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5休学
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立花商会に行ってから十日後。
この日は休日だったので、昭と真治は、再び立花商会を訪ねた。
昭は兄に報告をする前に、立花からもっと詳細に聞いておかなければならないと思い、また真治は玲香のためにクローンの実態を知っておく必要があると考えたからだ。
だが、立花商会に行った二人は呆然としてしまった。
立花商会があった場所に何もないさら地になっていたからだ。
「こんなことって、あるのか」
昭は真治に怯えた顔を向けてきた。
さら地には、立入り禁止の立て札も立てられてはいない。お互いに顔を見合わせた後、さら地に入ってみた。
何もない地面の上を二人は歩き廻り、力を入れて踏みつけてみた。もしかしたら、凹みができるのではないかと思ってからだ。しかし、そんなことはなかった。どうやら完全に地下洞窟へおりる穴はふさがれていたのだ。
まず、二人は立花商会の右隣りにある自転車販売店に聞きに行った。
作業衣を着たご主人は、店の前に自転車を出し入れする以外、いつも店の中にいるので、立花商会がなくなったことにまるで気づかなかったと言っていた。
次に立花商会の左隣にあるラーメン屋に入って昼食の焼きそばを食べながらランニング姿の店主に聞いてみた。
店主の話では、数日前、真夜中にトラックにのってきた者たちがいたそうだ。何かをやっているようだと思ったが、見にはいかなかった。次の日、立花商会の前に行ってみると、きれいに何もなくなっていた。
ラーメン屋をでた二人は顔をあげて、強い日差しに成り出した太陽をみあげた。
「また、元の木阿弥に戻ってしまったようだね」と真治は目を細めた。
「そうだね。手がかりがまたなくなった」
「もう一度、噴水に行ってみるかい?」
「そうだね」
二人は、大島公園の噴水にむかった。
噴水のある広場につくと、二人はベンチを見て歩いた。しかし、明るい日差しを受けてすわっている老人たちを見ることはできたが、立花を見つけることはできなかった。
「公園のどこかにいるかもしれない」と、昭があきらめきれない。
「そうだね。他にすることも考えていなかったし、公園の中を見て歩くかい?」
昭がうなずき、二人は花壇の方に行った。そこには色とりどりのバラが咲き、甘いに匂いを漂わせていた。その花壇の側にもベンチがおかれ、すわっている人たちがいる。顔をのぞくがやはり立花はいない。
立花でなくても剛さんに似ている人を見つければいい。そう思って、顔をみつめすぎたせいか、座っていた人の一人がたちあがってきた。
「なにか、私に用事があるのですか?」と、昭は聞かれてしまった。
「すいません。人違いでした」
そう言って昭はあやまり、真治も一緒に頭をさげた。
もはや、二人は人の顔をのぞく気力を失っていた。二人は顔を見合わせて、苦笑いを浮かべた後、それぞれ分かれて家路についた。
真治は前以上に玲香を見守るようになった。
それは、立花がいなくなり、完全に痕跡も消し去られた。人体強化訓練所とその背後にいる者たちに恐怖を覚え出したからだ。力のある団体に聞いてはならないことを玲香に聞かせしまった。だから、人体強化訓練所が、玲香に何かをするのではないかと疑い出していた。
不安を持ったままで真治が玲香を見ていたが、いつもと変わらないで学校に来てくれる。何事も起るはずがないと思い込み、真治は安心をし始めていた。
だが、そんな希望は簡単に打ち砕かれることが起きた。
その朝、玲香が顔にガーゼを絆創膏で貼って学校にやってきた。前に真治が殴られて痣ができた位置と同じ場所であった。真治は喧嘩に弱いから痣ができてもおかしくない。しかし、玲香は強化された人間だ。人に殴られることなどまるで考えられない。
