拡張現実におおわれた世界で

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第32話 八木の心中

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 学校では三浦たちといつも通り過ごす。平べったくて、厚みのない、そんな会話を僕は見続けた。


 昨日の沙織の一件で振り切れたのか、もう何も思わなかった。


 苛立ちも、辛さもない。自分の声で話されてもなんとも思わない。


 それどころか僕は冷静に、やはり僕なんかが話すよりもCAREのほうがよっぽどいいと分析すらしていた。


 もう一生CAREが話せばいい。僕なんかが話すとどうせ上手くいかない。

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 今、僕は屋上に行き、柵にもたれかかっている。


 何故ここにいるのかというと、桃谷に理由がある。丁度さっきまで、拡張現実の僕が話を進めていき、桃谷は三浦関連の話をしていた。


 嬉々として三浦のことを語る桃谷。それを見ながら僕は不意に思ってしまった。桃谷は何も三浦のことを知らない、三浦が自殺しようとしたことも知らない。なのに……。


 すると、急に居座りづらくなった。


 しかし、屋上に来て一人になってみると、僕も一緒だと気付いた。僕も沙織のことを何も知らないじゃないか……。


 その時不意に思った。桃谷はどうなるのだろうか……? 本当の三浦を知ればどう思うのか……? 


 いや僕に分かるわけないか……。もうどうでもいいや。


 もう僕でも誰でも、もうどうでもいい。考えたくない。


 三浦の名前を思い浮かべて不意に思う。今なら自殺しようとしても何も思わないのかな……。屋上から見下ろす僕。ぞっとした。怖い。高さも違うが……。どういう神経があれば飛び降りれるんだ……。


