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第三部
革命の兆し
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柘榴宮に戻ると、不在の間は宮司様に呼び出されていた事になっていて。大きな問題にはならずに済んだ。
後日、改めて宮司様に呼び出されて、当然のように叱られた。しかし、隣国でみたΩの処遇、そこから考えた事を話すと「良い経験をしたな」とむしろ宮司様は満足そうだった。ただし、次に出かける際は先に知らせるように申し付けられる。
「はい。あの、……αに当てられて発情を起こすようなことは、どれくらいあることなんでしょうか」
「知見としてはある、程度が答えじゃな。文献によれば、Ωが本当に相手を欲した時に起こると。心配せずとも、めったに起こるものではなかろう。
だが……そなた、そんなにあれが良いのかえ? まったく、他人の恋路とは、わからぬものよ」
にやりと人の悪い笑みを浮かべた答えに、かぁっと羞恥に耳が熱くなる。言わなければ良かった、と視線を伏せると、「まあ、良い。今後は気をつけよ。あとで次の発情までの期間を調べなおしてやろう」と話を継いでくれる。
「それで? 我が国のΩにとってすべき事は見えてきたか?」
「はい。おぼろげながら。いま、避妊薬の禁止にともなって、神殿への不満は高まっています。この機運に乗って、神殿の権威と神官による支配の構造を揺さぶります。すでに手筈は打っております……まもなく、神官長の不正が明るみに出るかと」
「ほう。良い手じゃの。で? 妾に何を望む」
わざわざ事前に共有するのは、そのタイミングを逃さず、動いて欲しいことがあるのだと、見抜かれている。
「事態の対応に際して、私に職務をお与えください。上級神官や神官長を相手に動ける権限が欲しいのです」
宮の長では、神官と対等なやり取りはできない。せいぜいが上奏書を渡すくらいで、それも、宛先にできるのは宮を司る上級神官でしかない。
それでは、神殿全体に関わる希望や提言など通るはずも無い。
「相分かった。空位の副官職を授けるよう動いてやろう。なに、有事に神官どもを言いくるめるのは造作もない。安心せよ」
ありがたき幸せ、と畏まった返答を返すと、クツクツと笑いが返ってくる。
「ほんに、謀略には才があるのにのう……恋路は別か」
「……やめてください」
弱く抵抗すると、宮司様は愉しそうに笑った。
準備は整った。あとは何がでてくるか……藪の中をつつく段だった。
**
半鐘の音が鳴り響く音で、目が覚めた。
起き上がって窓の外を見ると、表殿の方角が赤く明るんでいる。窓を開けて周囲を見渡せば、火の手はまだ遠い。
「ルー、おいで」
指輪とガウンをつけて部屋を出る。「リファ。起きてるか。念の為、皆を起こして回れ。食堂で点呼する」
順に年長者の扉をノックして、大声で指示を出す。
風はさほどなかったが、点在する宮をたどって火の手が迫ることは十分に考えられた。
「表殿にでてるのは、コハルと…? サーシャか」
食堂の当番表を確認していると後ろから足音がする。「柘榴様、みんなを起こしたよ。どうなってるの?」
「リファ。ちょうどいい、皆が揃ったら勝手口から奥殿前の広場へ避難しろ。指示を任せる。まだ火の手は遠いから心配するな、念の為だ。俺は表殿に出ている二人を探しに行く」
「分かった。気を付けて」
うん、と頷いて、念の為に木剣を腰紐に差して宮を出る。
表殿が近づくと、逃げてくる巫女に出会った。
「表殿は? どうなっている」
「わかんない、燃えてるのは表殿の講堂っぽい。煙がすごくて」
最悪だった。表殿の中央に位置する講堂は各棟を繋ぐ場所にあり、一番大きな出入り口だ。そして講堂を避けて避難するには――鍵がいる。
「神官はでているか?」
「いた、いたけど、逃げてった」
チッと思わず舌打ちをする。鍵を持つのは神官だ。俺達では鍵のありかもわからない。