「どうかしたの?」
真治が尋ねると、玲香は驚いたように大きな瞳を向けてきた。
「訓練中に、平均台から落ちて台の角にぶつけてしまったのよ」
まるで、親から虐待を受けている幼子が親をかばっているようなことを言う。
「そう、なの」と言ったが、真治は信じたわけではない。
次の日。
顔に貼られたガーゼは二か所に増えていた。
さらに、翌日には、腕に包帯が巻かれていた。
授業が音楽の時間になり、ピアノのある音楽室へ移動しなければならない。女の子たちが横に並んで歩き、その端に玲香がいた。男同士がふざけあい、やがて廊下を走り出し、玲香にぶつかった。
その時に、玲香の頬に貼られたガーゼがはがれて、廊下に落ちていった。ガーゼの下の肌を見て、真治は「あっ」と、声をあげた。
そこには、肌が厚く固まり赤い甲羅が貼りついていたからだ。甲羅の真ん中から白い突起物が生え出し蠢いていた。玲香は、あわててガーゼを拾い、それを頬にあてると女子トイレに走っていた。
そんな後姿を見ながらも、真治は女子トイレに飛び込むことはできなかった。いま考えると勇気がなかっただけだ。
次の日には、顔からガーゼが消えていた。だが、その代わりに腕だけではなく太股にまで、包帯が巻かれ出していたのだ。そして、その包帯には血が付いてにじんでいた。
さすがに、それには誰もが気が付くようになる。
「真治。人体強化訓練所の訓練、きつ過ぎるんじゃないかな」と昭が言ってきた。
「そうかもしれないな」
真治はいままで気づかなかったふりをした。それは、玲香に昭が責任を感じているのを知っていたからだ。
次の日の朝。
昭は自分の家から瓶に入った塗り薬と多量の包帯を持ってきた。
「この薬はものすごく効くんだぜ。ぜひ玲香さんに塗ってもらいたい」
「どこで塗ってもらうんだ?」
真治に言われて、昭は少しの間考えていた。
「やっぱり、保健室を貸してもらうしかないな」
そんな話を二人でしていたのだが、玲香は学校にこなかったのだ。
ホームルーム終了間際に手をあげて。真治は遠藤先生になぜ玲香が学校に来ていないのか尋ねた。
「玲香さんに自衛隊の方から業務協力依頼が出されています。私もよくは知らないが、それができる法律があるらしい。学校に行かなくても、出席扱いをするようにとのことでした。そこで、玲香さんは今日学校には来てはいないが出席扱いとすることになっております」
遠藤先生はしかたなさそうに首を少し傾げてから、改めてホームルームの終わりをもう一度告げると教室から出て行った。
玲香に何かが起きている。
いろいろな情報は手に入った気がする。それらはバラバラで真治の頭の中で整理がされていない。その上、それを表立って聞くことはできない。それを知ろうとすることで誰かに迷惑がかかる気がしてくるからだ。
真治は、相談できそうな人をいろいろ考えてみた。そして、中学時代に教えてもらった生物学の山本先生が一番いいのではないかと思いついた。
山本先生は、学校の先生を定年で退職していた。奥さんをすでに無くしていて一人暮らしをしている。真治が塾に通った帰りによく顔を合わすことがあった。その時間帯に山本先生は、寝酒を飲むために居酒屋にでかけていたからだ。顔を合わすと、いつも「どうだ。つきあっていかないかね?」と、声をかけられていた。
山本先生は、大学院まで行っていて、研究室にいたこともあると言う話を聞いたことがあった。そこで、真治は山本先生に相談をしてみることにした。
その日は水曜日。塾からの帰り、真治はいつも山本先生と出会っていた南本通りの商店街そばに立っていた。思ったとおり、山本先生が現れ、手をあげてきた。
「やあ、真治じゃないか?」
「先生、今日は教えていただきたいと思いまして」
「そうだろう。いつもなら、ぼくの姿を見ると、すぐに離れようとしていたのに」
山本先生には、すべて見抜かれていたよだ。真治はバッグを持たない右手で頭をかいた。
