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7月24日、セルフメディケーションの日〜いつかの貴方に届きます様に、冷え冷え冷や汁〜

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 走る。
 走る。
 肺が痛い。
 足が悲鳴を上げる。
 脱水症状で倒れそう。
 …お願い。
 お願いだから。
 お願い、神様。
 どうか。
 どうか。
 最悪な状況だけには。
「みぃッ!」
 飛び込む。
 みぃの働いているお店…喫茶「バルカローラ」に。
 今はお休み時間。お客さんはいない。
 あたしの大きな声だけが、お店の中に響き渡る。
「あれ?水乃さん?」
 奥の従業員用控室からマスターが出てくる。
 特段焦った様子は無い。
 …あたしがお店に来た時に見る様な、柔らかい笑みも無いけれど。
「はぁっ…はぁっ…はぁー…はぁーーーー…………みぃの…様子は…」
「大丈夫。だいぶ落ち着いたよ。
 症状からしても軽い熱中症かな。
 今日はだいぶ暑かったし、だいぶ忙しかったからね」
 こっちに、と、マスターに誘導されて、従業員用の控室へと向かう。
 中では…。
「んあーーーー…………あ?なーちん?どした?」
「…………どしたじゃないよ…………」
 椅子に座ってスポーツドリンクを飲む…少し疲れている様に見えるけれど、元気そうなみぃが、そこにいた。
 みぃが倒れた。
 そんな話を、アルバイト先の電話口で聞かされた。
 その瞬間から、全身の血の気が失せて。
 視界がぐるぐるして、自分がまっすぐ立てているのか、それすら分からなくなって。
 パートリーダーの鏑木さんに、きちんと事情を話して、お店を飛び出した…と、思う。
 そこら辺の記憶が、うまく思い出せない。
 …あの時。
 夢の世界…多分、夢の世界での、あたしとみぃの戦い。
 その始まりは、あたしがみぃの死を恐れた事だった。
 …あの時は、なんだかんだで解決したけれど。
「みぃ…今日はもう帰ろ?」
「いや、別に大丈夫だよ。
 というかなーちん、お仕事中だろ?お店戻らなくて良いのか?」
「そんな事どうでも良いから!
 あっ!今日のお夕飯あたしに任せて!」
「いやいや、流石にどうでも良くは無いだろ。
 私だってもう体調は戻っているし」
「良いから良いから!
 あ!お夕飯何か食べたいのある?」
「だから良い訳無いだろって。
 ほらほら、もう帰った帰っ」
「良い訳ない訳無いじゃんッ!!」
 あたしの。
 あたしの絶叫が、従業員控室に響く。
「…良い訳、無いじゃん…」
「…………ごめん」
 みぃはどこかバツが悪そうに、小さく呟いた。
 …あたしの中にある、潜在的恐怖。
 死への…誰かが死んで、いなくなってしまう事への、根源的恐怖。
 …あたしは…〝私〟は、まだ、それから、抜け出す事ができていない。


『なっちゃん、はい、かき氷。削りたてよ?』
『わぁ…!叔父さんありがとーっ!』
 叔父さんのへにゃりとした笑顔が、ふっと、頭をよぎる。
 お母さんの弟で、忙しい両親に代わって〝私〟の面倒を見てくれた…とても優しくて、かっこよくて、素敵な、目標にして、尊敬できる人だった。
『あたしの夢?』
『うんっ!学校で作文する様にって先生に言われたのっ!』
『んー…そうねぇ…あたしの夢…。
 …まずは本を出したいかしら?』
 叔父は、物書きだった。
 あんまり売れなかったって言っていたけれど…いつもいつも、きらきらしていて、素敵なお話を書いては、〝私〟に読み聞かせてくれた。
 そんな叔父が、死んだ。
 病気だった。
 入院して、長く長く、闘病していたけれど。
 その苦しみも、痛みも、結局報われる事無く、死んでしまった。
 お葬式の日。
 〝私〟はお母さんに、叔父がいつ目覚めるのか聞いた。
 お母さんは目を見開いて、〝私〟をぎゅっと、ぎゅうっと、抱きしめてくれて、
『…もう、会えないの。
 もう…もう二度と、会えないの…』
 震える声で、そう言った。
 〝私〟はそこで、ようやっと思い知る。
 もう二度と、叔父さんには会えない。
 もう二度と、叔父さんの物語を聞く事ができない。
 もう二度と、叔父さんの優しい笑顔を見る事はできない。
 …それ以降、〝私〟は、あたしになった。
 叔父の優しさに、かっこよさに、素敵さに、その心の在り方に、少しでも近付きたくて。
 …そして。
 死を、狂気的に恐れる様になってしまったんだ。


