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◆2章.まだ色付かない心に溺れて
017.いつの日にか思い出したい色になる
しおりを挟む「__ええ、その調子です。もう少し背筋を伸ばされますと大変宜しいですよ。ええ、そうです」
ステップをしながら、自分の姿勢や目線、顔の作り方、揺れる服の動きにも意識を向けつつ体を動かしていく。細やかな所まで指摘され、適宜修正しながら私はどうにかダンスを最後まで踊りきる。
「セシーリア様、流石ですわ。正直私が教えることはもうないくらいですわ。……ええ、とても美しかったです」
「いえ、バーリア夫人のお陰です」
「いえいえ、あなたがこれまで培ってきたものが素晴らしかったのでしょうね。パーティーでお相手になる殿下が益々夢中になってしまうでしょう」
今はダンスの時間である。いよいよお妃教育が始まり、結婚までの短い期間の中で怒涛のスケジュールが組んである。私のあれこれも考慮してはあるが、これから先のことを考えるとそれはもう恐ろしい。
本当は婚約期間は長めにとるものなのでここまで急かされないのだがそうは言っていられないため、とりあえず「セシーリアが皇太子妃になるまでに詰め込めるだけ詰め込めよう大作戦」が決行されたわけである。
とりあえず一通り色々なことを私にさせてみて、必要最低限できている部分より全く触れたことのない部分やまだまだ努力が必要な部分を重点的に教育されることになった。
国の歴史や現在の情勢、他国との関係などの内容から、マナーや礼儀作法、心得・慣習・儀礼について、ダンス、音楽、護身術、皇太子妃の公務などに始まり、各国の要人や国の貴族たち、各領地の名産や国土の地理など随分と多岐にわたる。
元々こんな体質では王族や皇族相手に嫁ぐことなど私含め家族は考えていなかったので正直不安だった。
「セシーリアさんは素晴らしいと教育係が絶賛していたわ」
「いえ、皆様の教え方がお上手でして」
本日のお妃教育が終わるとほぼ毎日恒例となってきた皇后陛下とのお茶の時間が始まる。皇后陛下のご公務がない日や日程に余裕がある日、彼女は決まって庭園やサロンなどに招いてくれるのだ。
皇后陛下としてのオーラ?的なものは感じられるが、基本的に穏やかで私にもプライベートでは優しい。流石に皇后陛下に直接マナーを見てもらった時には厳しい言葉を貰ったこともあるが、それは私を思いやってのことであると理解している。
なんでも「男兄弟や息子しかいなかったから、娘とこんな風にお茶をするのが夢だった」らしい。皇后陛下のご実家は辺境伯家で、しかも家系なのか母親以外は男という環境で育ったらしい。親戚も男ばかりで、姉は無理でも妹や娘がいつかできることを望んでいるが、未だにいないという。
「最初は体質のことで不安そうにしていたけれど、今はどうかしら」
「私のペースに合わせて頂けているのでどうにかなっています」
「そうなのね。良かったわ」
皇后陛下はニコニコと微笑みながら私に質問をしたり、自分のときのお妃教育を懐かしみながらお話されたりしている。私の教育係の中には皇后陛下のときにも担当された方も数人いるので、お互いに話の共通点が見つかって何だか楽しい。
「礼儀作法の評価が高いのは分かるけれど、セシーリアさんがまさか大陸外の言葉や古代語もできて、護身術や音楽にも長けていると聞いた時には驚いたわ」
「幼い頃から興味があることが多かったので、人よりも趣味や知識の幅はほんの少し広いかもしれません。人生はとてつもなく長いですが、それでも限られていますので」
「ええ、そうね」
この世界もやはり広い。そして私の一日は人よりもとても短い。とても幼い頃の記憶は、いつも眠気とそれに対する苛立ちばかり、気がつけば歳は10歳に近かった。
人は時間に余裕がないとある意味で追い詰められる。私はこの体質のせいで人より何もかもが遅くなることを怖がった。周りはゆっくりでも良いのだというが、何となくそれにら甘えていいとは思えなかったのだ。