 すぐに、視線を外して、ぐっと柵を握る。


 そんな時だった。


 CAREに八木さんから電話がかかってきた。どうせ三日前の沙織との話だろう。やめてほしい。今は思い出したくも、考えたくもないのに……。


 無視しようとするも、十数回電話が来たところで諦めて出る。


「おう、修一少し今から話したいんだが」


「僕まだ授業があるんですけど……」


「大丈夫だ。学校には俺から連絡した。丁度、今学校の前に車を止めたから来てくれ」


 ちらりと見ると、確かにこんな昼の時間から学校の校門前に黒色の車が止まっている。


 そこまでわざわざするなんて、しっかりと話すつもりなのだろう。死ぬほど面倒くさい。ただでさえ今は思い出したくもないのに。


「三日前のことはもういいですから、余計な気を遣わないでください」


 堪らなくなって、僕はそう言って電話を切ろうとした。


「俺は待ってる。お前が来るまで待ってるから……」


 しかし、もう通話終了ボタンを押すほんの手前で言われて、少しの間が開いて僕は電話を切り、その場に倒れた。卑怯だろ。そんな風に言うの……。


 太陽が煩わしく、腕で目を覆う。もう何も考えたくないのに……。


 素直に行くのも癪だった。そのまま倒れたままで。かと言ってそのまま放っておくのも気が引ける。


 しばらくここでゆっくりしてから、それでまだ八木さんがいれば行こう。そう決めた。もう学校に連絡したと言っていた。もうこのまま授業を受けなくもいいはず。


 丁度その時、太陽が雲に隠れて、雲の流れをぼんやりと眺めていた。


 ふとした時にそういえば八木さんのことを思い出した。


 見ると、まだ車は止まっていた。何か負けた気がして行きたくなくなったが、後ろ髪引かれる思いに耐えられなかった。


 結局、心の中で意味のない悪態をつきながら、車に向かった。


 車のもとに向かうと、八木さんは笑おうと頬を緩めたが、笑いきれていなかった。 


「それとさ、お前のCAREは俺の姿だけ現実に見えるようにしてるんだが見えるか?」


 確かに、八木さんの顔は単色的な表情ではなかった。


 僕は頷いて車に乗ろうとした。だが、どこか隣に座るのが気を引けた僕は後ろ座席のドアを開こうとするも、八木さんがそれを止める。


「隣に座ってくれないか……」


 声の端々からどこか弱気で、どこか覚悟を決めた何かを感じた。初めて聞く八木さんの声で僕は少し驚いた。


 なんだか、八木さんいつもと違う……。


 僕は少し疑問を覚えたが、促されるまま隣の席に座る。すると八木さんは大きく息を吐き、口を開いた。


「この前さ……沙織の件でお前全部自分が悪いって言ってたろ」


 急に昔のことを引き合いに出されて動揺する。


「まぁ……はい……そうですけど」


「ふぅん」


 八木さんはそこから話を広げるのかと思いきや、なぜかそこで話を止めて。僕はよく状況が分からなくて。八木さんはしばらくの間、前をじっと見つめていた。


「お前に言いたいことがあるんだ」


 唐突にぽつりと言って、僕の顔を見た。


「拡張現実と現実は殆ど変わらないよ。なんなら、拡張現実の方が色んな人を幸せにしてるよ」


「……はっ?」


 僕はその言葉を言われた瞬間、今までに八木さんへ抱いていた感情が一気に冷めた気がした。


 そうだ……。所詮、八木さんも警察官で、CAREを守る立場なのを忘れていた。


「考えてみてくれ。今のCAREみたいに効率よく回らない世界を。嘘で人を覆えない世界を。人種差別もあった。見た目だけで、肌の色だけで、いきなり襲われたり、扱いが雑にされたり、それで亡くなった人もいる。貧困格差もあった。生まれた場所だけで飯も満足に食べられなくて、栄養失調で亡くなった子供が沢山いる。こんなの分かりやすい例だがな。他にも、細かなところに色んなストレスがあって、それが溜まりに溜まって犯罪につながったりな。昔は今と違って平然と犯罪行為があったんだ。他にもこれだけじゃない。いろいろ面倒なことがあったんだ。それが、CAREを導入することで解決した。もちろんそれまでに反対はあったがな。世界の幸福率は急上昇だ。これでも、お前はCAREを否定するのか」


 そういう過去があったのは、歴史の授業で知識として学んでいた。が、知識としてなので、もちろん今の世界はいいことは頭では分かるが、心で理解できない。実感がいまいち湧かない。


「お前はCAREに居心地のいい住処を与えられた動物園みたいな世界だって言ってたろ。それは本当に悪いことなのか? 限りなく不幸が少ない世界。それで救われた人がこの世界にたくさんいる。人間だけの力では絶対に作れなかった」


「……それでも! 人間を覆いすぎたでしょ! 嘘ばかりだ! 人間関係まで嘘ばかりで! そんなの……そんなの、おかしいでしょ!」


 良く分からない焦りが生まれて、僕は声を荒げた。


「俺の過去の話を聞いてくれないか?」


 八木さんは悲しそうに笑って言った。僕の対照的な態度に幾分か僕の体の熱を奪った。この話をしたかったんだろう。だから呼んだというのが分かって。


「ま、まぁ……」


 怒りをぶつけても何も跳ね返ってこなかったこともあって、僕は一気に落ち着いて、そう答えた。


「ありがとう」


 そう弱弱しく笑う八木さん。八木さんは前を向き、遠く見る目で話し始めた。


「俺が二十歳くらいの時だ。それまで建物とかは拡張現実で覆われていた。でも、その年から本格的にCAREが色んな国に導入され始めた。殆ど今くらいにな。当たり前にそれに反発しようとするやつは沢山いたよ。修一と違って俺には仲間がいた……いや、正しくはいると思い込んでた……だな」


 ここで、鏡に映る八木さんは顔をしかめたが、それでも口調に揺らぎがなかった。


「毎日SNSでCAREの批判、もしくはそれを導入してる国の批判をそれっぽく書いてたよ。休みの日はデモにも参加してたな。それで自分は他人と違ってしっかりと自分の意見を持ってる、周りのようにすぐCAREに飛びついた根性なしと違うんだって悦に浸ってたよ。その癖に自分の意見は人間関係の希薄に繋がるか、ネットで書いてあったCAREの悪口を自分の言葉っぽく言ってただけだ。大した努力もしてねぇ。ただCAREの悪いところしか見ようとしてなかっただけだ。今から思えば自分の都合良いところばかり見てたと思うよ。あの頃は真剣にCAREは悪いことばかりだと思ってた」


 八木さんは大きく息を吐くと、


「俺が二十一になる頃には、周りに反対する人もぐっと減ってきたよ。皆CAREのいい所に気付き始めてた。いや結果が現れ始めてたんだ。それでも俺は違うって見ようとしなかった。もう躍起になってたよ。視野がもう固まってた。狭いところしか見てなかった。毎日CAREの悪いところばかり探してた。でも、丁度二十二の時だ。就職活動が始まろうとしてるとき、その時、俺がずっと一緒にCARE反対のデモ活動に参加してた友達が二人いたんだ。本気で同士だと思ってた。他の人と違う。こいつらとは本当の仲間だって思ってた。だけも、その二人は急にどんどんデモにも顔を出さなくなってな……。ある日、俺は聞きに行ったよ。そしたら言われた『もう大人になれ』ってな。俺は理解できなかったよ。二人が言うには『実はCAREのことを昔より悪く思ってない。ただ、暇つぶし程度に反対してただけだ』って。その場で俺はキレたよ、その二人が悪いって。でも家に帰って頭冷えたときに不意に思ったんだ。

