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微笑みの裏側
馬車の揺れが、いつもより大きく感じる。
手袋の上から、自分の指先を握る。
冷たい。
怖いのかもしれない。
「……今なら、まだ引き返せます」
向かいから、レオンの声。
柔らかいが、試すような響きはない。
私は目を上げる。
「引き返したら、楽かもしれないわね」
正直な気持ちだ。
今日行かなければ、視線を浴びずに済む。
噂の中心にならずに済む。
彼らの幸せそうな姿を見なくて済む。
でも。
「楽なほうを選んだら、きっと後悔するわ」
声が少しだけ震える。
レオンの瞳が、遠くを見る。
三秒。
そして、かすかに口元を緩める。
「あなたは、泣いていません」
未来を見たのだろう。
私は苦笑する。
「泣きたいわよ」
本音が零れる。
「泣いて、怒って、全部ぶつけてしまえたら楽なのに」
でも私は、それを選ばない。
「……行きます」
レオンは何も言わない。
ただ、視線が少しだけ柔らかくなった。
会場の扉が開く。
光と音が流れ込む。
足が、ほんの一瞬だけ止まりかけた。
あの日の舞踏会が、脳裏に蘇る。
アーヴィンの腕に手を添え、笑っていた私。
未来を疑わなかった私。
胸がきゅっと痛む。
でも。
私は一歩踏み出した。
視線が集まる。
好奇心。
憐れみ。
そして――期待。
“泣くのか?”
“取り乱すのか?”
そんな空気が、はっきりと伝わる。
私は背筋を伸ばす。
ゆっくりと歩く。
誰の目も、避けない。
「セレスティア様……」
何人かが近づいてくる。
「お強いですわね」
強い?
私は心の中で苦笑する。
強いのではない。
崩れる姿を、見せたくないだけ。
「変わる理由がありませんもの」
静かに返す。
その言葉に、さざ波が立つ。
“取り乱さない”。
それだけで、評価が変わる。
私はそれを、少しだけ滑稽に思う。
こんなにも簡単に、人の印象は変わるのね。
そのとき。
「セレスティア」
背筋が、ぴんと張る。
振り向かなくても分かる。
アーヴィン。
私はゆっくりと顔を向ける。
彼の隣には、リリアーナ。
完璧な装い。
完璧な笑顔。
でも、その指先がわずかに強張っている。
「ごきげんよう」
それだけ。
アーヴィンは私を見つめる。
探るように。
「元気そうだな」
「ええ」
「……後悔してないのか?」
周囲が静まり返る。
胸の奥がざわつく。
悔しい。
どうしてあなたは、まだ私に確認するの?
自分で選んだくせに。
私は一瞬、視線を落としそうになる。
でも持ちこたえる。
「あなたは後悔しているの?」
返した瞬間。
彼の瞳が揺れた。
はっきりと。
その揺れを、私は見逃さない。
「俺は……」
言葉が続かない。
リリアーナが腕を強く絡める。
「アーヴィン様は、わたくしと幸せですわ」
その声は、ほんの少し早口。
私は彼女を見る。
怒りは湧かない。
代わりに、奇妙な静けさがある。
――この人も、必死なのね。
「それは何よりです」
淡々と。
嫌味も込めない。
その余裕が、場の空気を変える。
アーヴィンが苛立つ。
「お前はいつもそうだ。余裕ぶって」
余裕?
胸の内側は、こんなにぐちゃぐちゃなのに。
「余裕ではないわ」
私は静かに言う。
「あなたが知らなかっただけ」
彼の顔が歪む。
「……本当に、何も感じてないのか?」
その問いが、少しだけ哀れに聞こえる。
感じているわ。
悔しいし、悲しいし、少しだけ憎い。
でも。
それをあなたに見せたら、あなたは楽になるでしょう?
私はゆっくり答える。
「感じる価値があるものなら、感じたでしょうね」
周囲から小さな息が漏れる。
アーヴィンの耳が赤くなる。
その瞬間。
彼が一歩踏み出した。
衝動的に。
私に近づこうとする。
そのとき。
レオンの視線が遠くを見る。
三秒。
次の瞬間。
彼が自然に私の隣へ立つ。
さりげなく、しかし確実に、距離を遮る。
私は彼を見上げる。
彼は何も言わない。
ただ、三秒先を整えただけ。
「主催者がお待ちです」
穏やかな声。
でも場の力関係は一瞬で変わる。
守られているのは、私。
明確に。
アーヴィンの足が止まる。
その顔に浮かぶのは、怒りだけではない。
――焦り。
リリアーナは、それに気づく。
彼が私を追いかけてしまいそうな気配に。
胸が、少しだけ軽くなる。
自分から何もしていないのに。
彼らが、自分たちで崩れていく。
それが、ほんの少しだけ。
胸の奥を温める。
私は頷く。
「参りましょう」
振り返らない。
もう、振り返らない。
背後で、ざわめきが広がる。
“やはり格が違う”。
そんな囁きが耳に届く。
私は前を向く。
悔しさは消えない。
悲しさも、まだある。
でも。
ほんの少しだけ。
前より、息がしやすい。
私はもう、選ばれなかった女ではない。
自分の足で、前に進んでいる。
その事実が、私を支えていた。
手袋の上から、自分の指先を握る。
冷たい。
怖いのかもしれない。
「……今なら、まだ引き返せます」
向かいから、レオンの声。
柔らかいが、試すような響きはない。
私は目を上げる。
「引き返したら、楽かもしれないわね」
正直な気持ちだ。
今日行かなければ、視線を浴びずに済む。
噂の中心にならずに済む。
彼らの幸せそうな姿を見なくて済む。
でも。
「楽なほうを選んだら、きっと後悔するわ」
声が少しだけ震える。
レオンの瞳が、遠くを見る。
三秒。
そして、かすかに口元を緩める。
「あなたは、泣いていません」
未来を見たのだろう。
私は苦笑する。
「泣きたいわよ」
本音が零れる。
「泣いて、怒って、全部ぶつけてしまえたら楽なのに」
でも私は、それを選ばない。
「……行きます」
レオンは何も言わない。
ただ、視線が少しだけ柔らかくなった。
会場の扉が開く。
光と音が流れ込む。
足が、ほんの一瞬だけ止まりかけた。
あの日の舞踏会が、脳裏に蘇る。
アーヴィンの腕に手を添え、笑っていた私。
未来を疑わなかった私。
胸がきゅっと痛む。
でも。
私は一歩踏み出した。
視線が集まる。
好奇心。
憐れみ。
そして――期待。
“泣くのか?”