「できるかぎり、人に聞かれないところで」
「まさか、恋愛相談じゃないだろうな」
思わず、真治は首を左右にふっていた。
「そこに、小上がりの部屋がある焼き鳥屋がある。千鳥と言う店だ。そこへ行こう」
山本先生に連れられていかれたところは、少し高級そうで品のいい店だった。先生が入っていくと、頭に鉢巻をした店員が案内をして掘りごたつの部屋に連れていってくれた。
案内をしてくれた店員がメモを手に注文を聞いてきた。
「何か、食べたい物はあるかい?」
「言え、何でもいいです」
「じゃ、いろいろな種類を入れた焼き鳥二本ずつの盛り合わせを頼むよ。それにお銚子一本熱かんでね。きみは飲み物なんにする?」
「烏龍茶でいいです」
「じゃ、烏龍茶を一つ追加で」
「はい、わかりました」と言った店員は頼んだ品物をもう一度読み上げて確認をしてでていった。
しばらくして、店員はお通しを二つに烏龍茶の入ったグラス、お銚子一本と猪口を持ってきた。すぐに、真治はお銚子を手に取ると山本先生の方にむけた。すると、山口先生は猪口
を手に持った。真治はその猪口にお酒をついだ。こういうことができるのは、父が酒飲みであったからだと思う。山本先生は嬉しそうに、猪口に口をつけていた。
「先生、人間のクローンについて、教えてもいただけませんか?」
「ほう、大きなテーマをふってきたね。これはその辺にいる人が聞きたいと思う内容ではないと思うがね。まず基本的な話からさせてもらうかな」
「自然界では、人間は自分と同じ人間を残すことができない」
「でも、子供は自分の遺伝子をついでくれますよね」
「君の言っていることは、男女で結婚をして、子供を作ること。つまり受精卵をつくることだね。だが、それは自分の遺伝子つまりDNAの半分しか伝えられない。偉大なのは女性の子宮だよ。受精卵を育てて人を作ってくれる」
「それじゃ、自分と同じ遺伝子だけを持つ者は作れないのですか?」
「できるよ。それをするためには、前もって受精していない卵細胞から中の核を取り除き、自分の体細胞の核DNAをその中に入れて受精卵と同じように子宮に移してやる。そうすると子宮が育ててくれる自分と同じ遺伝子を持った子供、つまりクローンだね」
山本先生がそこまで話をした時、店員が大皿に盛った焼き鳥を持ってきた。そこで、山本先生はお銚子をもう一本注文した。
「じゃ、クローン人間を作っている人がいてもおかしくないですね」
「そうだな。科学者がクローンを作ってきた歴史の話をするかな」と言って、山本先生は、精肉の串を手にそれを食べだした。真治も合わせて串を手にした。真治の取った串はひな皮
だった。
「1996年、スコットランドのロスリン研究所で羊のクローンを作っているよ。これが最初で中国や韓国でも犬やサルまでも作られているそうだ。だが、この方法は簡単に言えば代理母の方法だ。人間でこのスタイルをやることは普通の出産と同じことをすることになるだけだ」
「自分の細胞だけからクローンを作れる方法がないのですか?」と、真治は再び話を始めた。
「それができるようにする研究は行われてきているよ。事故や病気でだめになった所を取り換えられる臓器移植を促進させることができるからね」
「だが、体細胞の増殖研究は始まったばかりだよ。ノーベル賞を受賞した山中教授が作り出したIPS細胞を使っての増殖とその利用方法の研究がされている」
「IPS細胞って、なんですか?」
「ダイレクトな質問だね。体細胞の遺伝子に少数の遺伝子因子を加えて増殖させると、さまざまな臓器等の細胞に分化する能力を持ち、いくらでも増殖する能力を持つことがわかったのだよ。そして、その遺伝子因子は四つに絞ることができた。それらを使って体細胞を育てるためには、培養液やフィーダー細胞が必要なんだ。それらが細胞を育てる人間の子宮のような役割をしてくれるからね。フィーダー法と呼ばれている。培養液とフィーダー細胞もそれに代わる物の開発はさらに進んでいるようだよ」
