玲香哀愁

矢野 零時

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4剛くん

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4剛さん
 月曜日の朝。
 真治が学校に行くと教室の窓そばに昭が立っていた。校庭の上を通る雲を見ていて何かを考えているようだった。
「や、おはよう」
 真治が声をかけると、すぐに昭はそばによってきた。昭も自分と同じに何かを抱え出している。そう感じる顔をしていた。。
「剛さんと会ったんだ」
「剛さん?」
「忘れたかい。前に兄貴の友だち、石島剛さんの話をしたことがあっただろう」
「忘れてはいないよ。玲香さんと同じに人体強化訓練所に行った人だろう」
「そうだよ。思い出してくれた」
「でも、その人がどうかしたの?」
「昨日、出会ったんだ」
「よかった。探していたからね」
「でも、不思議なんだ?」
「どうかしたのかい?」
「剛さん。昔のままだった」
「昔のまま?」
「ここに、前に兄貴たちと撮った写真がある。この人が剛さん」
 真治は手渡された写真を見た。今の慎吾たちと同じ年ごろの時に撮ったのだろう。隣のクラスの友達が撮り合った写真を見せられた気分だ。昭に指さされた者は眉毛が細くやさしそうな顔立ちをしていた。
「ぼくが前にあった時と同じ顔をしていたんだ。今の兄貴がどんな顔をしているか、分かるかい?」
「いや」と言いながら、真治は写真を昭に返した。
「ひげ面のせいか、四十代に見えてしまうんだぜ」
「いま、どうしているのか聞いてみた?」
「笑いながら、ここで暮らしていると言っていたよ。びっくりしてしまい、何も聞けなかった」
「ここに住んでいるんだね。でも、それだけで探し出すのは難しいよ」
 真治は考え込み腕を組んでいた。
「兄貴から剛さんのいる場所が分かったら、教えてくれと言われていたんだけどね」
「やはり、手がかりは人体強化訓練所にあるのか」
 人体強化訓練所は知らないことだらけの塊だと、真治は胸の中でつぶやいていた。
「じゃ、頼むよ」
「何を?」
「玲香さんに剛さんのことを知っているかどうか、聞いて欲しいんだ」
 そんな話をしている時に玲香が教室に入ってきた。
 真治に頼まれた以上、聞かないでいることはできない。
「玲香さん、昨日はどうもありがとう。ところで、人体強化訓練所の中に石島剛さんと言う人いるかい?」
「今訓練している人たちの中にはいないと思うわ」
 昭は真治に任せて頼んだはずなのに、すぐに割り込んできた。
「剛さんは、だいぶ前には人体強化訓練所にいたことは間違いがないんだ。今でも同じビルの中にいるかもしれないんだよ」
「そうね。でも私は運動フロア以外に行ったことないの。だから、他の階に何があるか、分からないわ。ともかく剛さんのことを聞いてみるわね」
「頼むよ」
 玲香がこころよく引き受けてくれたので、昭も笑顔を浮かべていた。
 だが、翌日になっても玲香は何も言わない。次の日も同じだった。
 
 待ちきれなくなり、四日後。真治の方から玲香に「どうだった?」と聞いていた。その時にも昭が側にきて立ち会っていた。
「ごめんなさい。誰も教えてくれなかったわ」
「そうなのか。そんなきがしていた」
「ごめんなさいね。剛さんの話をすると検査室の先生は顔を強張らせて、何故そんなことを聞くんだと言い出すのよ。もちろん、他の人にも聞いてみたわ。運動フロア以外のことは分からないと言われてしまった」
「ごめんね。迷惑をかけてしまって」と、昭は自分の思いつきで無理させたことを後悔していた。
 玲香は、何か役に立ちそうなことを伝えなければ悪いと思ったのだろう。
「聞き出せたこともあったわ」
「なに?」
「訓練生にはA、B、Cのレベルがあるそうよ。私はAレベルなの」
「そうなんだ」と言って、真治はうなずいた。
 その後、すまなそうな顔をして玲香は二人から離れて行った。
「でも、困ったね。これで剛さんがどこにいるのか、まったく分からないままになってしまった」と、昭は首をさげた。
「う~ん。もう一度。考え直してみる必要があるな」
 真治は再び腕を組んでいた。
「昭は、どこで剛さんと会ったのさ」
「大島公園の噴水のそばだよ。そこにはベンチがあって、公園に来た人たちがそのベンチに腰を下ろして休んで行く」
「ふ~ん。もしかしたら、剛さん、日曜日は仕事が休みで、いつも公園にきているのかもしれない。そんな感じしなかった?」
「う~ん」
 今度は昭が腕を組んでいた。
「ものは試し。次の日曜日。もう一度、噴水に行ってみますか」
 真治はうなずいていた。昭と同行をするつもりなのだ。

