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西国の動乱
⑦
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「父上、戦でございます」
家久が声をかけるが、義弘は相変わらず表情もなく庭を眺めている。二度、三度とかけても変わりがない。
「殿、それではいけませぬ」
案内してきた男が、一度別室に入った。程なく、法螺貝を持った男が出てくる。
法螺貝の音が鳴った。陣太鼓の音も聞こえてくる。
「むっ!?」
それまで全く生気のなかった義弘の表情が一変した。勢いよく立ち上がり、その時になってようやく家久に視線を向ける。
「む……、家久か」
「お久しゅうござる」
「できれば死ぬまで会いたくなかったが、な」
「それがしも同じですが、戦となれば助言をいただかなければなりませぬので、な」
「戦……?」
「家康と秀忠が死にました」
「何だと?」
「大坂で、窮鼠猫を噛むこととなったようで」
「どうするつもりだ?」
「もちろん、この機会に再び九州を狙いますとも。そうそう、面白い話がございますぞ。黒田長政はこのような機会なのに、ほいほいと徳川本隊と行動を共にしているそうです」
「ほう……」
「父は虎でしたが、息子は犬だったようで」
家久が虎と称した長政の父とは、黒田官兵衛こと孝高のことである。
関ケ原の際、考高は九州で一大勢力圏を築こうと兵をあげたが、関ケ原での本隊同士の戦いがあまりにも早く終わったために、頓挫したと言われている。
孝高にはこれが余程悔しかったようで、後に長政が「家康公は私の働きを賞賛し、握手してくださいました」と誇らしげに言った時に、「一方の手が家康と握手をしている時、もう片方の手は何をしていたのだ(何故家康を刺さなかったのか)」と無念の言葉を返したという話も伝えられている。
今回は関ケ原のように早く終わることはない。徳川家の後継を決めなければならないし、それが早めに決まったとしても、官位の継承、征夷大将軍位の継承など多くの問題が残されている。
「半年はかかります。それだけあれば黒田の力なら周防や長門、豊前豊後まで勢力を伸ばせる好機なのに、愚かなことです」
もちろん、家久には周防長門の毛利家がいの一番に勢力拡大に乗り出しているということは知る由もない。
「家臣どもはついてくるのか?」
「むしろ、家臣どもをまとめるためにも島津は今動く必要がありましょう」
「ふむ。そういうことか」
義弘もさすがに島津の状況は分かっている。
「確かに、外に攻めていくとなれば対立もやめて一致団結しよう。だが、貴様に軍の指揮ができるのか?」
「ご安心を。樺山久高に命じますので」
「そうか……」
樺山久高は朝鮮の役や琉球侵攻で活躍した現在の島津家にあっては最も戦闘経験豊富な人物である。
「肥後の加藤は恐れるに足らぬとはいえ、それでも大身。まずは日向を切り取り、しかる後に肥後へと攻め入るつもりでございますが、いかがでしょうや?」
「貴様がそう思うのであれば、それでいいのではないか?」
義弘の言葉はどこか投げやりでもある。
「わしは隠居した身だ。やりたければ好きなようにやるがいい」
「もちろん、私はそれでも構いませぬが、父上なり伯父上なりが築いた島津家をそう簡単に壊していいものかと思いまして、こうして尋ねに来ている次第なのですよ」
義弘が苦い表情を見せた。
「……久高がいいと言うのであれば、問題はないだろう」
家久は会心の笑みを浮かべる。
「ありがとうございます。それを聞いて安心いたしました。では、私はこれにて」
「二度と姿を見せるな」
「ご安心くだされ。私もそのつもりでございます」
家久は不承不承という様子で頭を下げると、そのまま屋敷を後にした。
「あの、殿……」
最初の男が追いかけてきて不安げに尋ねてくる。
「維新様も、戦に出られるのでしょうか?」
「馬鹿を申すな」
家久は一喝する。
「あんな老いぼれをつれていっても邪魔にしかならぬ、わ。もう用もないし、とっととくたばってしまえばいいのだが」
