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2、どうして何がこうなったって誰が言ってた?
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ハヴィはぎゅっと指で眉を抑えると、スゥーッと大きく息を吸った。
何だか一気に考えすぎて頭が痛い。
自分の横にいるオルトも若干パニック状態になっている。
眼球がなんか台風に巻き込まれた牛のようにグルグルしているし。
とりあえずこの状況を変えなければ。
一番最初に思い出したのは、この会場の責任者は『俺』だということ。
なのでなんかあったらハヴィの責任。
もうすでに色んな事が起きているこの状況、どうにか無かったことに出来ないかな。
……出来るわけないか。
ヤダヤダなんでだ、責任とか俺、絶対関係ないじゃん!!
クラクラする頭を抑えながらさっきより大きく息を吸うと、押さえつけている第一騎士団に向かって低い声で怒鳴りつけた。
「お前ら何をやっている!この方は王太子様の婚約者である、ストーン公爵令息であるぞ!」
作戦B、全てを勢いで解決作戦!はい、これ、俺が得意なやつー!
さすがの騎士たちもハヴィの怒鳴り声にびくりと体を跳ねさせ、アンセルから手を緩めると後ろに体を反らせた。
それ今のうちにと、押さえつけられた友に駆け寄ると、まごつく第一騎士たちを『副団長の咆哮』で、全員後ろに下がらせた。
弱々しく床に転がったままの細身の男を抱き起こすと、幼馴染をこんなことしやがってという満身の怒りでギッと第一騎士たちを睨みつける。
流石に所属は違えど『副隊長』に怒鳴られたのだ。
第一騎士たちもオロオロとし、困惑しながら王太子にヘルプの視線を送っていた。
第一騎士たちが怯んだ隙に、ハヴィはオルトに目配せをする。
さすが従兄!その視線の意図を瞬時に察し、オルトは小さく頷くとすぐにどこかへ走り去っていった。
ハヴィの叱責でシーンとなった会場。
そんな沈黙を破ったのは空気も読めない王太子だった。
「……お前は第二騎士団副団長か?なんの権利があってこいつを助けようとするのだ!」
ニヤニヤと笑みで顔を歪ませる王太子に、ハヴィは若干引き気味に視線を送る。
なんなんだコイツ、何の権利だと?この会場の責任者だつの、こっちは。なんてブチギレそうになったが、我慢した。
スーハースーハーと短く呼吸を整え、じっと見つめたままの王太子に向かって口を開いた。
「御言葉ですが、この方は」
「……よせ、ハヴィ。……いいんだ。」
不敬を承知で言い返そうとするハヴィを止める声。
声がする方へ視線を戻すと、抱き抱えている自分の腕の中から這い出すように顔を上げた。
「アンセル、良かった無事か!?」
アンセルと呼ばれた男はハヴィをじっと見つめると、にっこりと微笑む。
いや笑ってる場合かよと、思わずイラッとツッコミを入れたくなった。
「アンセル……これは一体どういうことなんだ?」
ハヴィはアンセルに尋ねてみるが、アンセルは困ったようにヘラりと首をかしげながら笑うばかり。
長く綺麗な水色の髪が、アンセルがモゾモゾと体を動かす度にバラバラと床へと落ちていった。
「お前、髪の毛が……!」
よく見ると首元に浅い一文字の傷。
そこからうっすらと血が滲み、着ていた婚礼衣装の襟首に染み込んでいた。
そして何故か腰まで長かった綺麗な髪が、まばらに刈り取られたように、ザンバラな状態に。
首を傾げ、困ったように笑う彼の動きに合わせて、木の葉のようにハラハラと床に落ちていく。
『誰』が、こんなことを?
