海に溺れる

沙羅

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部屋の空気が重苦しいものへと変わる。それを察知し、僕は目を覚ました。だが、動いたのは瞼だけ。起き上がろうと力を入れたはずの右手がビクともしない。身体が動かない、本日2回目の体験だった。さっきと違うのは、そこに明らかな殺気が含まれているということ。
首を真綿でじわじわと締め付けられているように、息が苦しくなる。

「弱いですね」
凛とした声が響く。黒い影が、徐々に人の形へと変化していった。

「人間の血など入れなければ、この程度で動けなくなることもなかったでしょうに」
黒髪の、僕よりも背が低いであろう少年が、僕の腕に向かって手を伸ばした。

「貴方に月界を統べる証のブレスレットは似合わない。この腕ごと切り落としてさしあげましょうか? 天の王よ」
彼の手も、眼光も、氷のように冷ややかで。恐怖の感情がせり上がってくる。

「っ、お前、地の王か……」

ギリギリと握りしめられ腕の痛みが増す。腕一本くらいであれば本当に潰されてしまいそうな危うさがあった。そんな彼の腕には、赤色のブレスレットがギラギラと輝いている。

「私は失望しています。高尚な吸血鬼の、王家の者ともあろう方が、こんな場所で暮らしているなんて……。吸血鬼の恥晒しが」

吐き捨てられた言葉には、今までの丁寧な言葉遣いとは裏腹に憎しみがこもっていた。

「とはいえ貴方を殺したところで意味を成さないことはわかっています。ですから貴方には……3代分の罪を償っていただきましょう」

黒い塊が2つ増え、部屋の人口密度が2倍に上がる。危険な状況だとわかっているのに、苦しさと恐怖から動くことができない。

「リン、コウ。連れていけ」
地の王の声に反応して、2つの影が動いた。

「……ぐっ、」
それらが近付いてくるのを確認した瞬間、腹部に強い痛みが走る。痛みを完全に感知しきる前に僕は意識を手放した。


リンとコウが愁介を連れてきたのは地の王の城の一室だった。およそ王が王に対して用意する部屋ではない場所、まるで地下牢のようなその場所へと放り込まれる。冷たく硬い床。必要最低限の家具。両手には手錠、両足には足枷がつけられた。それらはベッドの脚へと固定され、この部屋から出ることはおろか、満足にこの部屋を歩き回ることもできない。


バシャッ。
ひんやりと冷たい水が、地の王の持ったグラスから放たれる。

「起きてください」
「……ん」

頭が冷やされ、だんだんと脳が覚醒してくる。同時に自分が置かれている状況を把握することとなった。濡れた髪と服が、徐々に体温を奪っていく。

「なんだよ、これ」
手錠が目に入り、驚きから弱い声がもれる。

「さて、どうします?大人しくブレスレットを渡すか、渡したくなるくらいまで痛い目にあうか。私はどちらも歓迎ですよ」
「っ……」
「あぁ、失礼しました。そういえば自己紹介がまだでしたね。私は地の王、隆輝です。手荒な真似をして申し訳ございません。貴方の名前も教えて頂けませんか?」

丁寧な口調が一層威圧感を増す。答えなければ何をされるかわからない。そう暗に脅されているような気さえした。

「……雨月、愁介」
せめてもの抵抗に、リュウキを睨みながら答える。

「愁介様、ですね。改めて質問です。私にブレスレットを渡す気はおありですか?」

あるわけないだろ、とはっきり言うつもりだった。これは祖父と母の形見であり、祖父と母を苦しめた吸血鬼へと対抗できる唯一の手段だ。否定、しなければ。そう思っているのに声が出ない。

「だんまりですか? 賢明な判断です。渡してもらって終わりなんて、私の怒りを鎮める材料にすらなりませんから……。私を楽しませてくださいね、愁介様」

そう言ってリュウキは笑った。自分より背が低く、まだ幼さの残る顔にうつる笑顔は、こんな状況でなければ見るだけで癒されそうなほどに優しかった。リュウキが言葉を続ける。

「残念でしたね。愁介様が純血であれば、囲い込んでゆっくりと愛してさしあげたのに」
予測してなかった言葉。愛す、という単語に耳を疑った。

「これでも貴方のその怯えた顔はものすごく可愛いと思っているんです。さっきから漂っている貴方の香りも、流石は王家の血が混ざっているだけあって素晴らしい」

リュウキがベッドの上へ乗ってくる。僕が一歩後退するにつれて、リュウキも一歩近付いた。

「動かないでください。首輪までつけられたいんですか?」
そう言い終わらぬうちに背中に硬い感触が伝わる。もう、逃げ場がない。

「1と2、どちらがいいです? いえ、どちらからがいいです?」
質問の意味がわからなくて、しかしその問いが僕にとってマイナスにしかならないことはわかるため迂闊に答えることができない。

「ほら、早く。あぁ、両方がいいんですか? それもいいですね」

いっそう優しくなる笑みに『両方』が最も危険であることを本能的に感じる。

「1っ! いち、がいい」
「了解です。確かに初日から処女を奪うのは情緒に欠けていますからね」
「しょ、じょ……?」
リュウキが何を言っているのか全くわからない。そんな僕の心中を知ってか知らずか、彼は楽しそうに笑って言った。

「すぐに分かりますよ」

そして僕に向かってリュウキの手が伸びてくる。反射的に目を瞑ったが、痛みは襲ってこなかった。代わりに、外気に触れる身体の面積が大きくなる。

「何、なんで。やめろ!」

どんどん脱がされる服に、疑問と不安でパニックになる。

「これから何されるか……ちゃんと見ててくださいね」
「やめろ! どけ!!」

僕は必死に上に乗るリュウキを退かそうとした。しかし、どれだけ暴れても彼の余裕は崩れない。手足から伸びる鎖の金属音が響くだけだ。

「ほんと可愛いらしいですね。もっと怖がってもっと怯えて……そうしたら私はうっかり、貴方を愛してしまうかもしれませんよ」
「痛っ……!」

リュウキの手が容赦なく僕の性器を掴んだせいで短い悲鳴がもれる。
気付けば僕は服を剥ぎ取られていた。
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