“取り乱すのか?”
そんな空気が、はっきりと伝わる。
私は背筋を伸ばす。
ゆっくりと歩く。
誰の目も、避けない。
「セレスティア様……」
何人かが近づいてくる。
「お強いですわね」
強い?
私は心の中で苦笑する。
強いのではない。
崩れる姿を、見せたくないだけ。
「変わる理由がありませんもの」
静かに返す。
その言葉に、さざ波が立つ。
“取り乱さない”。
それだけで、評価が変わる。
私はそれを、少しだけ滑稽に思う。
こんなにも簡単に、人の印象は変わるのね。
そのとき。
「セレスティア」
背筋が、ぴんと張る。
振り向かなくても分かる。
アーヴィン。
私はゆっくりと顔を向ける。
彼の隣には、リリアーナ。
完璧な装い。
完璧な笑顔。
でも、その指先がわずかに強張っている。
「ごきげんよう」
それだけ。
アーヴィンは私を見つめる。
探るように。
「元気そうだな」
「ええ」
「……後悔してないのか?」
周囲が静まり返る。
胸の奥がざわつく。
悔しい。
どうしてあなたは、まだ私に確認するの?
自分で選んだくせに。
私は一瞬、視線を落としそうになる。
でも持ちこたえる。
「あなたは後悔しているの?」
返した瞬間。
彼の瞳が揺れた。
はっきりと。
その揺れを、私は見逃さない。
「俺は……」
言葉が続かない。
リリアーナが腕を強く絡める。
「アーヴィン様は、わたくしと幸せですわ」
その声は、ほんの少し早口。
私は彼女を見る。
怒りは湧かない。
代わりに、奇妙な静けさがある。
――この人も、必死なのね。
「それは何よりです」
淡々と。
嫌味も込めない。
その余裕が、場の空気を変える。
アーヴィンが苛立つ。
「お前はいつもそうだ。余裕ぶって」
余裕?
胸の内側は、こんなにぐちゃぐちゃなのに。
「余裕ではないわ」
私は静かに言う。
「あなたが知らなかっただけ」
彼の顔が歪む。
「……本当に、何も感じてないのか?」
その問いが、少しだけ哀れに聞こえる。
感じているわ。
悔しいし、悲しいし、少しだけ憎い。
でも。
それをあなたに見せたら、あなたは楽になるでしょう?
私はゆっくり答える。
「感じる価値があるものなら、感じたでしょうね」
周囲から小さな息が漏れる。
アーヴィンの耳が赤くなる。
その瞬間。
彼が一歩踏み出した。
衝動的に。
私に近づこうとする。
そのとき。
レオンの視線が遠くを見る。
三秒。
次の瞬間。
彼が自然に私の隣へ立つ。
さりげなく、しかし確実に、距離を遮る。
私は彼を見上げる。
彼は何も言わない。
ただ、三秒先を整えただけ。
「主催者がお待ちです」
穏やかな声。
でも場の力関係は一瞬で変わる。
守られているのは、私。
明確に。
アーヴィンの足が止まる。
その顔に浮かぶのは、怒りだけではない。
――焦り。
リリアーナは、それに気づく。
彼が私を追いかけてしまいそうな気配に。
胸が、少しだけ軽くなる。
自分から何もしていないのに。
彼らが、自分たちで崩れていく。
それが、ほんの少しだけ。
胸の奥を温める。
私は頷く。
「参りましょう」
振り返らない。
もう、振り返らない。
背後で、ざわめきが広がる。
“やはり格が違う”。
そんな囁きが耳に届く。
私は前を向く。
悔しさは消えない。
悲しさも、まだある。
でも。
ほんの少しだけ。
前より、息がしやすい。
私はもう、選ばれなかった女ではない。
自分の足で、前に進んでいる。
その事実が、私を支えていた。
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