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四章 ちいさなひと

へんな夢

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 もうすぐだよ。もうすぐ会える。
 浮かぶ思考に首を捻る。誰にと問うと、“大切”にと返ってきた。大切とはなんだろう。深く考えようとすると、なぜだかその答えから遠ざかってしまう気がして、微睡む思考に身を委ねた。
 ふと、見えた赤い瞳。吸い込まれそうな瞳には諦めの色が滲んでいて、鏡を見ているような気持ちになった。

 おんなじだ。

 そう、声に出したら、ぐんと思考から離れて、遠くなって、ああそうだと気付いてしまった。目を開けると、ようやっと慣れてきた宿屋の天井が見えた。
 今のは夢だったんだ。納得するように瞬きする。悪夢を見たように鼓動が早くて少し混乱した。
 へんな夢だ。そう、今のは夢。だというのに、なんでこんなにはっきりと覚えているんだろう。

 寝汗で濡れてしまった夜着を脱いで、タオルに魔法で出した水を少し含ませる。襟足を持ち上げて首にタオルを当てると、だんだんと気分が落ち着いていくようだった。
 ふと隣のベッドを見る。まだ日も昇ったばかりだし、ナナもまだ寝ているだろう。そう思っていたのだけど、横たわったままいつもの無表情でこちらをじっと見つめているナナと目が合った。

「ぉわっ!なぁにナナ、起きてたならじっと見てないで声かけてよ」
「…エリィ、いろいろとアレなふくきてる。だけど、はだあんまりみせない。いまならじっくりみれるとおもった」
「……なんか、ナナって時々よく分からないこと話すよね。僕の体見ても面白いことなんてないよ」

 アレな服ってなにさ。まあ確かに人と違う構造をしてはいるけど、すごく変って訳ではないと思う。ああでも、男に胸を隠すような下着は不必要じゃないかってのはよく思う。これも仲間が作ってくれたもんだから、手放す気はないけど。

 ため息を吐くと、一緒に熱が抜けていった気がして、少し背が震えた。森が近くにあるからか、この辺りは朝の時間帯は空気が少し冷えている。眠気がしゃんと飛んでいってくれるのはありがたいけど、汗かいたままの僕には少し寒い。
 手早く着替えてナナも着替えるように言いつけて、受付や食堂がある階下へと降りていく。ご飯を作るには少し早すぎるくらいの時間で、もう一度寝るにはなんだかもったいない気がする時間。さらにはまだ少しほわほわと落ち着いてない思考。これらが合わさったらすることは僕の中では一つしかない。

「朝市って一度行ってみたかったんだよねぇ」

 仲間たちがなかなか起きられない時間に朝市は行われていた。夜の見張りは得意だというのに彼らは朝になると弱い。さっきまで見張りをしていたというのに、朝日が見え始めると途端に目がシパシパしだして僕を抱き枕代わりにしようとしてくるんだ。朝は起きていたいのに。
 そんな理由があって、朝市というものを僕は見たことがない。昼と同じく活気に溢れているのだろうけど、きっと朝特有の空気感もあるんじゃないだろうか。
 ナナを連れていこうかどうか迷って、あの子は買い物の類いに興味無さそうにしていたのを思い出す。どうせ二度寝するだろうし、朝食を作る時間になる前には帰ってくるつもりだから問題ないだろうと判断して外に出る。ふと白んだ空を見上げて、澄んだ空気を目一杯に吸い込むと、ついでのように“軽業師”を発動させて主要道路へと駆けていった。



 初めての朝市は何だか活気に溢れているような、少しぼんやりしているような不思議な空気が流れていた。精力的に商売に励んでいるのだろうけど、昼に比べるとどこか澄みきった空気に当てられたような違和感みたいなものがあった。
 これはこれで好きだなぁ。その地の人たちの生活感のようなものが感じられるし、僕もここに生きてるって感じがする。

 うるさくない程度に声を張り上げる客引きの声を聞きながら、疎らな人の波に乗ってみる。
 ポケットにはいくら持ってきていたっけ。ナナへのお土産に珍しげな髪飾りでも買っていこうか。ああでも、あの子には食べ物の方が喜びそうだ。
 遠い異国の品々が並べられているという店を覗こうとして、人の流れから逸れた瞬間――――

「わっ!?」
「あいたっ!」

 後ろから走ってきた人とぶつかってしまった。小柄な相手は想像以上に軽く、ころんと転がった。

「だ、大丈夫ですか!?すみません周りをよく見てなくて…」
「……ああいや、儂も人混みで走っていたのが悪い。すまなかったな」

 その人に手を貸すと、借りてはくれたがほとんど自分の力で起き上がっていた。小柄な人はナナより少し高いくらいの背で、フードを被っていたので顔は鼻から下しか見えなかったが声で男性だというのがわかった。凛とした話し方をしているが、年端もいかない幼い声で、ちぐはぐな印象を受ける。服の蔦のような模様にどこぞの民族らしさがある。どこを見ても不思議としか言いようがない。

「どこか怪我してませんか?」
「大丈夫だ。それより儂は急いでいるでな、これで失礼する」

 そう言うと彼はまた走って行ってしまった。小さい背はそこらの子供と変わらないくらいで、すぐに人混みに紛れていった。
 そういえば、なんで僕あの人のことんだろう。声も背格好も幼かったというのに、ずっと年上のように思っていた。

「………………へんなの」

 こんな訳のわからないこと、考えても無駄だろう。それよりも思っていたより時間をかけてしまっていたことの方が大事だ。もうそろそろ朝御飯を作りに帰らなくては。
 頭を振って思考を切り替えると、少しの食材を買ってついでに初めて見る甘味も買って来たときと同じように“軽業師”で帰っていった。



「おそい」
「わっ、な、ナナ、起きてたの?」

 宿に帰り着くとナナが部屋のドアの前で座り込んでいた。言葉を聞くに、僕の帰りを待っていたらしい。その腹の音が、言葉以上にそれを僕に教えてくれていた。

「ごめんね、すぐにご飯にするから」
「いらない」
「えっ」

 あのナナがご飯をいらないなんて言った!?
 与えれば与えるほど食べるあのナナが?一週間分の食料と思って買い込んだものを一食で平らげて、おやつにホールケーキ一つ食べきったあのナナが?ご飯を?いらないと?
 それなんて天変地異の前触れ?
 無言で混乱しているとナナが僕の腹辺りに抱きついてきた。さらにはぐりぐりと頭を擦り付けてくる。その頭を撫でながら、そういえば今日はまだこの跳ねっぱなしの髪を整えてなかったと思い出した。

「おいてかれたとおもった」
「……そっか、ごめん。一言言っておけばよかったね。僕はナナを置いてったりなんかしないよ。ナナは家族だもん」
「そう、エリィはナナのよめ。にげられたらこまる」
「そういうことどこで覚えてくるの。僕は女の子じゃないからお嫁さんにはなれませんっ。…だから、逃げたりもしないよ」

 んんとくぐもった声で答えるナナに、僕は密かに笑った。
 この旅の目的は復讐を果たすことだ。復讐そのための同士を探す旅なんだ。
 だけど、それはすぐじゃなくたって良い。だからそれまでは、このかわいい子どもの面倒を見ながら目的地への旅を楽しみたい。優しい紫の瞳が寒々しい色に変わることのないよう、美味しいご飯と精一杯の笑顔を用意しないと。

「でもご飯は食べないとね」
「ん、いらないはうそ。おかわりも、ようきゅうする」

 話している間もナナの腹の虫は大声で不満を訴えていて、食材を買い足しておいて正解だったと自我自賛した。
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