この溺愛は極上の罠

日向そら

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1巻

1-1

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   一


 ずっしりと重いボストンバッグを肩にかけて、マンションの階段をのぼっていく。
 築二十九年の団地型マンション。その三階にある我が家の玄関前にようやく到着し、鍵を開けて中に入ってから、ボストンバッグをどんっと上がりかまちに下ろした。中身はほぼ野菜。別名、田舎いなかの愛である。
 ここが一番家の中で寒いから、しばらく置いておいても問題はないだろう。
 誰もいない家の中はしんと静まり返っていて、室温も外とさほど変わりない。部屋に入り、さっそくファンヒーターのスイッチを入れた。
 機械音と共に出てきた熱風にほっと一息つく。座り込みたいのはやまやまだけど、もうひと頑張りして隣の和室に入り、隅っこにある小さなお仏壇を開けた。その前の座布団に正座して手を合わせる。

「ただいま帰りました。……って、今ごろ向こうでお父さんと仲よくやってるかな?」

 仏壇の前に置いたスナップ写真に収まった、満面の笑みのお母さんとばちっと目が合う。まるで『もちろんよ!』と言っているような気がして、私は小さく笑った。


 私、つつみ真希まきは都内のアパレルショップで働く販売員である。メイクえはするものの素は地味な顔で、身長は百六十センチ。職業上太らないようにはしているけれど、ここ最近は忙しさやらなんやらで、せているというよりやつれている感がある。
 ショップのスタッフには仕事に生きていると言われていて、実際、彼氏はいない。仕事柄休みが不定期で、副店長という役職上残業も多いため、彼氏を作る暇があるなら寝ていたい、というのが正直なところだ。二十五歳にしては枯れている自覚はある。
 そんな忙しい中、私は長期休暇をもぎ取り、子供の頃に亡くなった父の田舎いなかへと行ってきた。それにはもちろん理由がある。
 半年前に母をやまいで亡くしてから始まった一人暮らしにも、少しずつ慣れてきた。最近ようやく気持ちの踏ん切りがついた私は、父の眠るお墓に母の納骨を済ませてきたのだ。そして、夜行バスでたった今戻ってきたところである。
 ぎりぎりまで叔母おばさんに引き留められてしまったので、休みはもう今日しかない。
 帰ってきたばかりだけど、ボストンバッグの中に入っている分も含めて洗濯物が溜まっている。それにいまだ手つかずのお母さんの遺品も、できれば納骨を済ませた勢いに乗って整理してしまいたい。

「よしやるか!」

 わざと声に出して気合を入れる。だけどその前にきちんとお仏壇に手を合わせようと蝋燭ろうそくに火を灯し、お線香を立てたその時――インターホンの音が静かな部屋に響いた。
 何だろう?
 宅配便の受け取り予定はない。時々、お母さんと仲がよかった近所の人がお裾分けを持ってきてくれることはあるけれど、大体は夜だ。
 ……勧誘とかセールスだったら嫌だな。
 せっかく絞り出したやる気に水を差された気分で渋々と立ち上がり、キッチンの壁に備えつけられているインターホンの受話器を耳に当てた。残念ながら古いマンションなので、カメラ機能はないのだ。

