未完成のビリーフ

紫苑色のシオン

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未完成のビリーフ 1

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 人間というのは理解できないもの、常識的ではないものに恐れを感じる生き物だ。俗に言うホラーやオカルトといった類の物だ。しかし古くからそういったホラーやオカルトというものは根強い人気があり、映画や漫画といったエンターテインメントとして楽しまれている。何故か。これは僕の考えでしかないけど、きっとジェットコースターと同じなんじゃないかと考えている。映画や漫画という観るだけのもの。中で起きている恐怖の出来事はあくまでスクリーンの中の出来事でしかない。現実では起きえない安全が約束されたスリルを楽しんでいるのではないだろうか。
 だが、それでも世の中には現実で幽霊を見た、物理学的にあり得ない現象が起きたという話も結構聞く。実際はどうだろうか。
『幽霊の正体見たり枯れ尾花』という言葉がある。幽霊だと思ったものが実はただの枯れた尾花だったという、世界で一番短い小話だ。その小話の通り、現実は何ともつまらない答えなのではないだろうか。ただ、驚き、恐怖し、碌に何の検証もしないままに語り継いだ結果が怪談であったり都市伝説であったりと、非常につまらない答えになりそうだとは思わないか。
 いや、勘違いしないで欲しい。僕は決してそういった類の物が嫌いなわけではない。特別好きというわけでもないんだけど。得てして真実とは非常につまらないものだという事を言いたいだけ。違う意味で『知らない方が良かった』と思えるよ。


 あれは去年の出来事だった。当時入学したてで何部に入ろうかとウキウキしながら部活の一覧を見ているときだった。そこに新聞部という漫画で何度か目にした部活があった。だからといって僕は新聞部に特別憧れや理想を抱いていた訳ではないので、最初は、珍しい部があるな、程度にしか思わず、入るつもりは無かった。
 だけど、どの部を見てもイマイチ、これだ!というものが見当たらない。そもそも僕が何をしたいのかというと、僕は今目下、生きるとは何か、というのを探しているのだ。生きる事に意味を見出せないと、生きているという心地がしない。そして見つけることができていない僕はやはり当然、生きている心地がしないのだ。そして考えた果てに、新聞部なら、色んな人に取材という名目の元で話が聞けそうだと思って入部することにした。
 入部届を持って、部室に行く。途中で同学年の同じ新聞部希望の人三人と出会った。もうとっくに名前なんて覚えていないのだけど、女の子二人に男が一人だった。僕を入れて丁度半々になるのでいい感じに思えたのは覚えていた。
 そして部室の戸を叩き、入った時に目に入ったのは、部室の奥でドンと腕を組んで威圧的に構えている人でもなく、見た目が如何にもチャラそうな人でもなく、その人の左腕に抱き着いているこれまた今時風なギャルの見た目の女先輩でもなく、部室の隅で本を読んでいる地味そうな女の人だった。新入生が入ってきたことで、本から顔を上げており、その人と目があった。

(すげぇ美人だな)

 大きな丸いレンズの眼鏡をかけており、その奥の瞳は綺麗な黒色大きく、鼻と口は目とは反対にバランスを保つように小さく、それでいてどこか蠱惑さが感じられる日本美人といった感じの女性だった。

「やぁ、ようこそ新聞部へ」

 そこで初めて奥にいた腕を組んで構える男性に目を向けた。頑張って威圧的にしようとしているのが目に見えて明らかで、普段は全くそんなことない人なんだろうなというのがまず最初の感想だった。

「篠崎、お前そんなキャラじゃないだろうが」

 ケラケラと笑いながらチャラそうと思った人が茶々を入れていた。その横でギャルっぽい女の人が「だよねー」とか便乗している。まぁ、流石に腕に抱き着いているから恋人同士なのだろう。だからと言って公共の場、しかも後輩がいる前でイチャつくのはどうかと思う。

「ほっとけ。あぁ、空いてる場所に好きに座ってくれ」

 そう促されて、各々適当な場所に座る。部室は印刷準備室という、過去に物置にでもされていたのかと思う跡が部屋の隅々から伺える部屋だった。しかし物置にされていただけあって、部屋はそこそこに広い。真ん中に長机を二つくっ付けて置いており、囲むように簡易式のパイプ椅子が置かれている。

「じゃあまずは自己紹介からだな。俺は新聞部部長の篠崎勇吾だ。三年だ。よろしくな」
「及川学っていいま~す。三年で~す」
「私は桐生加奈。三年よ」
「…近野沙月。…二年」

 一部凄く適当な紹介があったが、僕は流していた。名前さえ覚えていればいいと思ったからだ。こんな軽い人達が僕の望む生きる意味を見出している人には思えなかったからだ。
 しかしそれでも、一人だけはきっちりと覚えることにした。近野沙月先輩、ね。そう僕とて男だ。美人には弱いのだ。
 そして我らが新入生も卒なく当たり障りのない自己紹介を済まし、篠崎部長に入部届の用紙を渡す。これで僕達も立派に新聞部だ。

