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第1話
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特別深くはない微睡みの底から、ゆっくりと意識が浮上していく。目覚めのとき特有の、あのなんとも言えない、ふわふわした心地が、僕は好きで嫌いだった。朝が来てしまう。憂鬱な、朝が。
「おにいさん」
誰かが僕を呼んだ気がする。おにいさん、としか言われていないのに僕が呼ばれたように感じるのはきっと、その青年の声が異様に近くで聞こえるからだ。でも、おかしい。僕は青年の声をアラームにする趣味はないし、弟もいない。この声は誰だ?
「おにーさん、ってば」
青年のどこか甘えるような声が鼓膜を打つ。存外悪くない声だ。誘われるように、僕は重い瞼をようやく開けた。
見慣れた天井だ。何もおかしなところはない。大丈夫だ。僕の右側がこころなしか暖かく感じるのもきっと、気のせいだ。
「あぁ、やっと起きたんだね」
例の青年の声が、仰向けに寝ている僕のには右隣から聞こえた。反射的に右を見る。
そこには銀髪の美少年__否、美青年がいた。
絶句して固まる僕をよそに、青年はもそもそと起き上がった。
そもそも何故一緒に寝ていたのだろう。昨日は何をしていた?確か大学のサークルのメンバーと飲んで…。そこから先の記憶はない。酔い潰れるほど飲んだのか?答えはNOだ。
僕と同じくらいの歳だと思われる、隣の青年をじっと見つめる。透き通った綺麗な碧い瞳がふたつ、僕を見据えた。ますますわけがわからない。
「あの」
気づくと声が出ていた。とりあえず、この腹立つほどに顔の良いこいつが誰なのか、確かめなくてはならない。
「おはよう、おにいさん」
「おはよう…いやそうじゃなくて」
?マークを浮かべるように青年が首を傾げた。並大抵の女子がしても「あざとい」としか言われないようなわざとらしい仕草がどうにも絵になっていて、それが少しだけ羨ましい。
「……どちら様、ですか」
「あ、ごめん。記憶消したままだったね」
そう言って青年が僕の手を握った。
拒否することはできなかった。
なぜなら、昨夜の記憶が走馬灯のように流れてきたからだ。
***
居酒屋からの帰り道で僕が見つけたのは、絵に書いたように行き倒れる一人の青年だった。蛾が集まる電灯の下、小さな路地で、その男は地に伏していた。
初夏。放っておいても死にはしないかもしれないが、酒の力で程よく気が大きくなった僕は、気づけば青年に声をかけていた。
「あの、大丈夫ですか?」
「………」
返事がない。ただの屍のようだ。
と内心某ゲームの画面を想像したが、実際に屍だと困るので青年の頬を軽く叩いた。
「ぅ………あ…」
小さく呻く。生きてはいるみたいだ。案外、男の顔は整っていた。染めたものなのか、目立つ銀髪はしかし青年によく馴染んでいた。しばらく声をかけていると、やがて意識がはっきりしてきたようで、目を大きく開いた。
「どうしましたか?」
「………おなか…」
途端、狭い路地に響く空腹を示す音。僕は苦笑を一つこぼすと、自宅まで案内することにした。
一人暮らしのワンルーム。ソファなんてものはないので、ベッドに座るように言うと、青年は申し訳無さそうに口を開いた。
「あの…」
「ちょっと待ってろ。冷蔵庫見てくる」
「えっと、そうじゃなくて…」
「どうかしたの」
「血…血が、ほしい…」
血?血ってあの、体内に流れる、赤いやつ?