「ありがとう、逃げるなら奥殿前がいい。気を付けて」
巫女を送り出して表殿の方へ走る。火元だという講堂へ近づくほど空の明るさが増し、空気に熱を感じる。普段出入りに使っている大階段へ回ると、入口はすでに火に包まれていた。
「消火印は…」
『これほど火が回っていては消火印では無理です』
ルーから、ルシアンの声が返る。
『ルーを手のひらに乗せて』言われたまま、手のひらを広げ、ルーをのせる。見る間にむくむくとルーが大きくなって、空へと飛び立っていく。
『雨を呼びます』
龍は水の神の眷属だ。空をぐるりと巡ったルーの周りに雨雲が膨れ上がっていく。
「頼んだ」
言って、裏口に回る。神官が逃げ出した跡だろう、開いたままの扉を見つけて中に入ると、熱気が近づく。けれどまだ煙に巻かれてはいない。
「こっち側の、端だから……」
建物の構造を思い浮かべながら、いつも通る通路とは別の神官用の通路をたどる。発情期を迎えた巫覡が滞在する部屋は講堂に隣接した建物の地階に広がっている。出入口となる階段は四か所あったはずで、講堂から回廊を経た先と、裏口側に分かれている。
「くそっ」
裏口側の階段に続く扉は、危惧した通り、鍵がかかったままだった。
鍵を探すか。いや、ここを開けたとして、その先――それぞれの巫覡が侍る部屋の鍵がいる。
「このまま守るほうが早いか」
幸い、煙は階下に向かってはいないようだった。であれば、このまま地階に火が迫らぬよう、講堂側からの延焼を防げばいい。引き返して、講堂側へと向かう。
途中、消化印を見つけて手に取った。気休めにしかならないかもだが、ないよりはましだ。
「この、先……」
講堂に続く回廊へと近づくと熱気と煙が迫る。
火は、地階へ続く階段の目前に迫っていた。
延焼を食い止めるように消化印を差し向けて、火勢を削いでいく。
と、ウォヲン、と低い龍の咆哮が響いた。ルーだ。続いて地鳴りのようにびりびりと空気が震えて。
ザァッと雨が降り始める。
「無茶をしないで」
ため息交じりの声がして。振り返ろうとすると、ルシアンの腕に抱きこまれた。
「ルー、火元まで雨を届けろ」
短くルシアンが命じれば、巨大な龍となったルーが低く鳴いて。ドォン、バリッ、と建物を打ち破る音が響く。屋根に穴をあけて、降り注ぐ雨を中へ呼び込むのだろう。
「離れないで」
鳴り響く音に腕の中から身を乗り出すと、諫めるように言われる。そのまま低く古語を紡いだルシアンの周りに、風が起こる。
「地下に煙が流れないよう、風向きを変えました」
音がやんで。ルーの低い唸りが響く。
「ルー、まだだ。ちゃんと火元を探れ」
ルシアンが命令を繰り返すと、ルーはグルル、と喉を鳴らした。
地響きが鳴り響いて。
回廊の屋根と壁を打ち壊して、大きな爪先が目前に現れる。そうっと気を付けるように爪が離れていくと、雨が降りこんで。少しずつ火勢が弱まっていく。
「ルー、ありがとう」
声をかけると、ルーは嬉しそうに喉を鳴らした。
「あとのことは宮司様にお願いしてください」
ルシアンが言うと、ルーは元の小さな龍に戻って帰ってくる。
手の中でよくやったと撫でてやると、嬉しそうに尻尾を振って。ルーは再び肌の中へと帰っていった。
講堂を焼いた火事は、幸いにも死者を出さずに消し止められた。だが、神官たちが鍵のついた部屋や通路を解除せず、ほとんど全ての滞在者が取り残されたことは大きな問題となった。
そこに、追い打ちをかけるように神官長の不正を告発する記事が出た。
それはもはや単なる神官長個人の不徳とはみなされず――神殿組織全体を疑問視する流れが、出来上がりつつあった。
「ほれ、宮司付きの副官職じゃ、励めよ」
差し出されたのは神官長の認可を経た任官書だった。
「拝命いたします。……ありがとうございます」
「なぁに、お主が活躍してくれたおかげで、すんなりと通ったわ。あちらはまだ火消しに大忙しじゃしの」
