未来で待ってる

奈古七映

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第四話

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 いつもの失神、ということだった。
「発作じゃないから大丈夫」
 実母はそう言ったけど、すぐ医者が呼ばれたようで、帰りに様子を見に行ったら看護師さんが部屋にいて、何かの装置を橙子に着けていた。

 親族会は、まあ予想通りというか、光希と私は大変な思いをしたわけだけど、橙子のことが気になって今それどころじゃないという気持ちのまま終了した。

「お父さん、藤乃さんって仕事してるの?」
 帰ってから聞いてみると、実母は大学を出てからずっと自分とこの会社に勤めていて、現在は専務というポストにあるという。毎日出勤してバリバリ働いているらしい。
「じゃ、橙子はお手伝いさんが看てるのかな」
「そうかもしれないな。お手伝いさんは、住み込みが一人、通いが二人いるみたいだから」

 もし誰もいないときに、失神したり発作を起こしたらどうするんだろう。発見が遅れて万が一っていうことになったら……自分でもどうしてこんなに心配なのかわからないけど、もし何かあってからじゃ遅いと思うと、いても立ってもいられないような気分になる。

「私、橙子のそばにいたい気がする」
「えっ……なんで急に!?」
 養父はすっとんきょうな声を上げた。
「橙子になんか言われたのか?」
 こめかみをピクリとさせながら光希が問う。
「ううん、そうじゃない。うまく説明できないけど、もっと一緒に過ごして色々話とかもしてみたいっていうか」
「本家に戻りたいってこと? ここで今まで通り暮らすためにみんなで嘘ついて、流れで結納まですることになったのに、今さらそれはないだろ」
「違うよ、戻りたいなんて言ってない」
「実質的には同じことじゃん」
「光希、やめなさい」
 養父は私の顔をじっと見て首をかしげた。
「まだ黙ってたのに、やっぱり双子だから通じるものがあるのかな」
「黙ってたって、何を?」
 どきんと心臓が強く脈打ったような気がした。
「有希乃には言いたくなかったんだがな」
 養父はためらうように唇を噛んで黙り、それからゆっくり口を開いた。

「橙子ちゃんはたぶん、夏まで持たない」

「嘘……」
「まじかよ」
 帰り際にのぞいた時に見た橙子の眠る顔の、紙のように無機質な白さが頭に浮かんで離れなかった。



 本家のある場所は、同じ市内でもちょっと郊外の方で、高台だから自転車で訪ねるにはちょっときつい感じだ。
「あっつい!」
 長い上り坂の途中で、私は自転車を降りて一休みすることにした。汗を拭き、リュックからペットボトルのジャスミンティを取り出して飲む。ごくごく半分ぐらい一気飲みしてしまった。
「無謀だったかな」
 
数日分の着替えと身のまわりのちょっとした物を詰め込んだリュックは、養父が若い頃トレッキングかなんか趣味でやってた頃の持ち物で、大きめで沢山入りそうだから勝手に借りてきた。
 大型連休最終日の朝、私は養父にも光希にも無断で本家に向かっている。置き手紙はしておいた。眠れなくて悶々としているうちに明るくなってきたので、急に思い立って出てきたのだ。一応、途中で本家に電話して、今から行くからしばらく泊めて欲しいと伝えてある。

「ここから学校までどれぐらいかかるんだろ」
 市の中心部に近い高校まで、自宅からは自転車で十五分くらいだけど、本家からだと少なくとも倍以上ありそうだ。

 そういえば、橙子はどこの高校なんだろう。そもそも、あの体で高校に入学して通えていたんだろうか。

 新緑の木々を揺らして風が通り過ぎていく。見上げれば五月晴れの青空に真っ白い雲が浮かんでいた。日陰から見ているのに、寝不足の目にはまぶしい。
 早く橙子に会いたい、と思った。
 私はジャスミンティをもう一口飲んでから、再び自転車にまたがった。

「光太郎さんからも電話あったわ。あなたたち、喧嘩でもしたの?」
 汗だくで到着した私を見て、実母は変な顔をした。笑うでもなく、しかめ面でもなく、困ったような、嬉しそうな、本当に変な顔だった。
「そういうわけじゃないですけど、ちょっと橙子のそばで暮らしてみたくて」
「橙子はまだ休んでるから、シャワーでも浴びてくればいいわ」
 ということで、案内されたのは母屋の浴室だった。広々とした明るい浴室は木の香りが満ちていて、浴槽は大人が三人ぐらい余裕で入れそうな大きさだ。
 洗い場のはじっこに、プラスチックの背もたれの付いた椅子が置いてある。まだ新しそうで介護用みたいだ。祖父はまだお年寄りってほどでもないから、たぶん橙子が使うためのものなんだろう。