「と、殿……、そのようなことは」
「まあ、お前たちが良かれと思ってやることまで口出しはせん。勝手にするがよい」
ぞんざいに言い放ち、そのまま帰路についた。
鹿児島に戻ると、家久はすぐに出兵の準備をした。
「目標は飫肥の伊東」
と告げると、家臣達の意気も上がる。
伊東氏と島津氏は、戦国時代から仇敵の関係であった。一旦は島津氏が日向を征服したことにより伊東氏は追い出されたのであるが、その後、秀吉が伊東氏を復活させ、関ケ原を経て現在に至っている。伊東氏には島津に対して追い出された恨みがあり、島津氏もまた伊東氏を軽んじており、何かにつけて対立していた。徳川家も両家の不仲に辟易とし、なるべく同席しないように取り計らうほどである。
そのような仇敵関係にあるだけに、伊東氏を攻撃するということは島津家臣にとっては意気上がることであった。
「殿、うまく行きそうですな」
部下の士気高揚を見て、喜入忠続が話しかけてくる。家久も上機嫌であった。
「うむ。まずは日向を踏みつぶし、その勢いをもって肥後に攻め入る」
「肥後にも……」
「徳川や豊臣が体勢を立て直すまでに、九州の過半は制したい。それならば冥府の龍伯殿や父も納得するだろう」
「左様でございますな」
「5月中には出陣するゆえ佐土原の忠興にも申しつけておくように」
「ご、5月中ですか?」
日向の佐土原は、一族の島津忠興(家久の祖父・島津貴久の弟の家系)が治めているが、忠興はまだ若年であり家臣団の統制が出来ているとはいいがたい。
宗家同様に夏の陣にも出兵していなかった。
「多分、難色を示されると思いますが」
忠続の推測に対して、家久の回答は明快であった。
「できぬのなら、飫肥の伊東諸共飲み込んでしまうと言ってしまえ」
「そ、そのようなことは……」
一族の支藩をそのような軽い扱いにするのはいかがなものか。忠続は翻意を促すが、家久が考えを曲げることはなかった。
大混乱の加藤家にも、島津家の動向は次第に伝わってくる。
「どうやら、日向に攻め込むようでございますがいかがなされます?」
加藤美作守が冷淡な視線を反対派と忠廣に向ける。
「幕府に伝えるだけ伝えて、回答があるまでは他家同士のことゆえ、静観としゃれこみますか」
完全な嫌味である。もし、本当にそんなことをしたら加藤家は同盟国の笑いものになりかねない。
「清浄院様のお考えを伺いたいと思う」
しかし、それでも徳川派の腰は重い。
「勝手になされよ」
美作守は呆れた顔で答えた。加藤正方はそそくさと忠廣を伴って、別の間にいる清浄院に情勢を伝えた。
「このような状況で、島津の動向を静観しているとなっては、徳川家にとっても不忠にあたるとは思いますが、さりとて、幕府の確約はいただけない状況でございまして」
正方の進言に、清浄院は頷いた。
「徳川家に従う大名が攻められているのに静観しているとあっては武士の恥にございます。このことで後々幕府が責めてくるようなことは絶対にさせません。いざとなれば妾が江戸で切腹をいたしましょう」
「は、ははっ!」
想像以上の応援をもらい、加藤正方は大いに勇気づけられた。
これで加藤家の方針は固まった。
「それでは、どのように迎え撃つのでござるか?」
美作守が引き続き問いただす。
「肥後に攻め入る島津軍を側面攻撃するのか、あるいは、島津が日向に向かう間に鹿児島に向かうのか」
「それは……後者であろうな」
「ふむ」
美作守は予想していたようで、特に表情も変わらない。
「忠廣様は戦陣に出たことがないゆえ、戦場で直接相まみえるとまさかということがある」
正方が弁明するように言う。
「ならば、それでよいのではないか」
「何だ、お主、何が言いたい?」
美作守の投げやりな態度に、正方が腹を立てる。
「お主らのやりたい方向でいいと言っておるのだ。何を喧嘩腰になっておる?」
「お主、我々を臆病者とでも思っておるのであろう?」
「それはそちらの推測であろう。まあ、世間が見たらそう思うかもしれぬが」
「つまり思っておるということではないか!」