猪口の中が空になったのを見て、真治は徳利からお酒を猪口についでいた。
「そんな段階なんですか?」
「この目的は再生医療だと考えているからだよ。人間は自分の細胞から臓器とか体の部分を作って、病気や交通事故などでダメになった部分を取り換えたいと思っているからだ」。
「そんな段階なんですか?」
「そんな段階だが、何か不満かね?」
「いや、もっとクローンって、簡単に作れると思っていましたよ」
「人間は多細胞生物だよ。そう簡単にいかないよ。早く自分と同じものを作り出せるのは単細胞生物だね。特にプラナリアだな。前に授業で顕微鏡で一度、真治くんにも見せたことがあったきがするが」
山本先生はやっと生物学的なことも話すことができると思って喜んでいた。
「プラナリアを覚えているかな。姿は矢印のような形をしている。だから、扇形動物部門に属して、水のある所ならばどこにでもいる。大きな特徴は切られるとちゃんとそれぞれ元にもどることができるということだ。まさに自分でクローンを作れる生き物なんだよ。だから再生研究の対象になっているようだね」
「じゃ、先生。人の体をプラナリア化させることができれば、いくらでもクローンを生み出すことができるのじゃないですか!」
「そのためにプラナリアの遺伝子を人の細胞に入れないとならないと思うが。そんな研究をしている大学はなかったと思うよ」
「でも、どこかにあるかもしれませんよ」
「それは、わからない。もしかしたら、すでに軍事的に研究がされているかもしれんからな。いまの戦争は戦車にのっていても放射能汚染にさらされる可能性もあるし戦死することもある。だから、代わりにクローンに戦争に行ってもらえば、そんなことはなくなる」
「そうか、そう考える人たちいるんだ」
「いるかもしれませんよ」
「いたら、天才だな。だが人からクローンをつくることは危険すぎるな。産まれたクローンにも我々と同じ意識があるかもしれない」
山本先生は少し酔いだしていたようだった。
この日は休日だったので、昭と真治は、再び立花商会を訪ねた。
昭は兄に報告をする前に、立花からもっと詳細に聞いておかなければならないと思い、また真治は玲香のためにクローンの実態を知っておく必要があると考えたからだ。
だが、立花商会に行った二人は呆然としてしまった。
立花商会があった場所に何もないさら地になっていたからだ。
「こんなことって、あるのか」
昭は真治に怯えた顔を向けてきた。
さら地には、立入り禁止の立て札も立てられてはいない。お互いに顔を見合わせた後、さら地に入ってみた。
何もない地面の上を二人は歩き廻り、力を入れて踏みつけてみた。もしかしたら、凹みができるのではないかと思ってからだ。しかし、そんなことはなかった。どうやら完全に地下洞窟へおりる穴はふさがれていたのだ。
まず、二人は立花商会の右隣りにある自転車販売店に聞きに行った。
作業衣を着たご主人は、店の前に自転車を出し入れする以外、いつも店の中にいるので、立花商会がなくなったことにまるで気づかなかったと言っていた。
次に立花商会の左隣にあるラーメン屋に入って昼食の焼きそばを食べながらランニング姿の店主に聞いてみた。
店主の話では、数日前、真夜中にトラックにのってきた者たちがいたそうだ。何かをやっているようだと思ったが、見にはいかなかった。次の日、立花商会の前に行ってみると、きれいに何もなくなっていた。
ラーメン屋をでた二人は顔をあげて、強い日差しに成り出した太陽をみあげた。
「また、元の木阿弥に戻ってしまったようだね」と真治は目を細めた。
「そうだね。手がかりがまたなくなった」
「もう一度、噴水に行ってみるかい?」
「そうだね」
二人は、大島公園の噴水にむかった。
噴水のある広場につくと、二人はベンチを見て歩いた。しかし、明るい日差しを受けてすわっている老人たちを見ることはできたが、立花を見つけることはできなかった。