「じゃあ活動から説明するぞ」

 篠崎部長が後ろにあるホワイトボードに書きながら説明していく。月に一度、正面玄関にある掲示板に学内新聞を発行し、貼りだす。以上。一応文化祭にはそれらのバックナンバーの展示とコラムによる部誌を作って販売するらしい。予想以上に地味だし、聞くところによると取材とかそういったものは殆ど行わないらしい。がっくり。でもそれでも他の部に比べれば人と接する機会は多そうだし、何より美人の先輩がいるんだ、この部でやってみよう。
 それがどれだけ浮ついた軽率な考えだったのかは入部一ヶ月程度で痛いほど分かった。まず三年生の先輩はこの部をただのたまり場程度にしか考えていなかった。月に一度発行する新聞も殆ど去年の使いまわしで、何も面白みがなかった。相変わらず及川先輩と桐生先輩は部室でイチャイチャしているし、唯一の癒しと思っていた近野先輩もずっと文庫本を読んでいるだけで、口を開くのは事務的な会話の時だけだった。本を読んでいる間は話しかけるなというオーラが出ていてとても話しかけられる雰囲気ではなかった。そして何よりも、もう一年生の部員が僕しかいないという事だ。先輩のやる気の無さが嫌だったのだろうか、他の三人は先月末で退部してしまった。一年が僕だけという肩身の狭さを覚えつつも、僕だけは部に残っていた。

「はぁ…」

 出るのは溜め息ばかりだった。僕も他の部に移ることを考えた方が良いのかもしれない。クラスメイトも僕が心躍らせるような人はいなさそうだし。さてはて、どうしようか。

「ねぇ沙月ちゃん」

 及川先輩が、彼女がいるにも関わらずその彼女を放ったらかしにしたまま、近野先輩に声をかけていた。

「…なんでしょうか」

 凄く不機嫌そうに、嫌そうな目で、不愉快そうな低い声色で、それはもう『さっさと失せろ』と言わんばかりの返事だった。近野先輩って怒らせたら怖そうだな、と直感で思った。

「何読んでんの」

 近野先輩の隣に座り、近野先輩の肩に腕を回そうとしていたが、近野先輩はその腕をパシッと叩き制した。

「『らせん』というホラー小説です」

 ほぉ、『らせん』というと貞子でお馴染みの『リング』の続編じゃなかったっけ。近野先輩、ホラー好きなのかな。
 しかし及川先輩は近野先輩が何を読んでいるかは特に興味は無い様で、ふーん、とだけ曖昧な相槌をしていた。きっと会話の取っ掛かりとして聞いただけに過ぎないだろう。及川先輩、本読まなさそうだし。
 ところでさっきから桐生先輩が凄く怖い顔で近野先輩の事睨んでるんですけど…。お願いだから部活内で修羅場だけは辞めて欲しい。そうなったら僕も早速退部だ。とは思っても僕は一年生。一番下っ端だ。口が裂けてもこんなことは言えないけども。

「及川、近野さん嫌がってるだろう」

 ようやく鶴の一声が飛んだ。飛ばしたのは篠崎部長だ。できたらもう少し早くお願いしたい。

「あ?んだよ」

 及川先輩が篠崎部長に逆ギレを始めた。もう嫌だ、この部…。
 特に今日は何も活動が無さそうなので帰ることにしよう。うん。変なことに巻き込まれる前にさっさと退散してしまおう。今日は苦手な古典の課題が出てるんだから、帰ってそれを頑張って晩御飯前に終わらせてしまおう。うん。とまぁ何とも良く分からない言い訳を自分に言い聞かせて部室から退散することにした。

「お疲れ様です」

 一応小さくではあるが挨拶して部室を出た。でも僕の声は篠崎部長と及川先輩の言い合いの声でかき消されて誰の耳にも届いていなかった。それはそれで都合がいいのもまた事実である。
 部室を出て、いつものようにイヤホンを耳に刺そうとすると、制服の腰当たりの部分をクイッと誰かに引っ張られた。振り返るとそこには近野先輩が鞄を持って立っていた。

「先輩も帰るところですか?」

 まぁ、先輩もあのままあそこに居続けるのは面倒だよな…。先輩も巻き込まれる形になるんだから。

「えぇ、まぁ。あのまま居ても良いことないし…」

 相変わらずの小さい声だった。まだ部室の中で言い合っている篠崎部長と及川先輩二人の声の方が聴きとれるというものだった。

「沢藤君、新聞部辞めちゃうの?」

 校門に向かうまでのほんの僅かな時間だが、先輩と歩く形になった。そこで先輩が僕に聞いてきた。

「え…。まぁ、そうしようかな、と」
「そう…。残念」

 俯き気味にボソッと先輩は言った。

「先輩こそ辞めないんですか?」

 あんなに及川先輩に慣れ慣れしくされるのも嫌だろうに。

「うん、別に…。帰ってもやることないし…」

 それでも他の部活なりなんなりあるのではないだろうか。先輩は美人なんだし、どこでも歓迎になるのではないだろうか。

「ねぇ、沢藤君」
「はい」
「もうちょっと新聞部続けてみない?私、沢藤君が辞めちゃったら悲しいな」

 少し潤んだ瞳でそう言われると、とてもじゃないが、異性と関わった経験値が圧倒的に足りない僕には非常に有効打だった。

「はい、頑張ってみます」

 かっこつけた感じで、かっこ悪い事をした気がする。
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