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そんなものない

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 前日の夜からベッドで食事もせずに眠っていた昼下がりのことだった。
 突然、枕元に置いてあったスマホの着信音で目を覚ました私はスマホを手に取ると画面を確認した。
 電話は純二からで、たまに何気ない電話をするからいつも通りくだらない電話だろうと思いながら眠い目をこすって電話に出たのだった。
 「もしもし~」
 私がかすれ声で第一声を発すると、いつもの浮かれた明るい声とは反対の冷淡な様子で純二が私に本題を話し出した。
 「あ~もしもし、裕美ちゃん、あのさ、今日って山口さんどこにいるか知らないよね?」
 電話越しで突然、出てきた友香の名前に私は一瞬で目を覚ましてベッドから起き上がる。
 「友香?…知らないけどなんで⁇」
 想定外のワードに困惑しながら尋ねると純二が淡々と今の状況を話し出した。
 今日、友香はシフトが十一時のオープンから入っている予定だったが時間になっても出勤して来なくて電話も繋がらない状態になっていると言う。
 夏休み時期は毎日が混雑しているため、店長は音信不通の友香に頭を抱えていてベテランのスタッフはバックれたんだと言って呆れているらしい。
 「みんな真面目そうな子だったのに…って言って落胆しているけど、俺は山口さんはバイトを飛ぶようなタイプじゃないと思うんだよな…」
 純二の話を聞いて電話を切った私は友香とのトーク画面を開く。
 トークは夏休み前日のあの喧嘩以来、一度もやり取りされていなかった。
 バイトに行かず、店長からの電話にも出ない友香。純二と同様に私も友香がバイトをサボる姿は想像出来なかった。
 (純二から聞いたんだけど何かあったの?)
 メッセージを打ち込んで送信ボタンを押そうか悩んだが、押す勇気が湧かなかった。
 “本当に最低。“
 最後に交わした友香の言葉と涙する顔が記憶にこびりついていて頭から離れない。
 もしもこのラインを送って友香が読んだら彼女は何を思うだろうか。
 ウザいとかムカつくとか思われたらどうしよう。悲しい言葉を掛けられたら嫌だ。
 そう考えると送信ボタンを押すのが恐くなってゆっくりと打ち込んだメッセージを消して前の画面に戻った。
 そのままラインを閉じると再びベッドに寝転んでタオルケットを被って丸くなる。
 気がかりな友香を忘れるように目を閉じたが、一度覚めてしまった目は変わらず、何度も寝返りを打って最終的にベッドから起き上がった。
 スマホを充電したままキッチンに向かって湯を沸かすとカップラーメンに湯を注いでテレビを点けた。
 そのまま友香のことを考えないようにテレビを観てカップラーメンを食べ終えると音楽を聴いた。
 その日は一日中、友香のことを考えないようにしながらも頭の片隅にはずっと彼女がいて気がかりなままだった。