「公園のどこかにいるかもしれない」と、昭があきらめきれない。
「そうだね。他にすることも考えていなかったし、公園の中を見て歩くかい?」
昭がうなずき、二人は花壇の方に行った。そこには色とりどりのバラが咲き、甘いに匂いを漂わせていた。その花壇の側にもベンチがおかれ、すわっている人たちがいる。顔をのぞくがやはり立花はいない。
立花でなくても剛さんに似ている人を見つければいい。そう思って、顔をみつめすぎたせいか、座っていた人の一人がたちあがってきた。
「なにか、私に用事があるのですか?」と、昭は聞かれてしまった。
「すいません。人違いでした」
そう言って昭はあやまり、真治も一緒に頭をさげた。
もはや、二人は人の顔をのぞく気力を失っていた。二人は顔を見合わせて、苦笑いを浮かべた後、それぞれ分かれて家路についた。
真治は前以上に玲香を見守るようになった。
それは、立花がいなくなり、完全に痕跡も消し去られた。人体強化訓練所とその背後にいる者たちに恐怖を覚え出したからだ。力のある団体に聞いてはならないことを玲香に聞かせしまった。だから、人体強化訓練所が、玲香に何かをするのではないかと疑い出していた。
不安を持ったままで真治が玲香を見ていたが、いつもと変わらないで学校に来てくれる。何事も起るはずがないと思い込み、真治は安心をし始めていた。
だが、そんな希望は簡単に打ち砕かれることが起きた。
その朝、玲香が顔にガーゼを絆創膏で貼って学校にやってきた。前に真治が殴られて痣ができた位置と同じ場所であった。真治は喧嘩に弱いから痣ができてもおかしくない。しかし、玲香は強化された人間だ。人に殴られることなどまるで考えられない。
「どうかしたの?」
真治が尋ねると、玲香は驚いたように大きな瞳を向けてきた。
「訓練中に、平均台から落ちて台の角にぶつけてしまったのよ」
まるで、親から虐待を受けている幼子が親をかばっているようなことを言う。
「そう、なの」と言ったが、真治は信じたわけではない。
次の日。
顔に貼られたガーゼは二か所に増えていた。
さらに、翌日には、腕に包帯が巻かれていた。
授業が音楽の時間になり、ピアノのある音楽室へ移動しなければならない。女の子たちが横に並んで歩き、その端に玲香がいた。男同士がふざけあい、やがて廊下を走り出し、玲香にぶつかった。
その時に、玲香の頬に貼られたガーゼがはがれて、廊下に落ちていった。ガーゼの下の肌を見て、真治は「あっ」と、声をあげた。
そこには、肌が厚く固まり赤い甲羅が貼りついていたからだ。甲羅の真ん中から白い突起物が生え出し蠢いていた。玲香は、あわててガーゼを拾い、それを頬にあてると女子トイレに走っていた。
そんな後姿を見ながらも、真治は女子トイレに飛び込むことはできなかった。いま考えると勇気がなかっただけだ。
次の日には、顔からガーゼが消えていた。だが、その代わりに腕だけではなく太股にまで、包帯が巻かれ出していたのだ。そして、その包帯には血が付いてにじんでいた。
さすがに、それには誰もが気が付くようになる。
「真治。人体強化訓練所の訓練、きつ過ぎるんじゃないかな」と昭が言ってきた。
「そうかもしれないな」
真治はいままで気づかなかったふりをした。それは、玲香に昭が責任を感じているのを知っていたからだ。
次の日の朝。
昭は自分の家から瓶に入った塗り薬と多量の包帯を持ってきた。
「この薬はものすごく効くんだぜ。ぜひ玲香さんに塗ってもらいたい」
「どこで塗ってもらうんだ?」
真治に言われて、昭は少しの間考えていた。
「やっぱり、保健室を貸してもらうしかないな」
そんな話を二人でしていたのだが、玲香は学校にこなかったのだ。
ホームルーム終了間際に手をあげて。真治は遠藤先生になぜ玲香が学校に来ていないのか尋ねた。