活躍、と言われるようなことは何もしていないが、表向きの経緯として、宮司様が呼び出した龍を指揮した、という立場に祭り上げられていた。ルシアンの手柄を横取りするような形で申し訳ないが、本当の事を明らかにすることができない以上、仕方がない。
「で? 火付けの線は間違いないのか」
ふう、と息をついて、宮司様はこちらを覗き込む。
「はい。火の元は外階段側で、巫覡が立ち入れる場所ではありません。ただ……αには、そうする動機がない。Ωにそそのかされた者によると考えるのが自然かと」
表殿は、火気の持ち込みが厳しく制限されている。神事の最中に火事があれば、逃げ遅れる者が多く出るのは必至だからだ。それを知っていて表殿を狙うのは、神殿に強い恨みをもつ者の犯行としか考えられない。
αに、そうした動機を求めるのは難しかった。だがΩなら、十分にあり得る。
「なので……犯人探しに血道を上げるのは得策ではないかと」
「相分かった。まぁ、神官どもはそれどころではないからの。表殿の代わりはどうなっている?」
「手狭ですがなんとか発情期を迎えた巫覡たちの神事は執り行えています。茶会と舞はまだ再開の目処はありません。ただ、巫覡たちが鍵を嫌がって、……何度か騒ぎになっています」
怖い、という巫覡たちの心情は察してあまりある。けれど一方で、発情期のΩを目当てに不埒なαが入り込む事や、芳香に引き寄せられた他の禰宜が入り込むことも問題だった。
「せめて部屋を離せれば良いのですが、場所が足りず。早急に表殿を改修せねばなりません」
「そのような金などないがな」
「ええ、国に頼るしかないでしょう。そのために司祭省からの監査を受け入れる、とすれば神殿組織内の膿を出し切る事にもつながります」
「ほう、それは良いな」
神官長をはじめとした神殿の管理体制を管轄するのが司祭省の役回りになる。上手くいくかは分からないが、今の神殿組織を解体するためには、司祭省を呼び込んで行くのが良い道筋に思えた。
「じゃがのう、司祭省の奴らにまともな監査ができるかどうか」
「わかりません。ただ、既存のやり方を公にするだけでも、価値はあるかと」
神官同様、省庁の職員もほとんどがβで。きっと知らないのだ、Ωとαが神殿でどのように扱われているのか。
その状況だけでも、変えたかった。
Ωが囲われることの、その内情を、世に出して――批判があれば、それは変化を促すきっかけになる。
「まぁ良い、賽は既に振られた。思うように動いてみよ」
「ハッ」
深く敬礼する。ここからが、本当の正念場だった。
**
手紙を書いた。
これまで書き留めてきたリストを元に、書けるだけ。
宮司副官として、名のあるα達には、神殿生活の苦しみと、救いを求めるような嘆願を。官僚や高位の神官に就くβには、神官長をはじめとした現体制への不信感と、組織刷新の願いを。
ごく個人的な見解として、あるいは宮の長として、それから、巫覡を統括する宮司の代理として。
言葉を尽くして、改革を、と訴える。
もしそれで、自分の身が危ぶんでも、もう怖くはなかった。自分が成すべきことは、いまこの時、この国のΩのあり方を変える、そのきっかけを作り出すことだと知っていた。
「君の名を、兄から聞いた。……驚いたよ」
フェルは、火事の見舞いに、と手紙に書いて祈祷を申し出た。まだ茶会を執り行う部屋はなく、内向けだった喫茶室を改修して、祈祷の場に当てている。
「そうですか。……先ごろ宮司様の副官を拝命しましたので、ご挨拶のお手紙を差し上げました。殿下にも出したかと思います」
「ああ、貰った。宮司様の副官とはな。だがお前の才を考えれば、適任だと思う。……兄は面白い神巫だと、感心していた。さて……一体、何をしようとしているんだい?」
疑うような視線に覗き込まれる。
「何も。ただ、神殿はいま大変な状況です。その有り様をお伝えし、助力を請いました。……ご不快でしょうか」
少し他人行儀な振る舞いを心がけて応える。祈祷室は他人の目がある。フェルの地位に配慮して、一番奥のソファ席をあてがわれ、視界を遮るような衝立を用意されてはいたが、好奇の目がなくなるわけではなかった。仲を隠している訳では無いが……ことさら目立つのは嫌だった。