 翌日の夕方、家にいると突然インターホンが鳴った。
 何かのセールスかと思いながら覗き穴を覗くと純二が何やらソワソワした様子で立っていて驚きながらドアを開けた。
 「あ!お疲れ!」
 「どうしたの?急に連絡もなしに…」
 引き攣った笑顔を見せる純二を心配に思いながら尋ねると彼は何度も頷きながら発する言葉を必死に探すような顔をする。
 私は首を傾げながらその様子を見ていると彼は私の様子を窺うように慎重に口を開いた。
 「実はさ、さっきバイト終えたばかりなんだけど山口さんのことで新しくわかったことがあって…山口さん、交通事故に遭ったみたいなんだ。」
 交通事故。その四文字を聞いた瞬間、頭の中が真っ白になって言葉を失った。愕然とする私を見て純二は一瞬、たじろいだが、その後は淡々と事実を説明してきた。
 山口友香は昨日のバイト先へ向かう途中、信号のない小さな道路の横断歩道を渡っている最中に脇見運転をしていた乗用車に轢かれたそうだ。
 たまたま近所に住んでいるパートさんが目撃して今日、話して来たらしい。安否はわかっていない。
 現場は救急車とパトカーが停まって物々しい雰囲気だったと言う。
 「……それで友香は?友香はどうなったっていうの?」
 不安で息苦しくなりながら尋ねると純二は首を横に振って、分からない…と答えた。
 「まだどうなったのかは分からない。なんの連絡もないから…」
 その言葉を聞いた瞬間、優しく笑いかける友香の笑顔が浮かんで泣き崩れた。
 純二はそんな私を宥めるように背中をさする。
 「祐美…大丈夫だよ。山口さんは生きているって信じよう。」
 玄関でしゃがみ込んだ私はまるで小さな子供のようにうずくまって泣きじゃくっていた。
 純二はそんな私を部屋に入れてベッドに寝かせるとコンビニで買ってきたという栄養ドリンクをテーブルに置いて、また連絡すると言って帰っていった。
 その夜、泣き腫らした目でベッドからのそのそと起き上がるとカーテンを開けて夜空を見上げた。
 窓越しに映る夜空にはまるで食べ終わったスイカの皮のような三日月が浮かんでいた。
 私はその三日月に向かって手を組むと藁にもすがるような思いで願いを込めた。
 (友香が死にませんように。友香が死にませんように。どうか友香を助けて下さい。)
 そう願って涙を流すと月に向かって懺悔した。
 全部、私が悪かったのです。
 私は友香を一方的に逆恨みして彼女を憎むことで満たされない想いを満たそうとしていました。
 でも当然そんなことで満たされることはなく私の劣等感はどんどんと肥大化していきました。
 私は歪んでいた。失敗が恐くて逃げてるくせに欲しがってばかりで欲しいものを手にした友香をラッキーな人間だと錯覚していた。
 私は自分の理想を守るために友香を犠牲にしようとしていたのだ。そうすれば私の中途半端な幸せは守られると思い込んでいた。
 でも友香が犠牲になったところで私は幸せになんかなれない。私の幸せは私の行動で決まるのに友香のことをどうこうするのは見当違いだ。
 誰かの犠牲で成り立つ幸せ…そんなものあってたまるか。
 窓辺から離れてベッド横に置いてあるスマホを手に取るとラインを開いて友香とのトーク画面にいった。
 昨日あんなに悩んで送信できなかったラインを勢いよく打ち込むと躊躇いなく送信ボタンを押す。
 打ち込んだ内容は今の自分の気持ちの全てだった。
 (友香、ごめんね。全部、私が悪いから死なないで。私、本当は友香に憧れていたの。大嫌いなんて嘘。大好きだから死んじゃ嫌だ。また友香と喋りたいし会いたいよ。だから絶対に死なないで。友香が何を思っていても私にとって友香は大切な友達なんだ。お願いだから生きていて。)
 そう友香にラインし終えると次に純二に電話をした。
 数回のコール音の後に純二が電話に出る。
 「もしもし。」
 純二の声を聞くと私は静かに口を開いた。
 「私が友香を殺したの。」
 「………」
 「私、先輩と付き合っている友香のことを恨んでた。友香なんて死んでしまえばいいのにって思っていた。ずっと友香の死を願っていたの。」
 私の突然の告白に純二は至って冷静で優しい相槌を打つと、祐美は何も悪くないと言った。
 「祐美のせいじゃないよ。ただの偶然だから気にしないでいい。」
 純二にそう言われて罪悪感で溺れそうだった私はいくらか救われた気分になる。
 この気持ちを誰かに話さないと正気ではいられない気がしたから話せてよかった。
 友香の事故は私の精神状態を極限にまで追い込んでいた。
 私の頭の中では友香がずっと目を閉じて眠っている。
 ベッドで仰向けになって酸素マスクをした友香が眠り姫のように目を閉じていた。
 友香は今、息をしているのだろうか?
 どうか息をしていて。
 願わくは目を開けて食事をしていて笑顔でいてほしい。
 そうでなければ不条理だ。
 友香は生きていなければいけない存在なんだよ!
 純二との電話を終えると私はベッドに座った状態で大号泣した。
 雷に打たれたように慟哭する私はまるで赤子のようだった。
 窓の外ではバッタやコオロギ、キリギリスなどの虫の鳴き声が幾重にもなって響き渡る。
 私の泣き声はその虫たちの音と重なって地獄のようなリズムを刻んでいた。
 私と虫たちの痛哭を月と雲は静寂なまま見下ろしている。
 天と地で静寂と慟哭のコントラストが発生していた。

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