「玲香さんに自衛隊の方から業務協力依頼が出されています。私もよくは知らないが、それができる法律があるらしい。学校に行かなくても、出席扱いをするようにとのことでした。そこで、玲香さんは今日学校には来てはいないが出席扱いとすることになっております」
遠藤先生はしかたなさそうに首を少し傾げてから、改めてホームルームの終わりをもう一度告げると教室から出て行った。
玲香に何かが起きている。
いろいろな情報は手に入った気がする。それらはバラバラで真治の頭の中で整理がされていない。その上、それを表立って聞くことはできない。それを知ろうとすることで誰かに迷惑がかかる気がしてくるからだ。
真治は、相談できそうな人をいろいろ考えてみた。そして、中学時代に教えてもらった生物学の山本先生が一番いいのではないかと思いついた。
山本先生は、学校の先生を定年で退職していた。奥さんをすでに無くしていて一人暮らしをしている。真治が塾に通った帰りによく顔を合わすことがあった。その時間帯に山本先生は、寝酒を飲むために居酒屋にでかけていたからだ。顔を合わすと、いつも「どうだ。つきあっていかないかね?」と、声をかけられていた。
山本先生は、大学院まで行っていて、研究室にいたこともあると言う話を聞いたことがあった。そこで、真治は山本先生に相談をしてみることにした。
その日は水曜日。塾からの帰り、真治はいつも山本先生と出会っていた南本通りの商店街そばに立っていた。思ったとおり、山本先生が現れ、手をあげてきた。
「やあ、真治じゃないか?」
「先生、今日は教えていただきたいと思いまして」
「そうだろう。いつもなら、ぼくの姿を見ると、すぐに離れようとしていたのに」
山本先生には、すべて見抜かれていたよだ。真治はバッグを持たない右手で頭をかいた。
「できるかぎり、人に聞かれないところで」
「まさか、恋愛相談じゃないだろうな」
思わず、真治は首を左右にふっていた。
「そこに、小上がりの部屋がある焼き鳥屋がある。千鳥と言う店だ。そこへ行こう」
山本先生に連れられていかれたところは、少し高級そうで品のいい店だった。先生が入っていくと、頭に鉢巻をした店員が案内をして掘りごたつの部屋に連れていってくれた。
案内をしてくれた店員がメモを手に注文を聞いてきた。
「何か、食べたい物はあるかい?」
「言え、何でもいいです」
「じゃ、いろいろな種類を入れた焼き鳥二本ずつの盛り合わせを頼むよ。それにお銚子一本熱かんでね。きみは飲み物なんにする?」
「烏龍茶でいいです」
「じゃ、烏龍茶を一つ追加で」
「はい、わかりました」と言った店員は頼んだ品物をもう一度読み上げて確認をしてでていった。
しばらくして、店員はお通しを二つに烏龍茶の入ったグラス、お銚子一本と猪口を持ってきた。すぐに、真治はお銚子を手に取ると山本先生の方にむけた。すると、山口先生は猪口
を手に持った。真治はその猪口にお酒をついだ。こういうことができるのは、父が酒飲みであったからだと思う。山本先生は嬉しそうに、猪口に口をつけていた。
「先生、人間のクローンについて、教えてもいただけませんか?」
「ほう、大きなテーマをふってきたね。これはその辺にいる人が聞きたいと思う内容ではないと思うがね。まず基本的な話からさせてもらうかな」
「自然界では、人間は自分と同じ人間を残すことができない」
「でも、子供は自分の遺伝子をついでくれますよね」
「君の言っていることは、男女で結婚をして、子供を作ること。つまり受精卵をつくることだね。だが、それは自分の遺伝子つまりDNAの半分しか伝えられない。偉大なのは女性の子宮だよ。受精卵を育てて人を作ってくれる」
「それじゃ、自分と同じ遺伝子だけを持つ者は作れないのですか?」
「できるよ。それをするためには、前もって受精していない卵細胞から中の核を取り除き、自分の体細胞の核DNAをその中に入れて受精卵と同じように子宮に移してやる。そうすると子宮が育ててくれる自分と同じ遺伝子を持った子供、つまりクローンだね」