『あの二人のことを知らなかった。元から深い人間関係築けてないじゃないか』って。その時頭に思い浮かんだことは『CAREじゃない。一体、何が悪いんだ』だよ。

とにかく何でもいい理由を見つけたいと思った。そうしたら楽になれると思った。CAREじゃない、友達でもない……その時思ったんだ。あっ、俺かって……。『俺が悪いんだ』って」


 そこで、八木さんは弱弱しく僕に笑う。その笑顔は今の僕に答えた。


「心の中のどこかで期待してたんだろうな。今から生きていく世界だから。人間は心の底から分かり合えるはずだって……。今から考えればあり得るわけがないけどな。だから余計に自分を責めた。自分に責任を擦り付けるのは簡単なんだよ。誰も文句を言わない。俺は分かりやすく腐ったよ。『俺が悪いんだ』『どうせ俺が悪いんだ』『どうせ、俺なんて』これが口癖だったよ。でも、指さしてここが悪いって言えなかった。ずっと漠然と自分は悪いって思ってた。今から考えれば……」


 ここで八木さんは天井に視線を戻し少し間を開けて言った。


「目を背けたかった。それ以上傷つくのが怖かったんだ。本当に悪いところを見つけると傷つくから、自分のことまるで悪いところだらけって言い聞かせて、それ以上踏み込もうとしなかったんだ。それにこれ以上人間関係で失敗したくなかった。また傷つくから……」

 そう言うと八木さんは間をおく。まるで何か反論があるならこのタイミングでと言わんばかりに。

 強く否定できる言葉が思いつかない。どちらかと言うとすんなりと納得できる自分がいた。僕は視線を斜め下にずらした。それを確認した八木さんが続きを言う。

「ずっとそのままだったよ。就職もする気が起きなかった。二人の後を追いかけるみたいで癪だった。拡張現実に染まっていった周りのやつと同じ行動をするのが嫌だった。だから、アルバイトで日々食いつないでた。自分にはこんな人生が似合ってるって……。もう目を逸らして日々をやり過ごす癖が染みついてた。でも、厄介なもんでな。三十過ぎたあたりくらいからか、急に周りのことが気になりだしたんだ。周りは安定した仕事をして、そして家庭を築いたりしている。急に同調意識を強く感じるようになった。皆と同じようになりたい。あれだけ嫌がってたのに、無理だって思ってたのに急に周りと同じような安定した普通の生活を送らないと思い出してきたんだよ。そう思ったら自分でも驚くくらいすぐに就職活動をしだした。だが、結局、最後の最後に拭いきれてなかったCAREへの抵抗意識が邪魔してな、現実世界を見れるこの仕事に逃げるように入ったんだよ」


 僕はどんな感情を抱いているのか分からなかった。でも、この話は一生脳に刻み込まれるんだろうなという確信に近い予測だけ抱いていて……。


 どう返せばいいかわからない。


「そういう精神で全部から目を背けてきたんだよ……現実から………お前からも……」


 その言葉は僕を諭そうなどという感情は見えてこなかった。ただ平坦な声で事実を述べただけだったのに……よく分からない鳥肌が覆った。


 それには八木さんの言い表せようのない複雑な表情をしていたことも大きい。


「…………」


 簡単に返してはいけないそれだけは肌で感じ取った。そんな時、八木さんのCAREに何か連絡が来たようで、八木さんはCAREを操作する。


 それを終えると、


「ちょっと付いてきてほしいところがあるんだ。来てくれないか?」


 そう尋ねてきた。


 僕は黙って頷いた、頷くしかなかった。


「すまんな。ありがとう」


 そう言って出発した車。


 そうして、しばらく車を走らせ、入っていったのはカフェの駐車場だった。


「どうしてここに……?」


「今からさっき話した友達と会うんだ」


 八木さんはそう笑いかけたが頬に硬さが残っている。言わなくても久しぶりの感動の再会というわけではないことが分かる。


 八木さんはタブレットを取り出し、操作した。と同時に僕のCAREがあるファイルを送信されたというメッセージがポップアップした。


「それは俺らが捜査によく使うコードでな。他人からの見た目を子供にしてくれるんだ」


「どうしてこれを?」


「……お前には悪いが隣で居てくれるだけでいいんだ。二歳くらいの言葉がまだ分かってないくらいだと伝えてるから……ただ黙って隣にいてくれ……。そうじゃないと多分、俺は逃げてしまう……」


 そう言う八木さんは緊張を隠す余裕もないようで……。


 さっきの話が脳裏によみがえる。


「………………分かりました」


 僕はゆっくりと頷いた。
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