「いいや。もう私にはそのような事を言う資格はない。
……先日の件、正式に決まった。君に会うのは、……これが最後だ」
名残り惜しそうに、手が重ねられる。
「そう……おめでとうございます。いつ、お立ちに……?」
取り繕おうとして、声がかすれた。
「新年とともに式をあげる。だが月末には公表される。その後ここに出入りするのは憚られるからな」
ふ、と微笑んで。フェルは「これまで、ありがとう」と言った。
「いえ……。私の方こそ。殿下の寵愛を頂けて……光栄でした。
あの。……覚えてお出でですか。初めて神事でお会いした時のことを。私は、突然のことに怖くて……貴方でなければ、受け入れられなかったと思います。
憧れだった貴方が初めての禰宜で、本当に良かったと、今も思います。……ありがとうございました」
フェル、と音にせず呼んだ。視線がぶつかって、熱を伝え合う。
敬愛と、愛情と。すれ違っていた部分はあれど、共に過ごした時間のかけがえのなさは、変わることが無い。
「サリュー、」
そっと気配が近づいて。触れるだけの口付けが落ちる。
「覚えているよ。……いつまでも」
涙が込み上げて。一粒、零れ落ちる。
「さようなら。どうぞ……お幸せに」
「ああ。君も」
ちゅ、と手の甲に親愛の口付けを落として。フェルは寂しそうな眼差しをおくって。それでも毅然として席を立つ。
立ち去っていく背を見送って。ほぅ、と胸の奥から息を吐いた。目を閉じて、気持ちの波を落ち着かせる。
その場を立ち去るまで、少し、時間が必要だった。
**
宮司副官の職は、これまで空位だったことが嘘のように多忙だった。
宮司様に上奏される全ての書面に目を通し、重要な物とそうではないものに選り分け、必要があれば内容の確認に提出者と面会する。神殿の不正が明るみにでてから、上奏の数は増えていた。
重要なものは宮司様の裁可を仰ぎ、諮るべき内容がまとまれば、神官への差配を書き送る。神官側で疑義があれば合議の会を催して、宮司様の意向と、神官の意見を擦り合わせる。
やるべきことは山のようにあった。
「……もう少し手を抜け」
駆け回る俺に対して宮司様は呆れたように言った。けれど、ここで手を抜けば、変革などなせるはずもなかった。
「少しでも動きを止めたく無いのです。次はこれを」
「はぁ、……お主が来てから仕事が増えてかなわん……こんなもの、無しじゃ」
「御意。次です」
文句を言いながらも、宮司様の裁可は的を射ていた。
皆、不正が明るみに出た流れに遅れまいと、自分の知る不正や、被った不利益を訴え、補償を、と声をあげている。その殆どが明確な証拠もなく、あるいは補償に及ばないような些末なものだった。けれど時折、これはしっかりと話を聞かねばならない、という事例が紛れ込んでいる。それを見落とさずに、きちんと司祭省の監査にのせる事が、目下の仕事だった。
「……ふむ、これは調べよ」
「は、こちらに仔細を書き出しています」
「抜かりないのう。……ん、諮ってやれ」
「御意」
地方の神殿における、出仕行列にかかる圧力の事例だった。出仕を遅らせたい両親に、早くしなければ神の寵愛が逃げるなどと吹き込み、また年が上がれば出仕行列の費用がかさむと、喜捨の値をつり上げていた。こうした事例は話には聞いていたが、詳細を上奏してくる者はこれまでいなかった。
世の動きで告発すべき事なのだ、と認識が改まったせいで、類似の、あるいはもっと酷い例が集まって来ている。
それらを取りまとめて、公表できれば……それは大きな一歩に違いなかった。
「まだまだ有るのう。……少し休憩じゃ」
宮司様はうーん、と伸びをして。
「そうじゃ。王がの、お前に会いたいと言っておった。そのうち声がかかるぞ」
「王が、ですか……?」
問い返す。
「もちろん、非公式なものよ、そう気後れするな」
そう言われても。
