上 下
30 / 54
第2章

東ローマ帝国軍の将たち

しおりを挟む
 カリシウス門付近のテオドシウスの壁は、ユスティニアーニ将軍の指揮下で修復の最中だ。
 三十五歳のがっしりした体躯に黒々とした髪と髭を持つ豪傑将軍は、今日も例のごとく重い甲冑を身に着けている。傭兵として雇われた身ではあるが、ギリシャに広がるジェノヴァ領で軍歴の長い彼に、皇帝は陸軍の将軍を任せた。
 既に建築後千年以上になる目の前にそびえる壁……。過去に何度も修復を重ねられてきたが、平和だったここ三十年間はずっと放置されたままになっていた。今回の修復方法として、粘り気のある土で壁を塗り固めるだけで完成させようとしていた東ローマ帝国の首脳陣を説得して、石を積み上げさせその上から壁土で塗り固めるように参謀会議の席で説き伏せたのは、将軍ユスティニアーニとレオナルド・ディ・サヴォイア枢機卿だ。確かにギリシャ人は戦いにおいて軽く見積もる習慣があり、それはジェノヴァ人の彼がエーゲ海の島々で強者(つわもの)として名を轟かせてきた理由でもある。
 ぎしぎしと音を響かせ門が開く。颯爽と馬に乗った将軍トレヴィザンが中に入ってきた。外壁の見回りをしてきたユスティニアーニを見ると彼は黙礼して通り過ぎた。
 トレヴィザンは陸上では皇宮付近の城壁の守備を受け持ち、その他に海軍の将軍も兼ねることが決まっていた。
 この戦いに臨むにあたって、ギリシャの兵士よりはずっと頼りになる将だ。『精鋭』と呼んでもいいかもしれない――そう思っていたのはユスティニアーニだけでなく、トレヴィザンのほうも同様のことを考えていた。
 とにかく毎日行われる作戦会議において、戦の厳しさを知っているのは少数だった。
(東ローマ帝国の大臣たちよりもむしろ、サヴォイア枢機卿とユージェニオ王太子の方が実情を把握しているのではないかというのが残念というべきか、それとも若き教皇勅使の俊英さを喜ぶべきなのだろうか……)
 まあ、確かにユスティニアーニ自身も、青年期の始まりは、平時でも戦のことばかり考えていたのだが。
「陛下! それに猊下も……」
 兵士が声をあげた方向に目をやったユスティニアーニは、白馬に乗ったコンスタンティヌス十一世に頭を下げ、続いて後ろのサヴォイア枢機卿に黙礼した。工夫(こうふ)たちは手を止め、跪くため壁を降りてこようとする。皇帝が「その必要は無い」と手で制す。皇帝自ら作業を激励して回ることで、住民の士気が高まっていることは確かだった。国民全体に広がる信仰の厚さというものが、団結力を一層強く固めている。しかもたまたまこの皇帝がコンスタンティヌスという名前を持っているおかげで、多くの住民は彼を聖人扱いしていた。西ヨーロッパの中でも比較的自立心のあるキリスト教徒出身の、ヴェネツィア共和国トレヴィザンとジェノヴァ共和国ユスティニアーニにできること――それはこの地元兵の盲目的な信仰心を利用して、ギリシャ市民を精錬された兵士だと自らに思い込ませることだった。
「トレヴィザン将軍」
「おお、エルネストか」
 カリシウスの門からまだ遠ざかっていなかったトレヴィザンに、エルネストが声をかけた。祖父が元将軍だったエルネストと彼は、昔からの知り合いだった。
「母上と幼子(おさなご)たちは、変わりないか?」
 同じ城壁内に住んでいても将軍は軍事にかかりきりで、ミノット伯とは参謀会議で顔を合わせているのに、その家族とはほとんど接する機会がない。
「はい、おかげさまで」
 将軍はレオナルドにも軍事協力への謝辞を告げた後、円形競技場へと続く方角へ馬を進めて行った。それはコンスタンティノポリスの大通りのひとつで、千年前から戦を終えた皇帝たちが、ちょうど今彼が入ってきたカリシウス門から凱旋行進してくる慣わしの道だった。そして民に迎えられ聖ソフィア近くのコンスタンティノポリス中心部の凱旋門まで、勝利を告げる行進をする――そういう伝統のある場所だ。
 迫り来る戦を終えた時トレヴィザンも凱旋将軍になれたなら、この世はどんなにか救われるのだろう。遠ざかっていく彼の後ろ姿にそんな夢を描いていたレオナルドは、やがて反対方向に目を転じ、テオドシウス城壁とその上に広がる空を眺めた。
 クラウディアのことを知らせる手紙をヴァティカンから受け取ったせいで、昨夜は彼女の夢を見た。カルネヴァーレを訪れたのは、十年にも満たないわずかな間のできごとだ。なのにまるで遠い昔を思いやるような、そんな西欧と離れた渦中にいる今の自分……。戦いの準備で目に見えて変わっていく街は、危機感のあまり、空気の震えさえ感じられるほどだった。
しおりを挟む

処理中です...