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不思議な依頼者

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少女の訪問により、遅れた仕事を片付けていると再びベルが鳴った。
アザミは顔を上げ扉を見やる。しかし、扉は空いているが客らしき人物は誰も居ない。誰かの悪戯かと息を吐く。気づけば辺りは赤くなっていて日没も近い。ランプに火を入れ、今日はもう店を閉めてしまおうと立ち上がった。

「代書屋さん?」

アザミが扉に近づくと、陰から窺うように零れ落ちそうな茶色の目がおずおずと見上げていた。十歳にも満たないような子供だ。

「そうよ。誰かの使いできたのかしら?」

アザミが尋ねると子供が大きく首を横に振った。目と同じ茶色の髪がふわふわと踊った。

「じゃあ……貴方が依頼主?」

胡散臭そうに尋ねると子供は顔を赤くして何度も大きく頷く。

「貴方お金持っているの?」
「おかね……?」
「私も仕事でやっているの。お代が貰えないんじゃ仕事は受けられないわね」

アザミが断ると子供は慌てた。体を探り、ポケットから何かを取り出す。

「あ、あのね。おかねっていうのは無いけどこれ! 僕の宝物なの。これをあげるからお手紙を書いてほしいの!」

子供が差し出す手の上には硬貨ではなくドングリがのっていた。アザミの眉間に皺が寄る。

「結構よ。さぁ、私も他の仕事があるの。帰ってくれる……って待ちなさい!」

アザミは背を押して追い出そうとしたが、子供はするりとかわし事務所へと逃げ込んでしまった。
手を伸ばして捕まえようとするが、小さくすばしっこい子供は器用に避ける。狭い事務所での追いかけっこは棚や机に阻まれて追いつけない。
それでも子供を追っていたが、椅子に足が引っかかってしまい「バン!」と大きな音を立てて倒してしまった。足に走る痛みにしゃがみ込み、声にならない音が漏れる。

足を擦りながら顔を上げると音に驚いたのか子供が止まっていた。

「もう、手間をかけさせないで」

アザミが子供の元へ行き肩に手を置くと、力を失った子供が倒れ掛かってくるので慌てて支えた。

「ちょっと、大丈夫なの?
……これはどういうこと!?」
「うきゅぅ」

アザミが支えていたはずの子供は消え、腕の中では小さな狸が目を回していた。




混乱したアザミは狸を床に放置し、少し離れた机の陰から様子を窺っている。
手には護身用のほうきが握られていた。
あんな小さな狸にアザミをどうこう出来る力はないと思うが、得体の知れないものに自分から関わっていく勇気もなかった。

時計の秒針が刻む音が嫌に耳につく。
長いようで短い時間が過ぎると、ようやく狸が目覚めたようで身じろぎをし始めた。のろのろと四足で起き上がると頭を振る。
そうして顔を上げた狸と視線が交わった。ピャッと飛び跳ねた狸は自身の姿を見下ろし、もう一度アザミを見つめる。
狸の姿なのに、冷や汗を流している先程の子供の姿が重なる。せわしなく辺りを見回して逃げ道を探しているが、狸の力でどうにか出来るわけもない。
アザミはあたふたしているこの狸に恐怖を覚えていた自身が、急に馬鹿らしくなった。おもむろに立ち上がると高圧的に告げる。

「……さっきの子供が貴方なら、もう一度化けてみなさい。そうじゃないなら、狸スープにして食べるわよ」

ほうきで床を打つと狸は震え上がる。慌てて宙返りをすると、床につく頃にはあの子供が現れていた。

「変化したから食べないでぇ。僕なんてお肉も少なくておいしくないよぉ」

半泣きで頭を抱えて怯えている。アザミは大きく息を吐く。

「とって食べたりしないわよ。それより、貴方は何なの。それと何しに来たのか聞かせなさい」
「……ほんとぉ」

子供はぐずぐずと鼻を鳴らして様子をうかがってくる。アザミが大きく頷くとようやく涙を止めた。
話を聞くために応接用の椅子に腰を下ろし、向かいの椅子を指した。
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