再びハヴィは怒りが抑えられず、アンセルのそばに居た騎士たちを睨みつけながら立ち上がった。
「……お前たちが、やったのか?」
腰にかかる剣へと手を移動させると、視線を外さずそのまま静かにそれを抜いていく。
ただ事ならないハヴィの怒りに恐れを感じた騎士たちは、言い訳もできずに首を全力で横に振りながら、一歩一歩と後ろに下がることしかできなかった。
ブルブルと横に振られる首とまるで犯人が誰だか示唆する様な、視線。
その視線が全員王太子に向かったところで、ハヴィの足先が王太子に向けられた。
そして集まっていく目線を追うように、ゆっくりと振り向いたハヴィ視線が王太子を捉える。
流石に王太子に剣は向けられないので、仕方なく舌打ちしながら剣から手を離すと、ハヴィはまだ座ったままのアンセルを庇うように前に出た。
「チャールズ王太子殿、これは一体なんの騒ぎでしょうか。」
ハヴィのよく通る声で、会場がさらに冷えて行く。
沈黙が続くのを苛立つように、握る拳にぎゅっと力が込められた。
そんな拳をじっと見つめていると、『もうこの際一発ぐらい殴ってもいいんじゃないか?』なんて、そんな感情が何度も脳内を横切っていく。
いつもギリギリで止めてくれるオルトは今はいないし。
ハヴィの怒りに満ちた低い声に王太子も怯んだのか、グッと言葉を詰まらせる。
目を見開き、モゴモゴと口籠る王太子の顔がまるで、水から無理やり出され魚のようだと思わず鼻で笑った。
ハヴィのその態度にバカにされたと思ったのか、王太子はカッと顔を赤くさせた。
「おい貴様……!今俺を馬鹿にしたのか?」
怒りに任せハヴィに掴み掛かろうと手を伸ばしたが、距離が足らず空を切って落ちる。
それを見てまたフンっと鼻を鳴らすハヴィに、ますます顔を赤くさせた。
「おい!お前!」
怒り叫ぶ王太子を、しれっとした顔で見つめる。
お前なんぞに捕まえられる様なら副団長なんかしてないつの!ばーかばーか!なんて思いながら王太子の顔を見ている。
そんなハヴィの思いが伝わったのだろうか、怒りゲージがMAXになったように段々と湯気を出し、震えてきた。
流石に周りからも第二の副団長はどうした、大丈夫か、と身を案じ出す空気に、アンセルが『あ、』っと声を出した。
服に散らばった自分の髪の毛を手で払いながらヨロヨロと立ち上がると、綺麗にお辞儀をした。
「チャールズ様、先程は発言する隙もなく床に押さえ付けられてしまい、質問に答えられませんでしたが、少し宜しいでしょうか」
ハヴィの背後から影がかかる。
ハヴィよりもスラリと背の高いアンセルが、ハヴィの後ろから肩に手を置きながら微笑んでいた。
髪を無惨に斬られ、擦り傷や靴跡などで汚れた婚礼衣装がなんとも酷さを物語る。
だがそれなのに立ち上がったアンセルの姿がまた哀れで、それなのに綺麗すぎて、その迫力に王太子でさえ黙り込んでしまった。
沈黙を肯定と捉えたのだろう、アンセルは少し考えてから喋り出した。
「あの、さっき話なのですが……うーん、申し訳ありませんが、貴方達がおっしゃっている事はすべて身に覚えがありません。」
アンセルの言葉に被せるように、すぐ甲高い声が会場内に響く。
「嘘です!チャールズ様!この人は僕にとても酷いことをしたんですよう!」
ん?何どっから声がすんのと、辺りを見渡すハヴィに、アンセルが肩を震わせながら手のひらを前に向けた。
その手のひらの先を追ってよく見ると、さっきまで全く視界に入ってこなかったが、王子が抱え込んでいたモノが目に入る。
全くソレが喋るまで存在さえ視野に入っていなかったので、思わず目を凝らし細めると、その抱えているものがうわっと泣き出しながら喋り出した。
ああ、なんだあれは人間だったのか。
ハヴィはベショベショと泣いて王太子に縋っている人間らしき物をじっと見つめながら、再び目を凝らした。
そんなハヴィの視線に人間らしき物はびくりと体を震わせると、ハヴィを指差しながらまた泣き出した。
「第二騎士団長!未来の王妃を睨むとはどういうことだ!!」
「……は?未来の王妃だと……?」
未来の王妃はアンセルのはずでは?
一体何を言っているのかこのバカ王子は、と大きな目でギロリと王太子を睨む。
今にも攻撃しそうなハヴィの表情に、アンセルが困った様に息を吐いた。
「……おいバカ王た」
ハヴィが叫ぶと同時に、アンセルが後ろからハヴィを抱きしめるように引き寄せ、そして。
「……私は大丈夫だから、抑えて。」
長身のアンセルに抱きしめられ、ピッタリ耳元に囁く声に『ウッ』っと耳を押さえようと体を捩るが、思いの外力強く抱きしめられていたので、アンセルの腕の中からぴくりとも動けなかった。
暴れられず呻くハヴィに微笑むと、アンセルは王太子に向き直った。
「……ともかくです。
婚約破棄したければ手順を追ってくださればストーン家としても受け入れましたのに。
私がそちらの方……えっとお名前なんておっしゃいましたか?すみません、その、興味がないことはどうも覚えられなくて。その、方がおっしゃるような事をしていないのも、私の護衛や周りに調べていただけたら分かるかと思うのですが……。」
口元に人差し指をのせ、コテンと首を傾げるアンセルが微笑む。
その微笑みはとても綺麗で、会場内にも思わず吐息が溢れるほどだった。
だがその微笑みに王太子がイラついたように舌打ちをした。
「うるさい!テテがやったといえばやったのだ!俺は愛するテテを信じる!」
王太子が叫ぶと、テテと呼ばれた生き物がうっとりとした表情を浮かべ、王太子に絡み付いた。
「そうだよこんな可愛い僕が嘘をつくわけないでしょ!
