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3月12日、咲顔(えがお)の日~咲き誇る桜花を添えて、二種類の桜餅~

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 ほのほのと暖かい風が流れる、三月の午後の事。
 私はレシピ本を読みながら、なーちんはゲームをしながら、各々のんびりと過ごしていた。
 ゆらり。ゆらり。はらり。はらり。
 開けられた窓から、ふと、桜の花びらが一枚、ひらりひらりと迷い込んで来る。
 花びらは音を立てる事無く、読んでいたレシピの本に、ふわりと乗った。
 花びらを摘んで、陽に翳す。
 燦々と光る太陽光を含んで、薄い花びらは、淡く、光り輝く。
「…なーちん」
「んー?」
「桜餅作るぞ」
「ほいきた!そろそろ時期かなって思ってたんだー!」
 という訳で、桜餅を作ってくぞーおー。



「今回もいつも通りな感じ?」
「だな」
 エプロンを付けるなーちんの言葉に、材料を準備しながら答える。
 今回作る桜餅は道明寺、長命寺と呼ばれる二種類。
 ちなみに道明寺がもっちりつぶつぶの方、長命寺がもっちりクレープ状の方だ。
 これ、県で好まれる種類が違うんだよなぁ…今回は両方作るつもりだ。
「なーちんは長命寺の方作ってくれ。
 私は道明寺とそれ以外の準備するから」
「まっかせっとけーい!」
 そう言ってなーちんは長命寺の準備を始めた。
 よし、じゃあ私も色々と始めていこう。
 まずは、少し時間の掛かる桜餅を包む桜葉の塩漬けの塩抜きから。
 まぁ水につけて暫く置いておくだけだけれど…意外と時間が掛かる。
 ちなみに長命寺と道明寺の作り方も、途方もない程難しい訳じゃない。
 今なーちんが作っている長命寺の方は、白玉粉に水を加えながら練り、そこに小麦粉、砂糖を入れて良く混ぜる。後はこれを楕円状に焼いて出来上がりだ。
 …実際はもう少し手順があるけれど…大まかにはこんな感じだし、私もなーちんも作るのはこれが初めて、という訳じゃない。なんだかんだで毎年作ってる気がする。
 なので、結構感覚的な部分が多くなっているのは確かだ。
 …さてと、なーちんの方は順調そうだし、私も取り掛かるかー。
 といってもこっちも慣れていれば…あととんでもない完成度を目指さないのであれば、そんなに難しい事は無い。
 まずは道明寺粉…餅米を干して粗めにひいた粉に砂糖、水を入れて混ぜる。
 次に赤の食紅を混ぜた水を混ぜて、レンジにかけ、取り出して混ぜる。
 これを何回か繰り返し、程良くなったら冷まして出来上がりだ。
「こっち焼き上がったよー!」
「おー…なんかちょっと焦げてないか?」
「そういう事もあるさっ!」
「…ちなみにいくつあるんだこれ」
「いっぱいっ!」
「いっぱいかぁ…」
 …あー…まぁ…大丈夫か…かく言う私もいっぱい作ったし。
 道明寺の皮、長命寺の皮の準備が出来たらいよいよ中身だ。…といっても今回はなんの変哲も無い特売の漉し餡だけれど。
 スプーンで掬い取った漉し餡をそれぞれの桜餅に詰め、桜の葉を巻いていく。これで桜餅の完成だ。
「作るのはそこそこ時間掛かるけれど、食べるのは一瞬…儚いねぇ…んぐんぐ」
「あっ、こらなーちん、作りながら食べるな」
「いーじゃんいーじゃん。これも手作りの醍醐味醍醐味ー」
「まぁ気持ちは分かるが…」
「はいっ、みぃもっ」
「んぐっ!?…………んぐ、んぐ…………美味しい…」
「でしょっ?」
 焦げがあっても意外と大丈夫なもんだな…うん、美味しい美味しい。
「みぃの方もいっただっきまーすっ!…………美味しいっ!」
「そ…そうか?それは…うん、ありがとう」
「んーやっぱり桜餅は良いねぇ…日本人の心だねぇ…」
「ほらなーちん、今緑茶入れるから摘み食いはそれぐらいにしとけ」
「あっ!あたし牛乳ねっ!
 あんこと牛乳…最高の組み合わせだよねぇ…!」
「はいはい」