『突然申し訳ありません。乃恵のえさんの古い知り合いなのですが、亡くなったと伺って訪問いたしました。お線香をあげさせていただけませんか?』

 顔を確認できないのが惜しいくらい、さわやかな男の人の声だった。朝の情報番組に出演しているアナウンサーみたいだ。

「えーっと」

 返事に困って言いよどむ。
 乃恵というのは母の名前だ。だけど母の知り合いにしては声が若すぎる。
 ……うーん、母の職場だったホームクリーニングのお得意様かな?
 母が亡くなった直後は他のスタッフに聞いたり、年賀状の住所を頼りにしたりして訪ねてきてくれる人もいたので、来客自体はそれほど不思議じゃない。
 でも、そういうお客さんはみんな女の人だった。だからそれほど抵抗もなく家に上がってもらっていたのだけど。
 ……とりあえずチェーンをかけたまま、どんな人か確かめよう。
 見るからにヤバそうな人だったら、申し訳ないけれど誰か一緒にいる時にでも出直してもらおう。
 幸い私はコートを着たままだ。今から出かけるふりをして断れば不自然じゃないだろう。
 ちなみにうちの扉のドアスコープは、何が原因なのか分からないけれど覗き込んでも真っ黒なのだ。一人暮らしになってしまったし、ここくらいは直すべきだよね……
 鍵を外し、チェーンが届く範囲までそっと扉を開いて外をうかがう。すると、その隙間を覗き込むみたいに少しだけ首を傾けた男の人と目が合った。
 うわ……
 ポカンと口を開けたまま、目の前の男の人の顔をまじまじと観察してしまう。
 モデルのように整った彫りの深い甘い顔立ちに、細いんだけど適度にきたえていることが分かる身体。それを包む見るからに仕立ての良さそうなスーツにはしわ一つなく、塗装の禿げた安っぽい鉄の扉との違和感が凄かった。
 かがみ込んだ体勢で身長百六十ぴったりの私と目が合うということは、身長も相当高いはずだ。
 お母さーん! なんかイケメンが訪ねてきたんですけどー!?
 思わず心の中で母に助けを求める。
 一体どこでこんなイケメンと知り合う機会があったというのか。母の交遊関係が謎すぎる……!

「こんにちは。乃恵さんの娘さんの真希さん……だよね?」

 そんな美形が扉の隙間でニッコリと笑う。受話器越しの礼儀正しい挨拶あいさつとは随分違うフレンドリーさで名前を呼ばれて、一瞬知り合いかと首をひねったものの……いやナイ! こんなイケメンとどこかで会っていたら、問答無用で脳みそに刻まれるはず。

「不審者じゃないからね? 身元確認のためにどうぞ」

 いや、不審者にしては顔が上等すぎるから!
 そう心の中で突っ込みつつも、すっかりイケメンのペースに巻き込まれて、隙間から差し出された名刺を受け取ってしまった。名刺はお洒落しゃれなデザインで、しかも顔写真つきだ。

「ハフノン・マネージメント……え、常務……!?」

 役職の高さに思わず驚く。イケメンさんは失礼すぎる私の反応を気にした様子もなく、笑みを深めてその続きを引き取った。

相良さがら大貴だいきと申します」

 名前まで格好良い……そんな明後日あさってなことを考えていると、相良さんが再び口を開いた。

「乃恵さんには子供の時、とてもお世話になったんだ。……そうだ。パンケーキの味は変わってなかったのかな? 他の料理も美味おいしかったけど、あの味だけは未だに忘れられない」

 突然出てきた『パンケーキ』なんていう可愛らしい単語に戸惑ったけれど、恐らく母の知り合いだということを証明するために言ったのだろう。彼が懐かしむみたいに呟いた『パンケーキ』は、確かにお母さんの得意料理の一つだった。その辺のお店が出すものよりふわふわで美味おいしくて、私も子供の頃は、よくせがんだものだ。
 お母さんの仕事は基本的にホームクリーニングだったので、料理はよほど仲のよい派遣先でしか振る舞ったことがないと言っていたような……
 戸惑ってすぐに返事ができなかった私に、相良さんは一瞬うつむいて、すぐに顔を上げる。そしてきゅっと眉尻を下げて、困ったように首を傾げた。