チャールズ様ぁ、こんなやつ追放してください!僕こわーい!」
目にいっぱいの水を溜め、腰をくねらせ王太子に擦り寄る。
そんな生き物をさも愛おしそうに、デレデレとした顔で抱きしめていた。
「ネチョネチョとよく吠える生き物だな……」
思わず出ちゃう舌打ち。
何がこわーいだ。
こわーいのはお前の度胸だっていう。
そういえば『テテ』という名前はなんとなく覚えがある。
なんの用事か知らないが、平民がよく王子の私室に出入りしていると噂があったから。
ハヴィは自分とは関係ないことに関しては我関せずなので、噂を聞いただけで何もしなかった。
一応、将来騎士を目指すものとして、『セキュリティ』に関することして『認識』した程度。
そんな程度の認識だったにも関わらず、『テテ』というヤツの噂はハヴィが存在を認知する程、その名前は耳に入ってきていた。
身分の関係ない学園のルールを利用してか、バカな王子を快楽で懐柔したとか。
身分が高い貴族の子息に手当たり次第取り入ろうとしているとか、そういう類の噂で一時期持ちきりだったのだ。
だが実際のところ『テテ』が取り入れられた子息はいないだろう。
自分の立場をよく理解している子息なら、当然平民なんて手を出さない。
『貴族』の血は高貴であり、平民と交わって『間違い』があってはならないと教え込まれているからだ。
もし間違いが起こればたとえ一人息子だったとしても家名から見限られるだろう。
この世界の『貴族』とは『価値』で物事を見る人種なのだから。
それでもその『事情』をよく知った上で『遊ぶ』子息も中にはいる。
だがそういう奴らはうまく遊ぶ術を持っている。
悪い奴らはそういうのを分かった上で、手を出し弄び、そしてゴミのように捨てるが関の山。
貴族の子供は常に家名を背負っているのだ、貴族というぬるま湯生活を犠牲にしてまで『平民』と色恋に走るほど、バカじゃないのだ。
だがしかし、何を間違えたのかこの王太子は『バカ』だったようだ。
テテとの情事も、結婚前のお遊びで終わっていればよかったのに。
自分もそう思っていたから放置していたのだ。
なのに立場も忘れ、こんなのに本気になるなんて……本当にもう、今世紀最大のバカとしか言いようがない。
ましては子供の頃から政略的な理由で結ばれた婚約者がいる身分。
一人息子だから、将来的にコイツが王となり、この国を背負っていくのだ。
えーなんかそう考えたらめちゃくちゃ不安になってきた。
どうせこんな騒ぎになってしまった責任を取らないといけないのは嫌だし。
あーあこんな国終わりだ、もうイチ抜けたろかな。
隣国に家族を連れて亡命でもしたろか!と、ハヴィは頭の中で自国の未来を早々に諦めかけていた。
なんせ自分の家は伯爵だが商家だ。
商売さえあればどこでも生きていける。
騎士も実力なら上の方だし、基本はもう学ぶこともない。
ならばどこへでも行けるし、どこでも何でもお金に困らず活かすことが出来そうだ。
そんなこと考えながら脳内現実逃避中。
何か叫んでいる王太子の言葉も、こうなったら一切耳に入ってこない。
アンセルも婚約が決まってからここまで長い期間、王妃としても教育を受けてきたことだろう。
それも好きでやってたわけではないだろうし。
そんな長年の努力を、こんなネチョネチョ喋る生き物に奪われていいはずがない。
他人ながらアンセルがとても不憫に思ってしまい、チラリと彼を見上げた。
自分を抱きしめたままのアンセルはハヴィの肩口に口元を押し付け震えていた。
何だか一気に考えすぎて頭が痛い。
自分の横にいるオルトも若干パニック状態になっている。
眼球がなんか台風に巻き込まれた牛のようにグルグルしているし。
とりあえずこの状況を変えなければ。
一番最初に思い出したのは、この会場の責任者は『俺』だということ。
なのでなんかあったらハヴィの責任。
もうすでに色んな事が起きているこの状況、どうにか無かったことに出来ないかな。
……出来るわけないか。
ヤダヤダなんでだ、責任とか俺、絶対関係ないじゃん!!