 せっかくだから、となーちんの提案で、今日のおやつは窓際でとる事にした。
 窓は開けたままベランダに足を投げ出し、大量の桜餅を床に置く。
 あとはまぁ…各々好きな事を。
 私はレシピ本を持ってきたし、なーちんはスリープ状態にしたゲーム機を持ってきている。
「じゃあ、まぁ、いただきます」
「いっただっきまーすっ!」
 なーちんはわしっと道明寺を手に取り、むにゅっと一口で食べ切って、とろんととろけた顔をする。
 私も長命寺を、お箸を使って一度お皿に取り、もちっと一口。
 口の中に広がるのは、漉し餡の甘みと塩漬けの桜の葉の風味。
 それだけで、口の中で桜の木が満開になった様だった。
 勿論桜餅には桜の香料は入れていない。
 桜らしいと言えるものと言えば、食紅で着色した桜色の生地と桜の塩漬けの葉だけ。
 その要素を除けば、今食べているのはただ白玉粉成分多めの和風クレープだ。
 けれど、春を感じる要素はそれで充分だ。
 更にもう一個、今度は道明寺の方に手を伸ばし、一口。
 長命寺とは違う、むにゅっとした食感。
 こちらも、味は少し特殊な皮に包まれたあんころ餅とほぼ一緒だろう。
 けれど、先程と同じ…いや、二個目という事もあり、より強く、春の気配を感じた。
「…春だなぁ…」
 思わず、そんな言葉が口から洩れて、
「春だねぇー」
 なーちんも数個目の桜餅を食べつつ、のんびりとした口調で、そう答えてくれた。



「…みぃ、どしたの?」
 不意になーちんがそう尋ねて来た。
 先程、風に運ばれて私の下にやって来た桜の花びらをなーちんに見せる。
 花びらからは不思議と温もりの様なものを感じた。
 樹から途切れてもなお感じる、命の温もり。
「ああ、いや、この花びら、どこから来たんだろうなぁって思って」
 この近くに桜の木があるなんて話は聞いた事が無いし、私も知らない。
 いったいどこから来たんだろう…?
「んー…すっごく遠い所から?」
「すっごく遠い所からかぁ…」
 すっごく遠い所…隣の町からだろうか?
 はくりと桜餅を頬張る。…うん、美味しい。
 花びらを摘んで、陽に翳す。
 燦々と光る太陽光を含んで、花びらは、淡く、光り輝く。
 …きっとこの桜は、咲き誇っているのだろう。
 凛と、力強く、遠く遠くのどこかで、咲き誇っているのだろう。
「…遠い所からかすてら町にようこそ、だな」
「だねー」
 あむあむと桜餅を頬張りながら、なーちんはごろんと仰向けになる。
「春だねー」
「ああ」
「あったかいねー」
「ああ」
「眠たくなるねー」
「ああ」
「…」
「…」
「……」
「……」
「…………」
「…………なーちん?」
「……………………もぐぅ」
「……………………」
 桜餅にラップを掛け、なーちんがくわえている物も回収して保存袋に入れ、冷凍庫に入れる。
 手作りだし、そもそも大量に三日程度で食べ切ってしまうからなんとも言えない。
 けれど、冷凍保存であればだいたい一~三週間程もつと、どこかの記事で見た事がある。
 早く食べてしまうに越した事は無いが、冷凍保存した場合は常温で二、三時間も放置しておけば解凍できるみたいだ。勿論レンジも可。
 …さて、と。
 できる家事は午前中に一通り済ませてしまったし、急いで済まさなきゃいけない事も無い。
「……………………私も少し寝るか…」
 ずりずりと毛布を二枚、寝室から持って来て、一枚をなーちんに掛ける。
 そしてもう一枚で自分の体をくるみ、なーちんのすぐ側で丸くなる。
 陽の温かさ、毛布の温かさ…そして、隣になーちんがいる温かさ。
 口元が緩む。
 …良い夢が、見れたら良いなぁ…。
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