「……お線香だけでもあげさせてもらえない、かな?」

 さっきまでとは違う、遠慮がちな声だ。その様子に気まずさというか、申し訳ない気持ちが湧いてきて、私は数秒間悩み――結局、我が家へと招き入れることにした。
 何かしらの犯罪目的だったとしたら顔写真入りの名刺なんて渡さないだろうし、パンケーキなんて内輪話、出てこないはず。
 それに何より、手料理を振る舞うほど仲がよかったお家の息子さんだ。しかもイケメン……面食いだったお母さんだから、お線香をあげてもらったら喜ぶに違いない。
 相良さんにお客様用のスリッパを勧めて、仏壇がある和室へ案内した。
 途中で某高級果物店のロゴシールが貼られた盛籠もりかごを渡されて、その豪華さにフリーズしかけたものの、和室に辿り着く。
 そのまま果物かごを供えて、お線香の箱を分かりやすい場所に出しておいた。
 相良さんが仏壇の前に座るのを確認してから、私はお茶をれようと、そっと部屋を出てキッチンに入る。
 お茶かコーヒーか紅茶……何がいいかな。
 いっそ本人に聞いてしまおうと、コーヒー豆の袋を手にして和室を覗き込んだ。
 先程と変わらず仏壇の前に座っている相良さんは、もう手を合わせてはおらず、じっと母のスナップ写真を見つめている。うつむいているせいでその表情は見えないけれど、なんとなく雰囲気が重いような気がして、声をかけるタイミングを逃した。
 ……ホント、どんな知り合いなんだろう……
 ふっと相良さんが視線を動かし、静かに私を見る。決してやましいことはない……けれど、何故か私の方があせってしまう。思わず身体を後ろに引いた途端、相良さんはさっき挨拶あいさつしてくれた時と同じ、さわやかな微笑みを浮かべた。

「あの、お茶とコーヒーと紅茶。どれがいいですか」

 やわらいだ空気にほっとし、手にしていたコーヒー豆をかかげて本来の目的を果たす。
 相良さんはすっと立ち上がると、私の方へ歩み寄ってきた。
 案内していた時は後ろにいたから見ていなかったけれど、やっぱり身長が高い。天井までの距離が明らかに近くて、鴨居かもいに頭をぶつけないか心配になる。

「じゃあコーヒーを貰えるかな?」

 思ったよりも近い距離で止まった彼からただよってくる、さわやかだけど甘い香水の香りに、ちょっとどきりとする。

「あ、はい」

 話す時に少し顔を傾けるのは癖なのだろうか。こうやって目を合わせようとするのは、身長の高い彼なりの優しさなのかもしれない。
 あ、瞳の色が薄い。
 玄関では逆光だったから気づかなかったけれど、自分とは明らかに違う、黄色がかった薄茶色の瞳に驚く。……ハーフとかクォーターとかなのかな? 彫りも深いけれど、外国人! という感じがしないのは、私とさほど変わらない髪色のおかげだろう。とはいえ地味というわけではなくて、彼の場合はそれが親しみやすさとなっている。
 思わず観察していたら相良さんの目がやんわりと細まって、唇の端が上がる。きっと見られることに慣れているのだろう。そんな笑い方だった。
 この人モテるだろうな。ハーフとかだとしたら最強モテ要素が追加されて、逆に大変そう。

「じゃあ、あの……ダイニングテーブルで座って待っていてくださいね」

 食卓はお客様に勧める場所ではないけれど、ソファなんてものは置いていないし、あとは小さな炬燵こたつしかない。それだとスラックスがしわになりそうだし、何より近すぎて私が挙動不審になってしまう。
 手早くコーヒーをれて、少し緊張しながら相良さんの前に置く。自分のコーヒーも置き、向かい側に腰を下ろした。

「乃恵さんが亡くなったのを知ったのは、つい最近のことなんだ。……急に来てごめんね」

 なんとなく気まずい空気の中、先に口を開いたのは相良さんだった。

「あ、いえ。こちらこそお知らせできなくてすみません」
「ううん。僕も全然連絡を取ってなかったから。えっと真希さん、……ふふ、なんかしっくりこないな。僕、子供の頃は君のことを真希ちゃんって呼んでたんだよ」

 思いがけない言葉に驚いて声を上げる。

「私と会ったことがあるんですか?」

 え? 本当に? いつ?

