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奪った恋の温度
翌朝。
私は庭に出ていた。
昨夜は眠れなかった。
けれど、横になっているよりも、外の空気を吸った方がましだった。
花は変わらず咲いている。
噴水もいつも通り水を吐き出している。
世界は、私の破綻など気にしていない。
それが少しだけ、救いだった。
使用人たちの視線が、昨日とは違う。
同情でも哀れみでもない。
――静かな敬意。
昨夜の出来事は、もう広まっているのだろう。
“泣かなかった令嬢”。
そんな噂が、風に乗っているのが分かる。
でも私は、泣かなかったわけじゃない。
泣く場所を、間違えなかっただけ。
私は本を開く。
文字を追う。
でも、頭には入ってこない。
思い出すのは、アーヴィンの顔。
『泣いて縋れよ』
あの言葉が、まだ胸に刺さっている。
泣けば満足したの?
私があなたを愛している証明になったから?
……馬鹿みたい。
足音が近づく。
「セレスティア様」
振り向くと、レオン伯爵が立っていた。
今日も無駄のない佇まい。
私を真っ直ぐに見る視線。
その目に映る私は、少しだけ落ち着いている。
「何か?」
「明後日の茶会の招待状が届きました」
差し出された封書を受け取る。
名家主催の、大規模な社交の場。
当然、あの二人も来るだろう。
指先が、わずかに止まった。
行きたくない、と思った。
視線を浴びるのが怖い。
また噂になるのが嫌だ。
その瞬間。
レオンの瞳が、わずかに遠くを見る。
三秒。
彼の中で、何かが動く。
「無理に出席する必要はありません」
静かな声。
けれど、私はすぐに理解した。
彼は、何かを見た。
「三秒先が視えたの?」
「……ええ」
「何を?」
「あなたが一歩引く未来」
胸が、少しだけ痛む。
逃げる未来。
傷つくことを避ける未来。
きっと、それは楽だ。
でも。
私は、昨夜決めた。
壊れないと。
「私は逃げません」
自分の声が、思ったよりも落ち着いている。
「私は何も間違っていない」
レオンの目が、柔らかく細められる。
「存じています」
その一言が、妙に温かい。
私は招待状を握る。
「出席します」
言葉にした瞬間、胸の奥に小さな熱が灯った。
逃げない。
私はもう、選ばれる側ではなく、選ぶ側なのだから。
◆
その頃、エヴァレット家では。
リリアーナは庭園で紅茶を淹れていた。
彼女は完璧な笑顔でアーヴィンに向き合う。
「昨夜は大変でしたわね」
可憐な声。
だがアーヴィンの返事は曖昧だった。
「……ああ」
彼の視線は、どこか遠い。
「セレスティア様は、何も言ってきませんの?」
名前を出した瞬間、彼の手が止まる。
「昨日、屋敷に行った」
リリアーナの胸がざわつく。
「屋敷に?」
「話をつけに」
その言い方が、濁る。
リリアーナは悟る。
終わったはずなのに、彼はまだ“確認”しに行ったのだ。
「伯爵がいた」
アーヴィンの声が低くなる。
「俺の前に立ちやがった」
リリアーナは笑みを崩さない。
でも内側が冷える。
守られたのは、自分ではない。
「……彼女は美しいからな」
無意識に漏れたその言葉。
リリアーナの指先が強くカップを握る。
勝ったはずなのに。
どうして、比較され続けるの。
「わたくしでは不満ですか?」
問いかける声が、わずかに震える。
「違う。お前は俺を頼ってくれる」
頼ってくれる。
その言葉で、リリアーナは気づく。
彼が欲しいのは愛ではない。
優越感だ。
自分より弱い存在が、縋ってくれる安心。
あの女神の隣では、それが得られなかった。
だから、逃げた。
それでも彼の視線は、ときどき遠くを見る。
去った女神の方へ。
リリアーナの胸に、初めて焦燥が芽生えた。
◆
私は庭で深呼吸をする。
茶会まであと二日。
そこでまた、視線を浴びる。
でも、もう怖くない。
――少しだけ。
本当は、少しだけ怖い。
私は正直に言う。
「伯爵」
「はい」
「もし……私が揺らいだら」
言葉が途切れる。
レオンは、すぐに答えない。
また三秒。
そして。
「その三秒を、支えます」
低い声。
静かな断言。
私は、少しだけ笑った。
女神の微笑みではない。
私自身の笑みで。
茶会は戦場になる。
でも。
私はもう、逃げない。
私は庭に出ていた。
昨夜は眠れなかった。
けれど、横になっているよりも、外の空気を吸った方がましだった。
花は変わらず咲いている。
噴水もいつも通り水を吐き出している。
世界は、私の破綻など気にしていない。
それが少しだけ、救いだった。
使用人たちの視線が、昨日とは違う。
同情でも哀れみでもない。
――静かな敬意。
昨夜の出来事は、もう広まっているのだろう。
“泣かなかった令嬢”。
そんな噂が、風に乗っているのが分かる。
でも私は、泣かなかったわけじゃない。
泣く場所を、間違えなかっただけ。
私は本を開く。
文字を追う。
でも、頭には入ってこない。
思い出すのは、アーヴィンの顔。
『泣いて縋れよ』
あの言葉が、まだ胸に刺さっている。
泣けば満足したの?