 …あの後みぃは心配してくれたマスターの説得で、あたしも鏑木さんを説得して、早上がりにして貰った。
「…………」
「…………」
 家に帰ったあたしとみぃの間に、重たい…あまりにも重たい沈黙が流れる。
 あの不思議な夢の、少し後。
 あたしは、みぃに全部を話した。
 昔、あたしの面倒を見てくれた叔父さんがいた事。
 その叔父さんが死んで、あたしは、死が本当に怖くなった事。
 全部全部、きちんと伝えた。
 だからみぃはあたしが死を本当に怖がっている事も知っているし、みぃ自身も故郷で信仰されている土地神様を祀る神社の神主の娘だ、死というものにきちんと畏怖や敬意を払ってくれている。
「…お夕飯、どうしよっか?」
「いや、私が作るよ。
 何が食べたい?」
「んっとねって言える訳無いでしょ?
 今日はあたしが作るから」
 …みぃは、良い人だから。頑張り屋さんだから。
 だから、誰かの為に、って、いつもいつも無理をしてしまう。
 甘えるのだって、あんまり得意じゃない。
 それがみぃの性分だって、ちゃんと分かってるよ。
 でも…でも。
「…たまには、甘えてよ。
 なんか…なんかあたしばっかりで…寂しいじゃん」
「…………私、そんなに甘えて無かったか?」
「…………うん」
「…いや、結構でっろでろに甘えてた気がしたけれど…」
「あたしはもっともっと甘えて欲しいのっ!
 そりゃ、あたしがいつの間にかみぃにおんぶにだっこになっちゃったけれど…!」
「…………そんな事は無いさ。
 私だっていつもいつもなーちんに甘えているし…いつもいつも助けられているよ」
「…ほんと?」
「ああ。
 それに私にだってやりたい事はいっぱいある。そう簡単にはくたばるつもりは無い。
 …前に、そう言っただろ?」
 …………なんか、ずるい。
 そんな声で、口調で言われたら、なんか、全部大丈夫な気がしてきちゃうじゃん。
 どんな運命だって、乗り越えられるって、本気で思っちゃうじゃん。
「…まぁでも、今日はなーちんに甘えようかな。
 なーちんの手料理、久しぶりに食べたくなっちゃった」
「…………うんっ!おっけーっ!任せてよっ!」
 ぐっと気合を入れる。
 優しくて頑張り屋さんなみぃに、美味しいご飯を届けよう!
 何作ろうかなぁ…何かさっぱりした物が良いよねぇ…。
 んー…干物にきゅうり、お味噌、お豆腐、各種香味野菜…うんっ!レシピはあれにしようっ!
「みぃっ!今日のお夕飯冷や汁とかどおっ!?」
「…良いな冷や汁…今まさに欲しいご飯かもしれない…!」
 なーちんはふわぁっと弛んだ顔をした。多分冷や汁の味を思い出しているんだと思う。
 よっし反応は上々っ!それなら早速作ってこーっ!
 ご飯は炊いてあるから、まずは下準備から!
 はじめに干物を焼いて、焼けるのを待っている間にきゅうりとかお豆腐とか香味野菜…今回は青じそとみょうが、ネギを刻んでおく!
 で、刻んだきゅうりはお塩を振って水気を絞って、その他の野菜は水にさらしておく、っと!
「結構手際良いな…」
「でっしょーっ!
 いつか作りたいなぁってレシピ覚えておいたんだよねーっ!」
 冷や汁は栄養価も高いし、冷たくしても美味しいから、夏バテには最っ高の料理!…だと勝手に思ってる!
 あ、ここで一手間!
 お味噌をトースターとかで軽く焼いて、香ばしさをプラス!
 ででっ!焼いた干物から丁寧に骨を除いて細かくしたり、焼いたお味噌を出汁汁に合わせたり、お豆腐や香味野菜、水気を絞ったきゅうりを入れたり、最後に白胡麻をふったりして!
「よっし!後は冷やすだけだねーっ!
 冷えるまで遊ぼ遊ぼっ!」
「…だな。
 たまにはじっくり息抜きするかー…」
「やったーっ!」


