人喰い龍は愛されたい

うめ紫しらす

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3.テオドール

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 ラザンの願いによってディランドラの王が討たれると、世界は少しずつ均衡きんこうを崩していった。
 真砂まさごに借りた風の精霊を通して、俺はディランドラの内情をみて回り、ラザンの記憶にある人々を訪ねた。ラザンの想いに沿って、あるいは意図せぬ形で、人が、国が、変わっていく。その有様を俺は心行くまで堪能した。
「全く、趣味の悪い」
 風の精霊を統べる真砂には、当然の様にすべてが筒抜けだった。
「そう言うな。たった一つの事象が、さざ波の様に広がり、大きな波となって、ついには国という名の船を転覆させる。これほど面白きものは他には無いぞ」
「……人間の世がどれほど移り変わろうと、我々には関係のないこと。そのような無益な事に時間を費やすなど、理解不能です」
 真砂の小言を聞き流して、俺はディランドラから始まった動乱の行く末を追いかけた。
 突然の国王の死後、後継として第一王子の即位が決まった。これはラザンが事前に想定していた筋書きの通りだ。
 だが、まだ年若い王子が即位すると、周辺諸国はディランドラの力を削ごうと、ありとあらゆる策略を仕掛け、その国政を揺さぶった。
 もともと、病に伏した先王によって蔑ろにされていた政治体制は、数年と持たずにあっけなく瓦解がかいした。そして最後には北の領地がディランドラからの独立を掲げ、内乱が起きる。
 それはラザンが考えもしなかった結末だった。
 国が乱れ、争いが起きると、俺に願いを託そうとする者は増える。
 それからの数十年。俺の元には、命を賭して国の独立を願うものや、困窮した村に現れた疫病の消失を願うもの、長引く戦の終結を願うものや、ただ己の家族の無事を願うものなど、数多あまたの願いが持ち込まれた。
 その度に、俺はその者の魂と引き換えに、人の世に魔法を持って介入した。
 ある者の願いは叶い、乱世を終わらせるようにと働きかけた。
 ある者の願いは叶い、乱世を長引かせる事に繋がった。
 ひとつの命が叶えられる事は、思いのほか小さく、けれど時として時代の流れを変えるくさびとなる。
 俺にはそれが、愉しくて仕方がなかった。


「……それで? お前は何を願う?」
 その男が現れたのは、ラザンの死から六十年が過ぎた頃だった。
 ディランドラは既に倒れ、小さな三つの国へと姿を変えていた。
 男は、名をテオドールと告げ、自分は歴史学者だと名乗った。
 学者がこの山を登れるとは意外だったが、男は騎士と見紛うほどに鍛え上げられた体をもっていた。
 服装こそ歴史ある宗教国家カザンミラの文官を示すものだったが、どうやらただの学者ではないらしい。
 俺は初めて見る類いの人間に、好奇心を刺激されていた。
「何も。俺はただ、あんたがして来た事が知りたいだけだ。
 ……先のタクラモ戦役せんえきで、一人の男が反乱軍から離反した。名をヤヌークと言う。ヤヌークが離反し、しばらくして反乱軍に不利だった戦況が不自然に変わった事が記録されている。
 調べたところ、ヤヌークは白の龍王に会いに行くと書いた手紙をのこしていた。そしてその遺言に書かれていた通りに戦況は変化し、反乱軍は勝利した」
 男は、玉座から降り注ぐ俺の視線をものともせずに滔々とうとうと言葉を紡いだ。
 ヤヌーク。その名を俺は覚えていた。祖国の独立のために、どうしても勝たなければならない戦なのだと、心の底から信じていた男だ。
「手紙の内容から、ヤヌークは白の龍王に命を差し出して反乱軍を勝利に導いたのだとされ、世間では英雄視されている。……それは、事実か」
 淡々とした問いだった。
「口の聞き方に気をつけよ」
 真砂がテオドールの態度をたしなめる。
「よい。俺は気にせぬ。……そうだ。その男の名を俺は覚えている。ヤヌークは、命を賭して戦に勝つことを願った。その願いを、俺は叶えてやった」
 ニッと、笑みを作って答えると、男はふぅ、と溜息をついた。
「そうか。事実なんだな? 命を差し出して白の龍王に願えば、望みは叶う……その伝承は、さかのぼれば千年前の石碑にも刻まれている。その龍は、あんた自身なのか? それとも何代か前の白の龍王様なのか?」
「千年前なら、俺のことだな。それに人間の願いを叶えるような酔狂な龍は他にはおらぬよ」
 ククク、と可笑しくて喉を鳴らして笑う。
 男は俺の答えに「クソッタレめ……」と小さく悪態をついた。
「貴様、御前ごぜんをなんだと心得る!」
 真砂が男のふてぶてしい態度に声を荒げる。
「悪い、龍王様を悪く言うつもりは無いんだ。ただ……俺の仕事にとっちゃ、だいぶ面倒な事態だって事が分かったからな……愚痴くらいこぼさせてくれ」
 はぁ、と気のない溜息をついて、テオドールは目を閉じ、思案にふける様な仕草をした。
「なんだ? 俺が面倒だと?」
「ええ。……俺の仕事は歴史の解明です。特に古代、千年前から今につながる国家の系譜を明らかにするのが、俺の職務であり、ライフワークです」
 そう言うと、テオドールはもう一度大袈裟に溜息をついた。
「あんたは、千年前より前から、人間の歴史に干渉・・して来た。それがいま明らかになりました。
 つまり、いまある国家の成り立ちを明らかにするには、少なからずあんたの干渉・・を明らかにする必要があるってことだ」
 テオドールはそう言うと、最敬礼の姿勢を取ってみせた。
「改めて、お願いいたします。白の龍王様。どうか貴方様の成してきた事を、俺にお教え下さい。それこそが、我らが人間の歴史をつまびらかにする一助となりましょう」
 テオドールの申し出に、俺は――歓喜した。
「俺が成してきたこと……」
 それは、誰にも披露したことのない、俺の愉しみだった。唯一そばで見てきたのは真砂だが、この堅物には人間の世を理解し、楽しむような感性はない。
「……良いぞ。……好きなだけこの城に留まり、俺の成してきたことを知る機会を与えよう」
「咲夜様! このような不遜ふそんやからに滞在を許すなど……!」
 真砂の抗議を、俺は威圧する視線で黙らせた。
「……ありがたき幸せ」
 テオドールが、かしこまった仕草で答える。
 これまで、どんな願いをどうやって叶えてきたのか。そんな昔話なら、いくらでも出来る気がした。
 さて何から話してやろうか。
 俺は、ワクワクとした期待に満ちていた。
 こんな感情は――初めて、だった。
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