王にお目見えして……それで、自分は何を伝えるのか。
鼓動の音が、やけに大きく聞こえた。
後日、改めて宮司様に呼び出されて、当然のように叱られた。しかし、隣国でみたΩの処遇、そこから考えた事を話すと「良い経験をしたな」とむしろ宮司様は満足そうだった。ただし、次に出かける際は先に知らせるように申し付けられる。
「はい。あの、……αに当てられて発情を起こすようなことは、どれくらいあることなんでしょうか」
「知見としてはある、程度が答えじゃな。文献によれば、Ωが本当に相手を欲した時に起こると。心配せずとも、めったに起こるものではなかろう。
だが……そなた、そんなにあれが良いのかえ? まったく、他人の恋路とは、わからぬものよ」
にやりと人の悪い笑みを浮かべた答えに、かぁっと羞恥に耳が熱くなる。言わなければ良かった、と視線を伏せると、「まあ、良い。今後は気をつけよ。あとで次の発情までの期間を調べなおしてやろう」と話を継いでくれる。
「それで? 我が国のΩにとってすべき事は見えてきたか?」
「はい。おぼろげながら。いま、避妊薬の禁止にともなって、神殿への不満は高まっています。この機運に乗って、神殿の権威と神官による支配の構造を揺さぶります。すでに手筈は打っております……まもなく、神官長の不正が明るみに出るかと」
「ほう。良い手じゃの。で? 妾に何を望む」
わざわざ事前に共有するのは、そのタイミングを逃さず、動いて欲しいことがあるのだと、見抜かれている。
「事態の対応に際して、私に職務をお与えください。上級神官や神官長を相手に動ける権限が欲しいのです」
宮の長では、神官と対等なやり取りはできない。せいぜいが上奏書を渡すくらいで、それも、宛先にできるのは宮を司る上級神官でしかない。
それでは、神殿全体に関わる希望や提言など通るはずも無い。
「相分かった。空位の副官職を授けるよう動いてやろう。なに、有事に神官どもを言いくるめるのは造作もない。安心せよ」
ありがたき幸せ、と畏まった返答を返すと、クツクツと笑いが返ってくる。
「ほんに、謀略には才があるのにのう……恋路は別か」
「……やめてください」
弱く抵抗すると、宮司様は愉しそうに笑った。
準備は整った。あとは何がでてくるか……藪の中をつつく段だった。
**
半鐘の音が鳴り響く音で、目が覚めた。
起き上がって窓の外を見ると、表殿の方角が赤く明るんでいる。窓を開けて周囲を見渡せば、火の手はまだ遠い。
「ルー、おいで」
指輪とガウンをつけて部屋を出る。「リファ。起きてるか。念の為、皆を起こして回れ。食堂で点呼する」
順に年長者の扉をノックして、大声で指示を出す。
風はさほどなかったが、点在する宮をたどって火の手が迫ることは十分に考えられた。
「表殿にでてるのは、コハルと…? サーシャか」
食堂の当番表を確認していると後ろから足音がする。「柘榴様、みんなを起こしたよ。どうなってるの?」
「リファ。ちょうどいい、皆が揃ったら勝手口から奥殿前の広場へ避難しろ。指示を任せる。まだ火の手は遠いから心配するな、念の為だ。俺は表殿に出ている二人を探しに行く」
「分かった。気を付けて」
うん、と頷いて、念の為に木剣を腰紐に差して宮を出る。
表殿が近づくと、逃げてくる巫女に出会った。
「表殿は? どうなっている」
「わかんない、燃えてるのは表殿の講堂っぽい。煙がすごくて」
最悪だった。表殿の中央に位置する講堂は各棟を繋ぐ場所にあり、一番大きな出入り口だ。そして講堂を避けて避難するには――鍵がいる。
「神官はでているか?」
「いた、いたけど、逃げてった」
チッと思わず舌打ちをする。鍵を持つのは神官だ。俺達では鍵のありかもわからない。
「ありがとう、逃げるなら奥殿前がいい。気を付けて」
巫女を送り出して表殿の方へ走る。火元だという講堂へ近づくほど空の明るさが増し、空気に熱を感じる。普段出入りに使っている大階段へ回ると、入口はすでに火に包まれていた。
「消火印は…」