「もうそろそろ良いんじゃないか?」
「だねっ!
 んー…!美味しそー!」
 冷蔵庫から取り出した冷や汁は、まるでデザートみたいにひんやりひえひえ。
 それを冷たいご飯にぶっかければ…!
「よっし!冷や汁の完成ーっ!」
「おおー…!」
 みぃは目をきらっきらとさせながら、できた冷や汁を見つめる。
 うーん…作ったあたしが言うのもあれだけれど、うまくできた…!
「よっし!それじゃあ…いっただきまーすっ!」
「いただきます、と」
 あたしはスプーンを手に取って、みぃはお箸を手に取って、冷や汁に口を付ける。
 さらさらさらり、するすると冷たい美味しさが口の中に入っていく。
 んー…!これは…初めて作ったけれど美味しい…!
 焼いた干物の香ばしさ、お味噌の風味、様々な香草のきりっとした香り…!
 お豆腐も入ってるから食べ応えもあるし、ひえっひえな上使われているのが体を冷やす食べ物ばかりだから、夏の暑さに疲れた体にさいっこー!
「美味しい…本当にするする入るなこれ…」
「だねーっ!
 んーっ!作って良かったーっ!」
 誰かの調子が、あんまり良くなくなった時。
 その時の為にと思って、覚えたレシピ。
「あ、おかわり?つぐよーっ!」
「そうか?悪いな…」
「いーのいーの!」
 …みぃの調子が、良くなくなった時。
 その時に食べてもらいたかったレシピを、今、まさにそのタイミングで、みぃに食べて貰っている。
 …良い人で、頑張り屋さんで、
 誰かの為に、って、いつもいつも無理をしてしまって、
 甘えるのだって、あんまり得意じゃないみぃ。
 あたしが一番、大好きな人。
『ねぇ、なっちゃん。
 もしも…もしもあたしが、なっちゃんとさようならをする事になったら…』
『…叔父さん、どっか行っちゃうの…?』
『もしもの話よ。
 もしもそんな時が来たら…それでもなっちゃんには、笑っていて欲しいの』
『…できないよ。
 そんなの…そんなのできないよ…!
 笑ってさようならなんて、できる訳無いよっ!』
『…そうね。
 きっとあたしも、なっちゃんと笑顔でさようならなんてできないわね』
『でしょっ!?』
『…でもね、なっちゃん。
 その時には笑顔でさようならができなくても、思いっきり泣いて、思いっきり悲しんで、思いっきり苦しんで…その後には、笑っていて欲しいの。
 なっちゃんの大好きな人の傍で、あたしとの楽しい事だけを思い出して。
 …そうして、笑っていてくれたら、嬉しいわ』
 思い出した。
 あれは…そうだ、叔父さんが入院する、丁度前の日の事の、なんでもない、ふとしたお話。
「…ありがとう、なーちん」
「んぇ?」
「いや、何がとかそういう話じゃ無いけれど…というかそれだけじゃ足りないのも分かっているけれど…色々、いっぱい、ありがとうな」
「…………えへへー…」
 なんだか照れ臭くて。
 なんだかほっこりして。
 思わず、へにゃりとした笑みが漏れた。
 それにつられたのか、みぃも、ほにゃっと笑ってくれた。





『大きくなったわね、なっちゃん』
 その日の夜、夢を見た。
『なっちゃんは今…笑えている?
 大切な人の傍で…笑顔で、いてくれている?』
『…………うんっ!』
 力強く。
 思いっきり。
 あたしは…〝私〟は、笑って頷く。
『…………良かった!』
 叔父さんは笑って…あの優しい、へにゃりとした笑顔を向けてくれたんだ。
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みんなの感想(8件)

