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第三幕 子猫はもっと遊びたい
秘密の抜け路 2
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朝餉を前にして余三郎は少々気が重かった。
猫柳家の今朝の献立は、雑穀入りの飯、目刺しを各一尾、そして余三郎が秘蔵していた最高級ワカメの味噌汁である。
これでも普段の猫柳家の基準で見ればやや贅沢な部類に入る朝餉なのだが、問題は上座に座っている愛姫がこれで満足してくれるかどうかである。
昨晩は神社で拾ってきた餅があったので取り繕うことができた。しかし頼みの綱だった餅はもう一かけらも残っていない。
しかたなく余三郎は普段猫柳家で出されている雑穀入りの飯を愛姫にも出す事にした。
余三郎は菊花が配膳し終えるのを緊張しながら待った。
なにしろ愛姫は白米のご飯しか口にしたことのない深窓の姫君。独特の匂いがある糅飯が嫌だと言われれば、余三郎は腰の刀を質に入れてでも白米を買いに行かねばならないところだ。
「さぁ、どうぞ愛姫様。先に箸をつけて下さいませ」
菊花に勧められて箸を持つ愛姫。
緊張で引き攣った顔で愛姫が飯を食うところを見ていた余三郎。だが、そんな余三郎の心配はすぐに霧散した。
愛姫は糅飯を一口頬張ると「食感が楽しい飯じゃな」と笑顔を見せて、意外なほどの好評を得ることが出来た。
ようやく余三郎はホッと胸を撫で下ろして、いつもより雑穀の割合が多い飯を口に入れた。
食事を終えた後、百合丸と霧の二人が連れ立って家の外に出かけて行った。
「むぅ? 叔父上、二人はどこへ行ったのじゃ?」
置いていかれた愛姫が寂しそうに余三郎の袖を引く。
「あぁ、今日は町内のお清めの日なんですよ」
「お清めの日?」
「簡単に言うと町内清掃をする日なんです。まだ働きに出ていない子供たちが集まって辻のお地蔵様を磨いたり、お稲荷様の祠を埃を払ったり。そういう奉仕活動をしながら子供たち同士で交流する日なんですよ」
「むぅ、そういうことなら妾も百合丸たちと一緒にやってみたかったのぅ……」
「四半刻(三十分)程度で終わる簡単なものですからすぐ帰ってきますよ。それよりも愛姫様にお尋ねしたいことがあるのですが」
「何じゃ?」
「殿ぉ、お茶を淹れましたので、そのお話はこちらでしませんか?」
食事の片付けを終えた菊花が気を利かせて茶の用意をしてくれていた。
「おぉ、有り難し。愛姫、あちらに移りましょうか」
食事をしていた板間から囲炉裏のある部屋に移った余三郎と愛姫。それに菊花を加えた三人が白湯のように薄ぅうい色しかついていない茶を頂きながらまったりと抜け路の件について話し合った。
「ふむ……確かに『秘密の抜け路』のことなら妾も父上から聞いておる」
「おおっ!」
余三郎の顔が喜びで輝いた。
「じゃが妾もどこにあるのかは知らん。そもそも妾が秘密の抜け路の場所を知っておったら誰かの手を借りずとも一人でそこを使って城下に遊びに出ておるわ」
「おおぉう……」
体から背骨が抜かれたかのように余三郎はぐんにゃりと畳に突っ伏した。
「くふふふふ。叔父上は動きが面白いのぅ」
愛姫にいいようにからかわれている余三郎に代わって菊花が話を継いだ。
「姫様。それについて何か手掛かりになるようなことはご存知ありませんか? その路を行くとどこに出るとか……将軍様は仰ってなかったでしょうか」
「手がかりのぅ……すまんが本当に妾は何にも知らんのじゃ。何度か父上にその秘密の抜け路に連れて行ってくれるよう頼んだのじゃが、もう少し大きくなってからだとか、暗くて危ないとか、中は寒いから行くとしても温かい季節になってからだとか、夏場は体が潮臭くなるから行きたくないとか、なんのかんのと理由をつけて絶対に連れて行ってくれなんだ」
「体が潮臭くなる?」
愛姫のその言葉に、畳に突っ伏したままの余三郎がピクリと反応する。
「そうじゃ。年がら年中体を鍛えてていつも汗臭いくせにそんな言い訳にもならないことを言って、父上は妾を遊びに連れて行ってはくれぬのだ」
「それはそうでしょう。秘密の抜け路は物見遊山の感覚で行くようなところではないと思いますよ。一応これでも天下大乱の時に備えた極秘事項なんですから……殿、どうされました?」
さっきまで畳に額を擦り付けていた余三郎が腕を組んで何かしら考え込んでいた。