クラクラする頭を抑えながらさっきより大きく息を吸うと、押さえつけている第一騎士団に向かって低い声で怒鳴りつけた。
「お前ら何をやっている!この方は王太子様の婚約者である、ストーン公爵令息であるぞ!」
作戦B、全てを勢いで解決作戦!はい、これ、俺が得意なやつー!
さすがの騎士たちもハヴィの怒鳴り声にびくりと体を跳ねさせ、アンセルから手を緩めると後ろに体を反らせた。
それ今のうちにと、押さえつけられた友に駆け寄ると、まごつく第一騎士たちを『副団長の咆哮』で、全員後ろに下がらせた。
弱々しく床に転がったままの細身の男を抱き起こすと、幼馴染をこんなことしやがってという満身の怒りでギッと第一騎士たちを睨みつける。
流石に所属は違えど『副隊長』に怒鳴られたのだ。
第一騎士たちもオロオロとし、困惑しながら王太子にヘルプの視線を送っていた。
第一騎士たちが怯んだ隙に、ハヴィはオルトに目配せをする。
さすが従兄!その視線の意図を瞬時に察し、オルトは小さく頷くとすぐにどこかへ走り去っていった。
ハヴィの叱責でシーンとなった会場。
そんな沈黙を破ったのは空気も読めない王太子だった。
「……お前は第二騎士団副団長か?なんの権利があってこいつを助けようとするのだ!」
ニヤニヤと笑みで顔を歪ませる王太子に、ハヴィは若干引き気味に視線を送る。
なんなんだコイツ、何の権利だと?この会場の責任者だつの、こっちは。なんてブチギレそうになったが、我慢した。
スーハースーハーと短く呼吸を整え、じっと見つめたままの王太子に向かって口を開いた。
「御言葉ですが、この方は」
「……よせ、ハヴィ。……いいんだ。」
不敬を承知で言い返そうとするハヴィを止める声。
声がする方へ視線を戻すと、抱き抱えている自分の腕の中から這い出すように顔を上げた。
「アンセル、良かった無事か!?」
アンセルと呼ばれた男はハヴィをじっと見つめると、にっこりと微笑む。
いや笑ってる場合かよと、思わずイラッとツッコミを入れたくなった。
「アンセル……これは一体どういうことなんだ?」
ハヴィはアンセルに尋ねてみるが、アンセルは困ったようにヘラりと首をかしげながら笑うばかり。
長く綺麗な水色の髪が、アンセルがモゾモゾと体を動かす度にバラバラと床へと落ちていった。
「お前、髪の毛が……!」
よく見ると首元に浅い一文字の傷。
そこからうっすらと血が滲み、着ていた婚礼衣装の襟首に染み込んでいた。
そして何故か腰まで長かった綺麗な髪が、まばらに刈り取られたように、ザンバラな状態に。
首を傾げ、困ったように笑う彼の動きに合わせて、木の葉のようにハラハラと床に落ちていく。
『誰』が、こんなことを?
