ラドン

矢野 零時

文字の大きさ
4 / 5
ラドン

しおりを挟む
 礼子は田村と市の南にある旅館にいた。田村があしげに礼子のアパートにかよっていることが噂になりだしたからと言って、礼子を呼び出したのだ。だが、それは本当のことであった。
 そして、今、安普請の旅館部屋で、礼子は乳房を田村に愛撫されながら話を聞いていた。
「礼子、前に修が死にかけたと言っていたな。本当は、その時に死んでいたんだよ」
 田村が言っているのは、修が四歳になり、礼子の夫が生きていた時の話であった。そして、その話は礼子が田村に以前に話をして聞かせたものであった。

 その日は、トラック運送の仕事あけで、夫は礼子と修を連れて埠頭に散歩に行った。埠頭には、この時期に浮遊してくるイワシを釣りにきた人達で賑わっていた。
 夫と礼子が釣人たちと話しに夢中になっている時であった。水音がした。そちらを見ると、修が海面にいた。修は手足をばたつかせている。夫は靴だけを脱ぎすてると、海に飛び込んでいった。夫は抜き手で泳ぎ、修のそばまでたどり着き、息子を抱え込むことができた。しかし、コンクリートでできた埠頭は海面からかなりの段差があって、1メートルを超える高さでは簡単には上がれない。それに、夫といえども、いつまでも泳いでいることはできない。途方に暮れている時、釣人の一人がどこからか、見つけてきた縄を夫に投げてくれた。その縄を夫は修の着ていた服と結び、修をひきあげてもらった。それから、もう一度縄を投げ込んでもらい、それをつかんで夫は海からはいあがることができた。

「修は助かったのよ。死んじゃいないわ」と、礼子は声を出した。
「だから、言っているだろう。あんたの旦那と子供はその時に死んだと考えるんだ」
 礼子は天井の今にも動き出しそうな、木の節目を見つめていた。
「俺の知っている保険屋の女に頼んで、修を一億円の保険に入れさせるんだ。大丈夫だよ。その女はもう歳で保険の仕事をやめたがっていてね。最後にでっかい契約をとりたがっているのさ」
「でも、修は生きている。保険金を貰うことなんかできないわ」
 田村の眼に暗い光が走った。枕元に手を延ばし煙草をつかみ一本取り出すと、旅館のマッチで火をつけた。煙草を大きく吸い込み、ゆっくりと吐き出した。白い煙は静かに暗い天井に向かって広がっていく。
「前と同じく、海に落ちてもらう。海で死んでもらうんだよ。子供が知らぬ間に海に落ちてしまうことはよくあることだからな」
「でも、あの子が簡単に海に落ちないわよ」
「捕まえて、海に投げ込むのさ。もちろん、誰にも分らんようにしてだよ」と言いながら、田村は礼子を見据えた。しばらくの間、二人は見つめあっていた。田村の眼の暗い光が、のり移ったように礼子の眼の中にも燃え出していた。
「でも、誰かに助けられるかもしれない?」
 礼子は、釣人が手伝ったので修は助けられたことを思い出していた。
「じゃ、無理やり海水を飲ませればいい」
「どうやって?」
「頭を押さえつけて、海水の入ったバケツに顔をつけさせればいい」
 それには答えずに礼子は激しく田村に抱きついた。そして、強く田村の首に腕を回した。男と全てを同化するように。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします

二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位! ※この物語はフィクションです 流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。 当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。

還暦の性 若い彼との恋愛模様

MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。 そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。 その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。 全7話

離婚した妻の旅先

tartan321
恋愛
タイトル通りです。

さようなら婚約者

あんど もあ
ファンタジー
アンジュは、五年間虐げられた婚約者から婚約破棄を告げられる。翌日、カバン一つを持って五年住んだ婚約者の家を去るアンジュ。一方、婚約者は…。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

不貞の末路《完結》

アーエル
恋愛
不思議です 公爵家で婚約者がいる男に侍る女たち 公爵家だったら不貞にならないとお思いですか?

父が再婚しました

Ruhuna
ファンタジー
母が亡くなって1ヶ月後に 父が再婚しました

処理中です...