「覚えていなくて当たり前だから安心して。真希ちゃんが二歳くらいの頃だったかな。当時真希ちゃんのお父さんも相良システム――うちの実家がやっている会社なんだけど、そこで技師として働いていてね。乃恵さんもその関係で、うちのお手伝いさんとして三年働いていたんだ。本当に時々だったけれど、真希ちゃんを連れてきてくれて、一緒に遊んだこともあるよ」
「二歳! え、じゃあ相良さんのお家ってホームクリーニングの派遣先じゃないんですか?」

 すっかりそうだと思い込んでいたのでびっくりした。それに私が二歳なら二十三年前だ。覚えているわけがない。
 でも、考えてみれば確かにお母さんがホームクリーニング会社に勤め始めたのはお父さんが亡くなってからだったから、時期的には合わない。
 相良さんは頷いて、昔を思い出すように目を細めた。

「僕もまだ小さかったし、詳しくは分からないんだ。でも、派遣で来ていたわけじゃないと思うよ。今も実家では何人か働いてもらっているけど、住み込みでも通いでも派遣会社を通さずに直接雇用契約を結んでるから」

 住み込みの家政婦さんって……
 あまりの世界の違いに言葉を失う。しかも何人もいるって、どこの貴族?
 目の前の人物はそんなお家のお坊ちゃま。……いや、そのわりには気安いけれど。

「イギリスから父にとついできた母も、明るくほがらかな乃恵さんのことをとても信頼してたんだ。母は身体が弱くてね、それを支えて僕の面倒を見てくれたのが、乃恵さんなんだよ」
「へぇ……」

 確かにそうやって面倒を見てもらったなら、記憶に残るかもしれない。家政婦っていうよりは乳母うばとかシッターっていう感じだったのかな?
 そう考えて首をひねる。
 でも、それって逆の立場だって同じことが言えない?
 お母さんだったら大きなお屋敷に勤めていたことも含めて、『若い頃、天使みたいな可愛い子のお世話をしていたのよ~』とかって話してくれそう。天使みたいな、っていうのは私の想像だけど……相良さんの顔立ちなら子供の頃もさぞ可愛かっただろうから。
 ……今度、お母さんと仲がよかった叔母おばさんに聞いてみようかな。
 三年も勤めていたのなら、話くらい聞いているかもしれない。

「乃恵さんはあの頃の僕にとって……第二の母同然の存在だったんだ。だから、いつか会ってお礼をしたいと思っていたんだけど、まさか亡くなっていたなんて、本当に驚いた」

 相良さんは笑みを浮かべながらも、懐かしむようないたむような表情で語った。
 そしてうつむいてしまい、表情が見えなくなる。

「あの、相良さん」

 私は少し考えてから、相良さんの名前を呼んだ。顔を上げた彼の目元はほんのり赤くて、ちょっとだけ幼く見えた。

「――母は亡くなる直前も笑顔で『幸せだった』って言っていました」

 これは自分の死を悲しんで泣いてくれる人がいたら伝えてね、と母に言われていた言葉だ。
 お母さんは声すら出せない痛みに耐え、笑って亡くなった。あの言葉がなかったら、私は今もずっと『ああすればよかった、こうしておけばよかった』なんて後悔し続けていたかもしれない。
 この言葉は本当に魔法みたいに作用する。それを聞いたみんながみんな、『乃恵さんらしい』と笑ってくれるから。
 ……彼にも、魔法の言葉は効いてくれるだろうか。
 テーブルに置いていたこぶしを握り締めて、再びうつむいてしまった相良さんの表情をうかがうことができないまま、長い沈黙が続いた。
 私も黙ったまま、手つかずだったコーヒーにポーションを落として口をつけた。
 ちょっとぬるくなってしまったけれど、お客様用のカップで飲んでいるおかげか、いつもより美味おいしく感じる。それともイケメンと一緒だからかな……
 カップのふちの向こうで、相良さんはまだうつむいている。
 ……泣いてくれているのかな?
 泣くほど母をいたんでくれる人がいる、という事実に貰い泣きしそうで困るけれど、娘としては誇らしくもあった。

「コーヒー、冷めたのでれ直してきますね」

 相良さんが落ち着くまで席を外そう。
 いくら母親のようにしたっていた人の娘でも、いい大人が泣き顔なんて見られたくはないだろう。
 そう考えて立ち上がり、手つかずのカップを回収するべくそっと手を伸ばした。――が。
 急にその手を掴まれ驚く。ぱっと見下ろした相良さんの顔には、表情らしい表情は浮かんでいない。まるで人形のような硬質さにぎょっとした。