六葉翼
2022.08.06 六葉翼

冒頭の「走る」から胸がとくんと鳴りました。妹が生まれてしばらく月日が過ぎてから。私は妹が嫌いでした。家族の愛情がすべてそちらに取られたようで。学校の帰り道「死ねばいいのに」そう胸の呟きが聞こえた時。私は怖くなって家に向かって走り出していました。人の命が輝くのはそこに身近に死が転がっているから。都会の何でもない町より。生命感が溢れるのはそんな命が紙みたいに失われる場所。そんな気がします。なっちゃんが私になった時。とても深い描写です。病に倒れたあの人のため。作るご飯。栄誉や食べやすさを考えて。冷や汁。おなかがぐーぐー鳴りました。素敵エピソードですね。実は私も昔宮崎料理のお店でアルバイトしてました。冷や汁もたくさん作ったけど。そんな風に考えてお客さんに出したことなかったなあ。そんな風に思いました。そうであったらいい。家族や大切な人のために。今からでも。生きていてくれる人のために。栄養いっぱいのごちそうです!とても気持ちが満たされて。ありがとうございます!🍀🍚

黒江 うさぎ
2022.08.07 黒江 うさぎ

いつも、いつも、読んで、下さって、また、いっぱいの、言葉を、添えて、感想を、書いて、下さって、本当に、本当に、本当に、ありがとう、ございます…!
…私に、とっても、死は、本当に、本当に、身近な、ものです…良く、道で、亡骸を、見つけて、しまいます。
生命は、死は、あまりにも、呆気ない、です。それを、身を以て、知りました。
…私は、大切な、人がいる、そんな、人を、羨ましいと、思います。
何かを、したい、させて欲しいと、大切な、人を、想う…そんな人が、きらきら、輝く、様を、何度も、何度も、見ました。
勿論、お店で、常時、そんな事を、考えながら、なんて、とても、できない、です。
…もし、そんな、事を、できたら、きっと…。
でも、料理は、誰かを、想う、最たる物、なのかなと、思う、時が、あります。
六葉翼さんの、冷や汁…まさか、まさかの、リンクです…!
重ね重ねと、なりますが、いつも、いつも、本当に、本当に、本当に、ありがとう、ございますっ!

解除
六葉翼
2022.07.21 六葉翼

桃栗三年の方が有名ですが桃三李四ですね。栗も桃もすももも、時間と年月をかけて実りの日を迎える。黒江うさぎさんの作品に登場する人々も。きっと私たち自身も日々を積み重ねて。素敵笑顔の日々に。そんな風になれたらと。二人を想像しながら笑顔になりました。ありがとうございます( ꈍᴗꈍ)🐰🐱🍑

黒江 うさぎ
2022.07.21 黒江 うさぎ

いつも、いつも、お話に、感想、書いて、下さって、本当に、本当に、本当に、ありがとう、ございますっ!
前の、お話、から、更新、長い、長い、時間、掛かって、しまい、ましたぁ…!
もう少し、テンポ良く!とは、意識、しているの、ですが…なかなか、うまくは、いかない、です…。
なので、その、ここ、物語が、ささやかながら、でも、素敵な、日々の、一行、一文に、なれて、いるのなら…本当に、本当に、幸い、です…!
コメント、書いて、下さって、本当に、本当に、本当に、ありがとう、ございましたっ!

解除
六葉翼
2022.04.21 六葉翼

もやもやの春先。2人にも時にはぴりりと激辛スパイス!日常にも欲しくなりますね。黒江うさぎさんの作品は、作る過程の美味しさよ!野菜を刻む音も目に浮かび、フライパンからよい香りが立ち上ります。夜中には目の毒。本当は見えないはずなのに…硬めに炊いたご飯!わかってらっしゃる!おなか空きました(๑´ڡ`๑)🍀美味しさいっぱい!幸せいっぱい!心満たされます!ごちそう様でしたm(__)m🍀

黒江 うさぎ
2022.04.21 黒江 うさぎ

いつも、いつも、沢山の、言葉で、感想、書いて、下さって、本当に、本当に、本当に、ありがとう、ございます!
せっかく、こうして、言葉で、料理の、お話、書いて、いるので…料理の、表現、なんとか、美味しそうに、なる様、少し、頑張って、ます!嬉しい、です!
あまりにも、度が過ぎる、刺激、だと、良くは、無いと、どこかで、聞いた、事が、ありますが…こんな、刺激なら、きっと、元気、いっぱいに、なれる。そんな、気が、するのです。
たっぷり、汗も、かいて、新陳代謝も、期待、できるかと!
沢山、楽しんで、食べて、頂けて、本当に、本当に、本当に、有り難い、です!よろしおあがり、でした!

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