未完成のビリーフ

紫苑色のシオン

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未完成のビリーフ 7

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 午後を回ったあたりで先輩と学校に戻りつつ、道中にあった全国チェーン展開しているファミレスでお昼ご飯にした。それまでの間は適当に駅前のロータリーで午前から開いているアミューズメント施設で軽く遊びながら過ごしていた。何だか本当に恋人同士になった気分だ。

「沢藤君が良ければ、私達本当に付き合わない?」

 カルボナーラをフォークに巻き付けながら先輩が言った。
 思わず口に放り込んだハンバーグを吹き出しそうになった。同時にそのせいで唇を火傷しそうになった。

「大丈夫?」

 ナプキンで僕の口周りを吹いてくれる。完全に傍から見れば思春期に現を抜かす色ボケした二人そのものだ。その時だ。学校の制服は男子が学ラン、女子がセーラーなのである。そして夏服。更にはファミレスのテーブルという少し大きめのテーブルに乗り出す様な体制をしている近野先輩を正面から見る形になる。つまり、少し胸元が見えそうになるのだ。
 見てはいけないという理性と、見てしまいたいという男の本能が熾烈に脳内で戦っていた。

「沢藤君も男の子なんですね」

 僕の泳ぐ視線に気づいたのか、少しセーラー服の襟を押さえながら言う。

「み、見てませんよ」
「私、男の子なんですね、と言っただけですよ?何を見ようとしたんですか?」
「……」

 思いっきりカマにかけられてしまった。本当近野先輩には天地が逆転しても勝てる気がしない。
 しかしそのせいか、先ほどの発言も冗談では言ったのではないかという疑心も同時に芽生えてくる。

「本当に付き合ったとしても、及川先輩は引かない人なんですよね」

 あくまで、及川先輩と桐生先輩との厄介事を避けるための役柄と見て言っているのだと僕は考えた。いや、考えることにした。

「でも桐生先輩から睨まれることはなくなるでしょうし、何より、私自身、沢藤君の事は良いと思っているんですよ」

 髪を耳元に搔き上げながら先輩は言う。
 その仕草は男なら誰もがドキッとするだろう。もちろん僕もした。

「まぁ、考えといて下さいね」

 そう言って伝票をさっと持っていく先輩は女性なのに男らしかった。



 部室には当然ながら空調もなければ、扇風機といった暑さ対策の用品はない。幸いにも日当たりは悪い場所なので陽射しは入ってこないが、それでも暑さは部室の中をサウナの様に蒸していく。ちなみに、陽射しが入ってこないということは冬になると寒いことこの上ない部室なのだ。
 夏休み初日の部活は何とも言えない怠さが空気中に充満していた。やはりというべきなのか、及川先輩と桐生先輩は顔を出さずに、篠崎部長と僕達だけだった。初日からこの様子では先が思いやれるというものだった。それは三人とも感じているようで、ため息が出るばかりだった。

