春を待つ

安達夷三郎

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第三章、逃げ場

十話

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夜が明けたのかどうかも分からないような薄暗さの中で、私達は避難所となっている国民学校へ向かった。
崩壊した屋根の上を乗り越え、障害物を避けながら初めはそろそろと進んでいく。
そのうちに足元が平坦な地面に達し、道路に出ていることが分かると、急ぎ足で道の中を歩く。
ぺしゃんこになった建物の陰から喚く声がする。振り返ると、顔を血だらけにしたユリが足を引きずりながら歩いてくる。
「ユリ、無事だったのね!!」
別の壕に避難していたらしい。
よほど酷く傷付いているのだろう。比較的火傷などが少ない文とエツ子の二人に支えられながら、まるで壊れ物を運ぶかのように、おずおずと足を進めていく。
しばらく行くと路上に立ち塞がって「家が燃える。家が燃える」と子供のように泣き喚いているお婆さんと出会った。
煙は崩れた屋根のあちこちから立ち上っていたが、急に炎が渦巻いているところを走って突っ切ると、また平坦になった。
国民学校の教室には、至る所に重傷者が倒れている。再び迫り来るかもしれない空襲に怯えながら肩を寄せ合っていた。
校庭の方で二人の級友を見つけた。四班の子だった。
二人共、酷く火傷を負い、木の下でごろんと横になっていた。
そこへ、モンペ姿のおばさんがよろよろと歩いてくる。両手、両足、顔をやられていた。
「っ......酷い......」
伝言板を確認しようと立ち上がった。
その拍子に胃のあたりがぎゅうっと痛んで、胃液が上がってきた。
ぐっと呻きながら離れたところの草むらに嘔吐して、涙を拭った。
「千代ちゃん......」
エツ子が背中をさすってくれる。
「今、伝言板を見てきたの。先生はまだ来ていないそうよ」
「そっか......みんなは?」
「怪我がある人は手当てを受けているわ。動ける人は町の消火活動。私はそろそろ消火活動に戻るね」
エツ子はそっと私から離れて町の方へ駆け出して行った。
私はやっと座れそうな教室のすみに腰を下ろす。
外は薄暗く、どれくらい時間が経ったのか分からない。柱時計の針は午前五時を回っていた。
張り詰めていた何かが、ぷつんと切れた気がした。
「っ......うっ......」
涙が零れた。
目を瞑っても拭っても、溢れんばかりの涙は止まることをしらない。止まってはくれない。
泣かないようにずっと耐えてきたのに、もう押しとどめられなかった。
夜明け前から念仏ねんぶつの声が仕切りなしに聞こえてくる。
ここでは誰かが、絶えず死んでいくらしかった。
太陽が高く昇った頃、二人は息を引き取った。
隅でうつ伏せになっていた遺体を調べ終えた巡査さんが、おばさんの方に近付いた。
おばさんは姿勢こそ崩していなかったが、息を引き取っているらしかった。
昼頃になると、また空襲警報が出て、爆音も聞こえる。
だんだん慣れてきたものの、疲労と空腹は激しくなっていく。
しばらくぼんやりと教室で座っていると、色んな人が見えた。
頭から血を流して気を失っている人、包帯を巻いている人、全身に火傷を負っている人、視力を失っている人。
見てるだけで恐ろしかった。私は思わず抱えた膝に頭をうずめた。
「ツユ......」
顔を上げて無意識に暗闇に向かって呼び掛けると、うとうとしていたらしいユリが顔を上げた。
「ツユ、もういないの......?」
その問いに小さく頷く。
雑嚢の中から食べれそうな物を探すと、荷物に埋もれて、春馬から貰った手紙を見つけた。
懐かしくて、もう一度会いたくて......。
「千代。怪我が治ったら働かないと!」
三班の班長である芽衣子めいこが私達に呼び掛けた。
「看護婦の方だけじゃ人手が足りないのよ!?挺身隊の方々も働いているの。みんな頑張っているの、私達もちゃんと働かなくちゃ」
「......うん」
芽衣子の言葉に返事はしたものの、心と体がすぐには動かなかった。
ツユや死んでいったみんなの分まで働かないといけない。
それは分かっているのに、足に力が入らない。
芽衣子が正しいことを言っているのは分かる。
働かなければいけない。誰もが自分にできることをしなければいけない。
頭では分かっているのに、体がなまりみたいに重くて、少しも言うことを聞かない。
看護婦さんの呼び掛ける声と「水を下さい......」と水を求める声が聞こえてくる。
「千代......どうしたの?」
俯いている私を不思議に思ったのか、芽衣子が怪訝そうな顔をする。
「ごめん......」
芽衣子は眉を寄せ、何か返そうと口を開きかけたが、すぐに閉じた。
強く怒るでも、励ますでもなく、ただじっと私を見つめていた。
壁に手をついてよろよろと立ち上がる。
「私も......手伝う」
「ユリは?」
芽衣子はユリの方を向いた。ユリの足首には包帯が巻かれて止血されているが、白い包帯は赤く滲んでいた。
「私、私は......」
ユリは唇を噛んだまま、しばらく何も言えずにいた。
包帯の滲んだ赤を見るだけで、痛みが酷いのだと分かった。
「無理は、しない方が良いよ......」
私が言うと、ユリは申し訳なさそうな顔をした。
「ごめん......私も働かなきゃいけないのに......」
声が震えていた。悔しさと情けなさが混ざり合った声だった。
芽衣子と一緒に国民学校の近くの井戸に向かう。今一番必要なのは、水だった。
井戸の方では、私達と同じような女学生や女性達が桶を片手に並んでいた。そこには、柳子や文、カエデがいて―――。
エツ子はどうやら町の消火活動にまわっているらしい。
そのうち誰かが「警戒警報発令!」と叫ぶ。
「白いものを着た者は木陰へ隠れよ!」という声に、みんなぞろぞろとやぶの奥へ走った。
警戒警報が止んでからしばらく経っても空襲警報が鳴らなかったので水が入った桶を抱え、校庭に戻ると、さっきよりも人が増えている気がした。避難してきた人達が次々と校庭に集まっているのだ。
顔に布がかけられた人もいる。
ボソボソと小さな話し声が聞こえてくる。
「そこ、水お願いします!」
それから看護婦さんの指示で桶を持って行ったり、負傷者の看病を手伝ったりした。
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