私があなたを愛している証明になったから?
……馬鹿みたい。
足音が近づく。
「セレスティア様」
振り向くと、レオン伯爵が立っていた。
今日も無駄のない佇まい。
私を真っ直ぐに見る視線。
その目に映る私は、少しだけ落ち着いている。
「何か?」
「明後日の茶会の招待状が届きました」
差し出された封書を受け取る。
名家主催の、大規模な社交の場。
当然、あの二人も来るだろう。
指先が、わずかに止まった。
行きたくない、と思った。
視線を浴びるのが怖い。
また噂になるのが嫌だ。
その瞬間。
レオンの瞳が、わずかに遠くを見る。
三秒。
彼の中で、何かが動く。
「無理に出席する必要はありません」
静かな声。
けれど、私はすぐに理解した。
彼は、何かを見た。
「三秒先が視えたの?」
「……ええ」
「何を?」
「あなたが一歩引く未来」
胸が、少しだけ痛む。
逃げる未来。
傷つくことを避ける未来。
きっと、それは楽だ。
でも。
私は、昨夜決めた。
壊れないと。
「私は逃げません」
自分の声が、思ったよりも落ち着いている。
「私は何も間違っていない」
レオンの目が、柔らかく細められる。
「存じています」
その一言が、妙に温かい。
私は招待状を握る。
「出席します」
言葉にした瞬間、胸の奥に小さな熱が灯った。
逃げない。
私はもう、選ばれる側ではなく、選ぶ側なのだから。
◆
その頃、エヴァレット家では。
リリアーナは庭園で紅茶を淹れていた。
彼女は完璧な笑顔でアーヴィンに向き合う。
「昨夜は大変でしたわね」
可憐な声。
だがアーヴィンの返事は曖昧だった。
「……ああ」
彼の視線は、どこか遠い。
「セレスティア様は、何も言ってきませんの?」
名前を出した瞬間、彼の手が止まる。
「昨日、屋敷に行った」
リリアーナの胸がざわつく。
「屋敷に?」
「話をつけに」
その言い方が、濁る。
リリアーナは悟る。
終わったはずなのに、彼はまだ“確認”しに行ったのだ。
「伯爵がいた」
アーヴィンの声が低くなる。
「俺の前に立ちやがった」
リリアーナは笑みを崩さない。
でも内側が冷える。
守られたのは、自分ではない。
「……彼女は美しいからな」
無意識に漏れたその言葉。
リリアーナの指先が強くカップを握る。
勝ったはずなのに。
どうして、比較され続けるの。
「わたくしでは不満ですか?」
問いかける声が、わずかに震える。
「違う。お前は俺を頼ってくれる」
頼ってくれる。
その言葉で、リリアーナは気づく。
彼が欲しいのは愛ではない。
優越感だ。
自分より弱い存在が、縋ってくれる安心。
あの女神の隣では、それが得られなかった。
だから、逃げた。
それでも彼の視線は、ときどき遠くを見る。
去った女神の方へ。
リリアーナの胸に、初めて焦燥が芽生えた。
◆
私は庭で深呼吸をする。
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そこでまた、視線を浴びる。
でも、もう怖くない。
――少しだけ。
本当は、少しだけ怖い。
私は正直に言う。
「伯爵」
「はい」
「もし……私が揺らいだら」
言葉が途切れる。
レオンは、すぐに答えない。
また三秒。
そして。
「その三秒を、支えます」
低い声。
静かな断言。
私は、少しだけ笑った。
女神の微笑みではない。
私自身の笑みで。
茶会は戦場になる。
でも。
私はもう、逃げない。
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