「暗くて危ない……中は寒いから……。秘密の抜け路は敗戦時に城外へ落ちるための通路として作られたものなのだから、それは必然的に地下道になる。そう考えると『暗い』のも『寒い』のも当然のこと。しかし、体が潮臭くなる? その路は潮の臭いが充満しているという事か……。愛姫」
「なんじゃ?」
「兄者は他にそのようなことを何か仰ってなかったでござろうか? 今のような言葉の欠片がその路を探し出す手掛かりになるやもしれませぬ」
「手がかり? どういうことじゃ」
余三郎はすっくと立ちあがると自分の部屋に駆け込んで一枚の巻紙を掴んで戻ってきた。
皆の前で広げて見せる。それは江戸城や町の通りなどが大まかに描かれた江戸の地図だった。
「見ての通りここが江戸城。周りを囲むのは八百八町と謳われる広大な城下町ですが、権現様が江戸に幕府を開かれた当初はあまり人は住んでおらず、土地のほとんどが湿地で特に東側は海水が差し込むほどだったと学者の先生に習いました。今の街並みは江戸城の大改築『天下普請』による湿地の埋め立てで出来たのです」
「え、っと……つまり?」
あまりその手の習い事はしていない愛姫が少々たじろぎながら訊き返すと、
「つまり『体が潮臭くなる』などの言葉から、その『秘密の抜け路』は一昔前までは海水が差し込んでいた場所、つまり城から東に向かって延びている地下道なのだと推測できるのです」
「ほぉ? ほぉ!? そういう推理で路を探すのか。これは面白そうじゃのう!」
愛姫は目をキラキラに輝かせて身を乗り出してきた。
「他に手がかりになりそうな話は……そうじゃ『あの中に行きたいなら愛もわしのように鉄下駄で歩けるくらいに足腰を鍛えておかねばな』と父上は言うておった」
「鉄下駄? 一部の山伏が修行として履いている鉄製の下駄の事ですか」
「その話をしていた頃の父上が一番気に入っていた鍛錬具じゃの。もっとも、それで鷹狩りに出かけたら鼻緒が何度も切れて使い物にならなかったそうで、それ以来使ってないようじゃが」
「鉄下駄を履いて鷹狩りに、ですか。亀宗様は相変わらずバケモ……ん、んんっ! 怪物みたいな方ですね」
「菊花さん。言い直せてないですからね、今の」
「すみません、つい本音が」
菊花は愛姫に深々と頭を下げて謝った。
謝られた愛姫の方も色々と思うところがあるらしくて苦笑いで許してくれた。
猫柳家の今朝の献立は、雑穀入りの飯、目刺しを各一尾、そして余三郎が秘蔵していた最高級ワカメの味噌汁である。
これでも普段の猫柳家の基準で見ればやや贅沢な部類に入る朝餉なのだが、問題は上座に座っている愛姫がこれで満足してくれるかどうかである。
昨晩は神社で拾ってきた餅があったので取り繕うことができた。しかし頼みの綱だった餅はもう一かけらも残っていない。
しかたなく余三郎は普段猫柳家で出されている雑穀入りの飯を愛姫にも出す事にした。
余三郎は菊花が配膳し終えるのを緊張しながら待った。
なにしろ愛姫は白米のご飯しか口にしたことのない深窓の姫君。独特の匂いがある糅飯が嫌だと言われれば、余三郎は腰の刀を質に入れてでも白米を買いに行かねばならないところだ。
「さぁ、どうぞ愛姫様。先に箸をつけて下さいませ」
菊花に勧められて箸を持つ愛姫。
緊張で引き攣った顔で愛姫が飯を食うところを見ていた余三郎。だが、そんな余三郎の心配はすぐに霧散した。
愛姫は糅飯を一口頬張ると「食感が楽しい飯じゃな」と笑顔を見せて、意外なほどの好評を得ることが出来た。
ようやく余三郎はホッと胸を撫で下ろして、いつもより雑穀の割合が多い飯を口に入れた。
食事を終えた後、百合丸と霧の二人が連れ立って家の外に出かけて行った。
「むぅ? 叔父上、二人はどこへ行ったのじゃ?」
置いていかれた愛姫が寂しそうに余三郎の袖を引く。
「あぁ、今日は町内のお清めの日なんですよ」
「お清めの日?」
「簡単に言うと町内清掃をする日なんです。まだ働きに出ていない子供たちが集まって辻のお地蔵様を磨いたり、お稲荷様の祠を埃を払ったり。そういう奉仕活動をしながら子供たち同士で交流する日なんですよ」
「むぅ、そういうことなら妾も百合丸たちと一緒にやってみたかったのぅ……」
「四半刻(三十分)程度で終わる簡単なものですからすぐ帰ってきますよ。それよりも愛姫様にお尋ねしたいことがあるのですが」
「何じゃ?」