山本先生がそこまで話をした時、店員が大皿に盛った焼き鳥を持ってきた。そこで、山本先生はお銚子をもう一本注文した。
「じゃ、クローン人間を作っている人がいてもおかしくないですね」
「そうだな。科学者がクローンを作ってきた歴史の話をするかな」と言って、山本先生は、精肉の串を手にそれを食べだした。真治も合わせて串を手にした。真治の取った串はひな皮
だった。
「1996年、スコットランドのロスリン研究所で羊のクローンを作っているよ。これが最初で中国や韓国でも犬やサルまでも作られているそうだ。だが、この方法は簡単に言えば代理母の方法だ。人間でこのスタイルをやることは普通の出産と同じことをすることになるだけだ」
「自分の細胞だけからクローンを作れる方法がないのですか?」と、真治は再び話を始めた。
「それができるようにする研究は行われてきているよ。事故や病気でだめになった所を取り換えられる臓器移植を促進させることができるからね」
「だが、体細胞の増殖研究は始まったばかりだよ。ノーベル賞を受賞した山中教授が作り出したIPS細胞を使っての増殖とその利用方法の研究がされている」
「IPS細胞って、なんですか?」
「ダイレクトな質問だね。体細胞の遺伝子に少数の遺伝子因子を加えて増殖させると、さまざまな臓器等の細胞に分化する能力を持ち、いくらでも増殖する能力を持つことがわかったのだよ。そして、その遺伝子因子は四つに絞ることができた。それらを使って体細胞を育てるためには、培養液やフィーダー細胞が必要なんだ。それらが細胞を育てる人間の子宮のような役割をしてくれるからね。フィーダー法と呼ばれている。培養液とフィーダー細胞もそれに代わる物の開発はさらに進んでいるようだよ」
猪口の中が空になったのを見て、真治は徳利からお酒を猪口についでいた。
「そんな段階なんですか?」
「この目的は再生医療だと考えているからだよ。人間は自分の細胞から臓器とか体の部分を作って、病気や交通事故などでダメになった部分を取り換えたいと思っているからだ」。
「そんな段階なんですか?」
「そんな段階だが、何か不満かね?」
「いや、もっとクローンって、簡単に作れると思っていましたよ」
「人間は多細胞生物だよ。そう簡単にいかないよ。早く自分と同じものを作り出せるのは単細胞生物だね。特にプラナリアだな。前に授業で顕微鏡で一度、真治くんにも見せたことがあったきがするが」
山本先生はやっと生物学的なことも話すことができると思って喜んでいた。
「プラナリアを覚えているかな。姿は矢印のような形をしている。だから、扇形動物部門に属して、水のある所ならばどこにでもいる。大きな特徴は切られるとちゃんとそれぞれ元にもどることができるということだ。まさに自分でクローンを作れる生き物なんだよ。だから再生研究の対象になっているようだね」
「じゃ、先生。人の体をプラナリア化させることができれば、いくらでもクローンを生み出すことができるのじゃないですか!」
「そのためにプラナリアの遺伝子を人の細胞に入れないとならないと思うが。そんな研究をしている大学はなかったと思うよ」
「でも、どこかにあるかもしれませんよ」
「それは、わからない。もしかしたら、すでに軍事的に研究がされているかもしれんからな。いまの戦争は戦車にのっていても放射能汚染にさらされる可能性もあるし戦死することもある。だから、代わりにクローンに戦争に行ってもらえば、そんなことはなくなる」
「そうか、そう考える人たちいるんだ」
「いるかもしれませんよ」
「いたら、天才だな。だが人からクローンをつくることは危険すぎるな。産まれたクローンにも我々と同じ意識があるかもしれない」
山本先生は少し酔いだしていたようだった。
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