「交換しなくても大丈夫だよ。気を遣わせてごめんね」

 びくっと大袈裟おおげさに固まってしまった私に気づいた相良さんは、すぐに手を離して謝る。

「……いえ」

 びっくりした……!
 突然掴まれたことにも驚いたが、それよりも相良さんの指がひどく冷たかったことにびっくりした。確かに今日は寒いけれど……冷え性なのかな? それともファンヒーターの設定温度が低すぎた?
 それに少し……怖かったような……端整な顔立ちだから余計にそう思えたのかもしれない。

「……」

 立ったままなのもおかしいので自分の椅子に座り直すものの、なんだか落ち着かない。手に彼の手の冷たさが伝ってきた気がして、テーブルの下で温めるようにこする。
 相良さんはコーヒーに口をつけ、「美味おいしい」と言ってくれた。

「真希ちゃんは、仕事は何をしてるの?」
「アパレルのショップで働いてます。あ、ちょっと待ってくださいね」

 慌てて私も鞄の中にある名刺ケースを探り、ショップの名刺を差し出す。
 受け取った名刺を見た相良さんは、感心したみたいに呟いた。

「その若さで副店長なんて凄いね」
「いえ、アパレルショップですし、スタッフの人数も少ないですから」

 謙遜けんそんではない。お店のお客さんの年齢層にもよるけれど、アパレルショップでは二十代の店長だって珍しくないのだ。副店長ならなおさらそうだし、中には十代の店長、副店長という猛者もさまで存在する。

「むしろ相良さんの方が凄いですよ。常務だなんて」
「友人と立ち上げた会社なんだよ。人がいなくて役職を割り当てられただけだから」

 創業メンバーか! さらに凄いな……!
 もう溜息しか出てこない。私と三つ、四つしか年齢は変わらない感じなのになぁ。
 こんなにスペックの違いを見せつけられると、年収はいくらなのかなーなんて下世話なことまで考えてしまう。ちなみにアパレルは昔はともかく、今やファストファッションにされて、薄利多売の氷河期なので、お察しください……
 相良さんは一旦カップをソーサーに戻す。それから透き通るような瞳を私に向けて――意外な言葉を口にした。

「真希ちゃん。乃恵さんがいないなら、君に恩返しをさせてもらえないかな?」
「はい?」

 驚いて反射的に返事をしたものの、数拍置いて思いきり首を傾げる。
 え、なに? 今なんて?
 戸惑う私に、相良さんは綺麗に笑ってみせる。今日一番のまぶしさに気圧けおされ、若干引いてしまった。

「自己満足だと自分でも分かっているんだけど、どうしても気持ちが収まらなくて……だから乃恵さんの娘である君に恩返しをさせてもらえないかな?」

『恩返し』――なるほど、そう言ったらしい。
 随分真面目な人だ。……うん。鶴も真っ青の義理堅さ!
 ようやく頭が理解し始めた。
 でも恩返しとか……いや、ナイナイ。今、何時代って話だから!
 相良さんがさっき説明してくれた話から察するに、多感な子供時代にお世話をした母に恩を感じているのだろう。とはいえ、それが母の仕事だったのだ。母と相良さんがどんな関係を築いたかは知らないけれど、お給料は貰っていたはずだし、それに対して恩返しをしてもらうのはおかしいと思う。なにより……

「母は母で、私は私ですし……」

 お母さん本人にというならともかく、私に返すというのはちょっと理解できない。

「あの、お気持ちだけで十分です。きっと母も、こうして相良さんが仏壇にお線香をあげに来てくれたことを、喜んでいると思いますから」

 実際、さっき頂いたお供えの果物すら、あの小さな仏壇には不相応だ。メロンは和紙で包まれていたし、りんごもラ・フランスも見たことがないくらい大きかった。フルーツは好きなので嬉しいけれど、一人で食べきれるかどうか。余ったらご近所さんへ野菜と一緒にお裾分けして、お店のスタッフにも持っていこう。
 現実逃避気味にそんなことを考えていると、相良さんが困ったようにきゅっと眉間にしわを寄せた。

