ブルームーンの夜に

桐原まどか

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ブルームーンの夜に

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失意のどん底にいる男がいました。
彼はもうすぐフィアンセと結婚を控えていたのです。ところが、不幸な事故に巻き込まれ、彼女は帰らぬ人となってしまいました。
それは月が青く見える、という、ごく珍しい現象の日の夜でした。
男はしたたかに酒を飲み、近くの湖にふらふらとやってきました。
青白い月が映る水面…。
彼は、不思議と酔いが冷めていくのを感じました。
―彼女のもとへ、行こう。
湖畔から伸びているボート乗り場から、男は片足を湖に入れました。
そのまま、バシャバシャと水音を立てながら、進みます。と、―まって…。
声がした気がしました。
振り返ると、果たして彼女―亡くなったはずの彼女が、彼女が一等お気に入りだった、真っ白なワンピースを着て、ボート乗り場に佇んでいるではありませんか。
彼は慌てて、しかし、水に足をとられないように、戻りました。
果たして、そこには彼女がいました。
彼の名前を呼ぶ、その懐かしい声!
「あぁ、俺の愛しい人、どうして君がここにいるんだい? 君は…」彼は言葉を切りました。とても言えなかったのです。
彼女は彼の手を取りました。
「あぁ、わたしの愛しい人!わたしの命は確かにあの日、終わってしまったけど、あなたに伝えたいことがあったの。だからお願いしたのよ」
「お願い?誰にだい?」
彼女は首を傾げます。
「わからないわ…とにかく無我夢中だったから、神様なのか、悪魔なのか…」彼女はひたと彼の目を見ました。「もう一度『あなたに逢わせてください』って」
気付いたら、ここにいたの。そうしたら、あなたが…。
彼女は悲しげに目を伏せました。
彼はぎゅっと手に力を込めました。
その力の強さに彼女が顔をあげます。瞳が潤んでいました。
「あなた、わたしの愛しい人、お願いがあるの。わたしの分も、と思って、あなたの人生を生きて。」
彼は言いました。
「君がいないのに?」
彼女の瞳から涙が滑り落ちました。
「ええ、わたしはいないけれど、生きて」
彼の脳裏に彼女との様々な思い出が蘇りました。
コロコロと笑う彼女、プロポーズした時のびっくりした顔、ウェディングドレス姿…。
「わかったよ」彼は静かに、けれど決意を込めて言いました。
「君の分も生き抜いてみせるよ」
恋人同士は抱擁を交わしました。
口付けた彼女の唇は、冷たく甘い感じがしました。
「さようなら」
青い月の光に照らされながら聞いた、彼女の最期の言葉でした。

翌日、男は湖畔で倒れているところを、近所の住民に発見されました。
命に別状はなく、男はバリバリと仕事をこなし、やがて、出会った女性と結婚し、子供にも恵まれました。
そうして、長い長い年月が過ぎ、彼は臨終の床についていました。
彼を見守る、妻、娘と息子、孫たち…。
やがて、彼は静かに息を引き取りました。

気付くと、彼は、若い姿になっていました。
あの青い月の光に満たされた湖畔です。
キョロキョロしていると、遠くから白いワンピース姿の女性が歩いて来るのが見えました。
彼女でした。
彼女はふわりと微笑みました。
「約束を守ってくれて、ありがとう」
彼は首を横に振りました。「これで良かったかい?」
彼女はこくん、と頷きました。
「えぇ、良かったの」
彼は結婚した妻や子供、孫たちのことを、もちろん愛していました。けれど、彼女のことを忘れた日はなかったのです。
若い恋人同士はどちらからともなく、手を繋ぎ、その背を、青い月明かりに照らされながら、どこかに歩み去っていきました。
その顔に穏やかな微笑をたたえながら…。
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