 日曜日がやってきた。
 強い日差しに、どこかでセミが鳴いていた。真治と昭は噴水をめざしていた。
 剛さんに会えるとは、まるで思っていなかった。真治は、ここまできた帰りに文房具店によって、新製品の書いた字を消すことができるボールペンを買って帰るつもりでいた。
「あっ」と、昭が声をあげ指さした。
 写真で見せてもらった男がベンチにすわっていた。二人の姿を見ると笑っている。
「また、会ってしまいましたね」
 真治は昭より一歩前に出た。
「初めまして、竹内真治と言います。昭君と、同じ育成高校にかよっています」
「こちらこそ、よろしく」
 すぐに昭も一歩前に出て真治と並んだ。
「剛さん、いまはどこに住んでいるんですか? 何をして暮しているんですか?」
 昭が聞かなければと思っていた言葉を一気に吐き出した。
 剛さんは少し困ったように眉を八の字にさげていた。
「ここを離れることができませんので、また会ってしまいますね。そうだ。名刺を持っています」と言って、剛さんは名刺を昭と真治それぞれに手渡した。
 
 入江口市西区寿銀座町五丁目
  立花商会 代表社長 立花 薫

「どうして本名を書いていないのですか?」と、真治は聞いた。
「それはね。私が本物ではないからですよ」
「本物でない?」と二人は同時に声をあげた。
「私が訓練所から逃げ出したことは間違いない。でも、あそこでたくさんのクローンたちがいましたからね」
「じゃ、本物の剛さんは人体強化訓練所から逃げ出すことができたんですか?」と、昭は聞いた。
「逃げ出せたと思っていますよ」
 立花は遠い目をしていた。
「じゃ、もう人体強化訓練所にいないということですか?」と、昭は重ねて尋ねた。その問いに立花は答えようとはしない。
「逃げ出した後、私はこの公園でホームレスをやっていました。ここは私には思い出の場所なんですよ。でも、今は街中でちゃんと暮しています。どんな生活をしているか知りたいのではありませんか?」
 二人はうなずいた。
 すると、立花はベンチから立ち上がり歩き出し二人は後に続く。
 立花は大島公園から出ると北東に向かった。やがて繁華街にある寿銀座商店街が見え出した。ここは、中央区が近く会社員や団体職員たちが夕刻にやってくる場所だった。いろいろな店があるが、焼き鳥屋、おでん屋、さらにスナックなどもある。だが、それらの店はまだシャッターをおろしている。
 立花商会はそんな商店街の中にあった。まるで喫茶店としか思えない外観をしていて、ピンク色の二階建ての建物だった。三人が、中に入ると一階には事務員が二人いた。
 事務員の顔を見た真治と昭は「あっ」と、声をあげた。剛さんと、いや立花と同じ顔をしていたからだ。
「私と同じにクローンですよ。髭をはやしたり、メガネをかけたりして個性を出していますが」と、立花は笑っていた。
「二階の方が落ちつきますよ」
 立花は階段を上がり出した。昭と真治は後に続く。二階にあがると社長室の隣にある応接室に連れて行かれた。どこにでもある応接セットが置かれていた。ソファに二人はすわるように言われ、立花は低いテーブルをはさんで肘掛け椅子にすわった。
「立花商会って何をやっているんですか?」と昭がもう一度聞いた。
「誰でも生きるためには何かを売るしかない。つまり、商売ですね。だから薬草から薬を作って売っています。とくにマンドリン液ですね。実は、この薬草は人体強化訓練所で栽培をしていたものなんです。私たちは、これからできるマンドリン液がないと生きてはいけない」
「生きていけないんですか?」と、真治は驚き聞いていた。
「そうですよ。私たちはクローンですから」と立花は悲しそうな顔をした。
「それを栽培し薬にして、あちらこちらに逃げたクローンたちに送っている。見方をかえれば、散らばっていったクローンを相手に商売をしているのかもしれませんね。そもそもマンドリン液は人の気持ちをよくするアロマを品種改良して作ったものです。私どもは他のアロマも扱っておりますし、それをネットで販売も行っております。ぜひお買い求めください」
 立花の話を遮るように、「なぜ、人体強化訓練所からクローンたちは逃げ出したんですか?」と、真治は立花が一番聞かれたくない質問を口にした。
「それを話し出すと、怒りがよみがえってしまいますよ」
 しばらくの間、立花は頭をさげて体を震わしていたが、決したように顔をあげた。
「訓練所の検査室に伊藤という医者がいる。たぶん今もいると思いますが、彼が訓練所を支配している。そもそも伊藤がそこにいるのは実験体をみつけるためです。人のクローンを簡単に作りだそうとしている。その実験対象を探し選ばれたのが宮島剛さんだった。もちろん、遺伝子を調べて、最もその目的に適していたのでしょう」
「そんなことを、自衛隊はどうして許しているんですか? おかしいでしょう」と、思わず真治は大声をあげた。
「許さないと思いますか。いや、そうじゃない。戦争が始まれば、たくさんの人たちが戦場に出て死ぬことになる。もし自分のクローンを簡単に作れるようになれば、そのクローンを戦いに出せばいい。つまり人間は死なないですむ」
 クローンである立花の声は震えていた。