『これほど火が回っていては消火印では無理です』
ルーから、ルシアンの声が返る。
『ルーを手のひらに乗せて』言われたまま、手のひらを広げ、ルーをのせる。見る間にむくむくとルーが大きくなって、空へと飛び立っていく。
『雨を呼びます』
龍は水の神の眷属だ。空をぐるりと巡ったルーの周りに雨雲が膨れ上がっていく。
「頼んだ」
言って、裏口に回る。神官が逃げ出した跡だろう、開いたままの扉を見つけて中に入ると、熱気が近づく。けれどまだ煙に巻かれてはいない。
「こっち側の、端だから……」
建物の構造を思い浮かべながら、いつも通る通路とは別の神官用の通路をたどる。発情期を迎えた巫覡が滞在する部屋は講堂に隣接した建物の地階に広がっている。出入口となる階段は四か所あったはずで、講堂から回廊を経た先と、裏口側に分かれている。
「くそっ」
裏口側の階段に続く扉は、危惧した通り、鍵がかかったままだった。
鍵を探すか。いや、ここを開けたとして、その先――それぞれの巫覡が侍る部屋の鍵がいる。
「このまま守るほうが早いか」
幸い、煙は階下に向かってはいないようだった。であれば、このまま地階に火が迫らぬよう、講堂側からの延焼を防げばいい。引き返して、講堂側へと向かう。
途中、消化印を見つけて手に取った。気休めにしかならないかもだが、ないよりはましだ。
「この、先……」
講堂に続く回廊へと近づくと熱気と煙が迫る。
火は、地階へ続く階段の目前に迫っていた。
延焼を食い止めるように消化印を差し向けて、火勢を削いでいく。
と、ウォヲン、と低い龍の咆哮が響いた。ルーだ。続いて地鳴りのようにびりびりと空気が震えて。
ザァッと雨が降り始める。
「無茶をしないで」
ため息交じりの声がして。振り返ろうとすると、ルシアンの腕に抱きこまれた。
「ルー、火元まで雨を届けろ」
短くルシアンが命じれば、巨大な龍となったルーが低く鳴いて。ドォン、バリッ、と建物を打ち破る音が響く。屋根に穴をあけて、降り注ぐ雨を中へ呼び込むのだろう。
「離れないで」
鳴り響く音に腕の中から身を乗り出すと、諫めるように言われる。そのまま低く古語を紡いだルシアンの周りに、風が起こる。
「地下に煙が流れないよう、風向きを変えました」
音がやんで。ルーの低い唸りが響く。
「ルー、まだだ。ちゃんと火元を探れ」
ルシアンが命令を繰り返すと、ルーはグルル、と喉を鳴らした。
地響きが鳴り響いて。
回廊の屋根と壁を打ち壊して、大きな爪先が目前に現れる。そうっと気を付けるように爪が離れていくと、雨が降りこんで。少しずつ火勢が弱まっていく。
「ルー、ありがとう」
声をかけると、ルーは嬉しそうに喉を鳴らした。
「あとのことは宮司様にお願いしてください」
ルシアンが言うと、ルーは元の小さな龍に戻って帰ってくる。
手の中でよくやったと撫でてやると、嬉しそうに尻尾を振って。ルーは再び肌の中へと帰っていった。
講堂を焼いた火事は、幸いにも死者を出さずに消し止められた。だが、神官たちが鍵のついた部屋や通路を解除せず、ほとんど全ての滞在者が取り残されたことは大きな問題となった。
そこに、追い打ちをかけるように神官長の不正を告発する記事が出た。
それはもはや単なる神官長個人の不徳とはみなされず――神殿組織全体を疑問視する流れが、出来上がりつつあった。
「ほれ、宮司付きの副官職じゃ、励めよ」
差し出されたのは神官長の認可を経た任官書だった。
「拝命いたします。……ありがとうございます」
「なぁに、お主が活躍してくれたおかげで、すんなりと通ったわ。あちらはまだ火消しに大忙しじゃしの」
活躍、と言われるようなことは何もしていないが、表向きの経緯として、宮司様が呼び出した龍を指揮した、という立場に祭り上げられていた。ルシアンの手柄を横取りするような形で申し訳ないが、本当の事を明らかにすることができない以上、仕方がない。
「で? 火付けの線は間違いないのか」
ふう、と息をついて、宮司様はこちらを覗き込む。