突拍子もない言葉にIQ3のような思考をしていると、青年が自分の歯を見せた。
そこにあるのは、漫画でよく見る鋭い牙だった。
いやいや、新手のどっきりか?ハロウィンの仮装にしては出来が良すぎるし、そもそも半年先だ。
「オレ…吸血鬼、なんだよ」
「吸血鬼…」
言葉をゆっくりと反芻する。きゅう、けつ、き。そうだ。あの、人の血を吸って生きる、あれだ。
「それは…僕の血が飲みたいってこと?」
「…できれば」
何故だかわからないが、このとき僕は彼の言葉を疑わなかった。彼の放つ、オーラのような何かに、呑まれていたのかもしれない。気づけば僕は、彼の隣に腰掛けていた。
「いいよ。僕で良ければ」
人助けのつもりだった。人が空腹で倒れていたから食事を提供する。必要であれば病院に運ぶ。それと同じ。吸血鬼が倒れていたから血を分け与える。言葉にするとなんともシュールだが、つまりは、そういうことだ。何もおかしなことはないはずだ。
「いいのか?」
隣に座る吸血鬼の瞳に光が灯った。本当は、今すぐにでも喰らいたいのかもしれない。
「……痛くないなら」
「努力する」
「どこから吸うの?」
彼は一瞬考えるように間をおいて、
「どこでもいいかな…吸いやすいのは、腕」
と返した。首じゃないのか、と少し驚いた。でもそれは、漫画で染み付いてしまったイメージってやつで、本物の吸血鬼には当てはまらないのかもしれない。ひょっとしたら彼は、日光が平気で、にんにくが好きで、十字架のアクセサリーをつけていたりする、かもしれない。
そう考えるとなんだかおかしくなってきて、僕は吸いやすいように腕をまくった。
「……いただきます」
礼儀正しくそう言うと、彼はちょうど静脈のあたりに牙を突き立てた。血が抜けていく感覚。採血とそう変わりはない。漫画__よくある薄い本で見かける、吸われると気持ちよくなってしまう、みたいなものも、ない。普通に、ただただ、吸われている。そんな感覚だ。
口を離し、舌なめずりをする。蛍光灯の下でもそれは様になった動きだった。月明かりだと、もっと"それっぽく"なっただろう。
「ごちそうさま!」
彼は満面の笑みを浮かべていた。小さな達成感が胸を満たして、眠気を呼んだ。
「お礼がしたいけど、おにいさん、眠そうだね」
「…うん」
「一晩、泊めてくれる?明日、精一杯お礼するから」
「………ああ」
襲いかかる眠気に、風呂に入るのを一旦諦める。明日は休みだ。明日の朝でもいいだろう。寝間着用のTシャツと短パンに着替えて、ベッドに潜り込む。吸血鬼が床で寝ようとしていたので、ベッドに来るように手招いた。
「何から何までありがとう。オレはハルカ」
「……どう、いたしまして…」
***
記憶はそこで途絶えている。
「ハルカ」
「ちゃんと思い出してくれたみたいで良かった」
「記憶、消したのか」
「そうだよ。おにーさん、昨日のこと頭に残って寝れないみたいだったから」
案外優しい奴だった。記憶を消す能力があるなら、有無を言わさずに血を吸ってから、全て忘れさせてしまえばいいだろうに。それをしないのは、彼が底なしのお人好しなのか、それともただの馬鹿なのか。どちらともとれそうなのがこいつの恐ろしいところだ。
「僕の名前は、悠真。神崎悠真だ」
「ユーマ。よろしくね……早速、お礼の話なんだけど」
そういえば昨日寝る前、そんなことを言っていた気がする。お礼って言ったって、相手は自分より顔のいい美青年だ。これが美少女なら…と考えたところで頭をぶんぶんと振って思考を追い払う。
「お礼、ねぇ…」
「うん。しばらくの間、オレをここに泊めてほしい…です」
「……それのどこがお礼になるんだ?」
「掃除、洗濯、炊事。何から何までお世話します」
「その心は?」
「彼女に振られて住む場所と食料に困ってます」
ハルカが丁寧に頭を下げた。要するに居候したいということらしい。正直男二人で住むには少々手狭なアパートだが、まあ、できなくはないだろう。
「採用」
ぱあっと目を輝かせるハルカ。どこか小動物のようで少し可愛い。………可愛い?相手は男だぞ?
