戦国終わらず ~家康、夏の陣で討死~

川野遥

文字の大きさ
22 / 155
西国の動乱

しおりを挟む
 5月28日。鹿児島。

 出陣の準備を整えている島津家久のところに喜入忠続が走りこんでくる。

「殿、天草と島原で切支丹が蜂起したとのことです」

「何?」

 島津家久は目を見張る。

「月が変わってからという話を聞いていたが……」

 天草の切支丹との交渉の経緯については後醍院宗重から聞いている。

 小西家にも仕えたこともあり、顔なじみでもある男の言うところである。それが嘘であるとは思えない。

「殿?」

「いや、何でもない。結構なことではないか。これで肥後の連中も我々に構っていられなくなるはずだ」

 家久は忠続を返して、城の廊下を歩く。

(まあ、蜂起が発覚しそうになって慌てて決起するということはよくあることだ。天草に島原と広範囲に渡っておるからのう)

 家久はそう考えて自分を納得させる。

 決起の準備を整えた切支丹側が島津の力など頼らずに蜂起する自信がある、という可能性について思いいたることはなかった。



 肥前国・唐津。

 寺沢広高もまた天草での蜂起の報告を早い段階で受けていた。

「だから!」

 広高は叫ぶ。

「だから、わしは強圧的なことはしたくなかったのじゃ!」

 寺沢広高は豊臣秀吉配下であり、戦場よりは後方で活躍をなす部類の男であった。事務処理能力を買われて秀吉旗下に入った後、関ヶ原では東軍について唐津に天草を領有することになった。

 広高は切支丹ではなかったが、当初、切支丹を弾圧するようなことはなかった。虎穴を突いて虎に暴れられる危険性を恐れたのである。しかし、二度に渡る禁教令を受けて、弾圧せざるをえなくなった。微温的な態度を取っていたら、徳川家に睨まれて改易などの処分を食らうかもしれなかったからである。

 そうして行った切支丹弾圧の結果が激しい一揆である。広高にしてみれば、「それ見たことか」と言いたいところであったが、それを言うべき家康・秀忠は既にこの世にいない。もっとも、天草の民の不満の源泉には、広高が行った検地で実際の倍以上の石高を計算され、それに基づいた過酷な徴収もあったのだが、そのことについて広高は都合よく見ないふりをしている。

「徳川家のことが決まらぬのに、天草のことにまで手が回らぬ。唐津領内をしっかり守ることとせよ」

 ほとんど考えることもなく、広高は天草を放棄する考えを示した。



 一方の島原。

 こちらは戦国時代を通じて有馬家が治めていたが、前年に日向に移転したことにより幕府直轄領となっていた。

 幕府にとって痛恨なことに、一揆がおきていた時はまさに家康・秀忠の死を受けて混乱の極みにあった時である。

 おまけに森宗意軒や蘆塚忠右衛門らの率いる切支丹一揆軍の数は天草で決起した益田・千束の手の者よりも多かった。幕府軍はこの攻撃をまともに受けることはできないと判断し、島原城の防御に専念し、周囲の大村藩や熊本藩、佐賀藩に要請を出すことになった。


 要請を受けた側はどうか。


「島原まで出兵している間に宇土から熊本を狙われるかもしれぬ…」

 と、熊本の加藤氏はこれまでと同様に二の足を踏んでいる。



 肥前の先にある大村藩では、この春、大村喜前が病気がちであったことから子の純頼に家督を譲り隠居しているなど、支配体制の転換期にもあった。

 このこともあって、大坂には出陣しておらず、領内に兵士が残っているという利点はあり、兵力という点では頼りにされていたし、純頼も鎮圧の意欲に満ちていた。ただちに数千の兵力を編成し、大村城を出陣し、島原に向かおうとした。

 しかし、大村もまた切支丹の多い地域であり、しかも家臣の中にも切支丹が多くいた。他ならぬ純頼自身、切支丹であったが禁教令を受けて改宗し、以降は切支丹の弾圧に励んでいたのである。