「はい。火の元は外階段側で、巫覡が立ち入れる場所ではありません。ただ……αには、そうする動機がない。Ωにそそのかされた者によると考えるのが自然かと」
表殿は、火気の持ち込みが厳しく制限されている。神事の最中に火事があれば、逃げ遅れる者が多く出るのは必至だからだ。それを知っていて表殿を狙うのは、神殿に強い恨みをもつ者の犯行としか考えられない。
αに、そうした動機を求めるのは難しかった。だがΩなら、十分にあり得る。
「なので……犯人探しに血道を上げるのは得策ではないかと」
「相分かった。まぁ、神官どもはそれどころではないからの。表殿の代わりはどうなっている?」
「手狭ですがなんとか発情期を迎えた巫覡たちの神事は執り行えています。茶会と舞はまだ再開の目処はありません。ただ、巫覡たちが鍵を嫌がって、……何度か騒ぎになっています」
怖い、という巫覡たちの心情は察してあまりある。けれど一方で、発情期のΩを目当てに不埒なαが入り込む事や、芳香に引き寄せられた他の禰宜が入り込むことも問題だった。
「せめて部屋を離せれば良いのですが、場所が足りず。早急に表殿を改修せねばなりません」
「そのような金などないがな」
「ええ、国に頼るしかないでしょう。そのために司祭省からの監査を受け入れる、とすれば神殿組織内の膿を出し切る事にもつながります」
「ほう、それは良いな」
神官長をはじめとした神殿の管理体制を管轄するのが司祭省の役回りになる。上手くいくかは分からないが、今の神殿組織を解体するためには、司祭省を呼び込んで行くのが良い道筋に思えた。
「じゃがのう、司祭省の奴らにまともな監査ができるかどうか」
「わかりません。ただ、既存のやり方を公にするだけでも、価値はあるかと」
神官同様、省庁の職員もほとんどがβで。きっと知らないのだ、Ωとαが神殿でどのように扱われているのか。
その状況だけでも、変えたかった。
Ωが囲われることの、その内情を、世に出して――批判があれば、それは変化を促すきっかけになる。
「まぁ良い、賽は既に振られた。思うように動いてみよ」
「ハッ」
深く敬礼する。ここからが、本当の正念場だった。
**
手紙を書いた。
これまで書き留めてきたリストを元に、書けるだけ。
宮司副官として、名のあるα達には、神殿生活の苦しみと、救いを求めるような嘆願を。官僚や高位の神官に就くβには、神官長をはじめとした現体制への不信感と、組織刷新の願いを。
ごく個人的な見解として、あるいは宮の長として、それから、巫覡を統括する宮司の代理として。
言葉を尽くして、改革を、と訴える。
もしそれで、自分の身が危ぶんでも、もう怖くはなかった。自分が成すべきことは、いまこの時、この国のΩのあり方を変える、そのきっかけを作り出すことだと知っていた。
「君の名を、兄から聞いた。……驚いたよ」
フェルは、火事の見舞いに、と手紙に書いて祈祷を申し出た。まだ茶会を執り行う部屋はなく、内向けだった喫茶室を改修して、祈祷の場に当てている。
「そうですか。……先ごろ宮司様の副官を拝命しましたので、ご挨拶のお手紙を差し上げました。殿下にも出したかと思います」
「ああ、貰った。宮司様の副官とはな。だがお前の才を考えれば、適任だと思う。……兄は面白い神巫だと、感心していた。さて……一体、何をしようとしているんだい?」
疑うような視線に覗き込まれる。
「何も。ただ、神殿はいま大変な状況です。その有り様をお伝えし、助力を請いました。……ご不快でしょうか」
少し他人行儀な振る舞いを心がけて応える。祈祷室は他人の目がある。フェルの地位に配慮して、一番奥のソファ席をあてがわれ、視界を遮るような衝立を用意されてはいたが、好奇の目がなくなるわけではなかった。仲を隠している訳では無いが……ことさら目立つのは嫌だった。
「いいや。もう私にはそのような事を言う資格はない。
……先日の件、正式に決まった。君に会うのは、……これが最後だ」