「ありがとう!ユーマ!」
……なにはともあれ、こうして僕らの同居生活が始まった。
「おにいさん」
誰かが僕を呼んだ気がする。おにいさん、としか言われていないのに僕が呼ばれたように感じるのはきっと、その青年の声が異様に近くで聞こえるからだ。でも、おかしい。僕は青年の声をアラームにする趣味はないし、弟もいない。この声は誰だ?
「おにーさん、ってば」
青年のどこか甘えるような声が鼓膜を打つ。存外悪くない声だ。誘われるように、僕は重い瞼をようやく開けた。
見慣れた天井だ。何もおかしなところはない。大丈夫だ。僕の右側がこころなしか暖かく感じるのもきっと、気のせいだ。
「あぁ、やっと起きたんだね」
例の青年の声が、仰向けに寝ている僕のには右隣から聞こえた。反射的に右を見る。
そこには銀髪の美少年__否、美青年がいた。
絶句して固まる僕をよそに、青年はもそもそと起き上がった。
そもそも何故一緒に寝ていたのだろう。昨日は何をしていた?確か大学のサークルのメンバーと飲んで…。そこから先の記憶はない。酔い潰れるほど飲んだのか?答えはNOだ。
僕と同じくらいの歳だと思われる、隣の青年をじっと見つめる。透き通った綺麗な碧い瞳がふたつ、僕を見据えた。ますますわけがわからない。
「あの」
気づくと声が出ていた。とりあえず、この腹立つほどに顔の良いこいつが誰なのか、確かめなくてはならない。
「おはよう、おにいさん」
「おはよう…いやそうじゃなくて」
?マークを浮かべるように青年が首を傾げた。並大抵の女子がしても「あざとい」としか言われないようなわざとらしい仕草がどうにも絵になっていて、それが少しだけ羨ましい。
「……どちら様、ですか」
「あ、ごめん。記憶消したままだったね」
そう言って青年が僕の手を握った。
拒否することはできなかった。
なぜなら、昨夜の記憶が走馬灯のように流れてきたからだ。
***
居酒屋からの帰り道で僕が見つけたのは、絵に書いたように行き倒れる一人の青年だった。蛾が集まる電灯の下、小さな路地で、その男は地に伏していた。
初夏。放っておいても死にはしないかもしれないが、酒の力で程よく気が大きくなった僕は、気づけば青年に声をかけていた。
「あの、大丈夫ですか?」
「………」
返事がない。ただの屍のようだ。
と内心某ゲームの画面を想像したが、実際に屍だと困るので青年の頬を軽く叩いた。
「ぅ………あ…」
小さく呻く。生きてはいるみたいだ。案外、男の顔は整っていた。染めたものなのか、目立つ銀髪はしかし青年によく馴染んでいた。しばらく声をかけていると、やがて意識がはっきりしてきたようで、目を大きく開いた。
「どうしましたか?」
「………おなか…」
途端、狭い路地に響く空腹を示す音。僕は苦笑を一つこぼすと、自宅まで案内することにした。
一人暮らしのワンルーム。ソファなんてものはないので、ベッドに座るように言うと、青年は申し訳無さそうに口を開いた。
「あの…」
「ちょっと待ってろ。冷蔵庫見てくる」
「えっと、そうじゃなくて…」
「どうかしたの」
「血…血が、ほしい…」
血?血ってあの、体内に流れる、赤いやつ?