「剛さんは、クローンたちと一緒に暮らしてクローンを愛してくれた。そしてクローンに命があることに気がついたのです」
 真治と昭が一緒に息をのんだ。その音を聞いたのか、立花は少し間をおいてから、二人の顔を交互にみつめた。
「剛さんは、伊藤にクローンを殺さないでくれと言い出した。伊藤は怒りましたよ。クローンを切り刻むことを、ずっとやってきましたからね。思う通りにならないクローンなど、伊藤にとって必要のないものです。さらに、自分に反抗を続ける剛さんもいらなくなった。あの日、剛さんの首に伊藤は両手をかけていた。倒れた剛さんを伊藤は背負ってどこかに運んで行きました」
 立花の目は涙でうるんでいた。
「伊藤が戻ってきたら殺される。そう思ったクローンの一人が、自分が入れられていたガラスの檻をイスで叩き割った。外に出ると、他のガラスをも割ってくれた。そこで私たちは逃げ出すことができた。でも、そのまま逃げていたら、私たちは死んでしまう。それを防ぐマンドリンからつくった薬を飲み続けなければならない。私たちは馬鹿ではない。それでマンドリン油とその苗を持ち出しました」
「マンドリンなんていう花をぼくは見たことがない」
 昭は立花の話が信じられないのか、不満げに言っていた。
「そうですな。なぜか、マンドリンは入江口市でしか花を咲かせない。それに目立つ所に咲いてはいませんしね。マンドリンの花を見たいですか?」
 二人はうなずいた。
「では花畑にご案内しましょう」と言って、立花は立ち上がった。
 二人は慌てて立ち上がり、立花の後に続いた。立花は一階におりて行くと事務員に言って、玄関ドアを閉めさせカーテンをひかせた。外から事務室内が見えなくした。次に立花は壁にかけられていたクマの人形をひいた。すると、壁に四角の穴、入り口が生まれたのだ。
「ここから、抜け道に入ることができます」
 立花は先にその中に入り、石段をおり出した。石段は時々右に曲がったり左に曲がったりする螺旋状になっていた。砂地についたのは百メートル下に降りてきたからだ。
「広いところですね?」と、真治は周りを見廻した。
「ここは地下鉄駅を作るために掘られた洞窟ですよ。同時に地下鉄のトンネルも掘っていたんですが、地上の至る所を陥没させてしまい、地下鉄を通すこと事態が取り止めになってしまった。そして、ここも放置されている」
「埋めてしまわなかったのですか?」と昭が聞いた。
「やらなかった。埋めるために土を買って運んでこなければならない。それを穴に入れて一杯にしなければならない。日数と高額な費用がかかる。一番いい方法はそのままにして置くことだと考えたんです。それでも、ところどころ補強はしているようですが」
「馬鹿な。大人はずるいことを考えるんですね」と、真治は吐き捨てるように言った。
「それにしても、明るいですね」
 昭は顔を上げて見廻した。穴の中が暗くならないように、あちらこちらに外灯のようなライトが立って光っていたからだ。
「不思議に思うでしょうね。これは、地下鉄を作っていた公団が電線をそのままにして、明かりを付けたままにしているからですよ。何かが起きた時に、この穴に入り込むことがあると思っているんですな」
 やがて、薄紫色の花が咲いている畑が見えてきた。百メートル四方ほどの広さがある。その中に男が入っていて葉を摘んで篭に入れていた。
 立花は、男のそばに近寄っていく。男は若くはない。
「どうだい。葉のできは?」
「社長、いいできですよ」と言った男は、幸せそうだった。
 立花は満足そうにうなずき、真治と昭の方を向いた。
「彼も私と同じに公園でホームレスをやっていたんですよ。公園から追い出されたので、ここに住んでもらっている」
 少し離れた所に、山小屋のような家や張られたテントが並んでいた。
「まるでキャンプ場みたいですね」と真治が言った。
「彼らにとっては、村ですよ」
 立花は手をあげて目の前に立っている石灯篭のような物を指さした。
 上部に木の棒がついていて、二人の男が上部の石を廻していた。
「これがマンドリン液を作る器械ですよ」と、立花が紹介していた。
「ジューサーみたいですね」と、昭が首をひねる。
「そうですね。似ているかもしれません。ここから薬草を入れて、しぼられた物はここに出てくる」
 立花は屈みこんで下にたまった壺から柄杓でマンドリン液を汲み上げた。そして、昭と真治の手の上に垂らして見せた。真治がそれを指でさわると粘っこくゴマ油のようだった。
 柄杓を壺の上に戻すと立花は、再び歩きだした。二人は後に続いた。
 突然、立花はとまり顔をさげた。
 立花が見ている所には、大きな裂け目ができていた。ここよりもさらに深い所があるのだ。真治も顔を出して下をのぞくが、暗くて何も見えない。
「ここに、剛さんの着ていたシャツがひっかかっていたんですよ」
 立花は、穴のふちを指さしながら暗い顔をあげた。
「伊藤が剛さんをここに投げ入れたと言いたいんですか?」
 真治のその問いに、立花は何も答えなかった。 

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