 また、純頼は大村藩の支配体制を確立するために遠縁の一門衆を追放するなどの強硬措置もとっており、多くの者の恨みを買っていた。

 その結果として出陣直後の5月31日、純頼は何者から毒を盛られてしまった。辛うじて一命はとりとめたものの出陣どころの状況ではなくなり、大村藩もまた自領の維持に努めるしかなくなったのである。



 結局、一揆鎮圧のために乗り出したのは佐賀の鍋島家のみであった。

 とはいえ、鍋島勝茂は大坂に出陣しており、佐賀にはいない。代わって、勝茂の父直茂が鎮圧のための音頭をとることになる。

 鍋島直茂はかつては肥前の熊と恐れられた龍造寺隆信の側近であり、隆信の死後、島津家と張り合い、豊臣・徳川家の下で家名を守ってきた歴戦の雄である。七八歳と高齢なこともあり、最前線に赴くことはできないかと思われたが。

「殿、お歳を考えくだされ。ご無理をなされては……」

 出陣準備をしている直茂を、家老の深堀茂賢が制止しようとする。

「茂賢。お主は知らぬであろうが、わしのかつての主・山城守家兼様は九〇歳を超えて尚、家のために出陣したのだ。それを考えれば七八のわしがどうして城で寝ていられようか」

 直茂は力強く反論し、自ら鎧を着こんで馬にもまたがる。

「わしは数倍の大友軍とも、鬼島津とも戦うてきたのじゃ。たかだか一揆軍に負けるようなことはないわ」

 老将直茂の言葉に、兵士達も大いに張り切る。こうして鍋島軍は佐賀から諫早へと渡り、島原へと向かった。



 島原の一揆の首謀者は芦塚忠右衛門という、小西行長の旧臣であった。また、参謀を務める森宗意軒もまた小西家の人物でもあった。もっとも、この宗意軒という男は朝鮮の役の際に船が難破し、南蛮船に助けられて南蛮の地まで向かったと主張しているなど、異色の経歴の持ち主でもあった。「更に明にも渡って火薬技術を学んだ」と語る経歴を全て信用しているわけではないが、忠右衛門は宗意軒の能力については信用していた。

「佐賀から来る鍋島軍はおよそ五〇〇〇」

 宗意軒の情報に、忠右衛門は渋い顔をする。

「どうすればよい?」

 忠右衛門は宗意軒と、もう一人参謀としてついてきてもらっている有家監物に尋ねる。この有家監物という男は、有馬氏の臣下であったが、主家の日向移転の際には島原に残ることを選択していた。当然、島原のことにも詳しく、切支丹ということもあって忠右衛門も頼りにしている存在であった。

「島原は隘路も多い地形ゆえ、うまく動けば包囲することも可能ではあるが」

「だが、相手は鍋島直茂だ。歴戦の将であるぞ。我らが包囲するつもりで、逆に包囲されてしまうかもしれぬ」

 忠右衛門の危惧に、監物も頷いた。一揆軍は数こそ多いが、戦に慣れているわけではない。忠右衛門と監物、宗意軒は戦の経験もあるが、鍋島直茂と比べて自分達が上だと考えることは決してなかった。

「正面から戦うのは避けて、うまく転進しつづけるのが最善であろう」

 監物の提案に二人も頷いた。

 一揆軍の強みは、島原全体の切支丹達の支援を受けられることである。逃げ回っていても食糧に困ることはない。また、戦い続けていれば九州の他の地域の切支丹も立ち上がる可能性もあり、そうなると鍋島軍もいつまでも島原にいるわけにもいかない。

 鍋島軍が疲れるか、補給に問題を抱えるまで決戦を避けて逃げ回ればいい。彼らはそう決定し、翌日からそのように行動したのである。



 そうした動きはすぐに鍋島直茂の知るところとなる。

「なるほどのう。一揆軍め、小憎らしいことを」

「いかがなさいましょうか?」

「兵の装備などの差があるから、日野江など要衝を守ることはできるが、鎮圧という点では鍋島家だけでは難しいだろう」

「そうすると、細川殿や黒田殿の力を借りるということになりますか」

「うむ。佐賀を出る前に要請を送ってはおるが…、問題は福岡も小倉も当主不在、しかもわしのような老練な代理がおらぬということじゃ。果たしてどうなるかは分からぬ。いずれにしても、迂闊に島原に進むことは難しい。諫早で待機し、日野江城に危急の場合のみ駆けつけることとしよう。ま、我々が日野江に向かう構えを見せれば、一揆軍は引くであろうが」