突拍子もない言葉にIQ3のような思考をしていると、青年が自分の歯を見せた。
そこにあるのは、漫画でよく見る鋭い牙だった。
いやいや、新手のどっきりか?ハロウィンの仮装にしては出来が良すぎるし、そもそも半年先だ。
「オレ…吸血鬼、なんだよ」
「吸血鬼…」
言葉をゆっくりと反芻する。きゅう、けつ、き。そうだ。あの、人の血を吸って生きる、あれだ。
「それは…僕の血が飲みたいってこと?」
「…できれば」
何故だかわからないが、このとき僕は彼の言葉を疑わなかった。彼の放つ、オーラのような何かに、呑まれていたのかもしれない。気づけば僕は、彼の隣に腰掛けていた。
「いいよ。僕で良ければ」
人助けのつもりだった。人が空腹で倒れていたから食事を提供する。必要であれば病院に運ぶ。それと同じ。吸血鬼が倒れていたから血を分け与える。言葉にするとなんともシュールだが、つまりは、そういうことだ。何もおかしなことはないはずだ。
「いいのか?」
隣に座る吸血鬼の瞳に光が灯った。本当は、今すぐにでも喰らいたいのかもしれない。
「……痛くないなら」
「努力する」
「どこから吸うの?」
彼は一瞬考えるように間をおいて、
「どこでもいいかな…吸いやすいのは、腕」
と返した。首じゃないのか、と少し驚いた。でもそれは、漫画で染み付いてしまったイメージってやつで、本物の吸血鬼には当てはまらないのかもしれない。ひょっとしたら彼は、日光が平気で、にんにくが好きで、十字架のアクセサリーをつけていたりする、かもしれない。
そう考えるとなんだかおかしくなってきて、僕は吸いやすいように腕をまくった。
「……いただきます」
礼儀正しくそう言うと、彼はちょうど静脈のあたりに牙を突き立てた。血が抜けていく感覚。採血とそう変わりはない。漫画__よくある薄い本で見かける、吸われると気持ちよくなってしまう、みたいなものも、ない。普通に、ただただ、吸われている。そんな感覚だ。
口を離し、舌なめずりをする。蛍光灯の下でもそれは様になった動きだった。月明かりだと、もっと"それっぽく"なっただろう。
「ごちそうさま!」
彼は満面の笑みを浮かべていた。小さな達成感が胸を満たして、眠気を呼んだ。
「お礼がしたいけど、おにいさん、眠そうだね」
「…うん」
「一晩、泊めてくれる?明日、精一杯お礼するから」
「………ああ」
襲いかかる眠気に、風呂に入るのを一旦諦める。明日は休みだ。明日の朝でもいいだろう。寝間着用のTシャツと短パンに着替えて、ベッドに潜り込む。吸血鬼が床で寝ようとしていたので、ベッドに来るように手招いた。
「何から何までありがとう。オレはハルカ」
「……どう、いたしまして…」
***
記憶はそこで途絶えている。
「ハルカ」
「ちゃんと思い出してくれたみたいで良かった」
「記憶、消したのか」
「そうだよ。おにーさん、昨日のこと頭に残って寝れないみたいだったから」
案外優しい奴だった。記憶を消す能力があるなら、有無を言わさずに血を吸ってから、全て忘れさせてしまえばいいだろうに。それをしないのは、彼が底なしのお人好しなのか、それともただの馬鹿なのか。どちらともとれそうなのがこいつの恐ろしいところだ。
「僕の名前は、悠真。神崎悠真だ」
「ユーマ。よろしくね……早速、お礼の話なんだけど」
そういえば昨日寝る前、そんなことを言っていた気がする。お礼って言ったって、相手は自分より顔のいい美青年だ。これが美少女なら…と考えたところで頭をぶんぶんと振って思考を追い払う。
「お礼、ねぇ…」
「うん。しばらくの間、オレをここに泊めてほしい…です」
「……それのどこがお礼になるんだ?」
「掃除、洗濯、炊事。何から何までお世話します」
「その心は?」
「彼女に振られて住む場所と食料に困ってます」
ハルカが丁寧に頭を下げた。要するに居候したいということらしい。正直男二人で住むには少々手狭なアパートだが、まあ、できなくはないだろう。
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