再びハヴィは怒りが抑えられず、アンセルのそばに居た騎士たちを睨みつけながら立ち上がった。
「……お前たちが、やったのか?」
腰にかかる剣へと手を移動させると、視線を外さずそのまま静かにそれを抜いていく。
ただ事ならないハヴィの怒りに恐れを感じた騎士たちは、言い訳もできずに首を全力で横に振りながら、一歩一歩と後ろに下がることしかできなかった。
ブルブルと横に振られる首とまるで犯人が誰だか示唆する様な、視線。
その視線が全員王太子に向かったところで、ハヴィの足先が王太子に向けられた。
そして集まっていく目線を追うように、ゆっくりと振り向いたハヴィ視線が王太子を捉える。
流石に王太子に剣は向けられないので、仕方なく舌打ちしながら剣から手を離すと、ハヴィはまだ座ったままのアンセルを庇うように前に出た。
「チャールズ王太子殿、これは一体なんの騒ぎでしょうか。」
ハヴィのよく通る声で、会場がさらに冷えて行く。
沈黙が続くのを苛立つように、握る拳にぎゅっと力が込められた。
そんな拳をじっと見つめていると、『もうこの際一発ぐらい殴ってもいいんじゃないか?』なんて、そんな感情が何度も脳内を横切っていく。
いつもギリギリで止めてくれるオルトは今はいないし。
ハヴィの怒りに満ちた低い声に王太子も怯んだのか、グッと言葉を詰まらせる。
目を見開き、モゴモゴと口籠る王太子の顔がまるで、水から無理やり出され魚のようだと思わず鼻で笑った。
ハヴィのその態度にバカにされたと思ったのか、王太子はカッと顔を赤くさせた。
「おい貴様……!今俺を馬鹿にしたのか?」
怒りに任せハヴィに掴み掛かろうと手を伸ばしたが、距離が足らず空を切って落ちる。
それを見てまたフンっと鼻を鳴らすハヴィに、ますます顔を赤くさせた。
「おい!お前!」
怒り叫ぶ王太子を、しれっとした顔で見つめる。
お前なんぞに捕まえられる様なら副団長なんかしてないつの!ばーかばーか!なんて思いながら王太子の顔を見ている。
そんなハヴィの思いが伝わったのだろうか、怒りゲージがMAXになったように段々と湯気を出し、震えてきた。
流石に周りからも第二の副団長はどうした、大丈夫か、と身を案じ出す空気に、アンセルが『あ、』っと声を出した。
服に散らばった自分の髪の毛を手で払いながらヨロヨロと立ち上がると、綺麗にお辞儀をした。
「チャールズ様、先程は発言する隙もなく床に押さえ付けられてしまい、質問に答えられませんでしたが、少し宜しいでしょうか」
ハヴィの背後から影がかかる。
ハヴィよりもスラリと背の高いアンセルが、ハヴィの後ろから肩に手を置きながら微笑んでいた。
髪を無惨に斬られ、擦り傷や靴跡などで汚れた婚礼衣装がなんとも酷さを物語る。
だがそれなのに立ち上がったアンセルの姿がまた哀れで、それなのに綺麗すぎて、その迫力に王太子でさえ黙り込んでしまった。
沈黙を肯定と捉えたのだろう、アンセルは少し考えてから喋り出した。
「あの、さっき話なのですが……うーん、申し訳ありませんが、貴方達がおっしゃっている事はすべて身に覚えがありません。」
アンセルの言葉に被せるように、すぐ甲高い声が会場内に響く。
「嘘です!チャールズ様!この人は僕にとても酷いことをしたんですよう!」
ん?何どっから声がすんのと、辺りを見渡すハヴィに、アンセルが肩を震わせながら手のひらを前に向けた。
その手のひらの先を追ってよく見ると、さっきまで全く視界に入ってこなかったが、王子が抱え込んでいたモノが目に入る。
全くソレが喋るまで存在さえ視野に入っていなかったので、思わず目を凝らし細めると、その抱えているものがうわっと泣き出しながら喋り出した。
ああ、なんだあれは人間だったのか。
ハヴィはベショベショと泣いて王太子に縋っている人間らしき物をじっと見つめながら、再び目を凝らした。
そんなハヴィの視線に人間らしき物はびくりと体を震わせると、ハヴィを指差しながらまた泣き出した。
「第二騎士団長!未来の王妃を睨むとはどういうことだ!!」
「……は?未来の王妃だと……?」
未来の王妃はアンセルのはずでは?
一体何を言っているのかこのバカ王子は、と大きな目でギロリと王太子を睨む。
今にも攻撃しそうなハヴィの表情に、アンセルが困った様に息を吐いた。
「……おいバカ王た」
ハヴィが叫ぶと同時に、アンセルが後ろからハヴィを抱きしめるように引き寄せ、そして。
「……私は大丈夫だから、抑えて。」
長身のアンセルに抱きしめられ、ピッタリ耳元に囁く声に『ウッ』っと耳を押さえようと体を捩るが、思いの外力強く抱きしめられていたので、アンセルの腕の中からぴくりとも動けなかった。
暴れられず呻くハヴィに微笑むと、アンセルは王太子に向き直った。
「……ともかくです。
婚約破棄したければ手順を追ってくださればストーン家としても受け入れましたのに。
私がそちらの方……えっとお名前なんておっしゃいましたか?すみません、その、興味がないことはどうも覚えられなくて。その、方がおっしゃるような事をしていないのも、私の護衛や周りに調べていただけたら分かるかと思うのですが……。」
口元に人差し指をのせ、コテンと首を傾げるアンセルが微笑む。
その微笑みはとても綺麗で、会場内にも思わず吐息が溢れるほどだった。
だがその微笑みに王太子がイラついたように舌打ちをした。
「うるさい!テテがやったといえばやったのだ!俺は愛するテテを信じる!」
王太子が叫ぶと、テテと呼ばれた生き物がうっとりとした表情を浮かべ、王太子に絡み付いた。
「そうだよこんな可愛い僕が嘘をつくわけないでしょ!