 かくして、鍋島軍は諫早で待機をし、北九州からの支援を待つこととなった。



 島原・天草の一揆によって、島津軍は日向進攻を容易くしたが、北九州諸藩が藩主不在の中で切支丹への防御態勢を強固しなければならないことは別の者をも助けることになった。

 玄界灘方面からの攻撃を心配することがなくなった毛利輝元に他ならない。
しおりを挟む
感想 6

あなたにおすすめの小説

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

天竜川で逢いましょう 〜日本史教師が石田三成とか無理なので平和な世界を目指します〜

岩 大志
歴史・時代
ごくありふれた高校教師津久見裕太は、ひょんなことから頭を打ち、気を失う。 けたたましい轟音に気付き目を覚ますと多数の軍旗。 髭もじゃの男に「いよいよですな。」と、言われ混乱する津久見。 戦国時代の大きな分かれ道のド真ん中に転生した津久見はどうするのか!!??? そもそも現代人が生首とか無理なので、平和な世の中を目指そうと思います。

【架空戦記】狂気の空母「浅間丸」逆境戦記

糸冬
歴史・時代
開戦劈頭の真珠湾攻撃にて、日本海軍は第三次攻撃によって港湾施設と燃料タンクを破壊し、さらには米空母「エンタープライズ」を撃沈する上々の滑り出しを見せた。 それから半年が経った昭和十七年(一九四二年)六月。三菱長崎造船所第三ドックに、一隻のフネが傷ついた船体を横たえていた。 かつて、「太平洋の女王」と称された、海軍輸送船「浅間丸」である。 ドーリットル空襲によってディーゼル機関を損傷した「浅間丸」は、史実においては船体が旧式化したため凍結された計画を復活させ、特設航空母艦として蘇ろうとしていたのだった。 ※過去作「炎立つ真珠湾」と世界観を共有した内容となります。

大日本帝国、アラスカを購入して無双する

雨宮 徹
歴史・時代
1853年、ロシア帝国はクリミア戦争で敗戦し、財政難に悩んでいた。友好国アメリカにアラスカ購入を打診するも、失敗に終わる。1867年、すでに大日本帝国へと生まれ変わっていた日本がアラスカを購入すると金鉱や油田が発見されて……。 大日本帝国VS全世界、ここに開幕! ※架空の日本史・世界史です。 ※分かりやすくするように、領土や登場人物など世界情勢を大きく変えています。 ※ツッコミどころ満載ですが、ご勘弁を。

猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~

橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。 記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。 これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語 ※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります

甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ

朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】  戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。  永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。  信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。  この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。 *ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。

織田信長IF… 天下統一再び!!

華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。 この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。 主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。 ※この物語はフィクションです。

本能寺からの決死の脱出 ~尾張の大うつけ 織田信長 天下を統一す~

bekichi
歴史・時代
戦国時代の日本を背景に、織田信長の若き日の物語を語る。荒れ狂う風が尾張の大地を駆け巡る中、夜空の星々はこれから繰り広げられる壮絶な戦いの予兆のように輝いている。この混沌とした時代において、信長はまだ無名であったが、彼の野望はやがて天下を揺るがすことになる。信長は、父・信秀の治世に疑問を持ちながらも、独自の力を蓄え、異なる理想を追求し、反逆者とみなされることもあれば期待の星と讃えられることもあった。彼の目標は、乱世を統一し平和な時代を創ることにあった。物語は信長の足跡を追い、若き日の友情、父との確執、大名との駆け引きを描く。信長の人生は、斎藤道三、明智光秀、羽柴秀吉、徳川家康、伊達政宗といった時代の英傑たちとの交流とともに、一つの大きな物語を形成する。この物語は、信長の未知なる野望の軌跡を描くものである。

処理中です...