色々なものを恐れながら自分の同世代たちに後れをとらないようにと必死に色々なことを限られた時間で取り組む。その必死さや限られた時間でもできる効率の良いやり方を昔の教育係や家族、周りの者たちと考えながら取り組んでいるうちに少しだけ人よりもできるようになってしまったらしい。
「一時期は民たちの中でお仕事もされていたのでしょう?貴族だけでなく民からの視点から考えることができたり、民たちの常識や感覚が少しでも分かったりするのはとても良いことです」
「私もそう思います。……正直、貴族には民の中にまじって活動することを嫌厭される方も多いですが、様々な立場に身を置いて世の中を見られたあの経験は私の中ではとても大切でした」
それを話すと皇后陛下はゆっくりと頷いた。
「私も昔、得がたい経験をしたわ。今もとても大切な時間だけれど過去の辛いことも素敵だった思い出も確かにとても大切ね」
「はい。過去がどんな感情で溢れ、どんな色をしていても変えることはできません。けれどそれが変えられないからこそ大切で、そして明日の道になります」
ぼんやりとお茶の入ったカップを見つめてそんなことを呟いた。先程まで貴族の女性同士や恋人と送り会う機会があるからとポエムのようなものを学んだせいか、私の口から吐き出される言葉たちの表現の仕方がいつもと違う。
それを気にしていないのか皇后陛下の表情は変わらなかったが、たった今言った言葉に何だか気恥しさを覚えつつ、私は茶菓子を口に運んだ。
「皇后、迎えに来た」
「セシーリアもいる?」
皇后陛下とのお茶の時間もあと少しというところで、皇帝陛下とノア殿下のご登場だ。私は慌てて礼をしようとしたが止められる。この時間にいらっしゃるのは初だったのでとても驚いた。
「セシーリア、楽しめたようだね」
「はい、とても素敵な時間でしたわ」
皇后陛下は皇帝陛下に連れられて部屋を出ていかれ、この部屋にはノア殿下と私の付き人や護衛たちだけになる。昨日まで皇帝陛下は視察、ノア殿下は騎士団の訓練などで、皇后陛下や私との時間があまり取れなかったからと、時間に余裕ができた今迎えに来たらしい。
お二人は特に示し合わせたわけではないらしい。揃って現れたのは、幼い頃からご両親のそんな様子を見ているからつい自分もしてしまうらしい。ノア殿下の行動は割と皇帝陛下に似ているところがあると聞いて、確かに先程迎えに来られた時の表情までそっくりだったと思い出し笑いをする。
(皇后陛下にお顔は似ていると言われることが多いけれど、殿下は皇帝陛下にもそっくりね……)
なんて思っていれば、その私の笑みを見てノア殿下が首を傾げた。
「何か面白いことでもあった?」
「はい。些細なことなのでお気になさらないでくださいませ」
「気になるけれど、君のその表情だけでも充分満たされるかも」
歩くペースを合わせて、時折さり気なくこちらの動きや表情を気にしつつ歩いて下さる優しい人を見上げる。陽の光に照らされる美しい金髪、それから空のように澄んだ青が目に入る。
二人して目を合わせ、曖昧に微笑んでそれからまた前を向いて他愛ないお話をする。何だかそれだけでとても心が暖かくなる気がした。
「そういえば今日はダンスの授業があったんでしょう?あとは詩と音楽だったかな」
「ええ」
「このあと時間があるなら1曲踊ってくれないか?婚約披露パーティーの時は人が見ていたけれど、次は独り占めしたい」
「……っ!」
「あとは……、恋人は詩を送り合うというし、俺もセシーリアに何か書いてみようかな」
あまり得意ではないけれど、君のために考えるなら楽しそうだ。なんて言ってノア殿下は笑う。
「ええ。ノア殿下から送って頂いただいた詩をノア殿下に読んでいただきながら何か楽器をお弾きしましょうか?」
「ふっ、……それはちょっと恥ずかしいから詩の方はこっそり読んで欲しいな」
なんて私の成果発表会のようなことと、巷の恋人たちがするようなそれらを二人で考えながら、私たちは笑いあった。
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