこには主を失って戸惑い、唸り続ける魔物の群れがいた。アイシャは、今度はその群れに向かって手をかざした。

「"聖なる礫セイクリッドヘイル"」

 アイシャのかざした手から、無数の光のつぶてが魔物の群れに襲い掛かった。
 二割ほどの魔物がその礫に当たっては消滅し、残りの魔物たちは、ちりぢりになって逃げて行った。


 沈黙が訪れた。
 そして、少なくとも、ひとときの平和も。
 
 「ア、アイシャ……」

 伯爵が愛娘にそう声を掛けると、彼女は、父や兄の方を振り向くことなく、力を使い果たしたように、その場でふらつき、倒れこんだ。

 「アイシャ!!!」

 セリウスが、地面のすれすれに飛び込んで、末妹の身体が地面に打ち付けられるのを、身を挺して防いでいた。

 そう、今、その場にいた、数少ない全員が分かっていた。
 アイシャはたった今、聖女としての力を発現させたのだ、と。

 その聖女が、力を使い果たし、倒れそうになったのを身を挺して守ったセリウスは、場所が場所ならば、勲章ものである。

 アイシャはそういう存在になったのだ。
 なんと言う、神のいたずらだろうか。
 
 このまだ幼く、可愛らしい、妖精のような我が妹が、この先の人生、命を懸けて、人々を殺す魔物、そしてその王と戦う。そんな宿命を背負わされてしまったのだ。

(嗚呼、可愛いアイシャ。俺は、俺や父上はどうしたら良いのだ……)

 自分の手の中で、安らかな寝息を立てる妹を大事に抱えながら、セリウスは苦悶に満ちた表情を浮かべるしか術は無かった。


 王国歴751年。
 カートライア辺境伯領に魔王が出現してから8年後。
 フィアローディ伯爵領にて、聖女が力を発現させた瞬間であった。



(第4話 『フィアローディ一家の想い』へつづく)
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