「やっぱり二人は来ないか…」

 篠崎部長が額に手を当てて溜め息一つ。結局あの二人はなぜ新聞部に入部しているのだろうか、甚だ疑問だ。

「仕方ない、このまま進めようか」

 といっても昨日の今日で何も新情報が掴めるものではない。僕だって昨日は散々調べたけども、何も出なかったわけだし。
 と心の中で反論していると。

「一つは分かりました」

 と近野先輩が。なんと。どうやって調べたというんだろう。

「深夜に学校の壁に顔が浮かび上がるそうです」

 内容は至ってシンプルなどこにでもあるような内容の階段だった。

「場所とかは?」
「初めて現れたのは北側校舎階段の三階踊り場だそうです」

 なぜかえらく具体的な情報だった。しかも言い方から察するに、目撃情報はまだあるようだ。

「二回目は二年生教室の前の壁だそうです。すみません、何組の教室かまでは…」
「いや、十分だ。ありがとう」

 これで残りは二つか。

「今日は色んな人の話を聞きに行こうか」

 篠崎部長が手を叩き、そう言った。初めて新聞部らしく、取材と洒落こむことになった。
 しかし問題としてはやはり今が夏休みという事だ。学校に来ている生徒は普段の四分の一もいないのではないか。グラウンドで活動している野球部の金属バットの音が高らかに聞こえてくるのと、恐らくは陸上部なのだろう、ホイッスルの音が聞こえるぐらいだ。今日は吹奏楽部も休みのようで楽器の音はしない。そんな人数が少数しかいない今のこの学校で取材するにしても短時間で終わる気がする。
 僕の心配はお構いなしに今一番人が多いであろう、グラウンドに出た。真夏の日差しが肌を焼く。こんな炎天下で運動するなんて気が触れているとしか思えない。桐生先輩だったら「日焼けするから」と言って絶対に取材に付いてこなかっただろう。そう言える正直さがたまに羨ましい。
 しかしグラウンドには意外な人物がいた。及川先輩だった。

「及川、何してんだ、ここで」
「残りの七不思議を聞いてまわってんだよ」
「え?マジで?」

 そこにいること自体にも驚きだったのだが、更にいるしていることにも驚かされた。なんということなのか。及川先輩は部活などに大した熱意などなく、仕方なく参加しているのかと思っていたのだが、それは僕の思い違いだったようで、結構真剣に参加しているようだった。ならば尚更部室で不純異性交遊などしないでいて欲しいのだが。

「何か分かったのか」
「一つだけならな。野球部の奴らが昨日、壁に顔があるのを見たってよ」

 それは近野先輩が今日話した内容と同じものだった。しかし今の及川先輩にその事を話したら不機嫌になりかねないと判断したのだろう、篠崎部長は今初めて聞いたような口調で話しを進めた。
 野球部は昨日、八時まで部活をしていたようで、片づけをしていたらしい。そして部員の一人がクラスメイトが人魂を見たというので、試しに校内を探索することになったらしい。しかし、見たものは、人魂ではなく、この世ならざる不気味な顔だったのだ。その場にいた全員が阿鼻叫喚で蜘蛛の子を散らす様に逃げ去ったという。
 なんだか、深夜と聞いてた割には時間が浅いな。そこだけがやけに引っかかった。普通もうちょっと時間は遅いものではないだろうか。僕の先入観なのだろうか。
 それからは及川先輩も加えて取材を続けたが、どうにも六個目と七個目が出てこなかった。そこでふと思った。

「あの、七不思議というからには七つ目は『全て知ると不幸が訪れる』とかそういうのではないでしょうか」

 今までは殆どが七不思議の定番の様なものばかりだった。であれば最後は七不思議の最大の特徴である『全てを知ると云々』というものなのではないだろうか。

「あぁ~かもしれんなぁ」

 篠崎部長が顎に手を添えて宙を見ながら頷く。

「私もそう思うわ、沢藤君」

 近野先輩も賛同する。

「まぁ、妥当だろうな」

 なぜ及川先輩は舌打ちしながら言うのだろう。そんなに近野先輩は僕に賛同したのが気に入らないですか。嫌われたなぁ。
 その日の部活の収穫はそれぐらいで終わった。
 篠崎部長は夏休み入って毎日部活することはないだろう、と言ったので部活は毎週火曜と金曜の週二回になった。三年生組は受験だろうし、妥当だろうと僕も思った。


 家に帰って真っ先に僕を出迎えたのはクーラーで冷えた空気だった。なんとも有難い母の気遣いなのだろうか。有難き幸せ。
 しかし次に僕を出迎えたのはこれまた違った冷めた空気だった。

「おかえり。遅かったわね」

 母だった。テーブルには一人前用意された冷やし中華。

「お昼、要らないなら連絡してくれない?」

 母はいつも怒るときは怒鳴ったりしない。いつもとは違う冷徹な微笑を浮かべてニッコリと詰め寄ってくるのだ。
 しまった。先輩の悪戯で午前から家を出ており、母に何時に帰るとか一切伝えていなかった。しかも剰え、連絡するのを忘れていた。

「ごめんなさい」
「何のためにケータイ、持たせてると思ってるの?」

 正しくはスマホだけどそんな細かい訂正してみろ、今度こそ般若になりかねない。怖い。

「本当にごめんなさい」

 元はと言えば近野先輩のせいだけど、それは言うまい。
 罰として今日の晩御飯は、三日ぶりに帰ってきた父と母がお寿司の出前を取って、その横で僕がお昼になる予定だった冷やし中華を食べることになった。
 まるで子供の様な仕返しをする母に不満をこぼしながら風呂に入ることに。暑い夏でも風呂はいいものだ。