「殿ぉ、お茶を淹れましたので、そのお話はこちらでしませんか?」
食事の片付けを終えた菊花が気を利かせて茶の用意をしてくれていた。
「おぉ、有り難し。愛姫、あちらに移りましょうか」
食事をしていた板間から囲炉裏のある部屋に移った余三郎と愛姫。それに菊花を加えた三人が白湯のように薄ぅうい色しかついていない茶を頂きながらまったりと抜け路の件について話し合った。
「ふむ……確かに『秘密の抜け路』のことなら妾も父上から聞いておる」
「おおっ!」
余三郎の顔が喜びで輝いた。
「じゃが妾もどこにあるのかは知らん。そもそも妾が秘密の抜け路の場所を知っておったら誰かの手を借りずとも一人でそこを使って城下に遊びに出ておるわ」
「おおぉう……」
体から背骨が抜かれたかのように余三郎はぐんにゃりと畳に突っ伏した。
「くふふふふ。叔父上は動きが面白いのぅ」
愛姫にいいようにからかわれている余三郎に代わって菊花が話を継いだ。
「姫様。それについて何か手掛かりになるようなことはご存知ありませんか? その路を行くとどこに出るとか……将軍様は仰ってなかったでしょうか」
「手がかりのぅ……すまんが本当に妾は何にも知らんのじゃ。何度か父上にその秘密の抜け路に連れて行ってくれるよう頼んだのじゃが、もう少し大きくなってからだとか、暗くて危ないとか、中は寒いから行くとしても温かい季節になってからだとか、夏場は体が潮臭くなるから行きたくないとか、なんのかんのと理由をつけて絶対に連れて行ってくれなんだ」
「体が潮臭くなる?」
愛姫のその言葉に、畳に突っ伏したままの余三郎がピクリと反応する。
「そうじゃ。年がら年中体を鍛えてていつも汗臭いくせにそんな言い訳にもならないことを言って、父上は妾を遊びに連れて行ってはくれぬのだ」
「それはそうでしょう。秘密の抜け路は物見遊山の感覚で行くようなところではないと思いますよ。一応これでも天下大乱の時に備えた極秘事項なんですから……殿、どうされました?」
さっきまで畳に額を擦り付けていた余三郎が腕を組んで何かしら考え込んでいた。
「暗くて危ない……中は寒いから……。秘密の抜け路は敗戦時に城外へ落ちるための通路として作られたものなのだから、それは必然的に地下道になる。そう考えると『暗い』のも『寒い』のも当然のこと。しかし、体が潮臭くなる? その路は潮の臭いが充満しているという事か……。愛姫」
「なんじゃ?」
「兄者は他にそのようなことを何か仰ってなかったでござろうか? 今のような言葉の欠片がその路を探し出す手掛かりになるやもしれませぬ」
「手がかり? どういうことじゃ」
余三郎はすっくと立ちあがると自分の部屋に駆け込んで一枚の巻紙を掴んで戻ってきた。
皆の前で広げて見せる。それは江戸城や町の通りなどが大まかに描かれた江戸の地図だった。
「見ての通りここが江戸城。周りを囲むのは八百八町と謳われる広大な城下町ですが、権現様が江戸に幕府を開かれた当初はあまり人は住んでおらず、土地のほとんどが湿地で特に東側は海水が差し込むほどだったと学者の先生に習いました。今の街並みは江戸城の大改築『天下普請』による湿地の埋め立てで出来たのです」
「え、っと……つまり?」
あまりその手の習い事はしていない愛姫が少々たじろぎながら訊き返すと、
「つまり『体が潮臭くなる』などの言葉から、その『秘密の抜け路』は一昔前までは海水が差し込んでいた場所、つまり城から東に向かって延びている地下道なのだと推測できるのです」
「ほぉ? ほぉ!? そういう推理で路を探すのか。これは面白そうじゃのう!」
愛姫は目をキラキラに輝かせて身を乗り出してきた。
「他に手がかりになりそうな話は……そうじゃ『あの中に行きたいなら愛もわしのように鉄下駄で歩けるくらいに足腰を鍛えておかねばな』と父上は言うておった」
「鉄下駄? 一部の山伏が修行として履いている鉄製の下駄の事ですか」
「その話をしていた頃の父上が一番気に入っていた鍛錬具じゃの。もっとも、それで鷹狩りに出かけたら鼻緒が何度も切れて使い物にならなかったそうで、それ以来使ってないようじゃが」
「鉄下駄を履いて鷹狩りに、ですか。亀宗様は相変わらずバケモ……ん、んんっ! 怪物みたいな方ですね」
「菊花さん。言い直せてないですからね、今の」
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