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決戦の日
しおりを挟む雪が降る。
世界を真白に染めてゆく。
初めて見あげる帝立学院は装飾のひとつもない学ぶためだけの白い姿で、セバの目にこのうえなく輝かしく映った。
かじかむ手に吹きかける息も白く揺れる。
「わー、きみも受験? おんなじくらいの背の子、はじめて! ちっちゃいと苦労するよね」
やわらかそうな薄紅の髪が、ふわふわ揺れる。
めずらしい薄紅の瞳が、セバの目を覗きこんだ。
「僕、エィラ。きみも平民だよね? 仲良くしてね」
差しだされた手は、ちいさく、あたたかで、やわらかだった。
掃除や洗濯や料理で、幼いながらも使いこまれたセバのとは違う手だ。
なめらかな光沢のある服は、貴族がまとうものと変わらない。
裕福な商家の子息だろうか、貴族の隠し子なのかもしれなかった。
「……セバ。よろしく」
どちらかが落ちても、どちらも落ちても、これきりだ。
どちらも合格しないと、よろしくできない。
なのに、唇は『よろしく』告げていた。
吸いこまれそうな薄紅の瞳だった。
星を閉じこめたように、ちいさなひかりが瞬いている。
不思議な瞳だ。
魔力の強い人なのかもしれない。ゲォルグのように。
「はー、緊張するー。死ぬほど勉強したよー。本気で死ぬかと思ったー!」
明るいエィラの声は、静かな会場によく響く。
睨みつけてくるのは貴族の子息だろうか。目の下の隈が凄まじい色になっている。
「わー、こわーい。貴族の殺人光線が降ってくるってほんとだったんだ」
ちっとも怖くなさそうに肩をすくめたエィラが笑う。
「セバが一緒で心強いよ。がんばろうね」
不思議な人だ。
これほどピリピリする受験会場にいるのに、言葉とは裏腹に、ひとりだけちっとも緊張していない。
傍にいるだけで、セバの緊張までゆるめてくれる。
合格したら、反逆だろうか。
合格しなかったら、恥さらしだろうか。
『ぎゃふん!』
言ってほしい気がした。
主には、ふさわしくない気がした。
耳から零れおちそうなほど詰めこんだ学説と、ゲォルグの苦しそうな、忌々しそうな拒絶のかんばせが「認められない」がぐるぐる回る頭が、エィラの瞳を覗きこむと、凪いでゆく。
「一緒に合格しよー!」
笑ってくれたら、ガチガチもぐるぐるも、ぜんぶほどけた。
「ありがとう、エィラ」
ふうわり、笑う。
蘇芳の髪が、やわらかに揺れた。
「わ! え、うそ、攻略対象より可愛くない!?」
「こーりゃくたいしょー?」
勉強不足だったかな。
心配に血の気の引くセバの肩を叩いて、エィラが笑う。
「イケメンのお兄さんたちだよー! もー、楽しみで楽しみで! それもこれも合格しなきゃだから、死ぬ気でがんばろー!」
拳を掲げるエィラに、首を傾げる。
「いけめん?」
「ほら、いっしょに、おー!」
「おー?」
「うるさいぞ!」
ギリギリしているのだろう受験生の尖った声が降ってきて、エィラと一緒にちいさく笑った。
ふしぎだ。
貴族から刺さる殺人光線が、ちっとも怖くない。
「これより帝立学院、一般入学試験を開始する!」
皆が紙をめくる音が一斉に響いた。
全力を振り絞るようにセバは解答用紙を埋めた。
エィラが笑って緊張をほぐしてくれたからだろうか、手はふるえなかった。呼吸も、落ち着いている。
ゲォルグの辛そうな顔さえ、遠くなる。
設問があって、答えがあって、それを書く。
何をどう書けばいいのか、導かれるように解った。
豪速で動く頭と手が直結する。
ましろな世界へ。
問いと、答え、ただそれだけの世界へ。
「そこまで! 筆記具を置き、解答用紙から手を離しなさい!」
試験官の声に、ようやく音が、視界が戻ってくる。
あまりの集中に、頭の芯が痺れていた。
詰めていた息を吐きだした。
強張っていた肩が、ようやくほどけた。
「入学式で、また逢おうね!」
薄紅の髪を揺らし、エィラは笑顔で手を振った。
ふたりとも合格するという、その自信はどこからくるのだろう。
うらやましくもあり、微笑ましくもあった。
「また」
思わず笑ったセバも手を振りかえし、迎えの馬車に乗りこむエィラを見送った。
まだぼんやりする頭でセバも門をくぐる。
帝立学院から帝都にあるジェディス邸は徒歩でゆける距離だ。
仕える人のための寮の一室をセバに貸してくれている。
ジェディス邸に着くと、メナが迎えてくれた。
「ごほうびが、ありますよ」
案内してくれたのは本邸だ。
ふかふかの藍の絨毯に足が沈む。
きらびやかな装飾を削ぎ落とした、よく手入れされた、居心地のよい邸だった。やわらかな弓をえがき2階へと続く飴色の階段を昇る。
最奥の部屋へと案内してくれたメナが、かるく叩いた扉を開いた。
窓硝子の向こうで降りる雪を背景に、月の髪が流れる。
「……辛くあたって、すまなかった。よく頑張ったな、セバ」
吐息が、止まった。
茫然と見あげる視界が、滲んでゆく。
「……お言いつけを、聞け、なくて……ごめ、なさぃ……!」
ひざまずくように崩れおちるセバは、いつものように絨毯に膝をつくのだろうと思った。
いつものように、あなたの足元でうずくまるのだと。
なのに
脳髄の奥が痺れるような香りがする。
見あげたら、透きとおる蒼の瞳と重なった。
ぬくもりが、沁みてくる。
ゲォルグの腕が、背を抱いて支えてくれている。
夢だと思った。
夢でいい。
あなたに、抱きとめてもらえるなんて。
夢でいい。
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