「ま、まあまあ、お二方とも」
慌てて周りがとりなし、どうにか二人は分かれたが、程なく始まった戦争準備でもお互いの間で連絡をすることはなかった。
家久が声をかけるが、義弘は相変わらず表情もなく庭を眺めている。二度、三度とかけても変わりがない。
「殿、それではいけませぬ」
案内してきた男が、一度別室に入った。程なく、法螺貝を持った男が出てくる。
法螺貝の音が鳴った。陣太鼓の音も聞こえてくる。
「むっ!?」
それまで全く生気のなかった義弘の表情が一変した。勢いよく立ち上がり、その時になってようやく家久に視線を向ける。
「む……、家久か」
「お久しゅうござる」
「できれば死ぬまで会いたくなかったが、な」
「それがしも同じですが、戦となれば助言をいただかなければなりませぬので、な」
「戦……?」
「家康と秀忠が死にました」
「何だと?」
「大坂で、窮鼠猫を噛むこととなったようで」
「どうするつもりだ?」
「もちろん、この機会に再び九州を狙いますとも。そうそう、面白い話がございますぞ。黒田長政はこのような機会なのに、ほいほいと徳川本隊と行動を共にしているそうです」
「ほう……」
「父は虎でしたが、息子は犬だったようで」
家久が虎と称した長政の父とは、黒田官兵衛こと孝高のことである。
関ケ原の際、考高は九州で一大勢力圏を築こうと兵をあげたが、関ケ原での本隊同士の戦いがあまりにも早く終わったために、頓挫したと言われている。
孝高にはこれが余程悔しかったようで、後に長政が「家康公は私の働きを賞賛し、握手してくださいました」と誇らしげに言った時に、「一方の手が家康と握手をしている時、もう片方の手は何をしていたのだ(何故家康を刺さなかったのか)」と無念の言葉を返したという話も伝えられている。
今回は関ケ原のように早く終わることはない。徳川家の後継を決めなければならないし、それが早めに決まったとしても、官位の継承、征夷大将軍位の継承など多くの問題が残されている。
「半年はかかります。それだけあれば黒田の力なら周防や長門、豊前豊後まで勢力を伸ばせる好機なのに、愚かなことです」
もちろん、家久には周防長門の毛利家がいの一番に勢力拡大に乗り出しているということは知る由もない。
「家臣どもはついてくるのか?」
「むしろ、家臣どもをまとめるためにも島津は今動く必要がありましょう」
「ふむ。そういうことか」
義弘もさすがに島津の状況は分かっている。
「確かに、外に攻めていくとなれば対立もやめて一致団結しよう。だが、貴様に軍の指揮ができるのか?」
「ご安心を。樺山久高に命じますので」
「そうか……」
樺山久高は朝鮮の役や琉球侵攻で活躍した現在の島津家にあっては最も戦闘経験豊富な人物である。
「肥後の加藤は恐れるに足らぬとはいえ、それでも大身。まずは日向を切り取り、しかる後に肥後へと攻め入るつもりでございますが、いかがでしょうや?」
「貴様がそう思うのであれば、それでいいのではないか?」
義弘の言葉はどこか投げやりでもある。
「わしは隠居した身だ。やりたければ好きなようにやるがいい」
「もちろん、私はそれでも構いませぬが、父上なり伯父上なりが築いた島津家をそう簡単に壊していいものかと思いまして、こうして尋ねに来ている次第なのですよ」
義弘が苦い表情を見せた。
「……久高がいいと言うのであれば、問題はないだろう」
家久は会心の笑みを浮かべる。
「ありがとうございます。それを聞いて安心いたしました。では、私はこれにて」
「二度と姿を見せるな」
「ご安心くだされ。私もそのつもりでございます」
家久は不承不承という様子で頭を下げると、そのまま屋敷を後にした。
「あの、殿……」
最初の男が追いかけてきて不安げに尋ねてくる。
「維新様も、戦に出られるのでしょうか?」
「馬鹿を申すな」
家久は一喝する。
「あんな老いぼれをつれていっても邪魔にしかならぬ、わ。もう用もないし、とっととくたばってしまえばいいのだが」
「と、殿……、そのようなことは」
「まあ、お前たちが良かれと思ってやることまで口出しはせん。勝手にするがよい」