チャールズ様ぁ、こんなやつ追放してください!僕こわーい!」
目にいっぱいの水を溜め、腰をくねらせ王太子に擦り寄る。
そんな生き物をさも愛おしそうに、デレデレとした顔で抱きしめていた。
「ネチョネチョとよく吠える生き物だな……」
思わず出ちゃう舌打ち。
何がこわーいだ。
こわーいのはお前の度胸だっていう。
そういえば『テテ』という名前はなんとなく覚えがある。
なんの用事か知らないが、平民がよく王子の私室に出入りしていると噂があったから。
ハヴィは自分とは関係ないことに関しては我関せずなので、噂を聞いただけで何もしなかった。
一応、将来騎士を目指すものとして、『セキュリティ』に関することして『認識』した程度。
そんな程度の認識だったにも関わらず、『テテ』というヤツの噂はハヴィが存在を認知する程、その名前は耳に入ってきていた。
身分の関係ない学園のルールを利用してか、バカな王子を快楽で懐柔したとか。
身分が高い貴族の子息に手当たり次第取り入ろうとしているとか、そういう類の噂で一時期持ちきりだったのだ。
だが実際のところ『テテ』が取り入れられた子息はいないだろう。
自分の立場をよく理解している子息なら、当然平民なんて手を出さない。
『貴族』の血は高貴であり、平民と交わって『間違い』があってはならないと教え込まれているからだ。
もし間違いが起こればたとえ一人息子だったとしても家名から見限られるだろう。
この世界の『貴族』とは『価値』で物事を見る人種なのだから。
それでもその『事情』をよく知った上で『遊ぶ』子息も中にはいる。
だがそういう奴らはうまく遊ぶ術を持っている。
悪い奴らはそういうのを分かった上で、手を出し弄び、そしてゴミのように捨てるが関の山。
貴族の子供は常に家名を背負っているのだ、貴族というぬるま湯生活を犠牲にしてまで『平民』と色恋に走るほど、バカじゃないのだ。
だがしかし、何を間違えたのかこの王太子は『バカ』だったようだ。
テテとの情事も、結婚前のお遊びで終わっていればよかったのに。
自分もそう思っていたから放置していたのだ。
なのに立場も忘れ、こんなのに本気になるなんて……本当にもう、今世紀最大のバカとしか言いようがない。
ましては子供の頃から政略的な理由で結ばれた婚約者がいる身分。
一人息子だから、将来的にコイツが王となり、この国を背負っていくのだ。
えーなんかそう考えたらめちゃくちゃ不安になってきた。
どうせこんな騒ぎになってしまった責任を取らないといけないのは嫌だし。
あーあこんな国終わりだ、もうイチ抜けたろかな。
隣国に家族を連れて亡命でもしたろか!と、ハヴィは頭の中で自国の未来を早々に諦めかけていた。
なんせ自分の家は伯爵だが商家だ。
商売さえあればどこでも生きていける。
騎士も実力なら上の方だし、基本はもう学ぶこともない。
ならばどこへでも行けるし、どこでも何でもお金に困らず活かすことが出来そうだ。
そんなこと考えながら脳内現実逃避中。
何か叫んでいる王太子の言葉も、こうなったら一切耳に入ってこない。
アンセルも婚約が決まってからここまで長い期間、王妃としても教育を受けてきたことだろう。
それも好きでやってたわけではないだろうし。
そんな長年の努力を、こんなネチョネチョ喋る生き物に奪われていいはずがない。
他人ながらアンセルがとても不憫に思ってしまい、チラリと彼を見上げた。
自分を抱きしめたままのアンセルはハヴィの肩口に口元を押し付け震えていた。
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そんなある日、魔王国のバーティーで絡んできた魔物を俺は、こてんぱんにのしてやったんだが、それ以来、旦那様の様子が変?
急に花とか贈ってきたり、デートに誘われたり。
慣れない溺愛にこっちまで調子が狂うし!
このまま、俺は、絆されてしまうのか!?
カイタ、エブリスタにも掲載しています。
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