「はぁ…」

 僕は昔から風呂が好きみたいで、長い事湯舟に浸かる。おっさんのようだと両親に笑われたことがあるが、こればっかりは好きなのだから仕方ない。

(七不思議、か…)

 風呂のお湯で顔を一回濡らす。気持ちいい。頭の中がスッキリとする。

(違和感だらけだな…)

 昨日から感じていた事だ。
 今回の七不思議、というよりは怪談に近いそれぞれの話。こういった話は出元が、兄弟の友達からとか、遠い親戚がとかハッキリしないのが常ではないだろうか。なのに今回は今のところ全て、目撃者がハッキリしているのだ。これが僕が感じた違和感。
 まるで、『見られた』のではなく『見せている』かのようだ。目撃させるのが目的なら、それはつまり、人による工作ということにならないだろうか。というのは建前で、僕は今回は最初から人為的なものだろう、と踏んでいた。
 しかし、その目的が分からないでいるのだ。人為的にこのような事を広め、犯人に何の得があるというのだろうか。それがハッキリしない事には今回の七不思議騒動の犯人を絞るのは不可能に近いだろう。それこそ、犯人が仕掛けを使っているところを直接押さえない限りは無理だろう。
 動機。何だろうか。ありそうなのは、広まって欲しい怪談は実は一つだけで、その他はカモフラージュでしかなかったとか。しかし、そのたった一つの広まって欲しい怪談の理由は何だろうか。怪談となると、起きた場所を怖がって人が近づかなくなるようにするとか。違うだろうな。中には面白がって肝試しする連中なんかもいる。効果としては期待値は薄いだろう。
なら逆説的に人に集まって欲しかったとか。それこそ意味が分からないな。そうだなぁ…、その場所で何か大切なものを失くしてしまって、人が集まることで失くしたものが見つかることを期待した、とか。それこそ前者より効果が希薄だろう。
 それに、一つだけ広まって欲しいのなら、全てに目撃者を作るほど手の込んだことをする必要があるのだろうか。いくら何でも手間がかかりすぎている気がしないでもない。ならばやはり七不思議は全て広まる必要があったと考えるべきなのだろう。
 鼻より下を湯舟に浸けながら考え事をしていた。ぶくぶくと口から逃げた空気が湯舟から散っていく。
 何も分からないな…。まぁ、怪我人とかそういった実害は出ていないのだから今は良いのだろうけども。
 それに仕掛けも今のところ仕掛けが分かるのは『独りでに鳴るピアノ』ぐらいか。他は今のところ何も分からない。いや幾つか思いつくのだが、どれも『あり得る』のだ。特定絞るのは難しい。
 一体犯人は何を考えているのだろうか…。
 考え事もそこそこに風呂を上がる。身体を拭き、寝間着に着替えてクーラーの効いたリビングに行く。火照った身体に冷たい空気が気持ちいい。
 とリビングに入ったところでテーブルにラップに包まれたお寿司が幾つかあった。奇遇な事に僕の好きなネタばかりだった。

「お腹に余裕があったら食べなさい」

 ソファに座ってテレビを見ていた父が言った。確かに冷やし中華一つだけで少し物足りなさを感じていたところだ。頂くとしよう。

「何して母さんを怒らせたんだい」

 テレビを見ながらでもいいのに、父がわざわざ僕の正面に座って聴いてくる。

「全面的に悪いと思ってるよ。一応謝ったんだけどね…」

 マグロを最初に食べた。うん、美味しい。

「怒った母さんは怖いだろう!」

 と楽しそうに笑う父。一発ビンタぐらいしてやろうかしらん。
 次はサーモン。これも美味しい。

「でもね、そのお寿司も母さんが健吾にと分けて置いてたものなんだよ」
「見た時に分かったよ」

 烏賊にハマチ。身がプリッとしていて美味しい。
 父はその後は特に何も言わずに僕がお寿司を食べているのをただ見ているだけだった。
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