ぞんざいに言い放ち、そのまま帰路についた。
鹿児島に戻ると、家久はすぐに出兵の準備をした。
「目標は飫肥の伊東」
と告げると、家臣達の意気も上がる。
伊東氏と島津氏は、戦国時代から仇敵の関係であった。一旦は島津氏が日向を征服したことにより伊東氏は追い出されたのであるが、その後、秀吉が伊東氏を復活させ、関ケ原を経て現在に至っている。伊東氏には島津に対して追い出された恨みがあり、島津氏もまた伊東氏を軽んじており、何かにつけて対立していた。徳川家も両家の不仲に辟易とし、なるべく同席しないように取り計らうほどである。
そのような仇敵関係にあるだけに、伊東氏を攻撃するということは島津家臣にとっては意気上がることであった。
「殿、うまく行きそうですな」
部下の士気高揚を見て、喜入忠続が話しかけてくる。家久も上機嫌であった。
「うむ。まずは日向を踏みつぶし、その勢いをもって肥後に攻め入る」
「肥後にも……」
「徳川や豊臣が体勢を立て直すまでに、九州の過半は制したい。それならば冥府の龍伯殿や父も納得するだろう」
「左様でございますな」
「5月中には出陣するゆえ佐土原の忠興にも申しつけておくように」
「ご、5月中ですか?」
日向の佐土原は、一族の島津忠興(家久の祖父・島津貴久の弟の家系)が治めているが、忠興はまだ若年であり家臣団の統制が出来ているとはいいがたい。
宗家同様に夏の陣にも出兵していなかった。
「多分、難色を示されると思いますが」
忠続の推測に対して、家久の回答は明快であった。
「できぬのなら、飫肥の伊東諸共飲み込んでしまうと言ってしまえ」
「そ、そのようなことは……」
一族の支藩をそのような軽い扱いにするのはいかがなものか。忠続は翻意を促すが、家久が考えを曲げることはなかった。
大混乱の加藤家にも、島津家の動向は次第に伝わってくる。
「どうやら、日向に攻め込むようでございますがいかがなされます?」
加藤美作守が冷淡な視線を反対派と忠廣に向ける。
「幕府に伝えるだけ伝えて、回答があるまでは他家同士のことゆえ、静観としゃれこみますか」
完全な嫌味である。もし、本当にそんなことをしたら加藤家は同盟国の笑いものになりかねない。
「清浄院様のお考えを伺いたいと思う」
しかし、それでも徳川派の腰は重い。
「勝手になされよ」
美作守は呆れた顔で答えた。加藤正方はそそくさと忠廣を伴って、別の間にいる清浄院に情勢を伝えた。
「このような状況で、島津の動向を静観しているとなっては、徳川家にとっても不忠にあたるとは思いますが、さりとて、幕府の確約はいただけない状況でございまして」
正方の進言に、清浄院は頷いた。
「徳川家に従う大名が攻められているのに静観しているとあっては武士の恥にございます。このことで後々幕府が責めてくるようなことは絶対にさせません。いざとなれば妾が江戸で切腹をいたしましょう」
「は、ははっ!」
想像以上の応援をもらい、加藤正方は大いに勇気づけられた。
これで加藤家の方針は固まった。
「それでは、どのように迎え撃つのでござるか?」
美作守が引き続き問いただす。
「肥後に攻め入る島津軍を側面攻撃するのか、あるいは、島津が日向に向かう間に鹿児島に向かうのか」
「それは……後者であろうな」
「ふむ」
美作守は予想していたようで、特に表情も変わらない。
「忠廣様は戦陣に出たことがないゆえ、戦場で直接相まみえるとまさかということがある」
正方が弁明するように言う。
「ならば、それでよいのではないか」
「何だ、お主、何が言いたい?」
美作守の投げやりな態度に、正方が腹を立てる。
「お主らのやりたい方向でいいと言っておるのだ。何を喧嘩腰になっておる?」
「お主、我々を臆病者とでも思っておるのであろう?」
「それはそちらの推測であろう。まあ、世間が見たらそう思うかもしれぬが」
「つまり思っておるということではないか!」
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