名残り惜しそうに、手が重ねられる。
「そう……おめでとうございます。いつ、お立ちに……?」
取り繕おうとして、声がかすれた。
「新年とともに式をあげる。だが月末には公表される。その後ここに出入りするのは憚られるからな」
ふ、と微笑んで。フェルは「これまで、ありがとう」と言った。
「いえ……。私の方こそ。殿下の寵愛を頂けて……光栄でした。
あの。……覚えてお出でですか。初めて神事でお会いした時のことを。私は、突然のことに怖くて……貴方でなければ、受け入れられなかったと思います。
憧れだった貴方が初めての禰宜で、本当に良かったと、今も思います。……ありがとうございました」
フェル、と音にせず呼んだ。視線がぶつかって、熱を伝え合う。
敬愛と、愛情と。すれ違っていた部分はあれど、共に過ごした時間のかけがえのなさは、変わることが無い。
「サリュー、」
そっと気配が近づいて。触れるだけの口付けが落ちる。
「覚えているよ。……いつまでも」
涙が込み上げて。一粒、零れ落ちる。
「さようなら。どうぞ……お幸せに」
「ああ。君も」
ちゅ、と手の甲に親愛の口付けを落として。フェルは寂しそうな眼差しをおくって。それでも毅然として席を立つ。
立ち去っていく背を見送って。ほぅ、と胸の奥から息を吐いた。目を閉じて、気持ちの波を落ち着かせる。
その場を立ち去るまで、少し、時間が必要だった。
**
宮司副官の職は、これまで空位だったことが嘘のように多忙だった。
宮司様に上奏される全ての書面に目を通し、重要な物とそうではないものに選り分け、必要があれば内容の確認に提出者と面会する。神殿の不正が明るみにでてから、上奏の数は増えていた。
重要なものは宮司様の裁可を仰ぎ、諮るべき内容がまとまれば、神官への差配を書き送る。神官側で疑義があれば合議の会を催して、宮司様の意向と、神官の意見を擦り合わせる。
やるべきことは山のようにあった。
「……もう少し手を抜け」
駆け回る俺に対して宮司様は呆れたように言った。けれど、ここで手を抜けば、変革などなせるはずもなかった。
「少しでも動きを止めたく無いのです。次はこれを」
「はぁ、……お主が来てから仕事が増えてかなわん……こんなもの、無しじゃ」
「御意。次です」
文句を言いながらも、宮司様の裁可は的を射ていた。
皆、不正が明るみに出た流れに遅れまいと、自分の知る不正や、被った不利益を訴え、補償を、と声をあげている。その殆どが明確な証拠もなく、あるいは補償に及ばないような些末なものだった。けれど時折、これはしっかりと話を聞かねばならない、という事例が紛れ込んでいる。それを見落とさずに、きちんと司祭省の監査にのせる事が、目下の仕事だった。
「……ふむ、これは調べよ」
「は、こちらに仔細を書き出しています」
「抜かりないのう。……ん、諮ってやれ」
「御意」
地方の神殿における、出仕行列にかかる圧力の事例だった。出仕を遅らせたい両親に、早くしなければ神の寵愛が逃げるなどと吹き込み、また年が上がれば出仕行列の費用がかさむと、喜捨の値をつり上げていた。こうした事例は話には聞いていたが、詳細を上奏してくる者はこれまでいなかった。
世の動きで告発すべき事なのだ、と認識が改まったせいで、類似の、あるいはもっと酷い例が集まって来ている。
それらを取りまとめて、公表できれば……それは大きな一歩に違いなかった。
「まだまだ有るのう。……少し休憩じゃ」
宮司様はうーん、と伸びをして。
「そうじゃ。王がの、お前に会いたいと言っておった。そのうち声がかかるぞ」
「王が、ですか……?」
問い返す。
「もちろん、非公式なものよ、そう気後れするな」
そう言われても。
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鼓動の音が、やけに大きく聞こえた。
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