 養父に聞いた話では、橙子の心臓は生まれつき機能が弱く、それでも小学校高学年になるまでは体育の授業も運動会も普通に出ていたので、本人も家族もわからなかったらしい。部活のミニバスケの練習中に倒れて救急車で運ばれて、そこで初めて心臓がかなり悪いと判明したというのだ。
 薬やリハビリでは状態を保つことしか出来なくて、根本的に治すには心臓移植しかないというので、中学の時に渡米して半年ほど向こうでドナー待ちをしていた。だけどその時は症状が落ち着いていたため、順番がかなり後になると告げられて、あきらめて帰国したのだという。
 それから五年、じわじわと他の臓器も弱って移植に耐えられない状態になったことを考えると、どうしてその時あきらめて帰国してしまったのか、実母たちは悔やんでも悔やみきれないと言っているようだ。

 募金を集めて海外で臓器移植という話は、世間ではよくあることみたいで、私もネットで調べてみたけど、だいたい億以上のお金がかかるらしい。それを自費でやろうとしたのはすごいことだけど、どうしてもう一度チャレンジできなかったのかと思う。祖父や実母は、すべての財産と引き換えにしてもいいから橙子を助けたいと思わなかったんだろうか。

 もし私という「橙子のスペア」の存在が、彼らをためらわせたのだとしたら……まさか、そんなはずないよね?

「やめやめ」
 ネガティブに流れそうになる思考を止め、私は手早くシャワーを浴びて浴室を後にした。



「何しに来たのよ?」
 ベッドに横たわりながらも、橙子節は健在のようだ。
「こないだの話、中途半端だったからさ」
「もういいよ、そんな話」
 プイと窓の方を向いてしまった橙子。
「いいじゃん、続き話そうよ。で、橙子は光希が好きなんだっけ?」
「はあっ? 馬鹿じゃないの?」
 橙子は私をふり返ってにらんだけど、赤い顔をしている。
「違うわよ。全然違う」
「そんなに否定しなくたって」
「だって違うんだもん」
 興奮させるのは良くないらしいから、私はそれ以上からかわないことにした。
「わかったよ」
「うちは本家でこんな感じでしょ? だから光太郎さんちみたいな家族、小さい頃からいいなって思ってたの。ただそれだけ。光希くんは関係ないんだからね」
 これはツンデレというやつだろうか。橙子、可愛いじゃないか。
「そっか」
 私はふと横を見て、ベッドサイドの台に、朝食らしきものが置いてあるのに気付いた。バターロールみたいな小さいパンと温野菜のスープにフルーツヨーグルト。手を付けた感じはない。
「橙子、朝ごはんは?」
「いらない」
「じゃ、もらっていい? お腹空いちゃって」
「は? 普通そこは食べなきゃダメって言うとこじゃない?」
 あきれたように橙子が言うので、私はにんまり笑ってみせた。
「それなら半分こしよっか。食べさせてあげる。はい、あーんして」
「ちょ……自分で食べられるわよ」
 橙子はもぞもぞと半身を起こし、私の差し出したスプーンを奪い取った。
「なんか頭来ちゃう」
 文句を言いながら、橙子はきっちり半分スープを食べた。
「もういらない。本当にいらない」
「薬はこれ?」
「うん、それ……って、さっきからなんなの、もう。気持ち悪い」
 口で言うほど嫌そうでは、ない。
「私のことはお手伝いさんだと思ってくれていいよ。なんでもするから言って。昼間は学校行くけど」
「まさか、ここに住むつもり?」
「あ、本家に入るとか、そういうんじゃないから。ちょっと居候するだけ」
「冗談でしょ」
「いや、まじで」
「どういうつもり? 出てってよ。私が生きてるうちに私の家に入って来ないで」
 橙子は少し声を荒げた。
「私は生きてる橙子と一緒にいたい」
 なだめるように、なるべく優しい声で……難しかったけど努力はする。
「うまいこと言って、ママとかお祖父さんに取り入るつもりなんじゃないの? ていうか、私が長くないって知ってるんだ? それで同情でもしてるわけ?」
「橙子、落ち着いて。怒んないで」
 私は橙子の痩せた肩に手をかけた。
「ほんとに橙子と過ごしたいだけなんだよね。藤乃さんとかは何話していいかわかんないし、取り入るとか考えてもいないから、そこは信じて」
「有希乃って馬鹿なの?」
 橙子は私の手を払いのけ、ベッドに横になった。
「もう下げて。片付けてきて」
 そう言って朝食のトレーを指差す。
「終わったら、お祖父さんの書斎から映画のDVD持って来て。面白そうなの選んで」
「了解!」
 返事しながら、さりげなく橙子の本棚をチェックして、恋愛小説と純文学のハードカバーが並んでいるのを目視する。こんなツンツントゲトゲしているけど、橙子はなかなか感性豊かな文学少女のようだ。

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