「それじゃ僕の気が済まないんだ。……そうだ。何か必要なものはない? こう見えてもそれなりに収入はあるから遠慮しないで?」

 大丈夫、どう見ても高収入にしか見えないから! そして、そんないいことを思いついた! みたいな笑顔で言われても……
 いつまでもにこにこしている彼は、どうやら冗談のつもりではなく本気らしい。
 悪い人ではないと思うんだけどな。なんでも買ってあげるなんて、歴代の彼氏からも聞いたことがない素敵なセリフだ。でも実際に言われると、嬉しくなるよりも先に裏があるんじゃないかと勘ぐってしまう。

「本当に結構ですので」

 このままだと平行線になりそうだったので、若干強めの口調でしっかりと断る。
 すると相良さんはうつむき加減になり、きゅうっと眉尻を下げて物言いたげな瞳を向けてきた。

「……本当に何もない?」

 そう言って、より悲しそうな顔をする。ただよい出した悲壮感が半端はんぱないプレッシャーとしてのしかかってきて、私は言葉に詰まり慌てて首を振った。

「いや!? あの、そういうことじゃなくてですね!? あ! じゃあ、お盆とか! 気が向いた時にでもここへお線香をあげに来てくれませんか!? きっと母も喜ぶと思います!」

 あせって言葉を重ねていた途中で思いついて、そのまま口にする。
 でも苦しまぎれにしてはいい考えじゃない? 本当はお墓参りをしてもらえたらいいんだけど、お墓がある田舎いなかは遠い。その点、この家に一年に一、二回来る程度ならお互い負担にはならないだろう。だからとりあえず、その罪悪感をぐりぐりえぐってくるオーラをしまってください! 美形ってやだ。どうしてこんなに困り顔に破壊力があるの。まるで私が意地悪をしているような気になる!

「そんなことでいいの?」
「もちろん!」

 間髪かんはつれずに即答する。
 十分です。むしろ過剰です。四畳半の隅っこの小さな仏壇で申し訳ないくらいです!

「お母さん面食いでしたから、相良さんみたいなかっこいい人に一年に一回でもお線香をあげてもらえたら、小躍りして喜ぶと思います!」

 うん、私が色々貰うより、絶対その方がいい。
 ここは譲らないぞ、と気合を入れて正面から相良さんを見れば、私の勢いに驚いたらしい彼は、ぱちぱちと目をしばたたいた。わあ、長くて濃い睫毛まつげ――なんてうらやんだ瞬間、何故か相良さんが派手に噴き出す。

「え?」

 戸惑う私を前に、彼は口元を押さえて下を向く。だけど肩が震えているから、笑っているのは丸わかりである。

「っく……ごめん。……小躍り、確かに乃恵さんならしそうだよね。それにかっこいいと思ってくれてありがとう。面と向かって言われると照れるけど」

 よほどおかしかったのか、相良さんは口元に手を当てたまま顔を上げ、何故か最後にお礼を言った。そこで私はようやく自分の失言に気づく。
 ……しまった。あせりすぎて心の声までダダれにしてしまったらしい。
 恥ずかしさに熱くなる顔を逸らす。
 というか、相良さんは笑いすぎ! かっこいいなんて言われ慣れているのだろうから、そこはスルーするのが紳士じゃないですかね……!
 それにしても、うつむいてしまったから一瞬しか見えなかったけれど、顔いっぱいで笑っても相良さんはかっこいい。むしろちょっと幼くなって可愛らしさがプラスされている。いわゆる、きゅんとしてしまう笑顔とでも言うのだろうか。……自分で言っていて恥ずかしいけど、これ以上的確な表現が見つからない。
 でもまぁ、すました顔よりはこっちの方がいいな、と思う。
 おかげで、今まであった相良さんに対する妙な気後きおくれ……というか、緊張感がなくなっている。
 なごんだ空気の中で電話番号の交換をして、スマホをテーブルの上に置く。同じタイミングで自分の腕時計を見下ろした相良さんが、すっと立ち上がった。

「お線香だけって言ってお邪魔させてもらったのに、長居しちゃってごめんね」
「あ、いえ。こちらこそお構いできなくてすみませんでした」


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